好きになったのが神様だった場合

麻生璃藤(あそう・りふじ)

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#7 奇跡をもう一度

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果たして翌日。

明香里は宣言通り約束の時間に水天宮に来た。辺りを見回し、溜息を吐く。

(──やっぱり、駄目か)

これが答えだとわかった。もしかしたら手紙を読んでいないのかもしれない、それでももう、天之御中主神アメノミナカヌシノカミは逢ってはくれないのだと──。

「──馬鹿」

呟いていた。

「……だったら、ずっと逢えないままの方がよかった……」

ただ、礼の言葉を伝えたいだけだったと思っていられたのに。
気付いてしまった、心の奥底にある恋い焦がれる気持ちに。

これがもし、想像と全く違う青年になっていたら、また違ったかもしれない。
だが子供の頃の記憶そのままに、無垢で、何事にも真に取り組む姿があった。これを恋と自覚しないほど、明香里は鈍感ではない。

(どうしようもない初恋だったな)

葉桜の下で、少しの間待ってみる。一日千秋とはまさしくこの事だ、一秒が何時間にも感じられた。
遠くで電車の発車ベルがかすかにした、それを何十回も聞いた、何度目かのそれを合図に明香里は小さな溜息を吐き、高く見える空を見上げた。

「馬鹿」

せめて狐にくらい会わせてくれたらいいのに、と思った。会えない理由くらい知らせるべきだと勝手に憤る。

「もういいや……」

呟き、自身を納得させる。

「──さようなら」

小さな声は、すぐ隣にいる天之御中主神には聞こえた。

「明香里、俺はいる。いつでもお前の傍に」

ずっと語り掛けていたが、その声は明香里には届かない。

「ここに来れば逢える、これからも来てくれ」

せめて成長を楽しみたい、いつか子を連れてくるか、年老いて腰が曲がっても会いたい、そう思うのに。明香里はもう来られないと泣いたのだ。

「──明香里……!」

どんなに強く呼びかけても明香里には聞こえない。

青い空を見上げていた明香里の目に涙が浮かぶ。あっという間に零れて濡れた頬を拭いながら鳥居に向いて歩き出した明香里と、霊体の天之御中主神がぶつかった。

「明香里」

抱き締める形に両腕を回す、感触などなくてもいい、すり抜けてしまうとわかっていても──の筈だった。

明香里はぼすん、と何かに顔をぶつけた。何もなかったその場所に何かがあったのだ。少し離れて確認して、それが白い浴衣の合わせだと判る。誰、と思うより先に顔を上げていた、驚いた顔で明香里を見下ろす天之御中主神と目が合った。

天之御中主神アメノミナカヌシノカミは明香里の両肩を抱きながら、そんなはずはないと思う、だが明香里のぬくもりを腕を通して感じていた。明香里は間違いなく自分の体にぶつかって止まった、馬鹿なと見下ろすと驚き見開いた明香里と目が合う。
今までどんなに近くにいても自分の存在を感じてくれなかった明香里が、しっかりと自分を見ている、それが嬉しかった。

「──明香里」

熱のこもった声で呼んだ、明香里は溶けてしまいそうな笑顔で笑い返す。

天之あめのくん……!」

泣き笑いのまま、明香里は両手の拳を天之御中主神に叩きつけた。

「馬鹿……ばか馬鹿バカ、遅刻だよ!」
「済まぬ」

しかし来てくれたのだ、拳は自然と開き、手のひらで天之御中主神の白い浴衣を撫で、その存在を確認する。

「会いたかった……!」
「俺もだ」

天之御中主神も遠慮なく明香里を抱き締める、髪に鼻を埋めて深呼吸をした。

(いい香りだ、あの菓子とはまた違う)

興奮を覚える香りで、一度嗅いだら忘れられない香りだった。
明香里は天之御中主神の腕の中で小さくなってしまう、まだ会って3回目の男に、昼日中に抱きしめられてしまっているのだ、それをごまかすために文句を言う。

「もう来てくれないんだと思ってた」

天之御中主神は覚悟する、思いを伝えるために。

「来い」

言葉も行為も乱暴だった、そんな行動に明香里は図らずもドキンと心臓が跳ねがる。

明香里の手を引き歩き出したのは、拝殿の脇の小道だ。小さな祠の摂末社が立ち並ぶ。そこは多くの木々が生え、水天宮の敷地を囲む通りからも、社務所からも死角になっている。

(え、そんな。いきなり、人気のないところに!?)

戸惑いとは裏腹に、どこか期待もしてしまっているのを明香里は自覚する。
天之御中主神アメノミナカヌシノカミは拝殿の台座となる石垣に明香里を座らせた。明香里は素直に座り、天之御中主神もその隣に腰掛ける。

「明香里、聞いてくれ」

真剣な声に、明香里は頷く。

「俺は神なんだ」

大真面目なその言葉に、明香里は一瞬きょとんとしたが、意味を理解すると耐え切れず吹き出していた。

「もー、何を言い出すかと思えば! 逢ってくれない言い訳がそれ!?」

誤魔化す嘘にしては稚拙すぎる、そんなしょうがない嘘につきあってやるか、と小さな溜息を吐いた。

「うん、わかった、そういうことか。これが最後って事だね」

きっと今も無理をして逢いに来てくれたのだと理解した。

「最後?」
「もう逢わないって事でしょ? 判ったよ。うん、今日は逢いにきてくれてありがとう、すごく嬉しい」

言って青い空を見上げた、初恋は告げることなくあっさりと終わったのだとわかる。明香里の声に涙が滲んだ。

「あのね、嫌じゃなかったら、あのかんざしはあなたが持ってて。十年も大事に預かってくれてて、ありがとう。これからも邪魔じゃなかったらそばに──」

せめて、そんな物だけでも好きな人の元にあったら嬉しく思う。

(私もずっと持ってた、あなたが握り締めた紙袋を。まだ捨ててないよ。それに、この間あなたがくれたヨーヨーもある──大切な思い出)

目の前の男とつながる、大事な思い出だ。

子供の頃と先日と、天之御中主神アメノミナカヌシノカミに手を引かれて雑踏を歩いたことを思うと、つないだ手が熱くなってくる。同時にじわりと目頭も熱くなり、滲んでくる涙を何度も瞬きをしてかき消した。

「信じていないだろう」

不機嫌な声に明香里はただ肩を竦めて見せた、いちいち言葉にしなくても、と思える。

「いいだろう」

天之御中主神は眉間に皴を寄せたまま、人差し指を立てた手を振った。
何をと思う間もなく夏の名残のように照り付ける太陽が厚い雲に隠され、見上げた明香里の目の前を大粒の雨が一粒落ちて来た。

「え!?」

声を上げる間に雨は激しさを増し、視界は煙り雨音は聴覚を奪うほどになる。明香里がいる辺りはちょうど拝殿の庇の下に入るので大きく濡れることは無かったが、それでも土台より先に出た膝下は濡れてしまいそうで、明香里は慌てて脚をひっこめた。
そして空を見上げる。まさに水天宮がいるあたりだけ雲が重く垂れ込め、激しい雨が地面を濡らしていた。他に見える空は青々としているのだ、とても局地的な豪雨だ。

「──これって……」

どう考えてもおかしいのはわかる。

「いかにも」

天之御中主神は自慢げに言った。

「雨を降らせる、神様?」
「そんな安っぽい存在ではない。造化三神だ」
「ぞうかさんしん???」

どんな文字すら思いつかなかった、明香里は慌ててスマホを取り出し、それを打ち込んだ。

「『造化三神ぞうかさんしん』、最初に現れた神。全てを創造した三柱の神──天之御中主神アメノミナカヌシノカミ……!」

天之御中主神自身が名乗った名前を思い出す、だから「あめの」と呼べといったのだ。
天之御中主神は、明香里の驚く顔を見て微笑む。

「まあそうは言っても、大した事はできぬがな──お前の前に姿を見せるすらできん」
「……あめの君……」

十年も待たされた事、そして十年ぶりに逢えた時の最初の姿は確かに子供の姿だったのは見間違いではなかった、そして、今も三日前と同じ浴衣姿である事──全てが不思議な存在であることの証明のような気がした。

「明香里、また来てくれ」

天之御中主神は懇願した。

「俺はお前が好きだ」

はっきりと言われて、明香里は心臓が飛び出しそうになるのを感じる。

(両思い……!)

しかし、それは──。

「俺は見ている、いつも見ていた、お前が俺を探していつも来てくれていた事、いつも手を合わせ願っていたことを知っている。頼む、これからも来てくれ、俺はお前に逢いたい」

天之御中主神の願いに、明香里は唇を噛む。

「ずるいよ……私は逢えないのに」
「感じてくれ、俺はお前の傍に居る」
「……本当に?」
「ああ、いつも傍にいた、お前に触れられるほど傍に。ここに来ればいつでも逢える。好いたお前の姿を見れなくなるのは辛い」

天之御中主神の正直な告白に、明香里は頬を染め、今度は恥ずかし気に微笑んだ。

「嬉しい──」

想いは止まらない。

「──私も、あなたが好き」

天之御中主神の目も見れずに言った。

十年間、たったひとりの男の子に逢いたいと思い続けてきた明香里は、人を好きになるという気持ちが今ひとつわからずにいた。でも今ならわかる、たとえ叶わなくても、どんな無理難題があっても、その人を思い続けたい気持ちだ。
ならば天之御中主神アメノミナカヌシノカミに想いを伝えずにはいられなかった。

「明香里──」

明香里の言葉に天之御中主神は破願した、他愛もない言葉にこんなに嬉しくなることは無いと思えた。
初めてちんちん焼きを食べた時も感動したが、それ以上に、狂おしいほどの喜びが全身を走る。

「明香里」

呼ぶと明香里は鳶色の綺麗な瞳で天之御中主神を見た、潤んでいるのが美しさを増して見える。欲望のままに肩に腕を回し、引き寄せていた。

(え、これって……!)

間近にせまる天之御中主神の顔に、明香里はどぎまぎする。恋愛に疎い明香里にだってわかる、キスをするのだと。

(え、待って、どうしよう、好きって言っていきなりってあり? ダメだよね! ああ、でも天地開闢てんちかいびゃくからいる神様なら何千歳……ううん、何万歳よって事だから慣れてるのかな? え、でも待って、私は初めてで……!)

戸惑いつつも、期待もあった。そして目を閉じようとしたその時。

天之御中主神アメノミナカヌシノカミさまぁぁぁぁぁ!!!」

甲高い声と共に、ふわふわした物がふたりの間に割って入った。白狐は天之御中主神の顔にしがみつく。

「──おい、狐」

天之御中主神が低い声で呼ぶ。

「え、あれ、君……」

明香里にも見覚えのある狐だ。

天之御中主神アメノミナカヌシさま!? この雨はあなた様でしょう!? さっさとやませてください!!!」

狐は天之御中主神の顔からずりずりと下がると今度は前脚で肩を掻き、着物の合わせを口でガジガジと噛みつき怒鳴る。

「え、君、喋れるの?」
「こほん」

白狐は天之御中主神の太腿にちょこんと座り、偉そうに咳払いした。

「そんじょそこらの狐と一緒にしないで頂きたい。わたくしめはこちらの天之御中主神さまにお使いして五十年余りになります、十分な霊力を蓄えております故」
「ろくに役には立たぬがな」
「なんですと!? それはあなた様がろくな神様で無いからでしょう! 今も今とて、また、いたずらに雨など降らせて! てんごうが過ぎます!」

その言葉がひっかかった。

「いたずらに……雨」

忘れていない、昨年の例大祭の夜、予報ではその前後の数日も急な雨の予報などなかったのに、あの時だけ本当に突然に数分もかからぬ雨が降ったのだ。男とびっくりしたね、濡れちゃったねと笑いあったのだ。集中的な豪雨は予測が難しいとは言うが、そう正しく、今のような──。

「あ、あれも、天之あめのくんが……!?」
「あれとは?」
「昨年の祭りの晩でございましょう。ええ、ええ、覚えております、明香里どのがそれはそれは見目麗しい『ないすがい』と肩を組んで歩いておられましたなあ。それに天之御中主神さまが『じぇらしー』を感じて雨を」
「やっぱり!」

明香里の叫びに、天之御中主神が途端に思い出した。

「そうだ……! あの男は何だったんだ!?」
「なにっていうほどのことじゃ」

明香里は唇を尖らせそっぽを向く。

「これまで男連れで現れたことなどなかっただろう!」

いわれて明香里は笑顔になってしまう、本当に見てくれていたのだとわかる。その笑顔に天之御中主神アメノミナカヌシは戦慄する。

「やはり、お前、あの男と、ねんごろに……!」
「ねんごろって」

ただいえば仲が良いという意味だろうが、この場合は深い意味合いで使われているとわかり、明香里は頬を染める。
天之御中主神はぎり、っと歯を食いしばった。

「許さん」

雨足が強くなった。

「違うよ! 一緒にお祭りに行こうって誘われただけで!」

高校の同級生だ。電車で数駅離れたところに住む彼は、ここの例大祭を知らなかった。しかし明香里が毎年来ていることを聞いたのだろう、よかったら一緒に行かないかと誘われたのだ。思惑があることがわからないほど鈍感ではないが、いいよといってしまったのをずいぶん後悔したのだ。

「酷いよ! 来ていきなりなんて、びしょびしょで浴衣重くて大変だったんだから!」
「知らぬわ! お前がどこの馬の骨ともわからぬ男と歩いているからだ!」
「だからって邪魔しようとしたの!? 最っ低!」
「明香里の方が最低だ! して、あの男とは何をしたのだ!」
「なにをしたって……いやらしい! そんな風に見てたの!?」
「言えぬ事をしていたのか!」
「人に言えないようなことなんかしてないよ! あの後ふたりきりになったこともないもん!」

終始明香里がつまらなそうだったと落ち込んでいたと、後日人伝に聞いた。
彼は明香里に片思いをしていた、清水の舞台から飛び降りお祭りデートに誘い、その前後で告白するつもり気満々だったのだが、明香里の様子に撃沈したと言う。
そんな事を思い出して、明香里はふいっと目を反らした。

「──だって。ずっと好きな人がいたんだから。他の人なんて。興味ないよ」

はっきりと伝えるのはなにか悔しくて明香里は小さな声で言った。だが天之御中主神アメノミナカヌシノカミにはしっかり聞こえた、にこりと笑って応じる。

「そうか、そうか。あやつとはあの場限りだったのか、うむ、許してやろう」

途端に雨は止んだ。

「あの日だけだったからな、明香里が男と現れたのは」
「んもう……そんなとこは見てるんだから……!」

本当に見ていてくれたのだとわかり顔に朱が昇る。なにか余計なことはしていかなったかと心配になってしまう、たとえばお尻を掻いていなかった、などだ。

「明香里」

好きな人に名を呼ばれるだけで嬉しくなると、初めて知った。

「頼む、これからも逢いに来てくれ。毎日とは言わん、時間の許す限りでいい」
「うん、来るけど──でも、ずるいよ、私は天之あまのくんがいるのわからないのに」

わがままだとわかる、それでもこうして言葉を交わす喜びを知ってしまったのだ。それが今日で終わりだとしたら、とても悲しい。

「心配せずとも、狐が協力してくれる」

突如名前が出た白狐はきょとんする、明香里も、え?と言いたげに、きちんとお座りの形で座る狐を見下ろした。

「何度か逢っただろう。その時俺はこの体に憑依していた」
「そうなんだ……!」

人懐っこい生き物だとは思ったが、中身が人、ではなく神様だったとわかれば納得できた。

「顕現の仕方は未だにわからぬ、だが狐の体を借りるのは容易だ。お前が来たら狐となって現れよう」
「そんな、勝手なことを……!」
「よろしくね、狐さん」

優しい声音と笑顔で言われ、白狐は途端に、でれん、と顔を崩した。

「あのう……では、お逢いする度に、必ず抱き締めてくださいますか?」
「え? それくらい、いいけど」

答える明香里の目の前で、狐は不自然に空中に舞い上がる。四肢をぶらんと下げた状態で掲げられたのは、天之御中主神アメノミナカヌシノカミの目の前だった。首根っこを掴まれ、狐は天之御中主神と視線が合わせられない。

「狐、とんだ猥褻わいせつ発言だな」

以前、狐が明香里の胸がどうとか騒いでいたのを覚えている。

「そんな。誤解で。わたくしめは神使の役目を粛々と果たそうと」

狐は口だけは真面目なことをいいながら、視線を彷徨わせている。明香里だけが意味がわからない。

「どうせ俺が憑依していては、感覚などないんじゃないのか?」
「全くないわけではございません」
「なんだと? なおの事、許可できんな」
「それは明香里殿とわたくしめの取り決めでございます」
「うん、私はいいよ」
「明香里!」

天之御中主神は怒鳴ると、狐を放り出した。

「きゃん」

可愛い声を上げて狐は地面を転がったが、すぐに体勢を整え起き上がったのはやはり獣のなせる業か。そして天之御中主神を見上げた、天之御中主神は明香里をその腕にきつくきつく抱き締めていた。

「あ、天之あめのくん……」

嬉しさに声が震える。

「触れていいのは俺だけだ。いいな」

甘い束縛に、明香里は頷いていた。そっと背中に手を回す、天之御中主神は体も少しひんやりと感じた、夏の名残の暑さには心地よい。

「あのさ」

明香里は天之御中主神の腕の中で小さな声で言った。

「ん?」

明香里の耳元で、天之御中主神は答える。

「少し……一緒に歩きたい」

デートのようなことをしてみたい、そう思って提案していた。

「あまり遠くへは行けぬが、それでもいいか?」
「遠くって?」
「先日の祭りの晩も、行けたのは一ノ鳥居までだった」
「一ノ鳥居?」

その境内にある鳥居かと思ったが、その外へ出たことは間違いないので明香里は不思議に思う、明香里はかつて参道がもっと長かったとは知らない。

「先日、屋台があった辺りまでだ。かつてこの周辺は鎮守の森に囲まれていた、その範囲ならば神域だから行けるようだ」
「うん、じゃあそこまででいい」

互いに腕を解き、石の台座を降りた。摂末社を繋ぐ、濡れた細い参道を手を繋ぎ歩き出す。
きゅっと握り合う、互いの手が心地よかった。
そんな二人の後ろ姿を狐は見送ってから、社に戻って行く。

その様子を、社務所から見ている者がいた。禰宜の一人息子、美園健斗は二十三歳、独身貴族を満喫中だ。

「──まだ日も高いと言うのに、人気のない裏手で逢引きとは、近頃の若者は──」

嘆息したが、すぐに「ああ」と呟いた、明香里が水たまりを避けたのが見えて、単なる雨宿りだったのかと納得した。先程の雨にはさすがに驚いた、突然降りだしただけでなく、境内のごく一部にだけ降っていたのだ。
手を繋ぎ歩くふたりは美男美女のカップルだと思った。女は近所の高校の制服だが、男は浴衣姿とちょっと不思議なカップルでもあり、少し目立った。
見るともなく見つめていたが、その視界の端でするりと白い物体が走り去るのが見えた。

「ん?」

視界に収めた時にはその姿は既になかった、視界の端でも見えた姿は白い犬かと思えたが、今時この辺りに野良犬はいない。

「──ハクビシンかな? 居つかれても困るな、駆除を依頼するか……」

父に相談しようと、首を掻きながら奥へを消える。





何処へ行くともなく、二人は並んで歩いた。
他愛もない話でも、何故だか楽しい気持ちになれた。

天之御中主神アメノミナカヌシノカミにしてみれば社を離れて出歩く自体が珍しいことでそれだけでもワクワクするのに、その相手が長く社越しにしか見る事の出来なかった明香里であるなどとは、まさに雲にも上る気持ちだった。

明香里の喜びもその比ではない。子供の頃から思ってきた相手と今並んで歩いているのだ、まさに夢のようだった。

もう少し望んでもいいだろうか、少しだけ触れてもいいだろうか──明香里はそっと天之御中主神の腕に指を掛ける。
それに天之御中主神も気が付いた、その指に自身の手を押し付けしっかりと握り、離れまいとする。

他愛もないのに、貴重な時間だった。

その楽しい時間が終わりを迎えようとしているのを、天之御中主神は体で感じた。わずか20分ほどのデートだった。ふと足を止める、明香里も気付いて止まった。

天之あめのくん?」

長身を見上げる、寂しげな笑みとぶつかった。

「もう、しまいのようだ」

一瞬言葉の意味が理解できなかったが、天之御中主神の悲し気な瞳に会話を思い出した。今はたまたま見えるだけなのだと。夏祭りの夜もそうだったように。

「明香里、待っている」
「ん……」
「俺もどうにか顕現できるよう、手段を考えておくから。これからも来てくれ」
「うん……」

哀し気な明香里がほおっておけず、うつむくその頬をそっと撫でる。明香里の目に涙が浮かぶのが見えた。

「泣くな。お前に泣かれると辛い」

明香里は鞄から小さなタオルを出して目を押さえ涙を吸い取る。

「明香里、俺は間違いなく見ているから……」
「私が来られるのは、あと半年だから」

明香里は意を決して打ち明けた、黙っていられることではない。

「──なに?」
「私ね、春には進学の為に引っ越しするの。東北の大学に入学が決まってしまって。よほどの事がない限りそっちに行くつもり。勿論親はこちらにいるから、時々は帰ってくるけど。春になったら、今までみたいに来れないの。もちろん引っ越しするまでは毎日来るけど」

泣き出しそうな明香里の目を見て、天之御中主神は言葉を失くす。ただそっと指で明香里の頬をなぞっていた。

(──行くななどとは言えん)

唇をかみしめた。

(引き留めたところで、俺は逢ってすらやれないのに)

明香里を抱きしめる、だがすでに感触があやしい、油断すれば突き抜けてしまいそうだ。

「──それまででもよい。お前さえ嫌でなければ来てくれ。俺はお前を見ている」
「……天之くん」

明香里も抱きしめ返すが、やはりとても薄い綿に触れているようだ。

「俺はいる、絶対だ。頼む、来てくれ、俺はお前に逢いたい。俺からお前に会いに行ってやることすら叶わないんだ」

言葉は聞こえるのに、姿をぼやけてきたのが判る。手のひらに触れているはずの天之御中主神の背中はいよいよ感触が無くなった。

「──嫌だよ、天之くん、行かないで」

酷な願いだと判っていても、望まずにはいられない。

「──すまぬ」

苦し気な声が明香里の心をえぐった。
やっと逢えた愛しい人は、とても遠くて触れる事も、目を合わせる事も出来ない人だったとは。

「天之くん……お願い……!」
「すまぬ」

聞こえた声は既に遠い、抱きしめていたはずの姿は何処にもなかった。それがなによりの証拠だろう。

「──本当に……神様なんだね……」

その時、風がふわりと明香里の頬を撫でた。何故だかそれが、天之御中主神アメノミナカヌシノカミだとわかった。

「うん──天之くん、そこにいるのね」

返事はない、風も吹かなかった。それでも天之御中主神が笑顔で頷いているような気がするのは錯覚だ。

「──明日、必ず行くね」

囁く様に言って、明香里は背を向けて歩き出した。

家に帰るのだと判った、それを送り届けてもやれない自分を、天之御中主神は不甲斐なく思う。

「──明香里」

もう抱き締める事はおろか、触れる事もできない愛しい人にできるのは、ただ見送ることだけだ。

「待っている……いつまでも」

声すら届かないとわかっていても。





帰宅して、まずはシャワーを終えた明香里は、短パンTシャツ姿でベッドに寝転んだ。そのまま髪をガシガシと拭き始める。
ふと、脳裏に天之御中主神の姿が浮かんだ。

(──神様かあ……)

改めて思ってしまう、とても不思議な出来ことだ。

(さっきは逢えて嬉しかったけど。どう考えてもこの先はなんの進展もない相手だな)

宇宙創造の時からいる神様など、自分とはまったく異なる時間軸で生きていることは間違いない。そもそも実体が無いのだ、逢うこともままならないうえ、運よくその姿を見ることができても、デートの度にふわりと消えられたら切ないことこの上ない。

(神様だから、私を助けてくれたんだ)

幼い日、手を引かれて歩いた記憶が甦る。幼いなりにも凛々しい横顔だった、それもそのはず、造化三神は何歳になるのだろう。

(そんな人、好きになったところで……神様なんか、皆平等くらいで誰でも好きになるんじゃ……)

でも、とは思う。
先程の様子からは、熱い気持ちが伝わって来た。逢いに来てくれと言う懇願するその姿は、誰でも彼でもはないはずだ、明香里だから、求めてくれたとわかる。
髪を拭く手を止め、天井を見つめる。

「あめの、みなか、ぬしのかみ、か……」

その神の名前を口にした。

「──少しだけ、夢を見よう」

落ちそうになる涙をタオルで拭った。
到底叶うはずのない恋、わかっていても簡単に諦められそうにはない、10年も思い続けた相手だ。ひと時でもそばにいたいと切に願った。



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悪徳公主と冷徹皇帝陛下の後宮薬膳茶

菱沼あゆ
キャラ文芸
 冷徹非道と噂の皇帝陛下のもとに、これまた悪しき評判しかない異国の王女、琳玲がやってきた。  琳玲は皇后の位は与えられたが、離宮に閉じ込められる。  それぞれの思惑がある離宮の女官や侍女たちは、怪しい薬草で皇帝陛下たちを翻弄する琳玲を観察――。  悪徳公主と冷徹皇帝陛下と女官たちの日々は今日も騒がしい。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

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