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黒木希
26話 帰り道からの帰り道
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「……ふう、間に合ったねぇ!」
「いや希さん、マジで勘弁してくださいよ……。これを逃したら東京に帰れなかったんですよ!」
最終の名古屋発⇒東京行きの新幹線に我々は何とか飛び乗ることが出来た。
希が名古屋駅の構内でお土産を見ているうちに、危うく逃すところだったのだ。
地元でお土産を選ぶならまだ理解できるが、名古屋は彼女にとってそれほど地元でもなかろうに。
「え~?そしたら、名古屋で泊ってあさイチで帰れば良くない?せっかくだしそれもアリだったかな?」
「ナシです!もう社長を通して明日の仕事のスケジュールも出ているんですから!……実家を出発する時と言ってることが違うじゃないですか、まったく……」
東京行き最終の新幹線はそれほど混んでもおらず、ガラガラでもなく……といった感じだった。
「ごめんってば。……ねえ、麻衣ちゃん怒った?怒ったの?ねえねえ?」
希の生き生きとした表情が戻ってきた感じがする。
俺はダル絡みに対する礼儀として面倒くさそうな態度を装っていたが、内心はとても嬉しかった。
そこに車内販売のお姉さんが通りかかった。
「あ、ねえねえ、アイス食べて良い?……すいませ~ん!」
許可を求めてきたはずなのに、希は返事を待つことなく車内販売のお姉さんを呼び止めた。
「……希さん?さっき夕飯を体育会系男子高校生のような勢いで食べていましたよね?その上でアイスクリームなんて、どんだけ食べるんですか?……少しはモデルとしての自覚を持ってですね……」
「あ、大丈夫よ。私食べてもあんまり太らないタイプだから」
早速受け取ったカップのアイスに木のスプーンを突き立てながら、希はこちらを見ることもなく答えた。
……好ましいことなのか残念ながらなのか、これは事実であった。
芸能人がスタイルを保つ秘訣を聞かれて「え~?特に何もしてないですぅ。ご飯も気にせず沢山食べますしぃ」という食べる食べる詐欺が芸能界では横行しているわけだが、黒木希に関しては本当にその通りだった。身近で生活を見ていると本当によく食べる。
もちろん一般の女性と比べれば、ダンスレッスンなどで活動量は多いだろうが、太らないのは元々の体質だろう。……俺だってこの美少女のルックスを保つため多少は節制しているというのにだ。まったく。
「え、食べたいの?あーん?」
俺のそんな気持ちが、物欲しそうに希には伝わったのだろうか?
スプーンですくったバニラアイスをこちらに向けてきた。
「……結構です。それより、すみませんが少し寝かせてください」
とりあえずは俺の計画した帰省が何とか好影響を与えたようで、そして何とか今日中に東京に帰れそうで……そんな諸々の緊張が解けてホッとしたのか、急激に眠気が襲ってきたのだった。
東京までの2時間、快適なグリーン車で眠れたらそれ以上幸せなことなどないように思えた。
「え~、もっと色々お話しようよ~」
希はそんな俺に対して不満のようだった。
手を握り腕を軽く揺すってきたが、眠気の広がってきた俺にはそれすらも心地よい揺り籠のようだった。
急速に眠気が深まってゆく。
起きる気配が薄いと見た希は俺を起こすことを諦めたようで、逆に寝かしつけることにやりがいを覚えたのか、なぜか俺の頭を撫でてきた。
(いや……希さん!こんな光景を誰かに見られたら何て説明するんですか!)
そう口に出そうと思ったが、撫でられている心地良さが副交感神経を優位に立たせ、眠気をさらに進行させていった。誰かに触れられることはこんなにも心地良いのだ。
俺の様子を見て、もうすぐ落ちると判断したのか希は顔を近付けてきた。
(いや……何をする気ですか?希さん?)
いや……別に何をされてももちろんイヤではないのだが、まあ一応はそう言わなければいけないような気がしたのでね……。
や、もちろん実際にはもう意識は朦朧としているので口に出して言ってはいないのですが……。
希が耳元に唇を寄せてきた。
(いやいやいや、ちょっとちょっと希さん!?)
「ね、麻衣ちゃん?……私には本当に応援してくれている人がいたんだね。……そんな当たり前のことが東京で忙しく仕事をしていると見えなくなっていたよ。このタイミングで実家に戻れて、そのことに気付けて本当に良かったと思う。全部麻衣ちゃんのおかげだよ。ありがとうね……」
囁くように言うと希は、俺の頬に軽くキスをした!
……ような気がする。
幸か不幸かそのまま寝落ちしたので、俺の願望が明晰夢を見せたのではないか?そんな気がした。
……後になって思い出そうとしても記憶は曖昧なままはっきりしなかった。
翌日は早朝から撮影だった。
希は「なんかすっかり目が冴えちゃって全然眠れなかったから、アンケートまとめたりライブ映像を見返したりしてた~」とあっけらかんと笑っていた。
もちろん撮影中も絶好調だった。
対して俺は、新幹線の中でも熟睡していたし、帰宅してからも速攻で寝たのだが、翌日も死ぬほど眠かった。
……何なんだろうか?この差は?やはりスターになるような存在は圧倒的にタフなのかもしれない。持って生まれたバイタリティが根本的に違うのではないだろうか?そんな気がした。
現場で沢山のスタッフに囲まれ、数々のタレントたちと共演している希を目の当たりすると、彼女はなるべくしてああなった存在なのだという気がして、少し距離感を感じた。
熱を出して弱気になってうなされていた時も、実家で母親と対峙した時のうろたえた様子も、帰りの新幹線で囁いた言葉も何もかもが幻なのではないか?……そんな風にも思えた。
……いやまあ、それ言ったら俺の存在とか人生そのものが夢みたいなというか、ウソみたいなものだと毎日思うんだけどさ。
東京に戻ってきてから2週間後には全国ツアーも再開された。
全国の主要都市圏5か所を巡る大規模なものだ。
名古屋の公演では希の家族も観覧に来たようだ。
ツアー初日では自分のパフォーマンスに納得がいっていなかった希だが、ここでは吹っ切れたように明るい表情をしていた。
公演後本人は「ミスってばっかだった!」と反省していたが、ツアー初日の思い詰めたような表情はでなくカラリとしたものだった。
そうした雰囲気は近しいメンバーを通してWISH全体に波及していったし、観客にも伝わっていた。やはり何よりも生き生きとしたメンバーの姿をオタクはアイドルに求めているのだ。
ツアーラストの東京での公演は贔屓目抜きに見て素晴らしいものだったと思う。どれだけ話題性がありルックスが可愛くても、生の現場で観客の心を掴めないグループに未来はない。
WISHはまだまだこれから大きくなっていくグループなのだと、この日俺は確信した。
希のパフォーマンスの変化の裏に心境の変化があったことには、社長も気付いていた。
「麻衣が希に何かしたの?」と訊かれたが、「いえ……1日半ほどですけどオフがあったのが良かったのだと思います」と答えるに留めておいた。
そもそも思い返せば俺は、希を休ませることは社長に提言していたが、帰省して家族と会うということまでは伝えていなかったのだ。
そうした経緯をいまさら全部説明するのは面倒だし、そもそも単なる一マネージャーとしては独断で色々なことを進め過ぎていた。それを今さら全部正直に打ち明ける気にはなれなかった。
希にとっても社長相手とはいえ、あけすけに家庭の事情を語られるのは恥ずかしいだろう。本人が話したくなったら話せば良いことで、第三者である俺が伝えるべきことではないだろうと判断したのだ。
「そう?良かったわ、麻衣。ありがとうね。あなたの判断のお陰で希は輝きを取り戻したのね。……希本人は頑張り過ぎちゃうから、あなたが休ませたことが結果的に良い結果をもたらしたのね」
もしかしたら俺が全てを話していないことすら気付いていたのかもしれないが……それでも社長はお褒めの言葉を掛けてくれた。
(……つーか、よく考えたらかなり危ない橋を渡っていたんだな……)
たまたま今回は上手く物事が運んだから良かったようなものの、一歩間違えば希のメンタルをさらに引っ掻き回して悪化させていた可能性もあるわけだ。
今さらになって急に怖くなってきた。
以前の松島寛太としてだったら、こんな判断は決してしていなかったんじゃないだろうか?
記憶が続いているから、外見がどんな美少女になっても俺はずっと自分を松島寛太だと思っていたが……知らぬ間に頭の方まで小田嶋麻衣になってきているのだろうか?そんなことを思って少し怖くなった。
だがもちろん俺自身にそれを確かめる術は無い。
これからもWISHのマネージャー業に邁進していくしかない、それが俺が小田嶋麻衣として転生した意味なのだから。
(つづく)
「いや希さん、マジで勘弁してくださいよ……。これを逃したら東京に帰れなかったんですよ!」
最終の名古屋発⇒東京行きの新幹線に我々は何とか飛び乗ることが出来た。
希が名古屋駅の構内でお土産を見ているうちに、危うく逃すところだったのだ。
地元でお土産を選ぶならまだ理解できるが、名古屋は彼女にとってそれほど地元でもなかろうに。
「え~?そしたら、名古屋で泊ってあさイチで帰れば良くない?せっかくだしそれもアリだったかな?」
「ナシです!もう社長を通して明日の仕事のスケジュールも出ているんですから!……実家を出発する時と言ってることが違うじゃないですか、まったく……」
東京行き最終の新幹線はそれほど混んでもおらず、ガラガラでもなく……といった感じだった。
「ごめんってば。……ねえ、麻衣ちゃん怒った?怒ったの?ねえねえ?」
希の生き生きとした表情が戻ってきた感じがする。
俺はダル絡みに対する礼儀として面倒くさそうな態度を装っていたが、内心はとても嬉しかった。
そこに車内販売のお姉さんが通りかかった。
「あ、ねえねえ、アイス食べて良い?……すいませ~ん!」
許可を求めてきたはずなのに、希は返事を待つことなく車内販売のお姉さんを呼び止めた。
「……希さん?さっき夕飯を体育会系男子高校生のような勢いで食べていましたよね?その上でアイスクリームなんて、どんだけ食べるんですか?……少しはモデルとしての自覚を持ってですね……」
「あ、大丈夫よ。私食べてもあんまり太らないタイプだから」
早速受け取ったカップのアイスに木のスプーンを突き立てながら、希はこちらを見ることもなく答えた。
……好ましいことなのか残念ながらなのか、これは事実であった。
芸能人がスタイルを保つ秘訣を聞かれて「え~?特に何もしてないですぅ。ご飯も気にせず沢山食べますしぃ」という食べる食べる詐欺が芸能界では横行しているわけだが、黒木希に関しては本当にその通りだった。身近で生活を見ていると本当によく食べる。
もちろん一般の女性と比べれば、ダンスレッスンなどで活動量は多いだろうが、太らないのは元々の体質だろう。……俺だってこの美少女のルックスを保つため多少は節制しているというのにだ。まったく。
「え、食べたいの?あーん?」
俺のそんな気持ちが、物欲しそうに希には伝わったのだろうか?
スプーンですくったバニラアイスをこちらに向けてきた。
「……結構です。それより、すみませんが少し寝かせてください」
とりあえずは俺の計画した帰省が何とか好影響を与えたようで、そして何とか今日中に東京に帰れそうで……そんな諸々の緊張が解けてホッとしたのか、急激に眠気が襲ってきたのだった。
東京までの2時間、快適なグリーン車で眠れたらそれ以上幸せなことなどないように思えた。
「え~、もっと色々お話しようよ~」
希はそんな俺に対して不満のようだった。
手を握り腕を軽く揺すってきたが、眠気の広がってきた俺にはそれすらも心地よい揺り籠のようだった。
急速に眠気が深まってゆく。
起きる気配が薄いと見た希は俺を起こすことを諦めたようで、逆に寝かしつけることにやりがいを覚えたのか、なぜか俺の頭を撫でてきた。
(いや……希さん!こんな光景を誰かに見られたら何て説明するんですか!)
そう口に出そうと思ったが、撫でられている心地良さが副交感神経を優位に立たせ、眠気をさらに進行させていった。誰かに触れられることはこんなにも心地良いのだ。
俺の様子を見て、もうすぐ落ちると判断したのか希は顔を近付けてきた。
(いや……何をする気ですか?希さん?)
いや……別に何をされてももちろんイヤではないのだが、まあ一応はそう言わなければいけないような気がしたのでね……。
や、もちろん実際にはもう意識は朦朧としているので口に出して言ってはいないのですが……。
希が耳元に唇を寄せてきた。
(いやいやいや、ちょっとちょっと希さん!?)
「ね、麻衣ちゃん?……私には本当に応援してくれている人がいたんだね。……そんな当たり前のことが東京で忙しく仕事をしていると見えなくなっていたよ。このタイミングで実家に戻れて、そのことに気付けて本当に良かったと思う。全部麻衣ちゃんのおかげだよ。ありがとうね……」
囁くように言うと希は、俺の頬に軽くキスをした!
……ような気がする。
幸か不幸かそのまま寝落ちしたので、俺の願望が明晰夢を見せたのではないか?そんな気がした。
……後になって思い出そうとしても記憶は曖昧なままはっきりしなかった。
翌日は早朝から撮影だった。
希は「なんかすっかり目が冴えちゃって全然眠れなかったから、アンケートまとめたりライブ映像を見返したりしてた~」とあっけらかんと笑っていた。
もちろん撮影中も絶好調だった。
対して俺は、新幹線の中でも熟睡していたし、帰宅してからも速攻で寝たのだが、翌日も死ぬほど眠かった。
……何なんだろうか?この差は?やはりスターになるような存在は圧倒的にタフなのかもしれない。持って生まれたバイタリティが根本的に違うのではないだろうか?そんな気がした。
現場で沢山のスタッフに囲まれ、数々のタレントたちと共演している希を目の当たりすると、彼女はなるべくしてああなった存在なのだという気がして、少し距離感を感じた。
熱を出して弱気になってうなされていた時も、実家で母親と対峙した時のうろたえた様子も、帰りの新幹線で囁いた言葉も何もかもが幻なのではないか?……そんな風にも思えた。
……いやまあ、それ言ったら俺の存在とか人生そのものが夢みたいなというか、ウソみたいなものだと毎日思うんだけどさ。
東京に戻ってきてから2週間後には全国ツアーも再開された。
全国の主要都市圏5か所を巡る大規模なものだ。
名古屋の公演では希の家族も観覧に来たようだ。
ツアー初日では自分のパフォーマンスに納得がいっていなかった希だが、ここでは吹っ切れたように明るい表情をしていた。
公演後本人は「ミスってばっかだった!」と反省していたが、ツアー初日の思い詰めたような表情はでなくカラリとしたものだった。
そうした雰囲気は近しいメンバーを通してWISH全体に波及していったし、観客にも伝わっていた。やはり何よりも生き生きとしたメンバーの姿をオタクはアイドルに求めているのだ。
ツアーラストの東京での公演は贔屓目抜きに見て素晴らしいものだったと思う。どれだけ話題性がありルックスが可愛くても、生の現場で観客の心を掴めないグループに未来はない。
WISHはまだまだこれから大きくなっていくグループなのだと、この日俺は確信した。
希のパフォーマンスの変化の裏に心境の変化があったことには、社長も気付いていた。
「麻衣が希に何かしたの?」と訊かれたが、「いえ……1日半ほどですけどオフがあったのが良かったのだと思います」と答えるに留めておいた。
そもそも思い返せば俺は、希を休ませることは社長に提言していたが、帰省して家族と会うということまでは伝えていなかったのだ。
そうした経緯をいまさら全部説明するのは面倒だし、そもそも単なる一マネージャーとしては独断で色々なことを進め過ぎていた。それを今さら全部正直に打ち明ける気にはなれなかった。
希にとっても社長相手とはいえ、あけすけに家庭の事情を語られるのは恥ずかしいだろう。本人が話したくなったら話せば良いことで、第三者である俺が伝えるべきことではないだろうと判断したのだ。
「そう?良かったわ、麻衣。ありがとうね。あなたの判断のお陰で希は輝きを取り戻したのね。……希本人は頑張り過ぎちゃうから、あなたが休ませたことが結果的に良い結果をもたらしたのね」
もしかしたら俺が全てを話していないことすら気付いていたのかもしれないが……それでも社長はお褒めの言葉を掛けてくれた。
(……つーか、よく考えたらかなり危ない橋を渡っていたんだな……)
たまたま今回は上手く物事が運んだから良かったようなものの、一歩間違えば希のメンタルをさらに引っ掻き回して悪化させていた可能性もあるわけだ。
今さらになって急に怖くなってきた。
以前の松島寛太としてだったら、こんな判断は決してしていなかったんじゃないだろうか?
記憶が続いているから、外見がどんな美少女になっても俺はずっと自分を松島寛太だと思っていたが……知らぬ間に頭の方まで小田嶋麻衣になってきているのだろうか?そんなことを思って少し怖くなった。
だがもちろん俺自身にそれを確かめる術は無い。
これからもWISHのマネージャー業に邁進していくしかない、それが俺が小田嶋麻衣として転生した意味なのだから。
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