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第三章
29話
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「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでした」
依織が先に口を開く。それにつられて、俺も静かに口を開いた。
依織は、卓上のベルに指を伸ばし、軽く一度、鳴らした。しばらくすると、襖の向こうから控えめな足音が近づいてくる。女将さんだ。
「お呼びでございますか?」
「会計、お願いします」
依織が切り出すと、彼女は「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」と柔らかく答え、静かに伝票を取りに下がっていく。
その間、俺は黙ったまま湯呑みに口をつけた。残りの温茶が、静かに喉を潤していく。
ほどなくして戻ってきた女将さんは、盆に置かれた伝票を、そっと依織に見せる。依織は、それを見た後カードを取り出し、その盆の上に置いた。
「これで」
「あっ、ちょっと待て。俺も」
「今日は僕が誘いましたし、全額払わせてください。……次、シキ様にご馳走していただきますから」
立ち上がりかけた俺を、依織は片手で制して、女将さんに軽く会釈した。
「かしこまりました。こちらでご精算いたしますね」
彼女が奥に下がっていくのを見送りながら、俺は仕方なく息を吐いた。
「……最初から、出させる気なかっただろ」
「ええ、そうですね。シキ様に払わせる理由、ひとつもありませんでしたから」
「お前なぁ……」
「そのかわり、次は奢ってください」
小さく毒を吐いても、依織は悪びれた様子もなく、いつもの穏やかな調子で微笑んでくる。俺は黙って湯呑みを空にした。
会計を終え、女将さんに礼を告げてから、俺たちは店を出た。
引き戸を開けると、夜の冷気が、酔いで火照った身体にちょうどよくて、俺は無意識に小さく息を吐いた。
「……やっぱり、夜は冷えますね」
隣から聞こえた言葉に、俺は依織に視線を向ける。街灯の柔らかな光が彼の横顔を優しく照らしている。俺の視線に気付いたのか、目が合った。
「風邪引かないようにしなきゃですね」
「そうだな、お前が体調崩すとファンの人たちが心配するだろうし」
そう言うと、彼の顔にいつもの穏やかな笑みが浮かぶ。
「シキ様も心配してくれます?」
「まぁ……そりゃあ、心配はする」
「それなら、風邪引くのもありですね……」
「やめろよ……縁起でもない」
俺の言葉に、依織はくすくすと小さく笑った。俺たちは並んで歩き出し、足音だけが静かに響く。そんな中、さっき言われた言葉が頭をよぎった。だから、つい確かめたくなった。
「で、これはどこに向かってんの?」
「え?駅ですけど……もしかして歩くのしんどいです?タクシー呼びましょうか!?」
「いや、いい」
そう言って、再び歩き出す俺に依織は首を傾げて歩みを揃えてくる。やっぱりこいつ、さっきの言葉は冗談のままにするらしい。
"今日、もう少しだけ一緒にいたい"
"シキ様の、色んな姿を……俺にもっと見せて欲しい"
ふーん。なんだよ半分は冗談って。なんか、いいように転がされてる気がして、どうにも気に入らない。
こいつに、このモヤモヤをどうにかしてぶつけてやりたい。なんなら、八つ当たりしてやりたい。いい案は何かないかと考え、ふと、足を止めた。
隣を歩いていた依織が、立ち止まった俺に気づいて数歩先で振り返る。
「どうかしました?」
「なぁ……さっき店で話してた条件さ。お前が言った最後のやつ、ほんとに冗談ってことにしていいんだな?」
静かに問いかける。依織は一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに柔らかく微笑んだ。
「はい」
「……ふ~ん、そっか」
短く返した声に、自分でも少し棘があるのがわかった。
「……じゃあ、何があっても、このまま帰るよな?」
足元のアスファルトを見つめる。風に揺れる髪が頬に触れて、なんだか余計に冷たく感じた。
「もっかい言ってもらえませんか?」
依織が聞き返してくる。どうやら聞こえてなかったらしい。その返事に、苛立ちと衝動が胸をかき乱される。顔を上げて、依織をまっすぐに見据える。
街灯に照らされたその顔は、変わらず穏やかに笑みを浮かべている。
