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空を目指して浮いた泡

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 僕はチケット売り場に並ぶ。
 氷雨はこの付近は初めてらしく、しきりに目線を彷徨わせている。ショッピングモールを見たり、入港する貨物船を見たり、かと思えば時々僕を見たり。
 時折見せる純粋な表情が新鮮で、僕も時々彼女を盗み見る。いつか永遠に見れなくなるんだ、見納めはいつ始めたって遅すぎることはない。
 氷雨の視線が移った隙にチケット票を指さして、受付の女性に声に出さないようジェスチャーを送る。即座に理解した女性に料金を渡して、チケットを受け取る。
 購入したチケットは水族館と観覧車の乗車券がセットになっているものだった。
 観覧車は水族館のチケットとセットで買うと安い。事前に若から仕入れた情報に感謝しながら、僕らは入場ゲートをくぐる。

「こちらのチケットは捨てずに観覧車のスタッフまでお持ちくださいね~」

 チケットは半分に切られて返却された。
 氷雨は係員にうなずきながら、僕に湿度の高い目線を送ってくる。

「あとで割り勘です」
「もうもらったよ」
「渡してないっス。観覧車の分」

 水族館の勘定はもう済ませていた。
 だからあくまで観覧車はプレゼントだ。

「プレゼントだよ。取っといて」
「ダメです。これじゃお礼になっちゃいますから」

 順路に入った僕に、氷雨が金を押し付けてくる。

「何に対してのお礼だ?」

 僕はそれを押しのけて歩いた。

「君はお礼を受け取らないんだろう? だったら僕が助けられた話も流れたようなものじゃないか」

 だからプレゼントなんだ。
 氷雨が何か反論しようとして、思いつかなかったのかやめて、もう一度口を開く。
 長く暗いエレベーターの終着点付近。
 館内の薄暗いライトが僕らを照らした辺りで、氷雨は微笑んだのだろう。
 見上げた向こう側に光が差して、そのせいで僕は決定的な瞬間を見逃してしまった。

「デートっスもんね」

 どれだけ目を細めても、見上げた氷雨の顔は見えなくて。
 僕は結局、曖昧な笑顔を返した。

「ああ。だから見栄くらい張らせてくれると嬉しいよ」
「なるほど。これも人に優しくするってことっスな」
「物は言いようだね」

 減らず口をぶつけ合いながら、熱帯の魚が舞い泳ぐ水のトンネルに入る。
 カラフルな魚たちに混じって、時々エイなんかが頭上を這っていく。
 その歪な影を見上げて、氷雨はいちいち「ほあー」と間抜けな声を上げていた。

「よぎセン見て下さいよ、エイっスよエイ!」

 「あっちなんか変な魚いる!」と忙しなくトンネル中を指さす。
 年配の夫婦が僕らを微笑ましげに眺めながら通り過ぎていく。
 僕は一瞬だけ他人のふりをして、けれど純粋に輝くヘーゼルの瞳を思い出して、すぐに氷雨の隣に並ぶ。

「フグもいるぞ」
「えっ。どこっスか、アタシ唐揚げ好きなんスよ!」
「ああ、もう絶対教えないわ」

 気取らない自然体なだけに、ときどき突飛な反応が垣間見えるから面白い。
 これじゃあモテるわけだ。波の反射にうすぼんやりと浮かんだ横顔を眺めながら、僕は溜め息を吐く。

 ──誰かに取られる前に、口説かなきゃな

 あまり、僕らしくもない焦燥だと思う。
 いつもなら自分だけに集中させて口説き落とし、他人に目移りする前に殺すことが出来た。
 けれど氷雨は、特定の誰かを見ようとしない。不特定多数に善意を振りまいて、用が済んだら見向きもしない。
 現状、僕が彼女と同じ時間を共有できているのは単なる偶然に過ぎない。

「よぎセーン、次行きましょーよー」

 人の絶えた海のトンネルに、氷雨の声が響く。
 切り替えの早いことだ。僕はまだ、彼女との付き合い方すら決めきれないでいるのに。
 僕は笑って彼女に続く。

「次は日本の森らしいっスよ。カピバラさんいるんスかね?」
「いないと思う」

 どれだけ鼓動をかき乱されても、どんなに純粋なところがあっても。氷雨を殺す恋愛計画に変わりはない。
 氷雨は男子生徒を自殺させた。その理由は判然としないけれど、それで死体が一つ上がっているなら、彼女の行いは悪人と言ってもいい。
 氷雨茉宵は、必ず僕の手で殺さなければならない。
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