折神之瑞穂 Origami no Mizuho

きもん

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帰還、そして始まり

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 結論から言うと、彼らは敵ではなかった。
 確かに、山伏の衣装を着込み白人種独特の彫り深い面構えを見れば、この時代の人間には天狗に見える事だろう。瑞穂は、彼らに対して、恐怖の入り交じった警戒感を拭いきれないでいた。
 しかし、彼らはチャンと言語を解し、極めて紳士的に論理的な受け答えをする。遙斗にとっては非常に好感の持てる交渉相手だった。
「では、君は我々の活動に全面的な協力をするが、その換わりにあのイレギュラー、いや失礼、光時という人物を人間に戻す手伝いをしろと?」
 別の天狗(瑞穂の中では完全にこの認識で固まってしまった)が、言を継ぐ。
「君は、彼を元に戻す最善の方法を理解しているかね?」
 遙斗は、瑞穂の首を縦に振った。瑞穂が非難の意識を遙斗に送ってくる。
「そう。現在の我々が保有している技術で、彼を元通りには出来ない。従って、最善の方法とは、彼の生体機能を凍結し、我々の技術が魂蟲に犯された細胞を復元出来るレベルに達する時代を待つ事だ」
 彼らの中でも科学技術に精通しているらしい天狗の一人が、占い師の水晶球によく似たモニター装置の内部に立体投射された複雑な数式を差し示しながら説明を始めた。
「生体組織の凍結と云っても、文字通り凍らせる訳では無い。彼の身体を構成している分子運動を極限まで遅くするのだ」
「そんな事が出来るのか?」
 遙斗は、瑞穂の口で問うた。
「君が〈外次元組式錬成術〉を取得すれば、造作もない事だ。それは我々への協力にもなる。本来、君にその力を授ける事が、我々が今、此処にいる最大の目的なのだ」
 天狗は、瑞穂=遙斗を凝視して言った。彼の言う「君」とは勿論、瑞穂の事だ。
 彼の手元で、水晶球型立体モニター内部の映像が切り替わった。
 見慣れぬ文字のバラバラな羅列が、立体的に組み上がり、その文字列を骨組みに見立てた平面がオーバーラップして合成され、幾何学的な立体図形になる過程が動画で示された。
その立体図形の表面に再び透視図状に文字列が浮き出し、点滅した。その文字列が、意味を持った公式に組み上がっている事を示しているのだった。
『まるで・・・折り紙だな』
 遙斗はクラスメートが折り紙をしている指先を思い出していた。何か、とっても昔の記憶に感じた。
 リーダーらしい天狗が、不意打ちで言った。
「では、彼女から出ていってくれ。君が同化していたのでは、彼女のトランス・イントロン遺伝子が活動を停止するらしい。きっと相殺作用が働くのだろう。それが働かないと、外次元組式錬成術の根幹を為す、〈霊与紙〉の外次元特性が発揮されず、文字通りただの紙切れになってしまう」
 驚いた顔を瑞穂にさせる遙斗。
「なんだ、知ってたのかい」と、瑞穂の口で言う。と、同時に「相殺作用」の意味が引っ掛かり、それを質問しようとした瞬間。
 施設内に轟音が轟いた。
 めちゃくちゃに破壊された機械が宙を舞って瑞穂達の側に落下した。爆音が密閉された空間に反響する。
 その反響が終わらない内に、今度は獣の咆吼が響いた。
 その場の全員がそちらに振り向く。
「みつとき・・・」という瑞穂の呟きは、もはや言葉には成っていなかった。
 彼女の眼に映ったのはあまりにも変わり果てた光時の姿だった。
 全身が爛れて崩れかかっている。意識も、既に人のそれを保っていないだろう。
「・・・時間がない様だ」 
  天狗の一人がヘルメットによく似た機械を持ってきた。他の者は光時を迎撃する為に、二股の杖みたいな道具を構えている。何かの武器なのか?
「必要な知識を彼女の脳組織に直接インストールする。その情報は君も共有出来るだろう。我々からの餞別だ」
 有無を言わせず、瑞穂はヘルメットを被せられた。視界が蠢く光の模様で覆われる。万華鏡を覗いた感じだ。
 遙斗の意識と瑞穂の頭脳に、バチッという電気ノイズが走った。二人が痛みに耐えていると、瑞穂の耳元でリーダーの天狗が遙斗に向けて囁いた。
「君が此処にいるという事は、君の存在する未来は比較的上手くいったのだろう。励みになるよ。願わくば、我々の未来がその時間軸と重なっている事を願って―」
 その言葉尻に瑞穂の悲鳴が重なったが、その時は既に、遙斗の意識は本来の場所=未来へと向かって上昇し始めていた。

 遙斗の意識が瑞穂姫から去って、数十年の歳月が流れた。
 金色に輝く満月が美しい、ある晩秋の夜。
  名もない山の麓に巨大な石碑がそびえ立っていた。その石碑は、天狗の風穴を封印する為に、蓋代わりに置かれた大岩を削り整形したものだった。
 その周囲は大規模に整地され、現出した広大な敷地に荘厳な祭場が設営されていた。その鎮守として石碑は建立されたのだった。
 いかなる事情で、こんなへんぴな場所に莫大な資財が投下されたのか、知るものは殆どいなかったが、その祭場は施工主の執念が感じられる荘厳な施設に仕上がっていた。
 石碑表面には威厳に満ちた彫り文字で『光時鎮魂の碑』と彫り込まれており、右側側面には、人々に気付かれぬ程の小さな文字でこう彫られていた。
「はると之使者には感佩措く能わず(はるとのししゃにはかんばいおくあたわず)」
 ハルトという者への謝意の言葉だった。
 そして―。
 その石碑の前で一人の老女が事切れていた。
 最後の力を振り絞り今際の床から独力でこの場まで辿り着き力尽きたのだろう、土で汚れた着衣が乱れている。
 老女は、悲しみと幸福が入り交じった微かな笑みを湛え、愛おしげに石碑を抱きながら、永遠の眠りへと旅立っていた・・・。

 遙斗は帰還した。
 遠くで滝壷を打つ水の音色が聞こえる。
 四方が吹き抜けている五十畳の大広間。そのど真ん中に敷かれた布団で遙斗は目覚めた。
 直ぐ側で、紙の擦れ合う音がする。
 首を廻らすと、枕元で瑞穂が折り紙をしていた。
 その手元を何気なく眺めてしまう。意識がまだ自分の身体に馴染みきって無い。間違えて他人の靴を履いた時みたいな違和感だ、と遙斗はボンヤリ考えていた。
 折り紙が完成した。蝶だった。
 瑞穂が手で掲げると、折り紙の蝶々はハラハラと舞い始める。動きは本物とそっくりだ。
 その蝶が飛んだ軌跡を目で追いながら、瑞穂は喋り始めた。
「西洋錬金術がもたらした最高の成果である賢者の石。それを砕き溶かした紙料を漉いて霊与紙を精製する・・・」
 一頻り飛び回った折り紙の蝶は、瑞穂が差し出した指に舞い戻り留まった。奔放に飛び回る蝶の軌跡を目で追った事により、結果的に周囲を探索する事になった遙斗は、この大広間が数階建てのビルに匹敵する大きな石碑を大黒柱にして支えられている構造である事に気付いた。
 あの光時を祀った石碑だ。  
 数百年の時を経て、あの祭壇はこの巨大建造物の一部に組み込まれていた。
「その霊与紙に、因果符号である『ヤマト・ルーン文字』で数式を記述し、数式が特定の三次元的配置に組み上がる形に『折る』事で外次元組式錬成術は完成する」
 戻ってきた蝶を元の紙へと解いていく瑞穂。一枚紙に戻った霊与紙には、不思議な事に折り目がついていない。が、その表面には、幾何学的な配列で、見慣れぬ文字が書き込まれていた。
「折り上げられた霊与紙は、物理法則をも書き換える超自然デバイスとなり、その能力は『無』から『有』を生み出す事も可能といわれている。故に、この技術は『折神之御業』と呼ばれ、その業を究極まで修めた者は『神』と同義である」
 ふぅ、と溜息を吐く瑞穂。遙斗に問うた。
「あなたが、あそこから持ち帰った知識と相違ないかしら?」
 遙斗は、まだ自分の中に二つ人格が共存しているような違和感の残る意識下でありながら、初めて聞いた瑞穂の話す長文に驚きつつ、しっかりと確認すべき事を質問にして返した。
「俺をあの時代へ跳ばしたのも、そのミワザという訳かい?」
 微笑んだまま、応えない瑞穂。
 それでも、遙斗は尋ねなければならない。
 巫瑞穂が普通の人間でないのはわかった。
 人類に対する敵性体の存在というのも受け入れよう。
 それに対抗する為の人知を越えた秘密組織というのも理解する。
 しかし。
「それで、俺にそんな知識を授けてどうするつもりなんだ?」
 それは明確な音声として瑞穂に向けた詰問となった。 
 またしても、応えない瑞穂。
 ただし、もうその顔に微笑みは無く、表情が翳っていた。
 沈黙が続いた。
 瑞穂の憂いの原因をあれこれ思案していた遙斗は、不意に人の気配を感じて背後を振り返った。
 何の前触れも無く、行者が一人、広間の入り口に立っていた。ここに招かれた時と同様、遙斗の送迎役なのだろう。
 そちらに気を取られている隙に、不覚にも瑞穂の姿は消えていた。
 遙斗は、自分の与り知らぬ処で大きく動き始めた運命が、序章から次の章に移行したのだと悟った。

