9 / 11
箱船
しおりを挟む
「まったく、ちょっとした雪掻きだな!」
探査オプション・ボディに換装した遙斗が嘆いた。
吹き荒れる猛吹雪のお陰で、肩や頭に大量にへばり付いた雪は、払い落としたそばから積もっていった。
「その躰・・・角張ってるし、肩幅広いし、この天気じゃ不便だね」と、同情するD・B。
探査用パペットボディ・ピーピングトムは、頭部や上半身に各種探知機器が集中していた。それらの機器を保護するためのカバー形状がボディのデザインを決定する。今の遙斗は、通常の二倍増しに肩を怒らせたアメフト選手が、角張ったテトラポットを逆さに被っているといった不格好な姿だった。
「このボディを使う日が、来ようとは・・・」
遙斗は、自分のパペットボディ・バリエーションの中でもこの探査ボディが一番嫌いだった。いくらルックスに無頓着、昔から自分で洋服を選んだ事のない着の身着のまま生活をしていた彼でも、このボディの不格好さは、許容範囲を著しく逸脱していた。
「でもボクの方が割り食っている気がするんだけど・・・」
こちらは肩まで雪に埋まりながら、泳ぐように進んでいるD・Bがボヤいた。
「なんで、わざわざこんな悪天候の時に捜し物しなけりゃいけないんだ?」
ごもっともな疑問を口にした遙斗に、オルグの通信が間髪入れず応えた。
『それは、こんな悪天候なら他にやってくる者がいないからだ。これは、第一級の隠密作戦なのだ』
遙斗は、返信の必要はないなと判断した思考の裏で、ブリーフィング内容を反芻していた・・・「この画面は、トルコ共和国、アララテ山近辺の衛星写真だ」スピーカーから流れるオルグの説明に合わせて、モニタースクリーンには等高線がオーバーラップした山脈の地図が映し出されていた。その上に赤い光点が一つ、マーキングされている。
「あの光点は、近年『ノアの箱船』と言われている残骸の目撃情報が多発している場所だ。これにごく最近開発されたニュートリノ・アクティブ・ソナーのエコー解析画面を重ねてみる」
衛星写真の光点を中心にアララテ山の大部分を覆い隠す物体の影が重なった。つまり、アララテ山の地下に巨大な何かが埋まっているのだ。
『君達には、この正体を探って欲しい。それが、今回のミッションだ』
あれ以来、加羅葉とも音信不通だ。彼女の消息についてシェードには説明する意志はないらしい。
今度の作戦はD・Bと二人りきりというお寒い状況だ。なんか、諸々状況がジリ貧になっている気がするなぁ・・・と、遙斗が嘆いたその時。
ピーっ!
あまりの猛吹雪に雪掻きする努力を放棄した為、巨大な雪だるまと化した頭部でブザーが響いた。
「前方に目標の木製人工物。その地下一キロに、更に巨大な人工物体感知、材質不明、幅二百メートル、長さ千百二十九メートル」
遙斗は自分に内蔵されたセンサー類の数値を読み上げた。
『それが目撃報告にある箱船と、その地下に埋まっている物体だ。地表の箱船には地下の物体に関する何らかの手懸かりが眠っているはずだ』
遙斗の通信にオルグが返信してきた。
言葉は廻りくどいが、要するに「突入せよ」とのお達しだった。
遙斗達は、創世記の遺物に向かって白銀の地獄を突き進んでいった。
標高五千メートル付近の斜面に出来たクレバスに埋もれる形で箱船はあった。
分厚い氷に囲まれて全体像は肉眼で確認出来なかったが、遙斗のセンサーにはハッキリと捉えられている。その地下には巨大な物体が埋まっている事が再確認された。
センサーで得られた各種データを元に構成された箱船の三次元図を基に、進入口を探索しつつクレバスの氷を掘り進む。
やっと、船内への入り口と思しき木造の扉を見付けた時には、生身のD・Bは体力の限界に達していた。
内部で休息が取れる事を願いつつ、遙斗達は箱船へと進入した。これ以上吹雪に晒される事はシェードの防護装備に守られているとはいえ、D・Bにとって生命の危険を意味する。
入口付近こそ浸食などで無惨な残骸を晒していたが、船内は内部深く進めば進む程に高い技術水準で造られていた。又は、後から改造されたのか?
廊下はライトパネルで壁全体が照明となっており、材質も確定出来ない。遙斗のセンサーでも意味不明の解析結果が出る始末だった。
箱船外装の木材は完全にフェイクだった。この物体の構造に水に浮く目的は無さそうだった。箱船は、いわゆる船ですら無いのかも知れなかった。「箱船」という存在がここにある事を偽装するための単なるオブジェの可能性が高い。
外部が地獄のコキュートス並に氷点下の世界にもかかわらず、船内は快適な室温に保たれていた。何らかの動力源も稼働している様子が無いので、どうやって温調しているかも解らない。
いつの間にか外部との通信リンクも切れていた。だが船体が電波を遮蔽する物質なのか、妨害電波が出ているのか、も不明だ。
明らかに人類文明の水準、いやシェードの技術水準さえも凌駕していた。
やがて遙斗達は船の中心に到着した。
空洞だった。
船の大きさから考えてこの規模の空間があると云う事は、この箱船の中身はスカスカだという事だ。
何かが詰まっていて運び出されたのか、何かを運び入れるつもりなのか。箱船の状況から考えて、後者の可能性は少ない様に思われる。
遙斗達が休息する事も忘れて、周囲を探索していると、空洞の中央に光の粒子が集まり出した。
その粒子は徐々に人型を形作っていった。立体映像にしては異常にリアルだ。
「戦闘体勢!」
D・Bが叫んだ。携帯していたシェードの標準装備銃を構えた。超小型の荷電粒子砲だ。
遙斗は・・・戦闘装備が無い。仕方ないので、取り敢えず着脱式のセンサー類は全て取り外し、身軽になった。
人型生物は六枚の羽根を持つ天使になった。
遙斗は知る由も無かったが、あの処理者だ。
「ようやく此処に辿り着いたな」
天使は、遙斗を見ている。
「?」
遙斗は困惑した。
一体、何の事を言っているのだ?
相手の意図が不明というのは一番危険な状態だ。戦闘になる可能性があるのなら、尚更だ。
遙斗は、D・Bを見た。
彼は、取り乱していた。
いつもはその歳に似つかわしくない、小憎らしい程冷静沈着な子供であるD・Bが、膝をガクガクと鳴らし、顔は冷や汗にまみれ、大きく見開いた眼は焦点を失っている。怖がっているのではない、何かが彼の内部で、心の中で起こっているらしかった。
「おい、ディ・・・」
「うわおぉぉぉぉ」
ただならぬ様子に遙斗が声を掛けようとした瞬間、D・Bは叫びながら出口に向かって走り出した。
それが合図だったのか、天使が歌った。
遙斗は意識を失った。
まず、加羅葉が目覚めた。
私は・・・姉さんと一つになったのでは・・・・。
しかし、記憶を意識してみると、二つあった。
加羅葉は自覚した。既に自分は、瑞穂だった。
『私達は、瑞穂だ』
気が付くと宇宙空間にいた。
圧倒的な数で全周を埋め尽くす星々の海に浮かんでいた。
その時、隙間無く星が覆い尽くした輝きの一部に墨をこぼしたように何かが遮った。
それは何かに喩える事すら無意味に思える程、異様な形状の物体だった。生物なのか?
「あれは、敵だ。絶対天敵」
目の前に、天使が立っていた。覗き込む漆黒の双眸に瑞穂は意識を飲み込まれそうになる。
「なにそれ?」
瑞穂の問いに丁寧に答える天使。
「お前達が、魂蟲と呼んでいる敵性体の『おおもと』だ」
突然、瑞穂は目眩に襲われた。
再び三半規管が正常に機能しだした時には、周囲は地球上の風景になっていた。
グランドキャニオンのような大峡谷だ。
峡谷の谷間で何かが蠢いている。
瑞穂は驚愕した。
自然の峡谷と思った大地の溝は、巨大な生物が喰った痕だったのだ。先ほど天使が絶対天敵と呼んだ物体だ。
宇宙空間では判らなかったが、それは非常識に巨大だった。
「あれで、ごく初期の成長段階だ」と、天使は言った。
いつの間にか、瑞穂の横に立っている。
一隻の宇宙船が絶対天敵を目指して降下してきた。
宇宙船から現れた何かが二つ、絶対天敵に攻撃を仕掛けたが、全く効果が無い。
瑞穂は二つの内一つが、いま側に立っている天使と同じ姿だと気づいた。もう一つは、巨大なロボットに見えた。
絶対天敵を倒せないと悟ったのか、天使とロボットは、そそくさと宇宙船に戻り撤退していった。
諦めたのかな? と瑞穂が思った瞬間。
上空から黒い光弾が現れ、絶対天敵の直上で爆発した。
凝縮していく黒い光が、絶対天敵を光の粒へと変換していく。
破畫羅事に似ている。まるで折神之御業だ・・・と、瑞穂は思った。
「遠い昔の出来事だ」
天使が言った。今気付いたが口が動いていない。テレパシーなのだろうか?
「その後、我らはこの惑星に留まり生態系の回復を果たした」
天使の言葉に合わせて瑞穂の廻りに映像が現れ、彼の説明を補足した。
それから一万年余りが早送りされた。
地球の生態系は安定し、地球起源の生物は進化の道筋を再び延ばし始めていた。
船と天使が話している。
船が言った。
「細胞崩壊が進んでいる」
天使は答えなかった。
「・・・」
天使は病んでいたのだ。いや、寿命が尽きようとしていた。
「余命は僅かだ」
無慈悲な宣告。だが、天使が憂えていたのは別の事だった。
「間違いない。残留マーカーの数値が上がっている」
量子センサーに映し出されている地球の三次元映像に光点が広がっていた。海洋、大陸を問わずあらゆる場所に反応があるのだ。
「仕留め損ねていたのだ・・・何と言う事だ。このままではヤツが再生する」
天使は、船に尋ねた。
「再生までの時間は?」
モニターに表示された数字を見て、天使は落胆した。
「そんな時間は、我に残されていない・・・」
沈黙。
「・・・私は、それまで永らえるかもしれない」
船が言った。さすがに遠慮がちな物言いだった。
「救援は望めるか?」
天使は確認した。
「超弦通信機能が回復して救難信号を発してから六千万単位経過。
未だ返信はない・・・宇宙は広いな」
船は答えた。
天使は、船のシールドを開いて外界を見た。
青い空に、一面の氷河。
山の麓には緑の大地が広がっている。
草原に群れをなす草食獣たち。それを狙う肉食獣。
その全てを見下ろす丘に何かが動いた。
二足歩行の生物が立っている。
「では・・・自分たちの星は、自分たちで守って貰おう」
船は、その意図を理解した。
「それは無茶だ。この星の生物相がどのようなに形成されているか知っているだろう? 驚くべき事に、脆い有機物質を基盤にしている上に、たった四つしかない塩基の組み合わせによって遺伝情報が記述されているのだ。こんな脆弱な方法で此処まで自然進化した事自体が奇跡だ」
天使に一番近いモニターが点灯した。
記号が二重螺旋に配列されている模式図が表示された。そこから四つの記号が抽出され大写しになる。
DNAを説明しているらしい。
船は言った。
「これでは保持できる情報の容量が少なすぎる。いくら進化を促しても、知性はおろか絶対天敵に対抗できる程の高機能な生物種が誕生する可能性は非常に少ない」
しかし、天使の決意は覆らなかった。
「考えがある・・・後は、見守ってくれ。私に代わって」
天使の収まった棺が、宇宙船の自動プログラムで宇宙空間に射出される映像が見える。
「そして、我の肉体は機能停止した。後の事は船に託して」
瑞穂は、まだ毛むくじゃらの猿が数十万年をかけて進化する過程を再び早送りで見せられた。
「同時に、具体的な武器の設計図や我々のテクノロジーに関する情報を設計情報に不活性状態で仕込んで於いた」
瑞穂は合点した。
「それが、錬金術や、折神之御業を発動するトランス・イントロンの遺伝因子なんだ・・・同時に、私達はなんとか知的生物に進化出来たってわけね。期待薄だったみたいだけど」
意識が暗転した。
瑞穂に新たな一編の映像が流れ込んできた。
あの日だ。
あの最後の日・・・姉だった瑞穂が命を使い切り、遙斗が人ではなくなった日。
瑞穂が放った折神の鶴によって、ムカデ魂蟲が消滅させられつつあった。
勝利は確実な状況である。その場の全員が事後処理に気を取られ、消滅寸前の敵から眼を離していた。
全ての視線が外れた魂蟲の消滅現場間近に、人目を避けて立っている人影。
瑞穂は、その正体を見た。
D・Bだ。
彼は、魂蟲の残り火に、極彩色に輝く石片を投げ込んだ。傀儡魂によく似ている・・・〈賢者の石〉に違いない。
僅かに残っていた魂蟲の生命力が賢者の石と反応し合い、爆発的に輝きを取り戻していく。
光は凝集して、再び人面ムカデの体躯を復元した。
D・Bが通信機に向かって言った。
「やりすぎって言葉、知ってる?」
「このまま手を拱いて、彼を賜裔道に委ねる気はない」
返信はオルグの声だった・・・そして瑞穂は、傍観者として再び地獄絵図を見る事となる。
「もういい・・・止めて」
瑞穂は言った。残虐な光景に耐えられなくなった訳ではない。
D・Bが・・・オルグがこの惨劇を演出した意味を考えたかったのだ。
辻褄が合わない。この戦闘で賜裔道は壊滅しかけたのだ。シェードにとってもそれは不利益な筈だ。
キーワードはオルグの「彼を賜裔道に委ねる気はない」か。
当然、彼とは遙斗の事だ。
賜裔道の壊滅を容認する程、オルグは何故、遙斗に固執するのだ?彼の『力』は瑞穂にこそ必要な力、だと言うのに。それは、賜裔道の瑞穂として全て知識を持つ今の瑞穂にとって、明白な事だった。 頭を抱えてうなだれる瑞穂をたった今千切れたはずの遙斗が覗き込んでいた。
「きゃっ!」
「うわっ」
驚いて叫んだ瑞穂の声に驚いた遙斗は尻餅をついてしまった。
キョトンと暫く遙斗の顔を眺めてから・・・瑞穂は言った。
「あなた・・・人間のカッコしてるわよ」
パペットボディじゃないと云っているらしい。そんな諸々の事情を知っている事に訝る遙斗。
「なんでそんな事・・・大体、お前誰だよ」
何?・・・瑞穂は、ハタと思い当たって自分の顔をペタペタ触った・・・鏡がないのでよく分からない。
頬に掛かっている髪を見た・・・紅いストレートのセミロング。
やっぱり。
二人が混ざった事で外見が変質しているんだ。
苦笑いして言った。
「私は、瑞穂よ」
「へっ?」
そうか、此処は現実じゃない。あの天使が見せている仮想の世界か何かだ。どこからか遙斗の意識も此処に呼ばれたのだ、と改めて認識した瑞穂が、彼にその事を告げようとした瞬間。
「我は、見誤った」
天使の声が割って入った。
いつの間にか二人の後ろに立っている。
「わおっ!」
驚いて跳び退く遙斗。
天使の表情は曇っていた。感情表現が人間と同じかどうかは定かでない・・・いや、感情そのものがあるのかどうも疑問だが。
瑞穂が反射的に、機械的に問う。
「何を?」
回答は、禅問答になっていった。
「本隊の意志」
「何それ」
「船は、故意にミスを重ねていたのだ」
「船って?」
「故障による絶対天敵のこの宙域への進入、完全破壊を見逃したセンサーの異常。そして我が消滅し、船が人類進化の監視をせざるを得ない状況。全てが本隊の意志だった」
「だから、本隊って?」
「この宇宙が開闢して以来、数多の知性が生まれては消えた。その中で僅か数例、『愛憎』という行動原理を持つ生命体が発生した」
「宇宙開闢って・・・ねえ」
「知性は、その帰結として『合理的』なのだ。それが知性の唯一絶対の定義と言っても良い。しかし、時々現れる『情緒知性』と呼ばれる知的生命は『愛情』や『憎悪』を行動原理する」
「はいはい・・・」
「そして情緒知性を持つ生物は、例外なく異常な速さで文明を進化させ・・・そして自滅する」
そこで、瑞穂は天使の言葉を突然理解した。
「もしかして・・・その情緒知性を持つ生命に進化するように人の遺伝子をいじったの?」
今度はきっぱりとした明確な回答が返ってきた。
「そうだ、この惑星に土着している生命体の遺伝子構造では、知的生物に進化する可能性は非常に低かった。従って、少しでも確率を上昇させる為に、情緒知性発現の設計情報をお前達の遺伝子に組み込んだ。それは、我が独自に判断したと自負していたが、そうし向けられたのだ。どうやら、本隊は人工的に情緒知性体のサンプルを欲していたらしい」
人類誕生の意外な真相に、言葉も出ない瑞穂。
遙斗の方は、やっと話に追いついてきたようだった。
「で、何で、今頃になってアンタは出てきたんだい?」
質問主が遙斗に替わった。
「そうよ。第一、アナタ死んでなかった? 百万年前」
瑞穂も補足する。
「我は、船の人工知能に転写した擬似人格である。船の意志が外に出て行くまで、封印されていたのだ」
「出ていく?」
瑞穂は、今まで見せられた映像の内容から、宇宙船に自我がある事は何となく理解していた。だが、それが出ていくとは?
天使の答えは、しかし、推論にすぎなかった。
「百万年間、話し相手もいなかったのだ、やっと話し相手となる知性が誕生して、寂しさを紛らす為に外に出たのかも知れない。元々、考えられない故障を起こすように調整された知性なのだ。我には正確な理解が不能である」
瑞穂と遙斗は、その言葉を理解する為に僅かな時間を要した。
そして、二人声を揃えて問うた。
「出ていったって、どこに?」
D・Bがベッドに横たわっている。
顔に凍傷の痕が残っている。
その周囲ではシェードの医師達が治療に忙しく動き回っていた。
生命維持の為の医療機器から延びた管が幾本もD・Bの身体に刺さっていた。
「バイタルは安定した」
「凍傷も軽度だ。肉体の損傷は無さそうだ」
治療室に安堵の空気が流れ出した。
D・Bが箱船の入り口付近で救助されたのが二時間前。発見が数分遅れていたら凍死している状況だった。
これで、エージェントの一人は助かった。
しかし、遙斗は行方不明だった。
シェードの救援部隊がD・Bの戦闘服から発せられる自動の救難信号を受けて現場に駆けつけた時には、既に箱船の入り口は跡形もなく閉ざされていたのだ。
遙斗は箱船の中である公算が高いとの見解だったのだが、結局内部への突入が果たせないまま何日も天候の悪化が続き、今の所捜索は中断したまになっている。
その間もD・Bは眠り続けていた。
「付加脳はその後も正常なのか?」
医師団の一人が言った。
「ああ、本来の脳と頻繁に交信しているみたいだ。脳波計は両方とも覚醒時と同程度のブレを示している」
脳生理学の専門医師が答えていた。
十数年前。
生後数週間も経たずに脳の半分を失った幼児がいた。
イントロン遺伝子に組み込まれた特殊な遺伝情報、即ち、トランス・イントロンの有効な発現は、それまで自然発生に頼るしかなかったが、それを人工的に制御する為の実験の犠牲者だった。
その幼児は失敗作として短い一生を終えるはずだったが、幸か不幸か、新たな実験の被験者に選ばれた。それはその幼児の命を救う為の手立てでもあったのだ。
脳を半分失って、容量の空いた頭蓋骨に人工脳を埋め込み、失った脳の機能を補完をさせるという試みだった。
以後、幼児にはプロジェクト上のコードネームが付けられた。
『ダブル・ブレイン=D・B』である。
D・Bは順調だった。
人工脳は、失った脳の機能を補完し、D・Bを一個の人間とした生きながらえさせていた。
やがて、人工脳に『人格』が現れた。
誰かがそう、プログラムした訳でもない。設計段階で、そのような機能は付与されていなかったはずなのだ。
その人格は、まるでどこかから『ダウンロード』されたみたいだった。
D・B本来の生身の脳は強化されたまま、新たな人格は、『個人』としても素晴らしい成熟した人格に育った。
少年は一個の人間として生活をし、少年の中の擬似人格は、今まで通り少年の機能補正と共に自らの思考を電波信号として外部へ出力し通信によってコミュニケーションを可能にした。
こうして、人工人格は「オルグ」と名付けられた。
やがて、D・Bはその知性を生かしてシェードのエージェントとなり、オルグは成熟した別人格としてシェードの司令官となった。
全ては、当初の予想を遥かに凌駕する成果だった。
『なんで、船になんか行ったんだ』とD・Bの意識。
『知っているだろう。遙斗の力を手に入れる為だ』とオルグの意識。
表面的には意識不明のD・Bの頭蓋骨の中で、生身の脳である本来のD・Bの意識とと人工脳オルグの意識が会話していた。
『じゃなんで、船から逃げ出す羽目になったんだ。元々はお前の身体だろう』とD・B
『ヤツの擬似人格が、私の抜け出た船を制御していたからだ』
オルグの脳から羽を持った天使のイメージがD・Bの脳に送られた。
『元同僚に悪事を見透かされて、逃げ出したという訳か?』
『悪事とは何だ?』
D・Bは、また無意味な禅問答が始まるのを避けた。彼らの価値基準は我々とは、全く違う。だから、何につけても説明が不可能なのだ。だから質問で返した。
『じゃ、遙斗は、元お仲間に持っていかれたって事かい?』
『そうなるな』
『こまったね、時間がないのに。おまけに僕の身体はこんなだし』
『今は、私の身体でもある』
『・・・・』
D・Bの眼球が瞼の裏でクルクル動いていたが、病室には既に人影が無く、それに気付く者は誰もいなかった。
バブル・ネット・フィーディング。
ザトウクジラの採食行動の一つがそう呼ばれている。
彼らはニシンの群れをみつけると、その群れの下まで潜行し、旋回しながら泡を出す。
その泡が幕となって上昇し、ニシンの群れの周りに泡の壁を作ると、行く手を遮られたニシンの群れは、海面近くまで追いつめられ、浮上して一カ所に集まる事になる。
その瞬間を逃さず、口を開けたザトウクジラが海底から一気に海面に飛び出し、ニシンを一網打尽に食べるのだ。
何頭もの巨大な鯨が口を開けたまま一斉に海面から飛び出してくる光景は、観る者を圧倒する。
その日、アラスカ、グレーシャーベイ沖、ポイントアドルファスのホエールウォッチング・ツアーに参加した観光客は幸運だった。
このバブル・ネット・フィーディングを見られたからだ。
その瞬間、遊覧船上は歓声で溢れていた。
だが、幸運だった筈の観客達も、鯨たちも、ニシンの群も、夥しい量の海水も、大気も、その空間にあった存在は全て、鯨達の後を追って海面に迫り出してきたブラックホールのような巨大な『口』に、半径数十キロ渡って切り取るように飲み込まれてしまった。
ついに・・・絶対天敵が、復活したのだ。
探査オプション・ボディに換装した遙斗が嘆いた。
吹き荒れる猛吹雪のお陰で、肩や頭に大量にへばり付いた雪は、払い落としたそばから積もっていった。
「その躰・・・角張ってるし、肩幅広いし、この天気じゃ不便だね」と、同情するD・B。
探査用パペットボディ・ピーピングトムは、頭部や上半身に各種探知機器が集中していた。それらの機器を保護するためのカバー形状がボディのデザインを決定する。今の遙斗は、通常の二倍増しに肩を怒らせたアメフト選手が、角張ったテトラポットを逆さに被っているといった不格好な姿だった。
「このボディを使う日が、来ようとは・・・」
遙斗は、自分のパペットボディ・バリエーションの中でもこの探査ボディが一番嫌いだった。いくらルックスに無頓着、昔から自分で洋服を選んだ事のない着の身着のまま生活をしていた彼でも、このボディの不格好さは、許容範囲を著しく逸脱していた。
「でもボクの方が割り食っている気がするんだけど・・・」
こちらは肩まで雪に埋まりながら、泳ぐように進んでいるD・Bがボヤいた。
「なんで、わざわざこんな悪天候の時に捜し物しなけりゃいけないんだ?」
ごもっともな疑問を口にした遙斗に、オルグの通信が間髪入れず応えた。
『それは、こんな悪天候なら他にやってくる者がいないからだ。これは、第一級の隠密作戦なのだ』
遙斗は、返信の必要はないなと判断した思考の裏で、ブリーフィング内容を反芻していた・・・「この画面は、トルコ共和国、アララテ山近辺の衛星写真だ」スピーカーから流れるオルグの説明に合わせて、モニタースクリーンには等高線がオーバーラップした山脈の地図が映し出されていた。その上に赤い光点が一つ、マーキングされている。
「あの光点は、近年『ノアの箱船』と言われている残骸の目撃情報が多発している場所だ。これにごく最近開発されたニュートリノ・アクティブ・ソナーのエコー解析画面を重ねてみる」
衛星写真の光点を中心にアララテ山の大部分を覆い隠す物体の影が重なった。つまり、アララテ山の地下に巨大な何かが埋まっているのだ。
『君達には、この正体を探って欲しい。それが、今回のミッションだ』
あれ以来、加羅葉とも音信不通だ。彼女の消息についてシェードには説明する意志はないらしい。
今度の作戦はD・Bと二人りきりというお寒い状況だ。なんか、諸々状況がジリ貧になっている気がするなぁ・・・と、遙斗が嘆いたその時。
ピーっ!
あまりの猛吹雪に雪掻きする努力を放棄した為、巨大な雪だるまと化した頭部でブザーが響いた。
「前方に目標の木製人工物。その地下一キロに、更に巨大な人工物体感知、材質不明、幅二百メートル、長さ千百二十九メートル」
遙斗は自分に内蔵されたセンサー類の数値を読み上げた。
『それが目撃報告にある箱船と、その地下に埋まっている物体だ。地表の箱船には地下の物体に関する何らかの手懸かりが眠っているはずだ』
遙斗の通信にオルグが返信してきた。
言葉は廻りくどいが、要するに「突入せよ」とのお達しだった。
遙斗達は、創世記の遺物に向かって白銀の地獄を突き進んでいった。
標高五千メートル付近の斜面に出来たクレバスに埋もれる形で箱船はあった。
分厚い氷に囲まれて全体像は肉眼で確認出来なかったが、遙斗のセンサーにはハッキリと捉えられている。その地下には巨大な物体が埋まっている事が再確認された。
センサーで得られた各種データを元に構成された箱船の三次元図を基に、進入口を探索しつつクレバスの氷を掘り進む。
やっと、船内への入り口と思しき木造の扉を見付けた時には、生身のD・Bは体力の限界に達していた。
内部で休息が取れる事を願いつつ、遙斗達は箱船へと進入した。これ以上吹雪に晒される事はシェードの防護装備に守られているとはいえ、D・Bにとって生命の危険を意味する。
入口付近こそ浸食などで無惨な残骸を晒していたが、船内は内部深く進めば進む程に高い技術水準で造られていた。又は、後から改造されたのか?
廊下はライトパネルで壁全体が照明となっており、材質も確定出来ない。遙斗のセンサーでも意味不明の解析結果が出る始末だった。
箱船外装の木材は完全にフェイクだった。この物体の構造に水に浮く目的は無さそうだった。箱船は、いわゆる船ですら無いのかも知れなかった。「箱船」という存在がここにある事を偽装するための単なるオブジェの可能性が高い。
外部が地獄のコキュートス並に氷点下の世界にもかかわらず、船内は快適な室温に保たれていた。何らかの動力源も稼働している様子が無いので、どうやって温調しているかも解らない。
いつの間にか外部との通信リンクも切れていた。だが船体が電波を遮蔽する物質なのか、妨害電波が出ているのか、も不明だ。
明らかに人類文明の水準、いやシェードの技術水準さえも凌駕していた。
やがて遙斗達は船の中心に到着した。
空洞だった。
船の大きさから考えてこの規模の空間があると云う事は、この箱船の中身はスカスカだという事だ。
何かが詰まっていて運び出されたのか、何かを運び入れるつもりなのか。箱船の状況から考えて、後者の可能性は少ない様に思われる。
遙斗達が休息する事も忘れて、周囲を探索していると、空洞の中央に光の粒子が集まり出した。
その粒子は徐々に人型を形作っていった。立体映像にしては異常にリアルだ。
「戦闘体勢!」
D・Bが叫んだ。携帯していたシェードの標準装備銃を構えた。超小型の荷電粒子砲だ。
遙斗は・・・戦闘装備が無い。仕方ないので、取り敢えず着脱式のセンサー類は全て取り外し、身軽になった。
人型生物は六枚の羽根を持つ天使になった。
遙斗は知る由も無かったが、あの処理者だ。
「ようやく此処に辿り着いたな」
天使は、遙斗を見ている。
「?」
遙斗は困惑した。
一体、何の事を言っているのだ?
相手の意図が不明というのは一番危険な状態だ。戦闘になる可能性があるのなら、尚更だ。
遙斗は、D・Bを見た。
彼は、取り乱していた。
いつもはその歳に似つかわしくない、小憎らしい程冷静沈着な子供であるD・Bが、膝をガクガクと鳴らし、顔は冷や汗にまみれ、大きく見開いた眼は焦点を失っている。怖がっているのではない、何かが彼の内部で、心の中で起こっているらしかった。
「おい、ディ・・・」
「うわおぉぉぉぉ」
ただならぬ様子に遙斗が声を掛けようとした瞬間、D・Bは叫びながら出口に向かって走り出した。
それが合図だったのか、天使が歌った。
遙斗は意識を失った。
まず、加羅葉が目覚めた。
私は・・・姉さんと一つになったのでは・・・・。
しかし、記憶を意識してみると、二つあった。
加羅葉は自覚した。既に自分は、瑞穂だった。
『私達は、瑞穂だ』
気が付くと宇宙空間にいた。
圧倒的な数で全周を埋め尽くす星々の海に浮かんでいた。
その時、隙間無く星が覆い尽くした輝きの一部に墨をこぼしたように何かが遮った。
それは何かに喩える事すら無意味に思える程、異様な形状の物体だった。生物なのか?
「あれは、敵だ。絶対天敵」
目の前に、天使が立っていた。覗き込む漆黒の双眸に瑞穂は意識を飲み込まれそうになる。
「なにそれ?」
瑞穂の問いに丁寧に答える天使。
「お前達が、魂蟲と呼んでいる敵性体の『おおもと』だ」
突然、瑞穂は目眩に襲われた。
再び三半規管が正常に機能しだした時には、周囲は地球上の風景になっていた。
グランドキャニオンのような大峡谷だ。
峡谷の谷間で何かが蠢いている。
瑞穂は驚愕した。
自然の峡谷と思った大地の溝は、巨大な生物が喰った痕だったのだ。先ほど天使が絶対天敵と呼んだ物体だ。
宇宙空間では判らなかったが、それは非常識に巨大だった。
「あれで、ごく初期の成長段階だ」と、天使は言った。
いつの間にか、瑞穂の横に立っている。
一隻の宇宙船が絶対天敵を目指して降下してきた。
宇宙船から現れた何かが二つ、絶対天敵に攻撃を仕掛けたが、全く効果が無い。
瑞穂は二つの内一つが、いま側に立っている天使と同じ姿だと気づいた。もう一つは、巨大なロボットに見えた。
絶対天敵を倒せないと悟ったのか、天使とロボットは、そそくさと宇宙船に戻り撤退していった。
諦めたのかな? と瑞穂が思った瞬間。
上空から黒い光弾が現れ、絶対天敵の直上で爆発した。
凝縮していく黒い光が、絶対天敵を光の粒へと変換していく。
破畫羅事に似ている。まるで折神之御業だ・・・と、瑞穂は思った。
「遠い昔の出来事だ」
天使が言った。今気付いたが口が動いていない。テレパシーなのだろうか?
「その後、我らはこの惑星に留まり生態系の回復を果たした」
天使の言葉に合わせて瑞穂の廻りに映像が現れ、彼の説明を補足した。
それから一万年余りが早送りされた。
地球の生態系は安定し、地球起源の生物は進化の道筋を再び延ばし始めていた。
船と天使が話している。
船が言った。
「細胞崩壊が進んでいる」
天使は答えなかった。
「・・・」
天使は病んでいたのだ。いや、寿命が尽きようとしていた。
「余命は僅かだ」
無慈悲な宣告。だが、天使が憂えていたのは別の事だった。
「間違いない。残留マーカーの数値が上がっている」
量子センサーに映し出されている地球の三次元映像に光点が広がっていた。海洋、大陸を問わずあらゆる場所に反応があるのだ。
「仕留め損ねていたのだ・・・何と言う事だ。このままではヤツが再生する」
天使は、船に尋ねた。
「再生までの時間は?」
モニターに表示された数字を見て、天使は落胆した。
「そんな時間は、我に残されていない・・・」
沈黙。
「・・・私は、それまで永らえるかもしれない」
船が言った。さすがに遠慮がちな物言いだった。
「救援は望めるか?」
天使は確認した。
「超弦通信機能が回復して救難信号を発してから六千万単位経過。
未だ返信はない・・・宇宙は広いな」
船は答えた。
天使は、船のシールドを開いて外界を見た。
青い空に、一面の氷河。
山の麓には緑の大地が広がっている。
草原に群れをなす草食獣たち。それを狙う肉食獣。
その全てを見下ろす丘に何かが動いた。
二足歩行の生物が立っている。
「では・・・自分たちの星は、自分たちで守って貰おう」
船は、その意図を理解した。
「それは無茶だ。この星の生物相がどのようなに形成されているか知っているだろう? 驚くべき事に、脆い有機物質を基盤にしている上に、たった四つしかない塩基の組み合わせによって遺伝情報が記述されているのだ。こんな脆弱な方法で此処まで自然進化した事自体が奇跡だ」
天使に一番近いモニターが点灯した。
記号が二重螺旋に配列されている模式図が表示された。そこから四つの記号が抽出され大写しになる。
DNAを説明しているらしい。
船は言った。
「これでは保持できる情報の容量が少なすぎる。いくら進化を促しても、知性はおろか絶対天敵に対抗できる程の高機能な生物種が誕生する可能性は非常に少ない」
しかし、天使の決意は覆らなかった。
「考えがある・・・後は、見守ってくれ。私に代わって」
天使の収まった棺が、宇宙船の自動プログラムで宇宙空間に射出される映像が見える。
「そして、我の肉体は機能停止した。後の事は船に託して」
