折神之瑞穂 Origami no Mizuho

きもん

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序の章

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 魂蟲(たまむし)の群れが精気を吸い尽くしていた。
 草木は枯れ、豊穣な大地は見る見るうちにやせ細り、豊緑を湛えた森林が不毛な土塊の荒野へと化していく。
 辺りには、すでに夜の帳が降りていた。
  魂蟲達は自らの力で輝いている。だから、一匹一匹は豆粒程の大きさであっても、数千万を数える個体が渦巻いているその姿は、まさしく地上に現出した銀河であった。
 何も知らない者がその光景を観たのなら、その美しさに心奪われたかもしれない。が、今、そこに集う者達は偽りの銀河には、ただ『死』のみが存在している事を知っていた。集いし者達・・・彼らは兵士だった。
 但し、彼らが敵としているのは国家でもテロリストでもない。彼らは人と戦う為の軍隊ではないのだ。魂蟲と呼ばれる敵性体に対応するべく組織された戦闘部隊だった。必然的に、彼らの武装は人類が既知としている技術水準を大きく凌駕する。
 銃器は旧来の質量投射タイプではなく、荷電粒子をビーム状にして用いるエネルギー兵器であり、既知の軍隊が同程度の武装をするには更に十年単位の時間を要するだろう。
 また、武装以外の装備についても、その一つ一つが地球上に現存する如何なる軍隊とも違う特徴を備えていた。
 電子機器の類は見あたらない。腰回りに幾つかぶら下げている装備品の見かけは機械と云うよりも呪具や祭器の類に近く、形状からは用途を推察するのは困難だ。
 故に、彼らの外見は、兵士というよりも作務衣を着た職人に近い。明らかに現行の機械文明とは異なる技術体系で武装された軍隊だった。
 しかし、恐らく人類が有史以来持ち得た最強の戦闘力であろう彼らにも、魂蟲の活動を完全に阻止する事は出来なかった。
 ある程度効果があったビーム兵器も、群れの規模が大きくなるに従って、逆に荷電粒子そのものが彼らのエネルギーとして還元吸収されるようになってしまい効果を失った。小火では効果のある消火剤も、一度大火になってしまえば炎を煽るだけの触媒になってしまう。
 苦し紛れに繰り出したミサイルの類も、魂蟲の前衛部に接触した瞬間にエネルギー変換され、彼らの糧と成り果てた。
 無力感と相手の圧倒的な数に気圧され、ジリジリと後退を続ける兵士達。
 そして、ついに魂蟲の群れが隊列の最前部に到達した。
 兵士達にはその意味がわかっていた。
 人間の肉体がエネルギーに還元される刹那発せられる光が、断末魔の叫声と混ざり合った光芒となって渦巻く。
 美しく眩い地獄絵図が地上を席巻した。

 魂蟲の群れと謎の軍隊が戦闘と云うには余りにも一方的な虐殺劇を繰りひろげている遥か後方にそびえる小高い丘。その頂上に、もう一つの軍隊が戦陣を構えていた。但し、そこは軍隊の駐留地というより「神事の祭場」に近かった。周囲を外幕で囲み、陣内の照明には古風な篝火が焚かれている。
 そして、陣中央に設えられた祭壇上には、一人の少女が座していた。
 彼女は巫女の様な衣装に身を包み、唯一の光源である篝火のユラユラと揺れる薄明かりの中、一心不乱に折り紙をしていた。
 座卓に正座して、尋常ならざる速さで鶴を折っていく。
 少女の周囲には、既に、祭壇を埋め尽くす程の折り鶴が完成していた。有に千羽を越えているだろう。
  祭壇の外周は結界の効果もあるのだろうか、締め縄で四角く仕切られており、その直ぐ外側で控えていた行者風の老紳士が彼女に告げた。
「瑞穂様、そろそろ限界です」
 瑞穂と呼ばれた祭壇上の少女は、折り紙の手を止め、静かに顔を上げた。
 憔悴した表情で応える。
「・・・だいじょうぶ。終わりました」
 瑞穂は、筆で自らの左手の平にルーン文字によく似た記号を一つ書くと、卓上の折り鶴に翳した。
「破畫羅事(ハガラズ)」 
 瑞穂の口から、澄んだ諧声が発せられると、折り鶴たちは生命を得たかごとく、一羽、また一羽と彼女の周囲を飛び回り始め、やがて群鶴をなして魂蟲の群れへと飛び去った。
 折り鶴の群れは、しばらく円を描いて滞空した後、海中の魚を狙う海鳥のように何度も魂蟲の群れに襲いかかった。
 幾度と無く繰り返された捕食行動の後、魂蟲を食い尽くした折り鶴たちは、はち切れんばかりに膨らんだ自らの躰を互いにすり寄せると、溶けて混ざり合い、オーロラ状の光膜となって、薄く天空を拡がっていった。
 やがて光膜は徐々に降下し、ついには大地を覆いつくした。
 その瞬間、荒廃した地面からは若草が芽吹き、濃緑の山林が再生していった。まるで雨期の到来した砂漠に、一瞬にして生命が溢れ出る過程を撮影したドキュメンタリー番組を見ているようだった。
 瑞々しく朝露の滴る草木に、タイミング良く昇ってきたばかりの朝陽が反射して眩しい。
「でも、人の命は還らない・・・」
 瑞穂は、再び自然の息吹が燃え始めた大地を、憂えた瞳で眺めながら呟いた。
 瑞穂の国・・・瑞々しい稲穂が実る豊かな国土を賛美する日本の美称である。
 しかし、古より密かに人類を守り戦って来た者達にとって、それは違う意味を持っていた。
 瑞穂が栖まう国。
 瑞穂とは、次の言葉と共に語り継がれてきた、人々の儚き希望の化身である。
「神亡の時、瑞穂の名を継ぎし者は、折神之御業(おりがみのみわざ)を使い賜う」 

 巷では異常気象が囁かれて久しい。
 日本の首都に、とうとう一度も雪が降らなかった特異な冬を、三月の初めに花片が散り終わってすっかり葉桜と化したソメイヨシノの並木が実感させる。
 なので、替わりに用立てられた書割の偽桜吹雪に彩られた校門を新入生や父兄達がゾロゾロと潜っていく。
 門扉の上には入学式と書かれた看板がアーチをかたどり、門柱の巨大な表札には、その高校の名前が刻まれていた。
 久世遙斗(くぜ はると)は、少子化で年々寂しくなるな、と愚痴をこぼす年輩の教師達を横目に体育館に誘導されると、そこで入学式という名の退屈な忍耐試験をクリアさせられた。試験は入学前に臨んだ学力試験だけではなかったという訳だ。
 精神ポイントがエンプティな状態で自分のクラスに移動する。とりあえず出席番号順、と割り振られていた席に座った。
 窓際の最後列だった。希望に通りの席がゲットできた小さな幸運に気を良くして、何気なく視線を隣の席へと移す。
 遙斗は最初、彼女を浄瑠璃の人形か何かと見間違えてしまった。
 漉き和紙のごとく無垢な白い肌。瀧が流れ落ちるがごとく垂れさせた漆黒に輝く黒髪。背筋をピンと張ったまま微動だにせず、伏し目がちの横顔には表情が読みとれない。
 余りにも日本的なその容貌と西洋的なブレザーの制服がアンバランスなビジュアルを構成しつつ、俗世の者を拒むダウナーな結界を纏って、その少女、巫瑞穂(かんなぎ みずほ)は遙斗の隣席に座っていた。
 その日以降、非日常的な第一印象を裏切る事無く、瑞穂に関する胡散臭い噂が、絶えることなく遙斗の耳を賑わせた。
 例えば、瑞穂の中学時代の同級生というのが同学年に一人も存在しないのだ。
 遙斗らが通う高校は、全国から生徒が集まってくる程の進学校でもなければ、特に運動部の特待生を勧誘している訳でもない。新入生は一様に近隣の中学から進学してきた者ばかりだ。
 にも拘わらず、瑞穂がその何れかの中学に在籍していたという証言は一切無かった。もし、偶然に高校進学に合わせて他県から転入してきたとしても、彼女の出身校に関する情報を誰も持っていなかった。驚いた事に、遙斗のクラス担任、教職員全員、校長に至るまで瑞穂の素性に関して詳細を知らないという。
 そんな生徒が入学を許可される事自体あり得ないのだが、それも文部科学省、いや、それ以上の上部国家機関からの直命なのだと、まことしやかに囁かれていた。
 勿論、すべて噂だ。瑞穂の極端な没社交性も相まって、真相は尾ひれを引きずりまくって闇の中だった。
 彼女の口から能動的に何らかの事実が明かされるとは考えられないし、誰にも他人のプライバシーに首を突っ込む道理は無い。
 瑞穂は「ええ」「そう」「結構」と、概ね、この三言の組み合わせで学園生活をこなしていた。
 休み時間は、常に一人。
 そして・・・必ず、折り紙をしていた。
 馴染みのある単純な鶴や兜から、完成品が立体的な置物に見える程の複雑な芸術品まで、瑞穂の繊細な指先からは多種多様な折り紙が、次々と魔法の様に紡ぎ出された。
 遙斗もその時始めて知ったのだが、折り紙にも色々な種類があるのだった。お祖母さんが孫に教え伝える類の単純で風俗的な、鶴や兜、帆掛け船などを正方形の紙一枚で折る日本古来の伝統折り紙― 『不切正方形一枚折り(からふせつせいほうけいいちまいおり)』と云うらしい― 対象をいくつかの部分に分けて折り、それを組み合わせて作る『複合折り』や、何枚もの紙を同じ形に折って組み合わせる『ユニット折り』を駆使して、完成品が立体的な置物に見える程の複雑な折り紙まで多種多様だ。
 瑞穂は、その繊細な指先から魔法の様にそれらの折り紙を紡ぎ出していった。
 実際に、彼女が折り紙をする手捌きの速度は常人技では無い。時折、指の動きが眼で追えない程だった。瑞穂の指は音速を超える、とは、一時期流布された他愛もない風説だ。
 やがて、その姿は校内風物詩の一つとなり、休み時間には他のクラスや学年から見物人が集まって来る始末だった。当の瑞穂は意に介するでもなく相変わらず孤立していたが・・・。
 しかし、無邪気なオーディエンスが好奇の眼で見守る中、隣席の住人である遙斗にとって日々眼にする瑞穂の折り紙には、どこか鬼気迫る悲壮感があった。趣味を楽しむと云うよりも何かの修練に感じられる。
 と云う訳で、遙斗は瑞穂と話すキッカケも無いまま数ヶ月が過ぎた。
 結局、隣同士の席順でありながら、遙斗が瑞穂と言葉を交わしたのは夏休みまでカウントダウンが始まった初夏の事だ。
 一日が終わり、終礼後にクラス全員が一斉に席を立った刹那の事だった。
「遙斗、夏休みに何か予定ある?」
「・・・い、いんや」
 唐突な問い掛けに焦った遙斗は、一瞬絶句した挙げ句、オロオロと横に首を振った挙げ句に、質問の意味もロクに考えず、脊髄反射で即答してしまった。
 が、今まで一言も口を利いた事の無い、言い換えれば興味も無かったであろう一介の男子高校生が、高校生活最初の夏休みを如何に過ごすかなんぞ、なんで知りたがるのか?
 なにより、瑞穂は遙斗を呼び捨てにした。タメ口というよりも、やや上から目線の言葉遣いで、である。
 なんで?
 クエスチョン・マークが渦巻く意識の全てを集中して、遙斗は次の御言葉を待ち受けた。
「そう・・・」
 しかし期待は裏切られ、溜息と聞き間違えそうな囁きを発すると、瑞穂はそそくさと退室していった。
 教室中を永遠にして一瞬の沈黙が席巻した。いつの間にか、他の生徒達も固唾を呑んで成り行きを見守っていたのだ。
「会話、終わりかよ!」と、これは遙斗の心の声。
 同時に、緊張から解き放たれた同級生達が遙斗の廻りに殺到した。口々に瑞穂との関係を問い質す。が、遙斗が的確な回答を持たないと判ると、各々のグループに分かれて好き勝手な推論を捲し立てた。
 この隙に、と、遙斗は鞄に荷物を詰め込む作業もそこそこに、這々の体で教室を抜け出す。
 次の日、この件が学校中の話題になったのは云うまでもない。
 皆の期待と無責任な口コミで都市伝説と化す勢いの遙斗と瑞輝の物語は、しかしながら、それ以上の進展を見せぬまま夏休みへと突入して行った。
  その初日。
「・・・そういうことね」
 自宅玄関の真ん前に横付けされた巨大なリムジンを見ながら、あの日、瑞穂から質問された言葉の意味を遙斗は一人納得した。
 リムジンは、自重で折れそうなくらいロングな漆黒のボディを早朝の清々しい陽光で黒光りさせつつ、閑静な住宅街に異質のオーラを放っている。
 瑞穂が寄越した迎えの車だ。
 その助手席から一人の老紳士が降り立った。枯れた風合いの紋付き袴に身を包み、上品そうな印象ではある。だが、白髪混じりの髭を蓄えた口が、優しく、それでいて、絶対的な権威を込めた口調で言った。
「瑞穂様がお待ちです」
 他人の都合などにはお構い無し、問答無用のご招待である事は明白だ。
 自分ごとき小市民には、一生無縁であろう超絶豪華仕様のリムジン内部をあれこれ触って探索するのも小一時間で飽きてしまい、朝早くに家から拉致されたのも手伝ってか、羽根の様に軽やかなサスペンションがもたらす心地よい揺れは、遙斗を夢の世界に誘うのに充分だった。
 リムジンは高速道路に乗った後、東京の郊外を抜け、西に向けて三時間近く走った。
 遙斗が少し多めに睡眠時間を補充した後、再び意識を取り戻した時には、辺りの景色から人工物の姿が見えなくなっていた。
 濃緑が眼に眩しい山脈をバックに、奥深い渓谷沿いを走る高速道路をリムジンはひたすら疾走している。
 いくつかのトンネルを通過した後、突然、出口の表示が現れた。
 こんな人里離れた山奥に、出口が必要な程の人口なり重要施設なりがあるのだろうか? と遙斗は不審に思ったのだが、それどころか、その出口は地図にさえ記載されておらず、今その時だけ存在している事までは流石に想像すらしなかった。
 リムジンは出口へと誘う走行路へとラインチェンジした。
 遙斗は気が付かなかったが、リムジンが通り過ぎた後、走行路と共に出口のゲートが掻き消すように消滅した。この地には不用意に他者が進入するのを拒む何かが存在するのだ。
 似つかわしくない高品質な舗装を施された田舎道を進む。サスペンションが折角の高性能を発揮出来ずに文句を云いそうな程に継ぎ目のない平坦な路面だった。
 道路が葛折りの上に、道端の境まで浸食している深い森(いや、浸食したのは道路の方か)の為、目的地が見通せず、気持ちまで滅入ってくる薄暗いドライブが続いた。
 いつの間にか立ち込めてきた霧が、周囲の景色を掻き消した時、リムジンが止まった。
 エンジンを切っても尚、投光し続けるヘッドライトの光が、霧を構成する微細な水滴のスクリーンに反射して拡散している。その光の拡がり加減から、そこが森林の木々に囲まれた狭い空間ではなく、開けた広場である事が判った。
 遙斗は、迎えの老紳士に促されて下車した。
「遙斗様」
 老紳士の呼びかけに振り返る遙斗。
「賜裔道(しぇーど)総本山で御座います」
 その瞬間、老紳士の背後で辺りに立ち込めていた霧が徐々に割れていった。海水と濃霧の違いはあれ、約束の地カナンへ向かうモーゼが起こした奇跡のように。
 霧のベールが剥がれて、浮かび上がってきたのは、天をも突かんとそそり立った木造のお社だった。
 巨大な本堂に使われている木材は、柱から壁板に至るまで継ぎ目が無く、巨大な無垢の一枚板である事がわかった。もしそうなら、切り出された原木は、現在地球最大の生命体でもある百メートル級のセコイア杉でさえ、苗木に見える程の巨大な樹木に違いない。
 遙斗は、見聞きする物の素性にますます胡散臭い物を感じ始めていた。
「しぇーど・・・・」
 賜裔道とは何か? もたげてきた疑念を晴らす為、遙斗が手始めに尋ねようとした質問である。しかし、同道する老紳士の無言の圧力に屈して幾度と無く躊躇している間に、お社から現れた迎えの行者に先導され、総本山と呼ばれるお社の内部へと誘導された。
 内部は、巨大な外観から予想するよりも更に広大な敷地を有していた。
 屋根が高すぎて見えない為、内庭かと見間違える程の土間を抜け、数え切れない数の講堂と廊下を通り抜けた。
 建物の内装は宝飾品などで飾り立てられてはいない質素な物だったが、梁や壁、柱などに施された彫刻や細工は宮大工級の技術が必要な見事な業物だった。
 たっぷり三十分は歩き続けていた。
 やがて、先導する行者の足が止まる。足元が暗かったので伏し目がちに歩いていた遙斗は顔を上げた。
 目前には畳十畳はあろうかという、ただの仕切戸にしては余りに巨大な障子が立ちはだかっている。木枠の骨組が遙斗の視界を覆った。無限に広がる幾何学的な格子模様で軽い目眩を覚えた。
  此処が、お社の最深部、との事だった。
 紙と木材で出来ているとはいえ、かなりの重量であるはずの巨大障子が音もなく、スーッと開いていく。
 一際、広大な面積を誇る大広間の中央。明らかに光量不足の和蝋数本を頂いた燭台に囲まれて、その僅かな灯りに照らし出された人影。
 瑞穂が座っていた。
  彼女は、いわゆる巫女装束を身に纏っていたが、上着に当たる部分が十二単によく似た重ね着になっていた。外国映画によく出てくる間違った日本文化を見ている様だった。
 しかしながら、高校の制服姿しか見た事のなかった遙斗にとって、一段と日常性を奪い去るその衣装は、彼女を一段と人間臭さから乖離した存在へと昇華させた。
 ゴクッと唾を嚥下する遙斗。何故か緊張で手が震えている。
「側へ・・・」
 身体が強張って動かない事も手伝って、遙斗は瑞穂の要求通り近づくべきか、否か、を凡慮していた。
 たっぷり数十秒間、睨めっこを続ける羽目になり、気まずい雰囲気の遙斗だったが、瑞穂の方は無表情に何の変化も無い。
 クラスメートの女子一人に近づく事で、なんでこんなに身構えなきゃならんのか。己の不甲斐なさに憤りながら、ついに意を決した遙斗は一歩前へ踏み出した。一旦動き出せば、後は惰性で何とかなった。
 距離が詰まっていくに連れ、瑞穂の手元に折り紙が一つ置かれている事に気付く。
 それは『帆掛け船』だった。
 『だまし船』とも呼ばれ、相手に帆先を持たせて目を瞑らせている間に、持っている部分が帆先から舳先になるように折り返す事ができるトリッキーな折り紙である。
 瑞穂は、ゆっくりと帆掛け船を差し出した。
 幸い、遙斗には、だまし船の知識があったので、その意図を理解した上で船の帆の部分を軽くつまんだ。が、その目的には、皆目見当がつかない。
 遙斗が摘んだ途端、帆掛け船が淡く光り始めた。まるで彼が触る事で瑞穂との間になにかしらの電気回路が形成されたかのようだった。
 充分な光量が広間に溢れていたならば気が付かない程の淡い光だったが、足元の様子も覚束無い薄暗いこの広間では錯覚のしようもない。ただの紙切れであるはずの折り紙が光っている。
 帆掛け船が放つ儚い光は、それでも瑞穂の青白い顔にほんの少し生気を薄化粧していた。
 心なしか表情も柔和になった瑞穂の瞳は、訝しげに窺っている遙斗を見つめ返す。
 彼女は微かに呟いた。
「眼を・・・」閉じて欲しいという意図を理解して、遙斗は静かに頷いた。
 遙斗の瞼が閉じられた事を確認した瑞穂は、空いている方の手をゆっくりと帆掛け船へ延ばした。帆の部分を摘むと、まるで線路のポイントを切り替えるかのように折り曲げる。
 遙斗の摘んでいる帆の部分が舳先に変わるように折り返された瞬間、瑞穂が唱えた。
「暗枢留(アンスール)・・・」
  遙斗の聴覚がその呪文を認識した刹那、パスワードを入力されて起動したプログラムルーチンの様に、彼の脳内でシナプスの一つ一つが活性化した。新たに形成された記憶領域に瑞穂の経験と知識の一部が流れ込む。しかし、その情報は遙斗の神経系には痛みとして認識された。皮を剥かれて痛点を直接触られる程の激痛。神経のブレーカーが反射的に意識を遮断する。
 遙斗は、獣の様な絶叫と共に失神した。
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