このまま、何もなかったように別れてたまるか。
「……依織」
俺は目を逸らさずに、名前を呼んだ。呼ばれた彼は迷わず近づいてきた。
「……ごちそうさまでした」
依織が先に口を開く。それにつられて、俺も静かに口を開いた。
依織は、卓上のベルに指を伸ばし、軽く一度、鳴らした。しばらくすると、襖の向こうから控えめな足音が近づいてくる。女将さんだ。
「お呼びでございますか?」
「会計、お願いします」
依織が切り出すと、彼女は「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」と柔らかく答え、静かに伝票を取りに下がっていく。
その間、俺は黙ったまま湯呑みに口をつけた。残りの温茶が、静かに喉を潤していく。
ほどなくして戻ってきた女将さんは、盆に置かれた伝票を、そっと依織に見せる。依織は、それを見た後カードを取り出し、その盆の上に置いた。
「これで」
「あっ、ちょっと待て。俺も」
「今日は僕が誘いましたし、全額払わせてください。……次、シキ様にご馳走していただきますから」
立ち上がりかけた俺を、依織は片手で制して、女将さんに軽く会釈した。
「かしこまりました。こちらでご精算いたしますね」
彼女が奥に下がっていくのを見送りながら、俺は仕方なく息を吐いた。
「……最初から、出させる気なかっただろ」
「ええ、そうですね。シキ様に払わせる理由、ひとつもありませんでしたから」
「お前なぁ……」
「そのかわり、次は奢ってください」
小さく毒を吐いても、依織は悪びれた様子もなく、いつもの穏やかな調子で微笑んでくる。俺は黙って湯呑みを空にした。
会計を終え、女将さんに礼を告げてから、俺たちは店を出た。
引き戸を開けると、夜の冷気が、酔いで火照った身体にちょうどよくて、俺は無意識に小さく息を吐いた。
「……やっぱり、夜は冷えますね」
隣から聞こえた言葉に、俺は依織に視線を向ける。街灯の柔らかな光が彼の横顔を優しく照らしている。俺の視線に気付いたのか、目が合った。
「風邪引かないようにしなきゃですね」
「そうだな、お前が体調崩すとファンの人たちが心配するだろうし」
そう言うと、彼の顔にいつもの穏やかな笑みが浮かぶ。
「シキ様も心配してくれます?」
「まぁ……そりゃあ、心配はする」
「それなら、風邪引くのもありですね……」
「やめろよ……縁起でもない」
俺の言葉に、依織はくすくすと小さく笑った。俺たちは並んで歩き出し、足音だけが静かに響く。そんな中、さっき言われた言葉が頭をよぎった。だから、つい確かめたくなった。
「で、これはどこに向かってんの?」
「え?駅ですけど……もしかして歩くのしんどいです?タクシー呼びましょうか!?」
「いや、いい」
そう言って、再び歩き出す俺に依織は首を傾げて歩みを揃えてくる。やっぱりこいつ、さっきの言葉は冗談のままにするらしい。
"今日、もう少しだけ一緒にいたい"
"シキ様の、色んな姿を……俺にもっと見せて欲しい"
ふーん。なんだよ半分は冗談って。なんか、いいように転がされてる気がして、どうにも気に入らない。
こいつに、このモヤモヤをどうにかしてぶつけてやりたい。なんなら、八つ当たりしてやりたい。いい案は何かないかと考え、ふと、足を止めた。
隣を歩いていた依織が、立ち止まった俺に気づいて数歩先で振り返る。
「どうかしました?」
「なぁ……さっき店で話してた条件さ。お前が言った最後のやつ、ほんとに冗談ってことにしていいんだな?」
静かに問いかける。依織は一瞬だけ目を瞬かせ、すぐに柔らかく微笑んだ。
「はい」
「……ふ~ん、そっか」
短く返した声に、自分でも少し棘があるのがわかった。
「……じゃあ、何があっても、このまま帰るよな?」
足元のアスファルトを見つめる。風に揺れる髪が頬に触れて、なんだか余計に冷たく感じた。
「もっかい言ってもらえませんか?」
依織が聞き返してくる。どうやら聞こえてなかったらしい。その返事に、苛立ちと衝動が胸をかき乱される。顔を上げて、依織をまっすぐに見据える。
街灯に照らされたその顔は、変わらず穏やかに笑みを浮かべている。
このまま、何もなかったように別れてたまるか。
「……依織」
俺は目を逸らさずに、名前を呼んだ。呼ばれた彼は迷わず近づいてきた。
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