瑞穂は、まだ毛むくじゃらの猿が数十万年をかけて進化する過程を再び早送りで見せられた。
「同時に、具体的な武器の設計図や我々のテクノロジーに関する情報を設計情報に不活性状態で仕込んで於いた」
瑞穂は合点した。
「それが、錬金術や、折神之御業を発動するトランス・イントロンの遺伝因子なんだ・・・同時に、私達はなんとか知的生物に進化出来たってわけね。期待薄だったみたいだけど」
意識が暗転した。
瑞穂に新たな一編の映像が流れ込んできた。
あの日だ。
あの最後の日・・・姉だった瑞穂が命を使い切り、遙斗が人ではなくなった日。
瑞穂が放った折神の鶴によって、ムカデ魂蟲が消滅させられつつあった。
勝利は確実な状況である。その場の全員が事後処理に気を取られ、消滅寸前の敵から眼を離していた。
全ての視線が外れた魂蟲の消滅現場間近に、人目を避けて立っている人影。
瑞穂は、その正体を見た。
D・Bだ。
彼は、魂蟲の残り火に、極彩色に輝く石片を投げ込んだ。傀儡魂によく似ている・・・〈賢者の石〉に違いない。
僅かに残っていた魂蟲の生命力が賢者の石と反応し合い、爆発的に輝きを取り戻していく。
光は凝集して、再び人面ムカデの体躯を復元した。
D・Bが通信機に向かって言った。
「やりすぎって言葉、知ってる?」
「このまま手を拱いて、彼を賜裔道に委ねる気はない」
返信はオルグの声だった・・・そして瑞穂は、傍観者として再び地獄絵図を見る事となる。
「もういい・・・止めて」
瑞穂は言った。残虐な光景に耐えられなくなった訳ではない。
D・Bが・・・オルグがこの惨劇を演出した意味を考えたかったのだ。
辻褄が合わない。この戦闘で賜裔道は壊滅しかけたのだ。シェードにとってもそれは不利益な筈だ。
キーワードはオルグの「彼を賜裔道に委ねる気はない」か。
当然、彼とは遙斗の事だ。
賜裔道の壊滅を容認する程、オルグは何故、遙斗に固執するのだ?彼の『力』は瑞穂にこそ必要な力、だと言うのに。それは、賜裔道の瑞穂として全て知識を持つ今の瑞穂にとって、明白な事だった。 頭を抱えてうなだれる瑞穂をたった今千切れたはずの遙斗が覗き込んでいた。
「きゃっ!」
「うわっ」
驚いて叫んだ瑞穂の声に驚いた遙斗は尻餅をついてしまった。
キョトンと暫く遙斗の顔を眺めてから・・・瑞穂は言った。
「あなた・・・人間のカッコしてるわよ」
パペットボディじゃないと云っているらしい。そんな諸々の事情を知っている事に訝る遙斗。
「なんでそんな事・・・大体、お前誰だよ」
何?・・・瑞穂は、ハタと思い当たって自分の顔をペタペタ触った・・・鏡がないのでよく分からない。
頬に掛かっている髪を見た・・・紅いストレートのセミロング。
やっぱり。
二人が混ざった事で外見が変質しているんだ。
苦笑いして言った。
「私は、瑞穂よ」
「へっ?」
そうか、此処は現実じゃない。あの天使が見せている仮想の世界か何かだ。どこからか遙斗の意識も此処に呼ばれたのだ、と改めて認識した瑞穂が、彼にその事を告げようとした瞬間。
「我は、見誤った」
天使の声が割って入った。
いつの間にか二人の後ろに立っている。
「わおっ!」
驚いて跳び退く遙斗。
天使の表情は曇っていた。感情表現が人間と同じかどうかは定かでない・・・いや、感情そのものがあるのかどうも疑問だが。
瑞穂が反射的に、機械的に問う。
「何を?」
回答は、禅問答になっていった。
「本隊の意志」
「何それ」
「船は、故意にミスを重ねていたのだ」
「船って?」
「故障による絶対天敵のこの宙域への進入、完全破壊を見逃したセンサーの異常。そして我が消滅し、船が人類進化の監視をせざるを得ない状況。全てが本隊の意志だった」
「だから、本隊って?」
「この宇宙が開闢して以来、数多の知性が生まれては消えた。その中で僅か数例、『愛憎』という行動原理を持つ生命体が発生した」
「宇宙開闢って・・・ねえ」
「知性は、その帰結として『合理的』なのだ。それが知性の唯一絶対の定義と言っても良い。しかし、時々現れる『情緒知性』と呼ばれる知的生命は『愛情』や『憎悪』を行動原理する」
「はいはい・・・」
「そして情緒知性を持つ生物は、例外なく異常な速さで文明を進化させ・・・そして自滅する」
そこで、瑞穂は天使の言葉を突然理解した。
「もしかして・・・その情緒知性を持つ生命に進化するように人の遺伝子をいじったの?」
今度はきっぱりとした明確な回答が返ってきた。
「そうだ、この惑星に土着している生命体の遺伝子構造では、知的生物に進化する可能性は非常に低かった。従って、少しでも確率を上昇させる為に、情緒知性発現の設計情報をお前達の遺伝子に組み込んだ。それは、我が独自に判断したと自負していたが、そうし向けられたのだ。どうやら、本隊は人工的に情緒知性体のサンプルを欲していたらしい」
人類誕生の意外な真相に、言葉も出ない瑞穂。
遙斗の方は、やっと話に追いついてきたようだった。
「で、何で、今頃になってアンタは出てきたんだい?」
質問主が遙斗に替わった。
「そうよ。第一、アナタ死んでなかった? 百万年前」
瑞穂も補足する。
「我は、船の人工知能に転写した擬似人格である。船の意志が外に出て行くまで、封印されていたのだ」
「出ていく?」
瑞穂は、今まで見せられた映像の内容から、宇宙船に自我がある事は何となく理解していた。だが、それが出ていくとは?