 諸々の後悔をそのままにして、賜裔道総本山を後にする。帰路の交通手段も、あの超豪華リムジンだった。
 後部座席は相変わらずの寝心地抜群なフワフワ羽根布団仕様だったが、遙斗の目は異様に冴えていた。
 もし、軽く睡眠を取れたなら、次に目覚めた時は全て夢だった、などという展開も期待出来るかな? と、一瞬頭を掠めたが、それは現実逃避に他ならない。
 雲一つ無い晴天から万遍なく照射されている尖った陽光に照らされ輝く深緑の木々が、次々と後方へと飛び去る風景を眺めながら、遙斗は一人、物思いに耽っていた。『過去の瑞穂と現在の瑞穂』、『折神之御業』、『今の賜裔道と昔のシェード』、『平安時代の異人達』、『何で俺なのか?』――回答の無い疑団が、グルグルと頭の中を回遊している。
 結局、遙斗が車中で思い当たった結論といえば、人は信じ難い事実に直面しても自分の頬をつねったりはしないんだな、というつまらない経験則だけだった。
 リムジンは、行きと同じ道を逆行する行程だったにも拘わらず、帰りの方が早く着いた、と遙斗には感じられた。土地勘のない場所を往復する時に、よくある錯覚だ。
 そそくさと下車して家に入ろうとした遙斗だったが、リムジンの助手席側、つまり車体を隔てた反対側に立って、深々と一礼している人物を認めた。朝方、遙斗を迎えに来たあの老紳士だった。
 パッセンジャーシートと前席が仕切られていたので乗車時には気付かなかったのだが、帰路の車中にも同乗していたらしい。
 軽く会釈を返した遙斗に向かって、彼は言った。
「どうぞ、瑞穂様を御守り下さいませ」
 老紳士は面を上げた。今まで気にも留めなかったその顔を、まじまじと見つめる遙斗。
 少し皺を伸ばし、白髪を黒く染めた若作り顔を想像してみる。心の中でモーフィングしたその顔に、ある人物がカチッと当てはまった。
「・・・光時!」
 だが、遙斗がそう呟いた時には、既に彼は車上の人だった。
 リムジンが発進するのと同時に、住宅地を「夕焼け小焼け」のメロディが包んだ。毎日きっかり午後五時に流される、子供達に帰宅を促す為の公営放送だ。
 初夏の夕空はまだ充分な明るさを保っていたが、東の地平線に向かって深く暗い茜色へとグラデーションしていた。
 夕闇色に染まった天と地の狭間に向かうにつれ、漆黒のリムジンは背景に同化していく。
 最後のサプライズすら感慨深く噛み締める機会も貰えず、遙斗はやるせない気持ちでその情景を見送った。
 一つ溜息を漏らした後、彼は玄関のドアノブに手を掛けながら思った。
「やけに長く感じた一日だったが、まだ宵の口なんだな」
 そう。今日は、まだ、終わってはいなかった・・・。

 光時は遙斗を送り届けた後、賜裔道本山へ戻っていた。蝋燭のみの薄暗い廊下を本山社の奥深くへと急ぐ。
 山中の建築物ゆえに構造上幾つも設えられていた階段をも難なく駆け上がっていく。通常の老体には少々きつめの勾配だったが、光時の肉体には、まだ、障害とはならなかった。
 目前に瑞穂の居室を閉じている障子が見えた。
 いつもなら勝手に、則ち、瑞穂の意のままに開いていた紙と組み木造りの扉が、今はピクリとも動かない。その巨大さ故の質量を己の筋力のみで強引に開く光時。
 彼は部屋の中央に倒れている瑞穂を発見した。
 一瞬、息を呑んだ光時だったが、駆け寄って抱き起こした瑞穂の身体が力強く呼吸している事を確認して胸を撫で下ろした。
 まだ、その時ではなかったのだ。
 光時の腕の中で、目を開ける瑞穂。
「・・・感じます」
 瑞穂のその短い言葉で光時は理解した。
 彼女の身体を抱きかかえ部屋を出ると、虚空に向かって叫んだ。その声は賜裔道総本山の中央廊下を伝い広大なお社の内部に反響した。
「第一種戦闘態勢。第一から第五特機隊は甲一式装備で緊急発進!」
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