7 / 11
瑞穂 弐
しおりを挟む
イルカに似ているというのは、間違いだった。少なくとも、イルカの舌はあんなに伸びない。
この水棲魂蟲は、口から、正確には頭部前方の穴から体長の倍する触手を数本繰り出して、それを鞭のように使い攻撃してきた。触手に触れた部分がエネルギー変換され、那由多の巨体には、削いだような損傷箇所が幾つも刻まれている。
まだ致命傷が無いのは、圧倒的な火力で張られた弾幕が物理的な障壁となって魂蟲本体を至近距離に近づけないからだった。
しかし、武器の破壊力そのものは殆ど無効化されて魂蟲にダメージは無く、このままジリ貧になるのは目に見えていた。
「遙斗、やはり、君の力も必要だ」と、オルグの出撃要請が来たのは、戦闘開始後、僅か十分の出来事だった。
「やっぱりね・・・」
遙斗は、格納庫で傀儡魂換装装置の前に立った。立体駐車場のミニチュア版といった趣の機械である。クグツチェンジャーという名前があったらしいが、勿論、遙斗が却下した・・・理由を聞かれた遙斗は一言、「CDチェンジャーみたいじゃん!」とだけ発した。
パペット・カートリッジ・システムにより、遙斗の義体は通常活動用から戦闘用へと換装される。プラスチックの胸板が開かれ、収まっている傀儡魂が換装装置のロボットアームにつまみ出され・・・その瞬間、遙斗は意識不明になるが、数十秒後、違う義体で目覚めた。
拠点防衛用戦闘パペットボディ・ナバロン。それが、今の遙斗の身体だ。
パペットボディには、用途別にそれぞれ識別コードがある。
この戦闘用ボディは「ナバロン」という。因みに、通常活動用は「イノセント」、軌道ダイブに使った強行偵察用は「ニンジャカンフー」という・・・少なくとも日本人がこのコードを決めていないのは確かだな、と遙斗は常々思っていた。
ナバロンの外見は、その用途を的確に示している。ずんぐりとした鋼色の装甲板が全身を覆い、体積の大半が火器類で占められていた。例えば、全身が無数の鉄パイプに貫かれている様に見えるが、その全てが火器の砲列であり、特に胸部を貫いている数本は二十ミリを越える口径とボディ全高より長い砲身を誇っていた。下半身には、歩行のための主脚一対とその周囲に射撃の反動を押さえ込むための補助脚が三対も付いている。
もはや人型、ボディとは言い難い移動砲台に近いコンセプトのパペットボディだった。
遙斗は、ブ厚い格納庫の床でさえ抜けるのではないかとビクビクしながら、戦車より重い自分の身体を搬送エレベーターへと移動させた。
甲板へ出て、弾幕の一翼を担うのだ。
海面は、那由多の使用した火器の流れ弾や残留エネルギーで沸騰していた。
魂蟲が悠然と那由多の周りを回遊している。
ヒュンヒュンと鞭がしなる音がする度に、那由多の鑑体が彼方此方で光の粒へと変換されて消滅していた。
誘爆で黒煙が立ちこめる飛行甲板。その中央に迫り出す搬出エレベーターからナバロンの威容が現れた。間髪入れず、全身に連なる砲列から一斉に射撃を始める。遙斗のこの義体一基で、那由多の片舷全体の火力に匹敵していた。
それでもなお不利に推移する戦況をそれぞれの配置場所で見ていた加羅葉とD・Bは、オルグからの直接命令を聞いた。
「大至急、第一弾薬庫に向かってくれ」
二人は同時に弾薬庫の搬送用大型ドアへと到着した。
「何事?」とD・B。
「見れば分かるわ」と加羅葉。彼女は移動途中で詳しい指示を受けたらしい。
巨大な搬送用ドアの脇、人間専用の小さい扉から弾薬庫の中に入る。
倉庫の一番内側、隔壁になっている分厚い搬出口が固く閉ざされていた。
「何? 戦闘の最中に弾薬庫が開かないとか」D・Bが問うた。
「しかも、シェードの物とは規格の違う暗号でロックされてね」加羅葉が応えた。
D・Bは自分の質問がビンゴだった事にビックリした。シェードのセキュリティを考えれば、あり得ない事だった。
「何で? 誰が? こんな時に?」
この問いには、加羅葉は答えなかった。回答を彼女も知らないからだ。その替わり、D・Bにオルグの命令を伝えた。
「そんな事は後回し。一刻も早くロックを外すのがアナタの任務よ。じゃないと・・・」
「わかってる」
彼らには事態の深刻さが十分に理解出来ていた。
第一弾薬庫には、特殊弾頭が保管されているのだ。その弾頭は「賢者の石礫」と呼ばれている。
賢者の石から生成した、対魂蟲用の弾頭だ。則ち、折神之御業より古く、折神之御業以外で唯一、魂蟲を対消滅させられる兵器だ。
つまり、弾薬庫が開かなければ、ジ・エンド。那由多の命運は尽きる。魂蟲によってエネルギーへと還元されるのを待つだけだ。
D・Bは隔壁の脇に設えられているセキュリティ端末に自分の携帯端末を接続させると、何やら操作してドアの施錠を外した。
「いいよ。外れた。第三層下までセキュリティシステムもオフラインだ」
中に飛び込む加羅葉。
D・Bも続く。
二層分の通路を一気に駆け降りる。
「てっ、手加減して走ってよ!」
加羅葉の身体能力に対して非難を口にするD・B。
「男の子は弱音を吐かない」加羅葉が応えた。
返事が返ってくるとは思ってなかったD・Bは、面食らって転びそうになる。
遅れるD・Bにかまわず、加羅葉は先行した。安全の確保もかねて。
賢者の石は非常に不安定な物質である。それから精製された弾頭の中身は、幾らか安定してはいるが、それでも尚、デッキ三層分を使う容積を必要とする大がかりな保守設備で囲っていなければ、実用に耐えられない代物だった。増してや、那由多は戦闘艦なのだ。沈む確率は格段に高い。核兵器よりも厳格で強固なセキュリティが必要なのだ。
加羅葉は、二層降りた階段の突き当たりに立ち塞がる新たな隔壁の前でD・Bが追いつくのを待っていた。
這々の体で追いつき、再び端末を操作するD・B。最初のドアよりもかなり手こずっている。
「・・・まだなの?」
あくまでも独り言の域を出ない加羅葉の言葉。それが逆にD・Bの焦りを誘う。
「せかさないでよ。シェード最高水準のセキュリティロックに未知の数式で暗号が組まれてるんだから」
「わかってるけど、急いだ方がいいわ」
「未来視?」
D・Bは手を止めて振り向いた。
「いえ、経験則よ」
その瞬間、扉が開いた。
「やった!」
D・Bの歓声が終わるより早く、中に飛び込む加羅葉。
窓の無い廊下を突っ切ると倉庫の中心部に着いた。が、そこに鎮座するあってはならない物を見て二人は驚いた。
巨大な時限爆弾が横たわっている。
これ見よがしに大きなデジタルディスプレイが時を刻んでいた。
あと、一時間十三分。
爆弾から最終扉の操作端末に配線が伸びていた。
「何処のどなたか知らないけど、良い仕事してるね」もちろん皮肉だ。
D・Bは爆弾と操作端末を順々に観察した。
扉のロックだけを外せば、爆弾が破裂する。外せなくても、時間が来れば爆弾が破裂するか、魂蟲にやられる。相手のやりたい事はよく分かった。同時に解除するしかない・・・。
「解除できそう?」加羅葉が尋ねた。
「驚いた。扉をロックしている暗号は、馬鹿みたいに単純なロジックで組んである。後は爆弾の信管だけど・・・」
言葉に詰まるD・B。
「?」と加羅葉。
「・・・参った。量子信管だ」
「??」と、再び加羅葉。
「爆弾の信管が二つあって、それが量子信管なんだ」
「つまり?」
「実際に信管が作動した時でないと、どちらの信管が作動するのか確定してないんだ。量子理論を応用した、事前に解除不可能な究極の起爆装置さ」
「何とかならないの? 人の二倍賢い頭脳の持ち主なんでしょ!」
「僕がどんなに賢くたって、自然の摂理は変えられないよ・・・」
D・Bの絶望的に曇った表情が、状況の深刻さを加羅葉に悟らせた。
那由多が揺れる。
外の戦闘が激化したのだ。
「でも、方法が一つある」
「何?」
「未来視さ。この時間の未来を見てきて結果を確定させれば、この時間の現在で作動する信管を特定出来る」
ちらっと時限装置の残り時間を見る加羅葉。
「あと一時間五分。五分前まで待ってから、『視て』くるわ」
その時、那由多の鑑体が再び大きく揺れた。
「うえに確認した方がいいよ。そんなに保つかどうか」と、D・Bが忠告した。
加羅葉は、暫くの間、ヘッドレストに聞耳を立てていたが、諦めたように言った。
「ダメだわ、ブリッジが応答しない」
「遙斗に訊いてみたら? 彼、外にいるし、ブリッジとは別回線だよ」D・Bが、そうアドバイスした。
加羅葉は一瞬躊躇したが、その言葉に従った。
甲板で遙斗は撃ちまくっていた。だが、そのボティは歪に変形し、無数の損傷痕がある。
那由多の被害も甚大だった。既に左舷部の船体を失い、片肺の双胴船になっている。
「あと一時間? 冗談だろ! その前に全部無くなってるぞ!」
ヘッドレストから漏れてくるノイズ混じりの爆発音を聞きながら、倉庫内で立ち尽くす加羅葉。
意を決したように顔を上げる。
「一時間・・・やってみる」
両手を胸の前で組み、爆弾の信管を見つめる加羅葉。
彼女の額に眼の形をした光の刻印が現れる。
光の目玉は更に輝きを増し、彼女自身が包み込まれた。
― 軽い浮遊感。下りの高速エレベーターに乗っている感じだ
加羅葉がゆっくり眼を開くと、見知った爆弾の信管が見える。全く同じ映像だ。
失敗したのかと、慌ててデイスプレィを見上げる。
爆発五秒前だった。
あと四秒、三、二、一。
右側の信管が起動した。
「わかったわ!」
彼女が『戻ろう』と振り向いた瞬間、彼女の周りに無数の異なる時間が流れ出した。
・・・失敗して時限爆弾が爆発してしまった時系列。
・・・特別な運命など無く、姉と二人で平凡な高校生活を送っている時系列。
・・・自分が瑞穂で、折神之御業を駆使している時系列。
すべては、そうなる可能性があった枝分かれした時間流だ。
加羅葉は時間が全てを支配すると同時に何も意味を持たない混沌が渦巻く空間の中心でうずくまっていた。
人は、時系列が正しく並んでいる自己の記憶を参照する事で、他者と自分を識別する。昨日、野球選手としてホームランを打った自分と一昨日出産をした記憶を持っていたとしても、それは整合性が崩壊しており、一個人が自己を確定するリファレンスとは成り得ない。しかし、加羅葉は今、異なるいくつもの人生に、整合性のないたくさんの自分の記憶に取り囲まれていた。
己の実存を喪失する恐怖。彼女が、未だ正気を保っているのは奇跡だった。
だから、普段なら死んでも他人には見せない醜態を晒していた。パニックになって泣きじゃくった。
「やめてぇー! 私のいた時間は、どこなのー」
叫声に応える様に、突然、周囲が真っ暗になった。
加羅葉の肩に、そっと手が添えられた。手の主を見上げる。
立っていたのは、彼女に瓜二つの女性だった。
躰は光っていて実体が無い亡霊のようだ。
「誰? 私?」
微笑んだまま何も言わないドッペルゲンガー。
加羅葉、ハッと気づく。
「・・・姉さん?」
反射的に身を退く加羅葉。
そのまま、周囲の闇に飲み込まれ、底に向かって落ちていく。
底には、水溜まりがあった。
闇を切り取った様に一カ所だけ丸く光っている。
光の中を覗いてみる加羅葉。
水溜の窓の中には、どこかの部屋・・・病院の新生児室が映っていた。
双子の姉妹が誕生したらしい。
だが、悲痛な空気に包まれている。
「先生・・・」母親が、主治医らしい白衣の男にすがっていた。
だが、その医師は応えなかった。
新生児用のベッドに横たわっている、二人の赤ん坊は一人は元気に笑っているが、一人は硬直して動かない。
ただ、二人共に額の中央が、まだ光りを放っていた。楕円形の淡い光が残り火の様に燻っている。
「・・・すみません・・・私にも何がなんだか・・・」主治医が漸く口を開いた。が、医師としてではなく、人としての常識が導き出した答えを述べただけだった。
その時、ドアが勢いよく開かれ、数名の人影が室内に雪崩れ込んできた。老若男女多彩な集団だったが、全員、賜裔道の作務衣を着ている。
「なっ、なんだ君たちは!」その場の責任者として、滑稽なほど当然な反応をする担当医。
しかし、集団は何も喋らず、その中の数名がスプレーでガスを撒いた。
暗転。
数時間後、その部屋には病院の職員しかいなかった。覚めた時には、彼らは何が起こったのか何一つ覚えていなかった。そのこと自体は事件となったが、双子の新生児とその母親が消えた事には誰一人気づきもしなかった。
・・・その水溜まりはここで画像が落ちた。
暫く、ジッとしている加羅葉。今見た事が自分と瑞穂の事だと認識するのに必要な間だった。
少し離れた場所に違う水溜まりが現れる。
ゆっくりと近づき、覗き込む加羅葉。
四畳半ほどの和室に敷かれた布団に白い布を顔に被せた遺骸が横たわっていた。
その傍らで少女が泣いている。
十歳前後の幼い少女。
加羅葉だ。
この頃から、三つ編みツインテールは彼女のトレードマークだった。まだ、赤く染めてはいないが。
和室は古い屋敷の一室らしく窓は無い。全ての開口部は障子で仕切られていた。
縁側は開け放たれていた。綺麗に手入れされた日本庭園が見える。
加羅葉は布団に顔を埋めまだ、泣いていた。
縁側に人の気配がした。
加羅葉に良く似た黒髪の少女。腰まである長髪だ。
縁側の外れ、加羅葉からは見えない所に光時が控えている。
庭からの日差しを遮った瑞穂の影が、加羅葉の傍らまで伸びていた。
その影を逆に辿り、泣いてぐしゃぐしゃの顔を上げる加羅葉。
瑞穂と視線が合う。
「母さんが病気だって、あんなに、あんなに、何度も言ったのに! 一度も会いに来なかったくせに!」
また、泣き崩れる加羅葉。
しかし、瑞穂の言葉は無感動だった。
「そのひととのお別れは出来ましたか? 貴女はこれからヨーロッパの施設に移る事になりました」
加羅葉は、瑞穂の言った言葉が理解出来なかった。言葉の意味ではない。何故、その内容を、この場で、その口調で、言えるのか?
何故、母を「そのひと」と呼んだのか?
加羅葉は、自分の幼さが理解出来ない原因だと盲信した。この世には、姉がこの言葉を言って良い、何か特別な理由があるに違いない。加羅葉はそう信じて疑わなかった。
でなければ、自分は・・・姉を殺してしまう。
この水溜まりは、ここで画像が落ちた。
加羅葉は、再び足先も見えない暗黒に包まれた。
だが、背後に立っている瑞穂を感じる。
「結局、そんな特別な理由なんて無かったわ・・・あったのは、アンタがただの冷血漢だという事実だけ」
加羅葉は振り向き、瑞穂の気配がする辺りを睨みつけた。
「あのあと、私はシェードに志願した。保護されるだけの惨めな身分なんてまっぴらだわ! まして、アンタが瑞穂の地位安泰を謀って、私を遠ざけるのが目的であれば尚更よ!」
反論はない。
言葉の替わりに、光が帰ってきた。
頭上(と感じる方向)に、キラキラと小さな光点が無数に広がっていく。
星空だ。
いつの間にか、足元には草原が広がっている。
見た事のある風景だった。
加羅葉は思い出した。賜裔道総本山の中庭だ。彼女は一度しか行った事がない場所だ。 それも姉が、この女が、私を排除したから・・・加羅葉は正面に立つ瑞穂を見据えた。
「随分と誤解が生じていますね。彼の巧みな入れ知恵を、無垢な貴女は全て真に受けてしまったのね」瑞穂の言葉は明瞭に届いた。
「入れ知恵? 彼?」と、加羅葉。
「・・・オルグ」
加羅葉は意外な答えに一瞬怯んだ。瑞穂の言葉は全否定、の信念が少し揺らぐ。
「オルグ? 何で彼が私に入れ知恵をする必要があるのよ。動機が無いわ!」
瑞穂は直ぐに応えない。微笑んでゆっくりと夜空を見上げた。
「見て・・・」と、天上を指さす。
加羅葉は瑞穂と夜空を横目で数回値踏みした後、結局、夜空を見上げた。瑞穂がフッっと苦笑して言った。
「綺麗でしょ・・・これは、昨日の晩、私が実際に見上げた夜空よ」
瑞穂は人差し指を夜空に向けた。
「でも、この星達は今の姿ではないわ。知ってるでしょ? 光の速さは有限だから、今見ているのは、数万年、数千万年、数億年も過去に発せられた星の光に過ぎない」
瑞穂が加羅葉の瞳を覗いた。夜空と同様に澄んだ深淵の瞳だと、不覚にも加羅葉は思った。
「今の、本当の夜空を見せてあげるわね」
瑞穂がそう言うと、夜空の所々で星の光が消え黒くなった。徐々に、その数と大きさが増えていく。
最後には、満天の星空が黒い虫喰い穴だらけになってしまった。黒い部分を全て足した面積は全天の半分以上になるだろうか・・・夜空全体の光量も半減した。
「これは、今、現在、存在する天体の光が一瞬で地球に届くと仮定した場合の夜空の姿。そして、あの黒い部分は、全て星が死に絶えた宇宙・・・我々の敵が貪り食った場所よ」
自分の信じてきたものと瑞穂の言葉。何を信じて良いか分からず、加羅葉は首を振った。
「ごめんなさい・・・」瑞穂が言った。
「なによ・・・今更」加羅葉は突っぱねたが、瑞穂の謝罪は彼女の思っているものとは違っていた。
「・・・貴女には、加羅葉のままで人生を送らせてあげたかった」
瑞穂は眼から涙が一筋落ちた。
「ごめんなさい・・・運命を変えてあげられなくって」
瑞穂は、ゆっくりと加羅葉に歩み寄った。
「ごめんなさい・・・姉らしい事をする勇気が無くて・・・」
加羅葉を抱きしめる瑞穂。
「私はずっと、この時を待っていた・・・真実を伝える機会が訪れるのを。その為に少しだけ細工をさせて貰いました」
弾薬庫の爆弾はやはり・・・瑞穂は加羅葉を抱き締めたままの姿勢で首だけを反らして彼女の瞳を覗き込んだ。至近距離で見つめ合う姉妹。
予期せぬ姉の行動に驚いて、思いっきり見開いている妹の瞳。
そして、瑞穂は吐露した。
「わたしの命は、折神之御業によって、既に尽きているの・・・」
「!!!」
ハッと眼を覚ます加羅葉。
D・Bが心配そうにのぞき込んでいる。
頑丈な隔壁を通して、爆発音が聞こえる。
那由多の断末魔だ。
「右よ。解除しましょう」
加羅葉は全てを了解していた。
その上で、まず、眼前の責任を果たす事に邁進した。
強い陽射しは、プラスチックのボディにも有害だった。ジリジリと照りつける陽光を避けるためビーチパラソルを広げ、遙斗とD・Bがくつろいでいる。
申し訳程度な狭い砂浜ではあった。
那由多のドック入りに付き添ってきた二人は、シェードの艦隊基地が隠されている南海の孤島で、つかの間の短いバカンスを楽しんでいた。
遙斗は肉眼の数倍高性能な光量調節機能付きの人工視覚にとって何の役にも立っていないサングラスを外し、D・Bを見た。
「ところで、加羅葉はどこに行ったんだ?」
「日本・・・」
「・・・何じゃそりゃ」
遙斗、コケてみる。人工関節のサーボ性能を確かめるには、こういう微妙で突発的な動作が良いらしい。
「お姉さんに会いに行ったみたいだよ」
「瑞穂に?」
開いた倉庫から『賢者の石礫』を搬出する手伝いをしていた加羅葉だったが、その弾頭が遙斗の義体、ナバロンボディの主砲塔に装弾された時には、那由多艦載機で日本に向け機上の人、イルカ魂蟲の殲滅を完了した時には、既に日本の領空内だったそうだ。
勿論、全て無許可の行動だった。
「彼女が信管解除の為に未来視した時、彷徨った時空の中で何かがあったらしい。けど、それが何で姉上に会う動機になるのかなんて、僕に分かんないよ・・・君の方が分かるんじゃない?」
時空内の体験うんぬんはD・Bの推論である。未来視から帰還した加羅葉の様子がおかしかったのだ。
「何で?」だが、遙斗の関心はそこではなかった。口にしたのは、君の方が分かる、の部分に対する問いであった。
D・Bは、随分長い時間躊躇してから言った。
「・・・いや、ちょっと、そう思っただけさ」
人気の無い南国の孤島に沈黙が流れた。
ジリジリと浜辺が焼ける音が聞こえそうだった。
遙斗は、再びサングラスを掛け直した。人工視覚の位置からズレていたが、元々意味がない行為だったので、D・Bも特に注意しなかった。
必然的に、二人の会話は終了した。
賜裔道総本山には、お社の地下に重力まで遮断出来そうな分厚い隔壁に囲まれた特別な部屋がある。
その部屋のたった一つしかない入り口には長い一本道のトンネル廊下を通らなければ辿り着けない。その廊下には照明すら無いので、ハンドライトを自ら手に持って進む加羅葉。
光時が、その前を先導している。小走りしながら言った。
「僥倖で御座います。もう、間に合わないかと・・・」
加羅葉は尋ねた。
「光時は、全部知っていたの?」
光時はその質問を待っていたかの様に即答した。
「はい。加羅葉様もお辛かったでしょうが、瑞穂様は自ら決断された分・・・」
その決断でさえ、他に選択肢の無い追認に過ぎない・・・今の加羅葉は、もう知っていた。
「現代に於いて、魂蟲の出現が、質・量共に激増する兆しは既に顕著でした。それに対処するためには折神之御業で使われるエネルギー、則ち命の量を増やさなくてはならない・・・太古の昔、何者かによって人の遺伝子に刷り込まれた瑞穂の力そのものに意志があるのか、人の種としての適応力が瑞穂の力に成さしめた進化、突然変異なのか、それは分かりませんが・・・」
光時は何時になく饒舌だった。真実を知りつつも瑞穂に仕えてきた募る想いが、言葉になって迸っていたのだ。
二人の進む先に真っ白な扉が現れた。
終点だ。
光時が振り向いた。
「恐竜が体躯の巨大化で種の存続を図ったように、元々一人として生まれる人格を二人に割いて命が増量されたのです」そう言い終えると脇へ退いて加羅葉に道を空けた。
次に光時は深々と頭を下げた。それは、既に知っている事実にも拘わらず黙って聞いてくれた加羅葉への謝意だった。
扉の前に進み出る加羅葉。
扉の木製プレートには、毛筆体で『原体之間』とだけ書かれている。
軽く深呼吸して、扉を開く加羅葉。
瑞穂が座っていた。賜裔道の儀式用正装では最上位仕様の豪華な着物を着て正座している。背後に流した長い黒髪と金糸銀糸で彩られた豪華な羽織が、床の上を扇状に広がって見事なコントラストを描いていた。
彼女は、背中をピンと伸ばし、腕を膝の上に揃えて黙想している。
「姉さん・・・」
加羅葉が瑞穂の肩に手を置いた。
瑞穂は・・・予想通り・・・息をしていない。
力無く視線を落とした加羅葉は、瑞穂の前に二つ並べて設えられた小さな座布団に気付いた。その掌サイズのミニチュア座布団の上には各々、何かがお供え物のように置かれている。
連鶴の折り紙が置いてあった。二羽の鶴が向かい合う様にクチバシの部分を繋げて折っていた。
そして、その連鶴は淡い光を放っていた・・・。あらゆる物質やエネルギーを調和融合させる組式が折り込まれている。
加羅葉の眼には涙が溢れていた。
「ありがとう・・・姉さん。今まで私を守ってくれて。これからは二人一緒に戦えるね」
加羅葉は、左手で傀儡魂に触れると、右手を連鶴の折神に翳して唱えた。
「塑依留(そえる)」
連鶴は輝きを増し、その光は加羅葉と瑞穂を包み込んだ。
元々一人だった存在が、本来の姿に戻る瞬間だった・・・。
戸口から光時が、静かに見守っていた。
そして、瑞穂と加羅葉の意識は、そこへと招かれた。
この水棲魂蟲は、口から、正確には頭部前方の穴から体長の倍する触手を数本繰り出して、それを鞭のように使い攻撃してきた。触手に触れた部分がエネルギー変換され、那由多の巨体には、削いだような損傷箇所が幾つも刻まれている。
まだ致命傷が無いのは、圧倒的な火力で張られた弾幕が物理的な障壁となって魂蟲本体を至近距離に近づけないからだった。
しかし、武器の破壊力そのものは殆ど無効化されて魂蟲にダメージは無く、このままジリ貧になるのは目に見えていた。
「遙斗、やはり、君の力も必要だ」と、オルグの出撃要請が来たのは、戦闘開始後、僅か十分の出来事だった。
「やっぱりね・・・」
遙斗は、格納庫で傀儡魂換装装置の前に立った。立体駐車場のミニチュア版といった趣の機械である。クグツチェンジャーという名前があったらしいが、勿論、遙斗が却下した・・・理由を聞かれた遙斗は一言、「CDチェンジャーみたいじゃん!」とだけ発した。
パペット・カートリッジ・システムにより、遙斗の義体は通常活動用から戦闘用へと換装される。プラスチックの胸板が開かれ、収まっている傀儡魂が換装装置のロボットアームにつまみ出され・・・その瞬間、遙斗は意識不明になるが、数十秒後、違う義体で目覚めた。
拠点防衛用戦闘パペットボディ・ナバロン。それが、今の遙斗の身体だ。
パペットボディには、用途別にそれぞれ識別コードがある。
この戦闘用ボディは「ナバロン」という。因みに、通常活動用は「イノセント」、軌道ダイブに使った強行偵察用は「ニンジャカンフー」という・・・少なくとも日本人がこのコードを決めていないのは確かだな、と遙斗は常々思っていた。
ナバロンの外見は、その用途を的確に示している。ずんぐりとした鋼色の装甲板が全身を覆い、体積の大半が火器類で占められていた。例えば、全身が無数の鉄パイプに貫かれている様に見えるが、その全てが火器の砲列であり、特に胸部を貫いている数本は二十ミリを越える口径とボディ全高より長い砲身を誇っていた。下半身には、歩行のための主脚一対とその周囲に射撃の反動を押さえ込むための補助脚が三対も付いている。
もはや人型、ボディとは言い難い移動砲台に近いコンセプトのパペットボディだった。
遙斗は、ブ厚い格納庫の床でさえ抜けるのではないかとビクビクしながら、戦車より重い自分の身体を搬送エレベーターへと移動させた。
甲板へ出て、弾幕の一翼を担うのだ。
海面は、那由多の使用した火器の流れ弾や残留エネルギーで沸騰していた。
魂蟲が悠然と那由多の周りを回遊している。
ヒュンヒュンと鞭がしなる音がする度に、那由多の鑑体が彼方此方で光の粒へと変換されて消滅していた。
誘爆で黒煙が立ちこめる飛行甲板。その中央に迫り出す搬出エレベーターからナバロンの威容が現れた。間髪入れず、全身に連なる砲列から一斉に射撃を始める。遙斗のこの義体一基で、那由多の片舷全体の火力に匹敵していた。
それでもなお不利に推移する戦況をそれぞれの配置場所で見ていた加羅葉とD・Bは、オルグからの直接命令を聞いた。
「大至急、第一弾薬庫に向かってくれ」
二人は同時に弾薬庫の搬送用大型ドアへと到着した。
「何事?」とD・B。
「見れば分かるわ」と加羅葉。彼女は移動途中で詳しい指示を受けたらしい。
巨大な搬送用ドアの脇、人間専用の小さい扉から弾薬庫の中に入る。
倉庫の一番内側、隔壁になっている分厚い搬出口が固く閉ざされていた。
「何? 戦闘の最中に弾薬庫が開かないとか」D・Bが問うた。
「しかも、シェードの物とは規格の違う暗号でロックされてね」加羅葉が応えた。
D・Bは自分の質問がビンゴだった事にビックリした。シェードのセキュリティを考えれば、あり得ない事だった。
「何で? 誰が? こんな時に?」
この問いには、加羅葉は答えなかった。回答を彼女も知らないからだ。その替わり、D・Bにオルグの命令を伝えた。
「そんな事は後回し。一刻も早くロックを外すのがアナタの任務よ。じゃないと・・・」
「わかってる」
彼らには事態の深刻さが十分に理解出来ていた。
第一弾薬庫には、特殊弾頭が保管されているのだ。その弾頭は「賢者の石礫」と呼ばれている。
賢者の石から生成した、対魂蟲用の弾頭だ。則ち、折神之御業より古く、折神之御業以外で唯一、魂蟲を対消滅させられる兵器だ。
つまり、弾薬庫が開かなければ、ジ・エンド。那由多の命運は尽きる。魂蟲によってエネルギーへと還元されるのを待つだけだ。
D・Bは隔壁の脇に設えられているセキュリティ端末に自分の携帯端末を接続させると、何やら操作してドアの施錠を外した。
「いいよ。外れた。第三層下までセキュリティシステムもオフラインだ」
中に飛び込む加羅葉。
D・Bも続く。
二層分の通路を一気に駆け降りる。
「てっ、手加減して走ってよ!」
加羅葉の身体能力に対して非難を口にするD・B。
「男の子は弱音を吐かない」加羅葉が応えた。
返事が返ってくるとは思ってなかったD・Bは、面食らって転びそうになる。
遅れるD・Bにかまわず、加羅葉は先行した。安全の確保もかねて。
賢者の石は非常に不安定な物質である。それから精製された弾頭の中身は、幾らか安定してはいるが、それでも尚、デッキ三層分を使う容積を必要とする大がかりな保守設備で囲っていなければ、実用に耐えられない代物だった。増してや、那由多は戦闘艦なのだ。沈む確率は格段に高い。核兵器よりも厳格で強固なセキュリティが必要なのだ。
加羅葉は、二層降りた階段の突き当たりに立ち塞がる新たな隔壁の前でD・Bが追いつくのを待っていた。
這々の体で追いつき、再び端末を操作するD・B。最初のドアよりもかなり手こずっている。
「・・・まだなの?」
あくまでも独り言の域を出ない加羅葉の言葉。それが逆にD・Bの焦りを誘う。
「せかさないでよ。シェード最高水準のセキュリティロックに未知の数式で暗号が組まれてるんだから」
「わかってるけど、急いだ方がいいわ」
「未来視?」
D・Bは手を止めて振り向いた。
「いえ、経験則よ」
その瞬間、扉が開いた。
「やった!」
D・Bの歓声が終わるより早く、中に飛び込む加羅葉。
窓の無い廊下を突っ切ると倉庫の中心部に着いた。が、そこに鎮座するあってはならない物を見て二人は驚いた。
巨大な時限爆弾が横たわっている。
これ見よがしに大きなデジタルディスプレイが時を刻んでいた。
あと、一時間十三分。
爆弾から最終扉の操作端末に配線が伸びていた。
「何処のどなたか知らないけど、良い仕事してるね」もちろん皮肉だ。
D・Bは爆弾と操作端末を順々に観察した。
扉のロックだけを外せば、爆弾が破裂する。外せなくても、時間が来れば爆弾が破裂するか、魂蟲にやられる。相手のやりたい事はよく分かった。同時に解除するしかない・・・。
「解除できそう?」加羅葉が尋ねた。
「驚いた。扉をロックしている暗号は、馬鹿みたいに単純なロジックで組んである。後は爆弾の信管だけど・・・」
言葉に詰まるD・B。
「?」と加羅葉。
「・・・参った。量子信管だ」
「??」と、再び加羅葉。
「爆弾の信管が二つあって、それが量子信管なんだ」
「つまり?」
「実際に信管が作動した時でないと、どちらの信管が作動するのか確定してないんだ。量子理論を応用した、事前に解除不可能な究極の起爆装置さ」
「何とかならないの? 人の二倍賢い頭脳の持ち主なんでしょ!」
「僕がどんなに賢くたって、自然の摂理は変えられないよ・・・」
D・Bの絶望的に曇った表情が、状況の深刻さを加羅葉に悟らせた。
那由多が揺れる。
外の戦闘が激化したのだ。
「でも、方法が一つある」
「何?」
「未来視さ。この時間の未来を見てきて結果を確定させれば、この時間の現在で作動する信管を特定出来る」
ちらっと時限装置の残り時間を見る加羅葉。
「あと一時間五分。五分前まで待ってから、『視て』くるわ」
その時、那由多の鑑体が再び大きく揺れた。
「うえに確認した方がいいよ。そんなに保つかどうか」と、D・Bが忠告した。
加羅葉は、暫くの間、ヘッドレストに聞耳を立てていたが、諦めたように言った。
「ダメだわ、ブリッジが応答しない」
「遙斗に訊いてみたら? 彼、外にいるし、ブリッジとは別回線だよ」D・Bが、そうアドバイスした。
加羅葉は一瞬躊躇したが、その言葉に従った。
甲板で遙斗は撃ちまくっていた。だが、そのボティは歪に変形し、無数の損傷痕がある。
那由多の被害も甚大だった。既に左舷部の船体を失い、片肺の双胴船になっている。
「あと一時間? 冗談だろ! その前に全部無くなってるぞ!」
ヘッドレストから漏れてくるノイズ混じりの爆発音を聞きながら、倉庫内で立ち尽くす加羅葉。
意を決したように顔を上げる。
「一時間・・・やってみる」
両手を胸の前で組み、爆弾の信管を見つめる加羅葉。
彼女の額に眼の形をした光の刻印が現れる。
光の目玉は更に輝きを増し、彼女自身が包み込まれた。
― 軽い浮遊感。下りの高速エレベーターに乗っている感じだ
加羅葉がゆっくり眼を開くと、見知った爆弾の信管が見える。全く同じ映像だ。
失敗したのかと、慌ててデイスプレィを見上げる。
爆発五秒前だった。
あと四秒、三、二、一。
右側の信管が起動した。
「わかったわ!」
彼女が『戻ろう』と振り向いた瞬間、彼女の周りに無数の異なる時間が流れ出した。
・・・失敗して時限爆弾が爆発してしまった時系列。
・・・特別な運命など無く、姉と二人で平凡な高校生活を送っている時系列。
・・・自分が瑞穂で、折神之御業を駆使している時系列。
すべては、そうなる可能性があった枝分かれした時間流だ。
加羅葉は時間が全てを支配すると同時に何も意味を持たない混沌が渦巻く空間の中心でうずくまっていた。
人は、時系列が正しく並んでいる自己の記憶を参照する事で、他者と自分を識別する。昨日、野球選手としてホームランを打った自分と一昨日出産をした記憶を持っていたとしても、それは整合性が崩壊しており、一個人が自己を確定するリファレンスとは成り得ない。しかし、加羅葉は今、異なるいくつもの人生に、整合性のないたくさんの自分の記憶に取り囲まれていた。
己の実存を喪失する恐怖。彼女が、未だ正気を保っているのは奇跡だった。
だから、普段なら死んでも他人には見せない醜態を晒していた。パニックになって泣きじゃくった。
「やめてぇー! 私のいた時間は、どこなのー」
叫声に応える様に、突然、周囲が真っ暗になった。
加羅葉の肩に、そっと手が添えられた。手の主を見上げる。
立っていたのは、彼女に瓜二つの女性だった。
躰は光っていて実体が無い亡霊のようだ。
「誰? 私?」
微笑んだまま何も言わないドッペルゲンガー。
加羅葉、ハッと気づく。
「・・・姉さん?」
反射的に身を退く加羅葉。
そのまま、周囲の闇に飲み込まれ、底に向かって落ちていく。
底には、水溜まりがあった。
闇を切り取った様に一カ所だけ丸く光っている。
光の中を覗いてみる加羅葉。
水溜の窓の中には、どこかの部屋・・・病院の新生児室が映っていた。
双子の姉妹が誕生したらしい。
だが、悲痛な空気に包まれている。
「先生・・・」母親が、主治医らしい白衣の男にすがっていた。
だが、その医師は応えなかった。
新生児用のベッドに横たわっている、二人の赤ん坊は一人は元気に笑っているが、一人は硬直して動かない。
ただ、二人共に額の中央が、まだ光りを放っていた。楕円形の淡い光が残り火の様に燻っている。
「・・・すみません・・・私にも何がなんだか・・・」主治医が漸く口を開いた。が、医師としてではなく、人としての常識が導き出した答えを述べただけだった。
その時、ドアが勢いよく開かれ、数名の人影が室内に雪崩れ込んできた。老若男女多彩な集団だったが、全員、賜裔道の作務衣を着ている。
「なっ、なんだ君たちは!」その場の責任者として、滑稽なほど当然な反応をする担当医。
しかし、集団は何も喋らず、その中の数名がスプレーでガスを撒いた。
暗転。
数時間後、その部屋には病院の職員しかいなかった。覚めた時には、彼らは何が起こったのか何一つ覚えていなかった。そのこと自体は事件となったが、双子の新生児とその母親が消えた事には誰一人気づきもしなかった。
・・・その水溜まりはここで画像が落ちた。
暫く、ジッとしている加羅葉。今見た事が自分と瑞穂の事だと認識するのに必要な間だった。
少し離れた場所に違う水溜まりが現れる。
ゆっくりと近づき、覗き込む加羅葉。
四畳半ほどの和室に敷かれた布団に白い布を顔に被せた遺骸が横たわっていた。
その傍らで少女が泣いている。
十歳前後の幼い少女。
加羅葉だ。
この頃から、三つ編みツインテールは彼女のトレードマークだった。まだ、赤く染めてはいないが。
和室は古い屋敷の一室らしく窓は無い。全ての開口部は障子で仕切られていた。
縁側は開け放たれていた。綺麗に手入れされた日本庭園が見える。
加羅葉は布団に顔を埋めまだ、泣いていた。
縁側に人の気配がした。
加羅葉に良く似た黒髪の少女。腰まである長髪だ。
縁側の外れ、加羅葉からは見えない所に光時が控えている。
庭からの日差しを遮った瑞穂の影が、加羅葉の傍らまで伸びていた。
その影を逆に辿り、泣いてぐしゃぐしゃの顔を上げる加羅葉。
瑞穂と視線が合う。
「母さんが病気だって、あんなに、あんなに、何度も言ったのに! 一度も会いに来なかったくせに!」
また、泣き崩れる加羅葉。
しかし、瑞穂の言葉は無感動だった。
「そのひととのお別れは出来ましたか? 貴女はこれからヨーロッパの施設に移る事になりました」
加羅葉は、瑞穂の言った言葉が理解出来なかった。言葉の意味ではない。何故、その内容を、この場で、その口調で、言えるのか?
何故、母を「そのひと」と呼んだのか?
加羅葉は、自分の幼さが理解出来ない原因だと盲信した。この世には、姉がこの言葉を言って良い、何か特別な理由があるに違いない。加羅葉はそう信じて疑わなかった。
でなければ、自分は・・・姉を殺してしまう。
この水溜まりは、ここで画像が落ちた。
加羅葉は、再び足先も見えない暗黒に包まれた。
だが、背後に立っている瑞穂を感じる。
「結局、そんな特別な理由なんて無かったわ・・・あったのは、アンタがただの冷血漢だという事実だけ」
加羅葉は振り向き、瑞穂の気配がする辺りを睨みつけた。
「あのあと、私はシェードに志願した。保護されるだけの惨めな身分なんてまっぴらだわ! まして、アンタが瑞穂の地位安泰を謀って、私を遠ざけるのが目的であれば尚更よ!」
反論はない。
言葉の替わりに、光が帰ってきた。
頭上(と感じる方向)に、キラキラと小さな光点が無数に広がっていく。
星空だ。
いつの間にか、足元には草原が広がっている。
見た事のある風景だった。
加羅葉は思い出した。賜裔道総本山の中庭だ。彼女は一度しか行った事がない場所だ。 それも姉が、この女が、私を排除したから・・・加羅葉は正面に立つ瑞穂を見据えた。
「随分と誤解が生じていますね。彼の巧みな入れ知恵を、無垢な貴女は全て真に受けてしまったのね」瑞穂の言葉は明瞭に届いた。
「入れ知恵? 彼?」と、加羅葉。
「・・・オルグ」
加羅葉は意外な答えに一瞬怯んだ。瑞穂の言葉は全否定、の信念が少し揺らぐ。
「オルグ? 何で彼が私に入れ知恵をする必要があるのよ。動機が無いわ!」
瑞穂は直ぐに応えない。微笑んでゆっくりと夜空を見上げた。
「見て・・・」と、天上を指さす。
加羅葉は瑞穂と夜空を横目で数回値踏みした後、結局、夜空を見上げた。瑞穂がフッっと苦笑して言った。
「綺麗でしょ・・・これは、昨日の晩、私が実際に見上げた夜空よ」
瑞穂は人差し指を夜空に向けた。
「でも、この星達は今の姿ではないわ。知ってるでしょ? 光の速さは有限だから、今見ているのは、数万年、数千万年、数億年も過去に発せられた星の光に過ぎない」
瑞穂が加羅葉の瞳を覗いた。夜空と同様に澄んだ深淵の瞳だと、不覚にも加羅葉は思った。
「今の、本当の夜空を見せてあげるわね」
瑞穂がそう言うと、夜空の所々で星の光が消え黒くなった。徐々に、その数と大きさが増えていく。
最後には、満天の星空が黒い虫喰い穴だらけになってしまった。黒い部分を全て足した面積は全天の半分以上になるだろうか・・・夜空全体の光量も半減した。
「これは、今、現在、存在する天体の光が一瞬で地球に届くと仮定した場合の夜空の姿。そして、あの黒い部分は、全て星が死に絶えた宇宙・・・我々の敵が貪り食った場所よ」
自分の信じてきたものと瑞穂の言葉。何を信じて良いか分からず、加羅葉は首を振った。
「ごめんなさい・・・」瑞穂が言った。
「なによ・・・今更」加羅葉は突っぱねたが、瑞穂の謝罪は彼女の思っているものとは違っていた。
「・・・貴女には、加羅葉のままで人生を送らせてあげたかった」
瑞穂は眼から涙が一筋落ちた。
「ごめんなさい・・・運命を変えてあげられなくって」
瑞穂は、ゆっくりと加羅葉に歩み寄った。
「ごめんなさい・・・姉らしい事をする勇気が無くて・・・」
加羅葉を抱きしめる瑞穂。
「私はずっと、この時を待っていた・・・真実を伝える機会が訪れるのを。その為に少しだけ細工をさせて貰いました」
弾薬庫の爆弾はやはり・・・瑞穂は加羅葉を抱き締めたままの姿勢で首だけを反らして彼女の瞳を覗き込んだ。至近距離で見つめ合う姉妹。
予期せぬ姉の行動に驚いて、思いっきり見開いている妹の瞳。
そして、瑞穂は吐露した。
「わたしの命は、折神之御業によって、既に尽きているの・・・」
「!!!」
ハッと眼を覚ます加羅葉。
D・Bが心配そうにのぞき込んでいる。
頑丈な隔壁を通して、爆発音が聞こえる。
那由多の断末魔だ。
「右よ。解除しましょう」
加羅葉は全てを了解していた。
その上で、まず、眼前の責任を果たす事に邁進した。
強い陽射しは、プラスチックのボディにも有害だった。ジリジリと照りつける陽光を避けるためビーチパラソルを広げ、遙斗とD・Bがくつろいでいる。
申し訳程度な狭い砂浜ではあった。
那由多のドック入りに付き添ってきた二人は、シェードの艦隊基地が隠されている南海の孤島で、つかの間の短いバカンスを楽しんでいた。
遙斗は肉眼の数倍高性能な光量調節機能付きの人工視覚にとって何の役にも立っていないサングラスを外し、D・Bを見た。
「ところで、加羅葉はどこに行ったんだ?」
「日本・・・」
「・・・何じゃそりゃ」
遙斗、コケてみる。人工関節のサーボ性能を確かめるには、こういう微妙で突発的な動作が良いらしい。
「お姉さんに会いに行ったみたいだよ」
「瑞穂に?」
開いた倉庫から『賢者の石礫』を搬出する手伝いをしていた加羅葉だったが、その弾頭が遙斗の義体、ナバロンボディの主砲塔に装弾された時には、那由多艦載機で日本に向け機上の人、イルカ魂蟲の殲滅を完了した時には、既に日本の領空内だったそうだ。
勿論、全て無許可の行動だった。
「彼女が信管解除の為に未来視した時、彷徨った時空の中で何かがあったらしい。けど、それが何で姉上に会う動機になるのかなんて、僕に分かんないよ・・・君の方が分かるんじゃない?」
時空内の体験うんぬんはD・Bの推論である。未来視から帰還した加羅葉の様子がおかしかったのだ。
「何で?」だが、遙斗の関心はそこではなかった。口にしたのは、君の方が分かる、の部分に対する問いであった。
D・Bは、随分長い時間躊躇してから言った。
「・・・いや、ちょっと、そう思っただけさ」
人気の無い南国の孤島に沈黙が流れた。
ジリジリと浜辺が焼ける音が聞こえそうだった。
遙斗は、再びサングラスを掛け直した。人工視覚の位置からズレていたが、元々意味がない行為だったので、D・Bも特に注意しなかった。
必然的に、二人の会話は終了した。
賜裔道総本山には、お社の地下に重力まで遮断出来そうな分厚い隔壁に囲まれた特別な部屋がある。
その部屋のたった一つしかない入り口には長い一本道のトンネル廊下を通らなければ辿り着けない。その廊下には照明すら無いので、ハンドライトを自ら手に持って進む加羅葉。
光時が、その前を先導している。小走りしながら言った。
「僥倖で御座います。もう、間に合わないかと・・・」
加羅葉は尋ねた。
「光時は、全部知っていたの?」
光時はその質問を待っていたかの様に即答した。
「はい。加羅葉様もお辛かったでしょうが、瑞穂様は自ら決断された分・・・」
その決断でさえ、他に選択肢の無い追認に過ぎない・・・今の加羅葉は、もう知っていた。
「現代に於いて、魂蟲の出現が、質・量共に激増する兆しは既に顕著でした。それに対処するためには折神之御業で使われるエネルギー、則ち命の量を増やさなくてはならない・・・太古の昔、何者かによって人の遺伝子に刷り込まれた瑞穂の力そのものに意志があるのか、人の種としての適応力が瑞穂の力に成さしめた進化、突然変異なのか、それは分かりませんが・・・」
光時は何時になく饒舌だった。真実を知りつつも瑞穂に仕えてきた募る想いが、言葉になって迸っていたのだ。
二人の進む先に真っ白な扉が現れた。
終点だ。
光時が振り向いた。
「恐竜が体躯の巨大化で種の存続を図ったように、元々一人として生まれる人格を二人に割いて命が増量されたのです」そう言い終えると脇へ退いて加羅葉に道を空けた。
次に光時は深々と頭を下げた。それは、既に知っている事実にも拘わらず黙って聞いてくれた加羅葉への謝意だった。
扉の前に進み出る加羅葉。
扉の木製プレートには、毛筆体で『原体之間』とだけ書かれている。
軽く深呼吸して、扉を開く加羅葉。
瑞穂が座っていた。賜裔道の儀式用正装では最上位仕様の豪華な着物を着て正座している。背後に流した長い黒髪と金糸銀糸で彩られた豪華な羽織が、床の上を扇状に広がって見事なコントラストを描いていた。
彼女は、背中をピンと伸ばし、腕を膝の上に揃えて黙想している。
「姉さん・・・」
加羅葉が瑞穂の肩に手を置いた。
瑞穂は・・・予想通り・・・息をしていない。
力無く視線を落とした加羅葉は、瑞穂の前に二つ並べて設えられた小さな座布団に気付いた。その掌サイズのミニチュア座布団の上には各々、何かがお供え物のように置かれている。
連鶴の折り紙が置いてあった。二羽の鶴が向かい合う様にクチバシの部分を繋げて折っていた。
そして、その連鶴は淡い光を放っていた・・・。あらゆる物質やエネルギーを調和融合させる組式が折り込まれている。
加羅葉の眼には涙が溢れていた。
「ありがとう・・・姉さん。今まで私を守ってくれて。これからは二人一緒に戦えるね」
加羅葉は、左手で傀儡魂に触れると、右手を連鶴の折神に翳して唱えた。
「塑依留(そえる)」
連鶴は輝きを増し、その光は加羅葉と瑞穂を包み込んだ。
元々一人だった存在が、本来の姿に戻る瞬間だった・・・。
戸口から光時が、静かに見守っていた。
そして、瑞穂と加羅葉の意識は、そこへと招かれた。
0
あなたにおすすめの小説
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる