底辺乗り物オタクの私、推しに見つかりました―推しの推し活が、溺愛すぎる

亜 れみた

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はじめて推しとデートいやオタ活

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品川駅には「常盤軒(ときわけん)」という、鉄道ファンならずとも知る立ち食いそばの名店がある。
かつて国鉄が走っていた時代から、山手線ホームの片隅で、ずっと人の流れを受け止めてきた店だ。
昼どきにはスーツ姿の会社員や、キャリーケースを引いた旅行者が自然と列をつくる。
立ち食いそばなのに、並ぶこと自体が当たり前になっている。

濃いめの出汁。存在感のある麺。
急いで食べても、ちゃんと「食べた記憶」が残る。
だから常盤軒は、今も変わらず人気なのだと思う。

「山品川駅」にもまた、鉄道員やファンたちの間で語り継がれる話題の駅そばがある。  ――「山栄軒(さんえいけん)」。
 出汁も麺も文句なし。まずはつゆを一口啜り、シンプルにその深みを味わうのが正解かもしれない。  けれど、鉄(てつ)という生き物は、つくづく「イベント」に弱い。  

季節のどんぶり、旬を詰め込んだかき揚げ。その時期、その瞬間にしか出会えない限定メニューの文字に、私たちはいつだって心を躍らせてしまう。  まあ、こういう「限定」に弱い性質は、鉄道ファンに限ったことではないのかもしれないけれど。
貨物便やビジネス客が主流の「ビジネス山手線」だけど、
山品川駅には貨物の車庫があり、従業員の利用も多い。
停車中の貨物列車が何本も並ぶ光景は、それだけで撮影対象になる。
鉄道ファンの間では、ちょっとした人気スポットだ。

今日は、新メニューを食べに来た。  ・・・推しと。

 おかしい。どう考えてもおかしい。私の脳内解像度がバグって、夢と現実のフレームレートが混ざり合っているのではないか。

 待ち合わせは、「山栄軒」の前。  この、どうしようもなく色気のない場所が、かえって「限定メニューを食べる」という目的を無機質に際立たせている。  だったら、一人で来ればいいのに。

  彼は私を、正体がバレないための「道具」か何かに使おうとしているのだろうか。

 本当に来るんだろうか。やっぱり悪い冗談だったんじゃないか。  期待と不安が、山手線の内回りと外回りのように、私の心の中で激しく交差する。

 その時。  ゴトッ、ゴトッ、という重厚な地響きと共に、私の本命――「山貨2000」がホームを通過していった。  無骨な鉄の塊。力強いモーター音。 (・・・今日も凛々しい。好きだー!)  私は心の中で叫んだ。  そうだ。私の推しは「山貨2000」。  「山貨2000」、「山貨2000」・・・。  目の前に現れるはずの――ああ、でも。

それでも、心臓の音がうるさすぎる。
レールの振動さえ、聞こえなくなりそうになった、その時だった。

「・・・民亜」
声がした。
左側――と思った瞬間、右肩に、そっと指先が触れる。
反射的に息を呑むより早く、今度は左耳のすぐそばで、低く囁かれた。
「山貨2000。
好きなところまで、同じ」
距離が、近すぎる。
耳にかかる息の温度。
言葉より先に伝わってくる、確信みたいなもの。
(・・・知りすぎ)

私は、身動きが取れなかった。
鉄の音も、人のざわめきも、全部遠のいていく。
残っているのは、
右肩の感触と、
左耳に残る、その声だけだった。

 民亜が、ぽーっと貨物列車を眺めている隙に買ってきたらしい。 「ほら、行くぞ」  壮大の右手が、民亜の右肩に乗ったまま、二人は「山栄軒」の暖簾をくぐった。  実は、初・山栄軒だった。まさか「民鉄」さんと、ここに来る日が来るとは――と、民亜は心の中で思う。

 ほどなくして、そばが運ばれてくる。二つとも、盆を持って運んできたのは壮大だった。  それを見て、民亜は目を丸くする。一つは、春限定の駅そば。もう一つは、潔いほど素朴な「かけそば」だった。 「俺さ、体型維持には気をつかってるんで」  さらっと言う。あの、ステージでのキレのあるライブパフォーマンス。あれには、もちろんストイックな体型管理も関わっている。壮大は本気でそう自負しているらしい。

 気をつかわれていた。・・・いや、違う。それだと、春限定の駅そばを食べに来た意味がなくなる。 「食べなくてどうするって?」  民亜の心のツッコミが聞こえたかのように、壮大は言った。 「民亜が食べてるの、ちょっともらうんだ」

 壮大は、私のどんぶりから、桜の花びらでところどころピンク色が見え隠れしているかき揚げを、一口分だけ器用に切り取って箸で持ち上げた。  そして、最初の一口を私の口元へと向けてくる。

 「ほら、まずは民亜から」  
接近してくる物体――というより、推しの箸と至近距離の顔を見て、私は思わず口を開けていた。お、推しが、食べさせてくれている・・・?
「どう?」 「・・・っ、桜の塩漬けがいいアクセントになってる」  ようやく絞り出した感想に、壮大は満足そうに微笑むと、二口目も私の口に入れた。そしてまた、柔らかく微笑んだ。  図々しい想像だけど、壮大もまた「推し」を見て微笑んでいるように見えてしまった。おかしい、夢よ夢。でも、頬に感じる熱も、春の野菜の苦味も、すべてが鮮明な現実だった。

 食べ終えるなり、彼は私の荷物をひっ掴んで歩き出した。向かったのはホームの端、巨大な貨物車庫が眼下に見渡せる特等席だ。  そこには、運用を終えたばかりの「山貨2000」が、重厚な沈黙を湛えて鎮座していた。鈍く光る鉄の肌。オイルの匂い。夕陽を浴びて、その無機質な構造体が静かに呼吸しているように見える。

「・・・綺麗」  私が溜息を漏らすと、壮大は満足げに頷いた。 「だろ? この無骨な連結部分こそが、俺らのルーツなんだ。・・・効率だけじゃ語れない、この重みがいいんだよ」
 二人の影が、西陽に伸びてバラスト(砂利)と重なる。 「・・・さて、充電完了。次はスタジオだ」 

 壮大は不意に、キャップを深く被り直した。その瞬間、彼の纏う空気が、世界を魅了するスターのそれに切り替わる。 「あ、頑張ってください」

  仕事モードに入った彼に、思わず敬語で声が出た。見送るつもりで立ち止まった私の右肩を、壮大の手が再び強く引き寄せた。
「・・・一緒に来るんだよ」

 え――?  拒否権など最初から与えないような、強引で熱い響き。  私は、彼の引く力に逆らえないまま、未知の「連結」へと再び加速し始めた。

半ば強引に壮大に手を引かれ、連れて来られたのは都内某所の音楽スタジオだった。

「別に俺しかいないんだけど、一応スタジオの受
付は通さないとね」  壮大はキャップを直しながら、戸惑う私を振り返って不敵に笑った。 「ちょうどいいことに民亜は本格的なカメラ持ってるから、取材の人っぽく見えるよ。・・・ってことで、今日一日、密着取材のカメラマンって設定でよろしく」
有無を言わせないその口振りに、私はただ頷くことしかできなかった。

  彼は手慣れた様子で受付を済ませる。スタッフへの「同行のカメラマンが入るから」という連絡も、驚くほどスムーズだった。常連なのだろう。迷いのない足取りで廊下を進み、重厚なスタジオのドアを開けると、彼は中に入るなりカチリと鍵を閉めた。
「よし、これで楽勝。・・・あ、預けてるギター持ってくるから、ここで待ってて。・・・民亜も、今のうちに喉慣らしといて」 「えっ・・・?」 「冗談。別に歌ってくれてもいいけど」

 そう言って悪戯っぽく笑い、彼は一度部屋を出ていった。  完全に壮大のペースだ。さっきまで駅のホームで「山貨2000」のオイルの匂いを嗅いでいたはずなのに、今は吸音材に囲まれた、無機質で贅沢な静寂の中にいる。

 ほどなくして、彼は一本のハードケースを抱えて戻ってきた。   (・・・うそ、ギターをケースから出すの? マジで?)

 ファンなら誰もが知っている、彼の相棒。数々の名曲を生み出してきた、あの伝説のギターだ。今から目の前で、その「心臓」がケースから取り出されようとしている。その事実だけで、私の思考回路はショート寸前だった。

 落ち着け、落ち着け・・・。  
 
肩も手も震えていた。私はただ、肺の中の空気をすべて吐き出すようにして息をこらした。  その様子を横目で見ていた壮大が、ふっと柔らかく、慈しむような笑みを浮かべる。

「・・・そんなに緊張しなくていいよ、民亜」
駅のホームとは違う、防音壁に反射して鼓膜に直接届くその響き。  壮大はケースの留め具に指をかけ、パチン、と乾いた音を鳴らした。


ケースの中から現れたのは、美しい飴色のアコースティックギターだった。ライブでは激しいエレキを掻き鳴らす姿が主流だが、バラードや心に深く潜る曲のとき、彼はこの一本を手に取る。ファンなら誰もが「聖遺物」のように崇めている名器だ。

「これ、NYT(航空会社)の新CMソングの制作なんだ。・・・カメラマンさん、よろしくお願いしますね?」

 壮大が不敵に笑う。その一言で、私の中からとっくに抜け落ちていた「カメラマンという任務」が、いきなり強烈な現実味を持って引き戻された。

「あ、本当に撮ってね」  彼は私の目をじっと覗き込んだ。驚いて、ゆっくり首を傾げる私に、「カメラマンさんですよね? じゃ、よろしく」と念を押すように言い切る。
 ――ジャラーン。

  弦をつま弾く音が、スタジオの防音壁に吸い込まれ、純度の高い余韻だけが残った。  壮大は最初の数分こそ、私の視線を気にしているようだったけれど、一度メロディの迷宮に入り込むと、すぐに自分だけの世界に没頭し始めた。
(・・・プロだ)

 空気の色が変わった。
さっきまで駅のホームで「駅そば」を一口食べて笑っていた男は、もういない。
私は震える手を、急いで落ち着かせるように深く息をした。
私は、カメラや撮影そのものが好きなわけじゃない。
愛しているのは「電車」であって、レンズは、その存在を記録するための手段に過ぎなかった。
そんな、電車しか撮ってこなかった私が、人生で初めて「人」を、しかも「推し」を撮っている。
(・・・自分でも、どういうことか聞きたくなる)

 ファインダー越しに見る壮大は、残酷なほどに美しかった。  

航空会社のCM――。空を駆けるイメージを練っているのだろうか。  時折、フレーズを確認するように鼻歌を歌い、ノートにペンを走らせる。  その指先。弦を滑る音。集中して険しくなる眉間。

 私は息を潜め、無我夢中でシャッターを切った。

  鉄道を撮るときと同じだ。最高の瞬間、最高の連結を逃したくないという本能が、私の指を動かしていた。

 壮大は、ギターを弾きながらふと顔を上げた。  目が合う。  けれど彼は演奏を止めなかった。 「・・・民亜。いい音、撮れてる?」

 それは仕事モードの「SOUDAI」の声ではなく、どこか甘く、親密な響きだった。

「やっぱ、撮影慣れしてるね」
その一言で、心臓が跳ねた。
推しが、自分が撮っている姿を見ている。
そう思った瞬間、急に全部が恥ずかしくなった。
でも、逃げるのは違う気がして、私は声を振り絞った。

「・・・普段は、電車しか撮ってないんです」
レンズの向こうじゃなく、ちゃんと彼のほうを見る。
「人、撮るのは・・・今日が初めてで」
壮大は、少しだけ目を見開いてから、またあの笑顔を見せた。
さっきまでの“制作中の顔”とは違う、柔らかいやつ。

それから、不意に、何かを思いついたような表情になる。
私はてっきり、歌詞だと思った。
次のフレーズが降りてきたんだ、と。
でも、壮大はノートを開いたまま、スマホを手に取った。
今度は、そっちにメモするのかと思った、その時。
「弾いてない時間も、制作の一部だからさ。そこも撮ってね」
そう言って、一拍置いてから――
壮大の手の中のスマホのレンズが、私のほうを向いた。
カチャ。
カチャカチャ。

「じゃあ今度は、民鉄さんが撮影してるところ、撮りますね」
完全に虚を突かれて、言葉が出ない。
壮大は楽しそうに、でも当たり前みたいに言う。
自分が“推し”でいる時間と、
私を“推し”にする時間。
その切り替えを、彼は驚くほど自然にやってのける。
立場は入れ替わっているのに、
距離だけは、さっきより少し近くなっていた。

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