天使の答えは、しかし、推論にすぎなかった。
「百万年間、話し相手もいなかったのだ、やっと話し相手となる知性が誕生して、寂しさを紛らす為に外に出たのかも知れない。元々、考えられない故障を起こすように調整された知性なのだ。我には正確な理解が不能である」
瑞穂と遙斗は、その言葉を理解する為に僅かな時間を要した。
そして、二人声を揃えて問うた。
「出ていったって、どこに?」
D・Bがベッドに横たわっている。
顔に凍傷の痕が残っている。
その周囲ではシェードの医師達が治療に忙しく動き回っていた。
生命維持の為の医療機器から延びた管が幾本もD・Bの身体に刺さっていた。
「バイタルは安定した」
「凍傷も軽度だ。肉体の損傷は無さそうだ」
治療室に安堵の空気が流れ出した。
D・Bが箱船の入り口付近で救助されたのが二時間前。発見が数分遅れていたら凍死している状況だった。
これで、エージェントの一人は助かった。
しかし、遙斗は行方不明だった。
シェードの救援部隊がD・Bの戦闘服から発せられる自動の救難信号を受けて現場に駆けつけた時には、既に箱船の入り口は跡形もなく閉ざされていたのだ。
遙斗は箱船の中である公算が高いとの見解だったのだが、結局内部への突入が果たせないまま何日も天候の悪化が続き、今の所捜索は中断したまになっている。
その間もD・Bは眠り続けていた。
「付加脳はその後も正常なのか?」
医師団の一人が言った。
「ああ、本来の脳と頻繁に交信しているみたいだ。脳波計は両方とも覚醒時と同程度のブレを示している」
脳生理学の専門医師が答えていた。
十数年前。
生後数週間も経たずに脳の半分を失った幼児がいた。
イントロン遺伝子に組み込まれた特殊な遺伝情報、即ち、トランス・イントロンの有効な発現は、それまで自然発生に頼るしかなかったが、それを人工的に制御する為の実験の犠牲者だった。
その幼児は失敗作として短い一生を終えるはずだったが、幸か不幸か、新たな実験の被験者に選ばれた。それはその幼児の命を救う為の手立てでもあったのだ。
脳を半分失って、容量の空いた頭蓋骨に人工脳を埋め込み、失った脳の機能を補完をさせるという試みだった。
以後、幼児にはプロジェクト上のコードネームが付けられた。
『ダブル・ブレイン=D・B』である。
D・Bは順調だった。
人工脳は、失った脳の機能を補完し、D・Bを一個の人間とした生きながらえさせていた。
やがて、人工脳に『人格』が現れた。
誰かがそう、プログラムした訳でもない。設計段階で、そのような機能は付与されていなかったはずなのだ。
その人格は、まるでどこかから『ダウンロード』されたみたいだった。
D・B本来の生身の脳は強化されたまま、新たな人格は、『個人』としても素晴らしい成熟した人格に育った。
少年は一個の人間として生活をし、少年の中の擬似人格は、今まで通り少年の機能補正と共に自らの思考を電波信号として外部へ出力し通信によってコミュニケーションを可能にした。
こうして、人工人格は「オルグ」と名付けられた。
やがて、D・Bはその知性を生かしてシェードのエージェントとなり、オルグは成熟した別人格としてシェードの司令官となった。
全ては、当初の予想を遥かに凌駕する成果だった。
『なんで、船になんか行ったんだ』とD・Bの意識。
『知っているだろう。遙斗の力を手に入れる為だ』とオルグの意識。
表面的には意識不明のD・Bの頭蓋骨の中で、生身の脳である本来のD・Bの意識とと人工脳オルグの意識が会話していた。
『じゃなんで、船から逃げ出す羽目になったんだ。元々はお前の身体だろう』とD・B
『ヤツの擬似人格が、私の抜け出た船を制御していたからだ』
オルグの脳から羽を持った天使のイメージがD・Bの脳に送られた。
『元同僚に悪事を見透かされて、逃げ出したという訳か?』
『悪事とは何だ?』
D・Bは、また無意味な禅問答が始まるのを避けた。彼らの価値基準は我々とは、全く違う。だから、何につけても説明が不可能なのだ。だから質問で返した。
『じゃ、遙斗は、元お仲間に持っていかれたって事かい?』
『そうなるな』
『こまったね、時間がないのに。おまけに僕の身体はこんなだし』
『今は、私の身体でもある』
『・・・・』
D・Bの眼球が瞼の裏でクルクル動いていたが、病室には既に人影が無く、それに気付く者は誰もいなかった。
バブル・ネット・フィーディング。
ザトウクジラの採食行動の一つがそう呼ばれている。
彼らはニシンの群れをみつけると、その群れの下まで潜行し、旋回しながら泡を出す。
その泡が幕となって上昇し、ニシンの群れの周りに泡の壁を作ると、行く手を遮られたニシンの群れは、海面近くまで追いつめられ、浮上して一カ所に集まる事になる。
その瞬間を逃さず、口を開けたザトウクジラが海底から一気に海面に飛び出し、ニシンを一網打尽に食べるのだ。
何頭もの巨大な鯨が口を開けたまま一斉に海面から飛び出してくる光景は、観る者を圧倒する。
その日、アラスカ、グレーシャーベイ沖、ポイントアドルファスのホエールウォッチング・ツアーに参加した観光客は幸運だった。
このバブル・ネット・フィーディングを見られたからだ。
その瞬間、遊覧船上は歓声で溢れていた。
だが、幸運だった筈の観客達も、鯨たちも、ニシンの群も、夥しい量の海水も、大気も、その空間にあった存在は全て、鯨達の後を追って海面に迫り出してきたブラックホールのような巨大な『口』に、半径数十キロ渡って切り取るように飲み込まれてしまった。
ついに・・・絶対天敵が、復活したのだ。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる