底辺乗り物オタクの私、推しに見つかりました―推しの推し活が、溺愛すぎる

亜 れみた

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スカーレットの弧線と、水飛沫の秘密基地

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 地下鉄が空を飛ぶ。  地方に住む中学生が、修学旅行の事前学習でお父さんからそう聞かされて「そんなの冗談でしょ」と笑ったという話を、いつかテレビの街頭インタビューで観たことがある。けれど、その気持ちはよく分かる。地下を走るから「地下鉄」なのだ。ビルを見下ろすような高架を走る姿なんて、理屈では分かっていても、初めて見る者にとっては一種のファンタジーに近い。

 実際、私も初めて銀座線の渋谷駅で、地上三階の高さを真っ黄色な車体が滑り込んでいくのを見たときは、改札に入るのも忘れて「冗談でしょ・・・」と立ち尽くしてしまった。当たり前だと思っていた日常のルールが、鮮やかに裏切られる瞬間の快感。それが鉄道の面白さの一つでもある。

 けれど、私の隣を歩くこの人は、それ以上の「住む世界の違い」を纏っている。  ロックバンド「1825」(いはにご)のボーカル、SOUDAI。    彼が乗り物の魅力に取り憑かれたきっかけは、自身が主題歌を書き下ろし、出演も果たした航空ドラマだった。つまり、彼はすでに「スター」になってから乗り物を好きになったのだ。

 売れっ子ゆえに、簡単に街を歩くことはできない。普段の移動は常に事務所の車か、遮光フィルムの貼られたタクシーだろう。東京ドームという、彼にとってはいわば「主戦場」である場所のすぐ傍らに、あんなにも美しい「空飛ぶ地下鉄」が走っていることに、彼は今日まで気づくチャンスがなかった。何度もドームのステージに立ち、数万人の歓声を浴びてきたはずなのに、そのすぐ横を通り過ぎるスカーレットの軌道を知らない。少し、かわいそうだとさえ思った。

「・・・民亜、本当にここを地下鉄が通るのか? 地下鉄だろ?」    今日の壮大は、黒いキャップを驚くほど深く被り、首元まで隠れるジャケットで現れた。  待ち合わせの合図は、頭を二回、手のひらでポンポンと叩くこと。イベントのない平日の東京ドーム前は、拍子抜けするほど静かだ。人通りのない広場で、私たちは合流し、そのままドームの白い屋根を左手に見ながら後楽園駅方面へと歩き出した。

「壮大さん、あそこですよ。もうすぐ見えます」  私が指差した先。ラクーアの商業施設と駅を繋ぐ、あの有名な高架線が、春の午後の光を浴びて鈍く光っている。

「民鉄チャンネルで一番撮影してる、あの角度のとこに案内してよ。俺、画面越しじゃなくて、自分の目で、あの『赤』が空を切り裂くところが見たいんだ」

 人気のない私のYouTubeチャンネルを、彼はまるでお気に入りの映画のように「あの角度」と呼ぶ。その一言だけで、私の胸は誇らしさと気恥ずかしさでいっぱいになった。  案内したのは、高架を走る丸ノ内線を、遮るものなく一番美しく見上げられる「民鉄」御用達のポジション。幸い、先客はいなかった。

 ここは休日になれば、お父さんに手を引かれた「子鉄」くんたちが目を輝かせて陣取る場所だ。でも、今は私と壮大だけ。    やがて、遠くから「コトコト」と、地下から地上へ躍り出る独特の走行音が響いてきた。 「来ますよ。・・・見てください」

 現れたのは、最新車両の二〇〇〇系。  その色は、単なる「赤」ではない。かつての丸ノ内線の記憶を継承しつつ、現代の輝きを纏った「グローイング・スカーレット」。燃えるような鮮やかな緋色が、コンクリートの高架の上で、見事な弧を描いて走り抜けていく。
「・・・うわ、すげえ」  壮大が、キャップの鍔を少しだけ上げて、子供のように口を開けてそれを見送った。 「本当に、空を走ってるんだな。地下鉄なのに。・・・綺麗だ、あの赤。ステージの照明とは違う、なんていうか、生活の温度がある赤だな」

 何本もの列車が通過するのを、私たちはただ黙って見守った。  丸ノ内線特有の、サインウェーブの白帯が残像となって消えていく。この高架のロマンが、いつかあの子鉄くんたちの心にも届くといいな。そんなことを考えていると、壮大が不意に私の顔を覗き込み、いたずらっぽく笑った。

「よし、次の乗り物、行ってみようか!」
 歩き出した壮大の足取りは、先ほどよりもずっと軽い。  彼が向かった先は、駅の改札ではなく、東京ドームシティのアトラクションエリアだった。  歩くにつれて、黄色い歓声と水の弾ける音が聞こえてくる。
「・・・壮大さん? どこへ行くんですか。駅はあっちですよ」 「ウォータースライダー、乗らない?」
「えっ!? 壮大さん、顔、バレちゃいますよ! それに待ち時間だって――」
「心配しすぎ。ほら」  壮大がポケットから取り出したのは、二枚のフリーパスだった。 「合流する前に、あっちのチケットカウンターで買っといたんだー。今は平日の昼間だぜ? 待ち時間なんて、丸ノ内線の運行間隔より短いって」

 彼の段取りの良さに、私は絶句した。  スターとして常に「最短距離」を計算して動く癖がついているのか、それとも、単に私を驚かせたかったのか。さっきまで高架を見上げて「かわいい」と思っていた自分を殴りたい。この人は、いつだって私の一枚上手を行くのだ。

 案の定、平日のウォータースライダーに列はなかった。

  私たちはあっという間に、丸太のような形をしたライドへと乗り込んでいた。   「・・・ちょっと待ってください。私、さっきまで高架を走る丸ノ内線を、あんなに厳粛な気持ちで撮ってたのに。なんで今、遊園地で水に濡れようとしてるんですか!?」

 パニックになる私を、前に座る壮大は肩を揺らして笑っている。 「いいだろ、たまには! これも『高いところを走る乗り物』には変わりないぜ? ほら、くるぞ!」

 ライドがゆっくりと、急勾配を登り始める。  カチカチカチ、という巻き上げ音が、心臓の鼓動を加速させる。

  頂上に達した瞬間、視界が開けた。    そこには、先ほどまで見上げていた後楽園の街並みと、その向こう側でまた一本、スカーレットの車体がビルの間を抜けていくのが見えた。 「民亜、見て! 丸ノ内線だ!」

  壮大が叫ぶのと同時、ライドが重力に引き寄せられ、一気に加速した。
「きゃあああああ!」 

 視界が真っ白な水飛沫に包まれる。  衝撃と、冷たい水の感触。 

 滑り落ちた先で、私たちは全身に飛沫を浴びて、声を上げて笑っていた。  壮大のキャップは少し濡れ、前髪が額に張り付いている。変装の意味をなさないほど、その表情は剥き出しの少年のようだった。

「・・・最高だな。鈍行旅の前に、いい景気づけになったよ」 

 彼は顔を拭いながら、私を見て満足げに頷いた。

 いつも画面越しに「見る鉄」をしていた私が、推しに手を引かれて、こんなふうに日常のレールを脱線させられている。  後楽園の高架を走る丸ノ内線。  その赤色が、私の頬の熱に混ざって、いつまでも消えずに残っていた。    ・・・でも、壮大さん。一つだけ言わせてください。

  このびしょ濡れの格好で、次の目的地へ向かうのも、あなたの「段取り」に入っているんですか?

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