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墜落した夜の欠片たちは
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僕は《出るな》と登録された連絡先に電話をかけて、応じた人物を呼び出す。三十分もしないくらいのところで、藪を掻き分ける足音がした。
死神というのは、案外便利な存在らしい。
「追われてる身でお巡り呼び出すたァ、容疑者ってのはずいぶんと高貴なご身分なんだな」
暗がりに立つ人影が大きな声を上げる。
「もう少し小さな声で頼みます。近隣住民に迷惑ですから」
「悪人がポリ公呼び出した挙げ句に、モラル片手に指図たァ恐れ入る。殺されてぇんかい、クソガキ」
ひょっとすると、茉宵はとっくに起きているのかもしれない。彼女は見た目よりもずっと聡明な少女だ。
けれど仮に起きていたとしても関係のないことだ。
上手くことが進めば、氷雨茉宵は明日にでも家に帰ることができるのだから。
「ガキの痴情の縺れで済んでるうちにごめんなさいしときゃ、まだガキのままでいられたのによ。交番《ハコ》の強盗と情報操作による捜査の撹乱は、流石にやりすぎだったな」
片手を腰に当てた影が歩み寄ってくる。
その影は月の下に近づくに連れて、見知った風貌に変わっていく。
「一応聞いといてやるよ。自首か、半殺しにされた上での逮捕、どっちがお望みだ?」
全身が完全に月明かりに晒されたところで、僕は腰に手を回す。
「どっちでもないですよ、檜垣さん」
檜垣真治は僕にとっての死神だ。
いつも最悪のタイミングで現れては僕を嘲笑い、行動のすべてを言い当てて釘を刺していく。
けれど今夜、主導権は僕にある。
「今日は交渉がしたくて呼んだんです」
「悪いが、危険物を所持している凶悪犯との取引は出来ない。長期刑が嫌なら、取り調べで協力的な姿勢を示すこったな」
「そうじゃないんですよ」
言いながら、腰の警棒を抜く。
途端に檜垣さんが憎悪の表情を浮かべた。腰に添えていた手は、いつの間にか警棒を抜いている。
「動くなよ。手のものは地面に、落とすんでなく、ゆっくりと置け」
「そうですよね、子供相手に拳銃は抜けない」
僕は、笑って、ゆっくりと檜垣さんに近づいていく。
苦虫を噛み潰したような顔が、僕の心をくすぐる。
両手は頭上に挙げた。けれど右手に抜いた警棒は、いつでも振り降ろせる状態にしている。
「おい止まれ。チャカがなくとも、訓練も受けてねぇガキの制圧なんざワケねぇんだ」
「僕はこれを返したいんですよ」
「黙れ。今すぐその場に止まって、盗んだ警棒を地面に置けと言っている」
「そんなに僕がこれを使うと思ってるなら、僕の手の届かないところまで投げるんで、取りに行ってくだいよ」
僕が警棒を振りかぶり、檜垣さんが「やめろ」と叫ぶ。
振りかぶった先は黒々とした波がうねっていて、その輪郭を月が銀色に染め上げていた。
振り上げた手を止めて、僕は静かに問いかける。
「なら、どうして一人で来たんです? 部下の方は?」
「出世のためか、正義のためか。どっちがお前好みだ?」
檜垣さんは一つため息をつくと、自らを嘲笑ってみせた。
「とっとと官品を返して、氷雨茉宵を出しな。今ならお前は脅迫されてやったってことにも出来るはずだ」
緊張と、芋虫を噛み潰したような不快感の隙間に、微かな希望を見つける。
僕を救うために、茉宵は言われのない罪を被る。彼女を知っているからこそ、想像は簡単だった。だからこそその提案が、彼女を知る檜垣さんの口から出たことが許せなかった。
「今なら微罪で終わらせてやる、ってことですか?」
「ああ、学校にはいられなくなるかもしれんがな」
それから檜垣さんは、選択肢の多い現代を絡めて僕を説得した。僕はそのすべてを聞き流して、真っ向から彼を睨め付ける。
「お断りします」
死神というのは、案外便利な存在らしい。
「追われてる身でお巡り呼び出すたァ、容疑者ってのはずいぶんと高貴なご身分なんだな」
暗がりに立つ人影が大きな声を上げる。
「もう少し小さな声で頼みます。近隣住民に迷惑ですから」
「悪人がポリ公呼び出した挙げ句に、モラル片手に指図たァ恐れ入る。殺されてぇんかい、クソガキ」
ひょっとすると、茉宵はとっくに起きているのかもしれない。彼女は見た目よりもずっと聡明な少女だ。
けれど仮に起きていたとしても関係のないことだ。
上手くことが進めば、氷雨茉宵は明日にでも家に帰ることができるのだから。
「ガキの痴情の縺れで済んでるうちにごめんなさいしときゃ、まだガキのままでいられたのによ。交番《ハコ》の強盗と情報操作による捜査の撹乱は、流石にやりすぎだったな」
片手を腰に当てた影が歩み寄ってくる。
その影は月の下に近づくに連れて、見知った風貌に変わっていく。
「一応聞いといてやるよ。自首か、半殺しにされた上での逮捕、どっちがお望みだ?」
全身が完全に月明かりに晒されたところで、僕は腰に手を回す。
「どっちでもないですよ、檜垣さん」
檜垣真治は僕にとっての死神だ。
いつも最悪のタイミングで現れては僕を嘲笑い、行動のすべてを言い当てて釘を刺していく。
けれど今夜、主導権は僕にある。
「今日は交渉がしたくて呼んだんです」
「悪いが、危険物を所持している凶悪犯との取引は出来ない。長期刑が嫌なら、取り調べで協力的な姿勢を示すこったな」
「そうじゃないんですよ」
言いながら、腰の警棒を抜く。
途端に檜垣さんが憎悪の表情を浮かべた。腰に添えていた手は、いつの間にか警棒を抜いている。
「動くなよ。手のものは地面に、落とすんでなく、ゆっくりと置け」
「そうですよね、子供相手に拳銃は抜けない」
僕は、笑って、ゆっくりと檜垣さんに近づいていく。
苦虫を噛み潰したような顔が、僕の心をくすぐる。
両手は頭上に挙げた。けれど右手に抜いた警棒は、いつでも振り降ろせる状態にしている。
「おい止まれ。チャカがなくとも、訓練も受けてねぇガキの制圧なんざワケねぇんだ」
「僕はこれを返したいんですよ」
「黙れ。今すぐその場に止まって、盗んだ警棒を地面に置けと言っている」
「そんなに僕がこれを使うと思ってるなら、僕の手の届かないところまで投げるんで、取りに行ってくだいよ」
僕が警棒を振りかぶり、檜垣さんが「やめろ」と叫ぶ。
振りかