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ファースト・テイル

宇宙環境保全局 暗黒物質排出削減課

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 Line A / Prologue

「今日も空振りだな」
 私は、モニターにリアルタイムで映し出されているXMASS実験装置の測定データを確認して呟いた。それを聞いた当直の修士学生が私に問う。

「CERN(セルン)のHLCも五年以上成果無し。本当にWIMP(ウインプ)で正解なんですかね、時佐田ときさだ先生」

 HLCとは「大型ハドロン衝突加速器」の略称だ。CERN、即ち欧州原子核研究機構は、このHLCを使ってビックバン直後の高エネルギー状態を擬似的に造り出し、WIMPを人工的に造り出そうと試みて、既に十年近くになろうとしている。

「ヒッグス粒子だって理論的な提唱から実際の発見まで五十年近くを費やしているんだ。何事も信念と忍耐だよ」

と、プロジェクトの責任者として廻りの同僚や学生達を鼓舞するつもりだったのだが、つい溜息混じりに答えてしまった。
 XMASS実験とは、暗黒物質、いわゆるダークマターの正体として最有力である未知の素粒子WIMP(weakly interacting massive particles)を、ニュートリノ研究で有名な神岡宇宙素粒子研究施設のスーパーカミオカンデと並び施設された検出装置で行われている観測実験だ。

 夜空に輝く星々。この肉眼で見る事のできる天体たちは、宇宙に存在する物質のほんの5%にすぎない。
 残り95%は、27%のダークマターと68%のダークエネルギーだと推測されている。その存在は「宇宙マイクロ波背景放射のゆらぎ」や「銀河の回転曲線問題」に「宇宙の加速膨張」など、様々な観測現象から確実視されてはいるものの、正体に関しては未だに不明だ。
 この世を構成する存在の95%が正体不明。科学万能という言葉が巷に氾濫して久しいが、科学史上、これ程屈辱的な謎は無いだろう。
 進歩するほど無知になる。物理学者とマゾヒストは同義だと、最近殊に実感する。

「明日は、東京ですか」と、先刻の修士学生が気を遣って話題を変えてくれた。
「そう、講演会。研究資金を少しでも稼がないとね。基礎物理の予算なんて常に削減対象だからな」 
「人生万事、金次第ですもんね」

 変えた話題で、ますます憂鬱になってしまった。



 Line A / Side A1

  私は今、講演会の会場ではなく会場近くの喫茶店にいる。講演を終え、控え室をでた処で二人組の男女に呼び止められたのだ。
 目の前にはその男女が座っている。日本人離れした異様に彫りの深い作り物のような顔をした美男美女だ。
 差し出された各々の名刺を受け取ると、女性の方が口を開いた。

「 こんにち は、時佐田せん せい。わたくし、ソフィア・ローレ ンと申し ます」 

 少なくとも東洋人だと思い込んでいたのでフルの西洋名に驚いた。しかも、どこかで聞いたような?
 それに、さっきから気になっていたのだが、彼女の言動が細かくフリーズする。速度の遅い通信回線で動画を見ている感じ、とでも云おうか。見ていて落ち着かない。

「宇宙環境保全局の 方から来 ました」

  なんだぁ? 消火器を訪問販売するニセ業者の常套句「消防署の方から来ました」的なその発言は。
 しかも『宇宙環境保全局』って…。名刺には、ご丁寧に『暗黒物質排出削減課』と部署名まで書いてある。
 こちらのあからさまな不信感を見て取ったのか、男の方が割って入った。

「すみません。彼女は今、調子悪いです。私が替わってお話しです」

 こちらの方は滑らかに喋ってはいるが、日本語のニュアンスやイントネーションが怪しい。
 ネットの翻訳ソフトか! とツッコミを入れたくなる。
 名刺で名前を確認すると『イヴォン・イバル・ゴリュ』と云うらしい。
 確かに日本語がネイティブではないだろうな。ていうか、何語の人?

「私達はアナタに重要なお話を持ってます」

 そういえば、二人とも、最初からずっと瞬きをしていない。

「アナタが関わっている実験は上手くないです。中止の方向が正しいです。また、釈迦に説法となるですが、現在、この星で行われているダークマターの全ての実験、観測はやめなさいです。無駄がはげしいです」  

 釈迦に説法の使い方ほか諸々訂正したい箇所だらけだが、それは無視して質問する。忍耐力の大部分を消費して丁寧語を使った。

「それは、ダークマターが発見出来ないという意味ですか?」
「肯定です」

 ソフィアを一瞥すると、微動だにせず視線を前方に固定して座っていた。それだけでもけっこう不気味だったのだが、微かに電子音のようなノイズが身体から洩れ聞こえていた。
 携帯電話でも鳴っているのかと思ったが、それにしては奇妙な音色だ。気が散ってしかたないが、話しに集中した。

「なぜ、あなた方にそんな事が云えるのですか?」 
「論理的仮定が間違っているです。ダークマター及びダークエネルギーがあなた方に観測出来ないは、理由として、それらがこの次元に存在ないからです」

 判りづらい日本語以上にファンジー色が濃くなってきた回答に頭を抱えた瞬間、電子音がプツっと途絶えた後、突然ソフィアが喋りだした。
 その様子は、なんというか、再起動?

「因みにですが、たとえ適切な検出手段を用いても、この太陽系を中心にした半径一万光年程の空間ではダークマターは観測できませんよ。まだ存在していないのです。失礼を承知で申し上げますが、あなた方の科学知識、取り分け宇宙の構造に関する認識は根本的に違っています。例えばビッグバン理論。138億年前の爆発によって宇宙が開闢したという認識です。宇宙は本来、時間的に寿命のない均一に広がった空間です。あなた方のいう『定常宇宙論』が最も近い概念です」

 正に「立て板に水」な日本語だ。
 もちろん、フリーズなんかしない。本当に再起動したみたいだった。それに比して内容は、カルト宗教か、はたまた似非科学の信奉者か、という酷さだった。
 世の中には「人類は月に到達していない」とか「アインシュタインの相対性理論は違っている」などと陰謀論めいた考えにのめり込んでしまう種類の人間が少なからず存在する。彼等に共通するのは非常に思い込みが激しい事だ。
 だから、頭ごなしに否定する物言いは絶対にまずい。それならば、と、刺激しないように丁寧な質問を重ねた。適当なところで話を切り上げる、その落とし所を探すのだ。

「なるほど、それでは先ほど、この近辺にはダークマターは存在しないと仰いましたね。それはダークマターがこの次元に存在しない、という事と同義ですか?」
「いいえ、違います。ダークマター及びダークエネルギーの正体とは、時間可逆性タイムトラベル、つまり、過去の改変によって分岐生成された平行宇宙分の増加エントロピーが、『こちらの空間』に影響を及ぼしている『状態』を指すのです。ですから、この太陽系を中心にした半径一万光年にタイムトラベルを実現した文明は存在しない、故に検出できない。という意味です」  

 うん、トンデモ理論信奉者で決定。
 しかも、なまじ知識があるだけ面倒くさいタイプだ。どう話を打ち切ろうかと思案している最中にも、自称ソフィア(間違いなく偽名だろう)は話し続けた。

「もちろん、それを理論的に証明して差し上げる事は可能ですが、それには、あなた方にとって未知の物理法則を理解していただく必要があります。ですから、現状での証明は無意味と言わざるを得ません。ただし、理解していただく方法は他にもあります。それは、理論証明するような科学的手段ではなく、単に記録として残っている事実を知っていただく事です。我々は、あなた方の単位でいう600億年前から現在に至る自らの歴史を記録として持っています」

 出た、オーバーテクノロジー。まずい。本当に終わりたい反面、この妄想が何処まで突き抜けていくのか興味が出てきた。

「我々とは? つまり、そちらの素性という事になるのでしょうが」
「汎宇宙連合。あなた方が最も理解しやすい概念は、地球外知的生命体の集まりです」
「つまり。宇宙人って事ですか」
「有り体なツッコミを入れると、貴男も宇宙人なのですが、まあ、そういう事です」

