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逆走する境界線、揺れる肩の温もり
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「どこに泊まろうか?」
深夜のコンビニ駐車場、秘密基地と化した車内で放たれたその問いに、私の心臓は一度だけ大きく跳ねた。予想はついていた。覚悟もしていた。けれど、彼の口から明確に「宿泊」という単語が出た瞬間、今回の新潟行きが単なる撮影遠征ではなく、人生で最も特別な「一夜」を伴う旅であることが確定したのだ。
私は、自分の中にある「ストイックな鉄の理論」を壮大にぶつけてみた。 「・・・いつもは新潟駅付近、発着する電車が見えるホテルを選びます。でも、それだとホテルの窓からずっと外を眺めて、部屋から一歩も出なくなっちゃうんです。撮影がおろそかになるから、あえて窓から何も見えないホテルに泊まることもあるんですよ」 私のあまりに偏った宿泊論に、壮大は声を上げて笑った。 「ははっ! 民鉄さんの考え方、本当にストイックだね。姿勢が男前すぎます。流石です」
感心したように頷く彼に、私は少しだけ誇らしい気持ちになった。けれど、次に彼が口にした提案は、私のすべての思考回路をショートさせるものだった。 「でさ、民亜。鈍行で東京から新潟に行って、着いてすぐフルパワーで鉄活できるようにさ・・・新宿か赤羽あたりで前泊しようよ。その方が楽だろ?」
(・・・はっ!?)
都内で、前泊。 それはつまり、新潟に行く「前」から、彼と同じ場所で夜を過ごすということだ。 流石に息が止まった。都内のホテルで二人、これから始まる旅の前夜祭なんて、私のキャパシティをとうに超えている。
「いや、それは・・・流石に・・・無理です」 「えー、嫌? 俺、寝坊していいの? 一番列車に遅れちゃうかもしれないよ?」 壮大は少し意地悪な顔をして、おかしな脅しをかけてくる。 けれど、私は必死に理性を保って首を横に振った。ここで甘えてしまったら、私はもう「民鉄」として、カメラマンとして彼に向き合えなくなる。ファンとしての節度を、自分から手放すわけにはいかなかった。
結局、都内前泊は断った。壮大は少しだけ残念そうに「そっか・・・ま、今回はそうしようか」と引き下がってくれたけれど、その表情にはどこか、私の頑ななまでの「一線」を面白がっているような、それでいて尊重してくれているような優しさが滲んでいた。
そして今、私はあの夜の自分に「正解だったよ」と言ってあげたい気分でいる。 壮大は、寝坊しなかった。 それどころか、約束通りの時間にホームに現れ、今は私の右肩を枕にして、気持ちよさそうに深い眠りに落ちている。
平日の始発、高崎線。 世間がこれから都心へと向かう凄まじい通勤ラッシュの波に飲み込まれていく中、私たちはその流れを逆走する形で北へと向かっていた。 下りの一番列車。車内は驚くほど空いていて、椅子取りゲームをする必要さえない。
ゴトゴト、という一定の振動。 E233系のロングシートが刻む、どこか規則的で安心するリズム。 帽子を深く深く被り、マスクとメガネで顔を隠した隣の男が、あの伝説のロックバンド『1825(いはにご)』のボーカル・壮大だとは、周囲のまばらな乗客の誰も気づいていない。
(・・・こんな幸せ、本当にあっていいの?)
推しと並んで座り、車窓を流れる景色について熱く語り合う・・・そんな「鉄トーク」を期待していた自分もいたけれど、今のこの沈黙は、それ以上に贅沢だった。 私の肩に佇む、壮大の頭の重み。 私のブラウス越しに、彼の規則的な寝息が直接肌に伝わってくる。彼が心から私を信頼し、リラックスして身を委ねていることが分かって、胸の奥が熱くなる。 空を飛び回り、分刻みのスケジュールで数万人の視線を浴び続ける彼にとって、この「誰にも気づかれない、逆走する各駅停車」は、唯一の安息のシェルターなのかもしれない。
壮大は、時折ふと目を覚ましては、「・・・今どこ?」「あ、空が明るくなってきたね」と、まるで寝言のように少しだけ話して、またすぐに深い眠りに落ちる。その繰り返し。 寝て、起きて、ちょっとだけ話して、また寝る。 旅路における、最高に贅沢で気持ちいい過ごし方。それを彼は、私の隣で、私の肩を借りて享受していた。
けれど、幸福な時間は、どんな鈍行列車であっても終着へと近づいていく。 列車のブレーキが鋭く鳴り、アナウンスが「高崎、高崎です」と到着を告げた。
「壮大さん、着きましたよ。起きてください」 小声で呼びかけても、彼は「んん・・・」と唸って私の肩に顔を埋めるだけで、なかなか動こうとしない。 私は意を決して、彼の右手を掴んだ。
今まで、壮大が私の手を引くことはあっても、私から彼の手を引くなんてことは一度もなかった。いや、しようとも思わなかった。 けれど今は、必要に迫られて、私は推しの手をしっかりと引いた。 温かくて、けれどギターの弦で少し硬くなった、音楽家の指先。 「ほら、行きますよ。駅そば、食べる時間がなくなっちゃいます!」
ぐい、と力を込めて引っ張ると、壮大は驚いたように目を見開き、それからふにゃりと、朝日に溶けるような笑顔を見せた。 「・・・わかったよ、民鉄プロデューサー。俺、もう完全に君の『連結対象』だな」
自分で自分がしたことに、心臓が爆発しそうになる。 でも、もう後戻りはできない。 高崎駅のホームに降り立った瞬間、私たちの旅は「移動」から「体験の共有」へと、そのギヤを一段階上げたのだ。 立ち込める駅そばの出汁の香りが、私たちの新しい朝を祝福するように、冷たい空気の中に漂っていた。
深夜のコンビニ駐車場、秘密基地と化した車内で放たれたその問いに、私の心臓は一度だけ大きく跳ねた。予想はついていた。覚悟もしていた。けれど、彼の口から明確に「宿泊」という単語が出た瞬間、今回の新潟行きが単なる撮影遠征ではなく、人生で最も特別な「一夜」を伴う旅であることが確定したのだ。
私は、自分の中にある「ストイックな鉄の理論」を壮大にぶつけてみた。 「・・・いつもは新潟駅付近、発着する電車が見えるホテルを選びます。でも、それだとホテルの窓からずっと外を眺めて、部屋から一歩も出なくなっちゃうんです。撮影がおろそかになるから、あえて窓から何も見えないホテルに泊まることもあるんですよ」 私のあまりに偏った宿泊論に、壮大は声を上げて笑った。 「ははっ! 民鉄さんの考え方、本当にストイックだね。姿勢が男前すぎます。流石です」
感心したように頷く彼に、私は少しだけ誇らしい気持ちになった。けれど、次に彼が口にした提案は、私のすべての思考回路をショートさせるものだった。 「でさ、民亜。鈍行で東京から新潟に行って、着いてすぐフルパワーで鉄活できるようにさ・・・新宿か赤羽あたりで前泊しようよ。その方が楽だろ?」
(・・・はっ!?)
都内で、前泊。 それはつまり、新潟に行く「前」から、彼と同じ場所で夜を過ごすということだ。 流石に息が止まった。都内のホテルで二人、これから始まる旅の前夜祭なんて、私のキャパシティをとうに超えている。
「いや、それは・・・流石に・・・無理です」 「えー、嫌? 俺、寝坊していいの? 一番列車に遅れちゃうかもしれないよ?」 壮大は少し意地悪な顔をして、おかしな脅しをかけてくる。 けれど、私は必死に理性を保って首を横に振った。ここで甘えてしまったら、私はもう「民鉄」として、カメラマンとして彼に向き合えなくなる。ファンとしての節度を、自分から手放すわけにはいかなかった。
結局、都内前泊は断った。壮大は少しだけ残念そうに「そっか・・・ま、今回はそうしようか」と引き下がってくれたけれど、その表情にはどこか、私の頑ななまでの「一線」を面白がっているような、それでいて尊重してくれているような優しさが滲んでいた。
そして今、私はあの夜の自分に「正解だったよ」と言ってあげたい気分でいる。 壮大は、寝坊しなかった。 それどころか、約束通りの時間にホームに現れ、今は私の右肩を枕にして、気持ちよさそうに深い眠りに落ちている。
平日の始発、高崎線。 世間がこれから都心へと向かう凄まじい通勤ラッシュの波に飲み込まれていく中、私たちはその流れを逆走する形で北へと向かっていた。 下りの一番列車。車内は驚くほど空いていて、椅子取りゲームをする必要さえない。
ゴトゴト、という一定の振動。 E233系のロングシートが刻む、どこか規則的で安心するリズム。 帽子を深く深く被り、マスクとメガネで顔を隠した隣の男が、あの伝説のロックバンド『1825(いはにご)』のボーカル・壮大だとは、周囲のまばらな乗客の誰も気づいていない。
(・・・こんな幸せ、本当にあっていいの?)
推しと並んで座り、車窓を流れる景色について熱く語り合う・・・そんな「鉄トーク」を期待していた自分もいたけれど、今のこの沈黙は、それ以上に贅沢だった。 私の肩に佇む、壮大の頭の重み。 私のブラウス越しに、彼の規則的な寝息が直接肌に伝わってくる。彼が心から私を信頼し、リラックスして身を委ねていることが分かって、胸の奥が熱くなる。 空を飛び回り、分刻みのスケジュールで数万人の視線を浴び続ける彼にとって、この「誰にも気づかれない、逆走する各駅停車」は、唯一の安息のシェルターなのかもしれない。
壮大は、時折ふと目を覚ましては、「・・・今どこ?」「あ、空が明るくなってきたね」と、まるで寝言のように少しだけ話して、またすぐに深い眠りに落ちる。その繰り返し。 寝て、起きて、ちょっとだけ話して、また寝る。 旅路における、最高に贅沢で気持ちいい過ごし方。それを彼は、私の隣で、私の肩を借りて享受していた。
けれど、幸福な時間は、どんな鈍行列車であっても終着へと近づいていく。 列車のブレーキが鋭く鳴り、アナウンスが「高崎、高崎です」と到着を告げた。
「壮大さん、着きましたよ。起きてください」 小声で呼びかけても、彼は「んん・・・」と唸って私の肩に顔を埋めるだけで、なかなか動こうとしない。 私は意を決して、彼の右手を掴んだ。
今まで、壮大が私の手を引くことはあっても、私から彼の手を引くなんてことは一度もなかった。いや、しようとも思わなかった。 けれど今は、必要に迫られて、私は推しの手をしっかりと引いた。 温かくて、けれどギターの弦で少し硬くなった、音楽家の指先。 「ほら、行きますよ。駅そば、食べる時間がなくなっちゃいます!」
ぐい、と力を込めて引っ張ると、壮大は驚いたように目を見開き、それからふにゃりと、朝日に溶けるような笑顔を見せた。 「・・・わかったよ、民鉄プロデューサー。俺、もう完全に君の『連結対象』だな」
自分で自分がしたことに、心臓が爆発しそうになる。 でも、もう後戻りはできない。 高崎駅のホームに降り立った瞬間、私たちの旅は「移動」から「体験の共有」へと、そのギヤを一段階上げたのだ。 立ち込める駅そばの出汁の香りが、私たちの新しい朝を祝福するように、冷たい空気の中に漂っていた。
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