 ツッコまれたよ。宇宙人に。有り体な日本語で。
 さっきまでカタコトだったくせに。いや、それも宇宙人らしく見せる為のステマ的な小芝居か? 
 お伽噺は続く。

「必然的に、宇宙が138億年前のビッグバンからではなく、それ以前から存在している事の証明ともなりますね」


 感情の処理に困ったり、本当に美味しい物を食べたとき、人間は何故か笑うらしいが、今の俺も笑っていた。
 最近の激務や実験の成果が上がらない状況に、久しく笑う事を忘れていたので、もう少し付き合いたいという衝動にも駆られたが、ここいらが潮時だろう。
 ワザと腕時計を見るフリをする。

「あの、すみません。楽しいお話しをもう少しお聞きして…」
「それに、貴男にお声をかけたのは、もう一つ理由があるのです」

 こちらの様子を察したのか、言い終わる前に今度はイヴォンが口を開いた。こちらも見事にネイティブな日本語になっている。

「ソフィアは先ほど、宇宙は均一に広がった空間と申し上げました。しかし、ご存じの通り、現在、宇宙は膨張しています。偶然にも、その原因は、あなた方がダークマターとダークエネルギーの存在を推測した理由と同様なのです。つまり、ある時点まで均一に安定した空間だった宇宙は、それ以降に現れた数多の知的生物が無秩序にタイムトラベルを始めた結果、夥しい数の平行世界が近傍の次元に形成されました。別の次元空間とはいえ、それは一つの宇宙です。同じ分量の質量とエネルギーが存在します。そこで一つだけ、あなた方の知らない物理法則を丸飲みで受け入れて欲しいのですが、『重力は次元間を透過する』のです。ですから、別次元で増加した膨大な質量とエネルギーは、この宇宙に重力という形で影響を及ぼしています。それが、あなた方もよく知っている『宇宙の加速膨張』なのです。そして、宇宙は現在、本来の均一な状態から二十倍近い大きさに膨張してしまいました。我々の予測では、このまま現宇宙の全文明がタイムトラベルを無秩序に行った場合、数億年以内に宇宙は今の形を保てなくなってしまいます。破裂し消滅するのか、再圧縮して本当にビッグバン宇宙が誕生するのか…結末は我々にも不明です」

 根拠の無い理論を丸飲みなどしないし、それに基づく世界観など信じない。が、不覚にも頭の片隅では、分岐した数多の平行宇宙に絡まれながら膨張していく宇宙モデルの数式を組み始めていた。
 やっぱり自分は物理学者なのだと、変なところで自覚した。

「そこで汎宇宙連合は『汎宇宙ダークマター削減会議』を開き、既にタイムトラベルを実現した文明の時間渡航に極端な制限を設ける事は勿論、実現を目前にした進化途上の文明に対する先行対策も決定したのです。それは、汎宇宙連合の存在を明示して積極的にタイムマシンの技術供与をする、その代わり、削減会議の議定書に則った運用で無軌道なタイムトラベルを律し、自主的にダークマターの排出削減に協力して貰う方法です。具体的には、知性体による実体時間渡航の禁止です。過去に送るのは無人の観測装置だけ。 つまり、過去へのタイムトラベルは歴史検証のみに限定するのです」

 イヴォンは少し視線を落とした。

「申し訳ない、もちろん違反に対する罰則規定も設けます。が、なるべく技術的優位者による一方的な強制はしたくないのです。この宇宙には知性体の数だけ、それこそ星の数ほど多様な価値観が存在しますが、自主独立や人権は、けっこう普遍的な概念なのですよ」

 本当に申し訳なさそうな口調だ。いったい、どんな罰則を考えているのやら…。
 それはさておき、そろそろ本気で話の落とし所を探るため、重箱の隅を突いてみた。

「それはわかりましたが、何故、地球なのですか? あなた達のお話だと我々の文明はタイムマシンを実用化するには程遠いレベルだと思うのですが、わざわざ先進技術供与するのは、闇雲に問題を増やすだけだと思うのですが」

 イヴォンは少し考え込んだように見えた。おっ、ここを突かれるとは想定外だったか? もっともらしい屁理屈を急遽考案中らしい。と、ほくそ笑みかけた瞬間、ソフィアが言葉を継いだ。

「それは、我々が一番初めに貴男を訪ねた理由でもあります」

 イヴォンが黙ったのは、単に予定した話を終えたから、だったようだ。台本通りと云わんばかりに、ソフィアは淀みなく問いに答えはじめた。

「質量変換と時間遡行…すみません。この言語では、これ以上正確に表現できないのですが、地球文明で具象化されている例で引用すると核エネルギーとタイムトラベルということになるのでしょうか。実は、これら二つの科学技術は『滅びの二大ハードル』なのです。つまり、その実現簡易性が、文明に与える影響力に比して『驚くほど低い』ために、数多の文明がこの二つの科学技術によって滅びているのです。核エネルギーについては、地球人類にもピンと来るでしょう。貴方達は、未だにその渦中にいます。タイムトラベルについては、そうですね…貴方達が『Dragonfly 44』と名付けている銀河系が、代表例です」 

 その名前には聞き覚えがあった。つい最近、エール大学が発見した99.99%がダークマターで構成された銀河系が、たしかそんな名前だ。ソフィアは、こちらがその情報を反芻した事を見極めたように話しを続けた。

「それは元々、ごく小さな星団だったのですが、その中に芽生えたいくつかの文明が、時間遡行の危険に気づかないうちに無数のタイムトラベルを重ねた結果、この天の川銀河の質量に匹敵するダークマターを生み出してしまい、その質量から生み出された重力で元々あった星団は押しつぶされてしまいました」

 重要な話しへの段落なのだろう。ソフィアは一瞬話しを切ってこちらの眼をのぞき込んだ。

「さて、ここからが本題なのですが、貴男にこのお話をするのは、貴男が現存の地球人類の中で、近い将来、タイムマシン実現の基礎理論を発見する可能性が最も高かったからです。即ち、タイムマシンの技術支援の窓口として最適の人物だと判断されたからです。これは、思考パターンや知識など、全地球人類の脳をスキャンした結果です」

 いや、驚いた。その妄想力のすごさと、それを真実だと言い切る信念に。と、感服している私をよそに、ソフィアは何かを差し出した。ごく普通のUSBメモリーだった。少なくとも見た目には。

「先程お話しした私ども、汎宇宙連合の歴史が、視覚、数式など様々なタイプのデータで入っています。持ち帰って検討してください。あなた方の電子デバイスで読みとれるように調整しています。あと…」

 彼女はいつの間にか、今どき珍しいデジタルでないフィルムを使う一眼レフのカメラを手に持っていた。撮影済みのフィルムを巻き戻すと、カメラから未現像フィルムのマガジンを取り出して、こちらに差し出す。

「これは、個人的なお土産です。先週、私が撮影したものが写っています。写真は、三十年前に別件で地球を訪問した時から私の趣味なんですよ。久しぶりに来てみたら、何処にもフィルムが売ってなくて焦りましたが」

 フィルムマガジンを受け取って眺める。現像してくれる場所って、何処にあったっけ。と、考えて、少し意識と視線が二人から離れた、ほんの一瞬…二人の姿は消えていた。
 狐につままれたとは、こんな感じか。予め何らかの細工を用意しての演出なのかとも思ったが、だとしても鮮やかな手並みだ。
 …本当に宇宙人? いや、そんな。
 妙にふわふわした足取りのまま会計を済ませようとしたら、喫茶店の店員が何気なく聞いてきた。
「お連れ様は、お帰りになりました?」
 渡されたPOSレジのレシートにも、客数3と印字されている。
「そうだよね。確かにいたよね、約二名」
 わたしの独り言に、店員はただ怪訝そうな顔を返した。

 結局、フィルムの現像をしてくれる写真スタジオ探しに手間取り、自称宇宙人から受け取ったフィルムを現像出来たのは二週間が経ってからだった。
 上がってきた数十枚の印画紙に写し出されていたのは、一つの渦巻き状銀河だった。

 天文学は専門ではなかったが、仕事柄、有名どころの銀河系には見覚えがある。写真に写った「星の渦巻き」が、そのどれにも当てはまらない形状である事は判った。  
 一ヶ月後、更なる詳細な解析を依頼したJAXAからの回答は「観測可能な既知の銀河系に該当無し、ただし、敢えて結論づけるならば、天の川銀河の推定形状に酷似している」だった。
 この写真に合成などのトリックが無いのであれば、その意味するところは極めて重大だ。彼等は、少なくとも、我々が住むこの銀河系をスナップ撮影できる場所まで移動できる、という事なのだ。
 報告書を見ながら呆然としていた、まさにその時、ポケットの携帯が鳴った。
 相手は日本物理学協会だった。
 協会にはフィルムと共に渡されたUSBメモリーを送っていた。こちらの方は、個人の手に負えそうになかったので、オフィシャルに解析を委託したのだ。
 電話に出る。
 連絡内容はUSBメモリーの入手経路の再確認だった。が、それよりも驚いたのは、協会本部にも、あの二人ソフィアとイヴォンが現れた、との報告だった。

 しかも堂々と宇宙船で乗り付けたというのだ。
 この時はじめて、人類が大きく変革する歴史的な分水嶺の当事者であるという事実が、胸にストンと落ちてきた。



  Line A / Side B1

 私は、物理的な肉体を持っている者が外を眺める為に船の舷側に設えられた「窓」という穴から、船外にレンズを向けた。
 画角の半分ほどを渦巻き状の銀河系が埋めている。今回の任務の目的地だ。

「なんだい、それ」

 背後から声を掛けられる。少しビクッとした。私のような精神生命体は、物質義体を通した物理的な刺激には、なかなか慣れない。特に音。

「今回の任務地にね、前回の調査で立ち寄った時に見つけた原始的な光電磁波記録装置。内部装填した有機膜に流布している薬剤とレンズ状に加工した二酸化ケイ素のアモルファス体を通して焦点させた光子を化学反応させて記録するのよ」

 手にしていた工作物を、音の発生源であるの物質義体に掲げながら振り向いた。その物質義体、固有名『イヴォン』は怪訝な顔をした。

「…何のために?」
「二次元映像を残すため」
「物好きだなぁ。そんな不完全な映像を、そんなに手間かけて記録するなんて、何が面白いんだ?」
「重力制御していない乗り物で惑星表面から宇宙空間へ飛び出すような快感?」
「・・・なんだい、それ」

 彼も私達とは違う進化をした精神知性体の種族だ。
 つぎの仕事に備えた予行練習で、現在は私同様に物理義体と融合しているが、やはり、物理法則の体感という概念に疎い傾向にある。

「で、現地人類と接触するためのインターフェース用義体は君に任せて良いんだね。経験者という事で」
「万事抜かりなし」

 返事をしながら現地で名乗るための仮氏名を選んだ。私は、現地知性体の固有名の例(なにか娯楽産業従事の著名人らしい)から適当に選んだが、彼はどうするのだろう。
 そういえば、彼の種族には自分の固有名称というものに特殊なポリシーがあって、偽名という概念を受け付けないのだっけ。
 それにしても、今回の任務は気が進まない。
 先進文明が、分岐平行宇宙の弊害に気づく前とはいえ、欲望に任せたタイムトラベルをした挙げ句、そのツケを進化途上文明に、いわば弱者に押しつけようとしているのだ。
 単純な分岐時間軸であれば、その起点となったタイムトラベルを、それ以前にタイムトラベルして無かった事にすれば、完全に消滅させられる。
 しかし、分岐した時間軸上で更にタイムトラベルをした場合、多重に分岐した時間軸が絡み合い、起点をキャンセルしても、キャンセルした時間軸そのものが新たな時間軸として更に増えてしまう。いわゆる『多重分岐不可逆原理』だ。
 その為に、既にタイムトラベルを複雑に繰り返してできた現在の平行宇宙は無効にする事はできない。
 だから、これ以上のダークマター増加を防ぐには、新規のタイムトラベルを規制するしかない事は理解できる。これは誰かがやらねばならない、憎まれ役なのだ。
 しかし、それは同時に「先駆者のエゴ」である事も間違いのない事実だ。タイムトラベルが実現しようとも改善される事のない摂理。
 いつか科学は、万人に遍く平等な幸福を与えられる事が出来るのだろうか。
 私は憂鬱な気持ちで仕事の手順を確認する。
 まずは、現地知性体全員の思考器官をスキャンして該当者の探査…あっ。
 ミスがある。
 正直、落ち込んだ。

 どんなに科学万能の時代に生きていようとも、この世の摂理を支配する存在であらざるこの身には常に慢心がつきものだ、と再認識させられる。
 インターフェース義体に、間違って他の炭素生命体文明に対応したプログラムをインストールしたらしい。
 義体のセーフティが事故対応の自動修復動作をした為、該当者との初期コンタクトで、相手に不信感を抱かせてしまった。
 あれだけ万全を期したのに、全く以てケアレスミスは無くならない。
 でもまあ、うん、まだ報告書には書かないでおこう。
 もしかしたら、このコンタクトは無かった事になるかも知れないのだから。
 


 Line A / Side A2

 ソフィアとイヴォンの二人が人類と接触してから、三十年後、彼等の技術協力によってタイムマシンは完成した。その見返りとして汎宇宙連合の希望に則り、このタイムマシンは人類の正しい歴史認識のみに使用される。
 観測、記録用の無人探査機(これも彼等からの技術移転だ)を過去に送り、その探査機は過去の事実を主に音声映像で記録すると、そのまま一度宇宙空間に出て、なるべく地球の歴史に影響しないように、遠距離の長円軌道で宇宙空間を航行して「時間をつぶした」のち、然るべき時、つまり自身が送り出された時代になってから、再び地球に戻ってくるようにプログラムされていた。
 そして、最初の探査機が無事帰還したというニュースを病院のベッドの上で聞きながら、私、時佐田守(まもる)は、人類初のタイムマシン開発者という名声と共に八十年の生涯を閉じた。
「正しき過去が、より良き未来を人類にもたらさんことを」と、願いつつ…。



 Line A / Side B2

 現地知性…いえ、地球人類初のタイムマシンが無事稼働したのを見届けた後、彼等の自主運用を見守る為、私はイヴァンと共に『観測機』に搭乗した。
 この中で、人類が約束通りにタイムマシンを運用するかどうかを見守るのである。とはいっても、実際に見守るのは観測機の人工知能だ。
 我々は義体を凍結保存して劣化防止処理をした後、精神知性体にもどる。精神知性体は、四次元的干渉、すなわち時間経過に影響されない。いわゆる不死なのである。これが、この任務を私達が担当した理由だった。



 Line A / Side B3
 
 ーー人工知能監視ログーー 

 地球時間十年経過 --- 数万機の探査機が回収され人類の正確な歴史がほぼ確定された。
 次の段階として、人類出現以前の時代へ探査機を送るべく、より高出力なタイムマシン建造が決定された。
 一方で、もたらされた歴史の真実は、それまで様々な独裁者や国家、宗教の思惑で歪められプロパガンダされた 
 歴史を信じていた人々には到底受け入れがたいものであり、せっかく確定された正しい歴史を強制的に修正しよ 
 うとする勢力が世界中のあちらこちらで現れ始めていた。

 地球時間五十年経過 --- 転送量、転送可能時間を大幅に改良された大型タイムマシンが完成。
 しかし、数十年前から台頭してきた歴史修正主義勢力によって世界情勢は混沌としていた。それは3度目の大きな
 世界大戦の火種にもなりかねない状況だった。

 地球時間…混沌の一歩手前 ---綱渡りのような危うさで、汎宇宙ダークマター削減会議議定書を遵守してきた
 地球文明だったが、ついにタイムマシンが歴史修正勢力の手に落ちた。
 見窄らしかった歴史をプロパガンダ通りの栄光ある姿に改変しようとする国家、より良い条件の逃避先として過去
 の改変を選択する虐げられた歴史を持つ少数民族等々、例え汎宇宙連合にペナルティを課せられようとも、過去へ
 の渡航を渇望する人間達が、まさにタイムマシンを稼働させた瞬間、履行違反を認知した人工知能が、ソフィアと
 イヴォンと共に観測器を過去へとジャンプさせた。



 Line B / Side B
 
 私とイヴォンは、保存してあった物質義体と再度融合し観測機から出た。もちろん近くに地球人がいない事は確認しているが、もし誰かが、この瞬間を目撃していたならば、何もない空間に突然四角い穴が開いて人間が出てきたように見えただろう。

 ただ、地球人はいないが、私達の前には私達がいた。

 正確には、過去の、時佐田の講演会場に向かっている、私とイヴォンのインターフェース義体だ。
 これも実験シナリオの一部なので、我々の姿を認めた時点で彼等も事情を了解しただろうから簡潔に言った。
「残念ながら、実験は失敗です」
 私と同じ顔をした物体は答えた。やっぱり物質義体は嫌いだ。
「 りょう かい」

 途切れ途切れの返答を聞きながら、『ああ、そういえば、やっぱり報告書に書く必要はなかったな』と思いつつ、素粒子分解銃で彼等の存在を量子レベルで消去した。
 これで、彼等が時佐田に会った時間軸が消え、今、この宇宙が主軸時間流となった。タイムマシンを実現した地球文明は、あらゆる時空、時間軸から消失したのだ。

 もちろん、我々がこの時代に戻ってきたタイムトラベル分の時間分岐エントロピーが増加してしまったが、それによって、新たに発生するダークマターとエネルギーのエントロピー増加分量は、地球人類が無秩序にタイムトラベルする時間軸によって発生したであろう分量に比べれば、大海原に落ちたインク一滴にも満たないだろう。
 私とイヴォンは、地球に乗って来た船に戻った。
 私達の報告を受けて、直ぐに後任者がやってくるだろう。歴史の陰から間違った科学情報を与え続けて「地球文明が永遠にタイムマシンを実現しない未来」へと導いていく宇宙環境保全局の実務担当者が…手始めの仕事は、この宙域へのWIMPモドキの散布あたりだろうか。

 この後、タイムマシンの自主運用促進実験は、違うタイプの進化途上文明で何度か繰り返される。その結果により汎宇宙連合が取るべきダークマター排出抑制策の基本方針が決定されるだろう。
 地球文明のようにタイムマシン開発の強制阻止となるのか、それとも地球タイプのような文明が例外的だったのか…いずれにせよ、無秩序なダークマターの増加は断固阻止されなければならない。宇宙は、これ以上の膨張圧力には耐えられないのだ。

 私は帰路につく直前、何気なく、軌道上からこの青い惑星に向けてカメラのシャッターを切った。
 そういえば、とうとうフィルムの補充はできなかったな、と、悔やみつつ。



 Line B / Epilogue

「時佐田先生! 反応が! WIMPです!」
 XMASS実験機の検出器をモニターしている修士学生の昂奮した声が観測室に響き渡った。
 
 その日、人類は史上初めてダークマターの観測に成功したのだ。
 刹那、ノーベル賞が私の脳裏を過ぎったのは、人の性というやつか。
                                     
                                         了
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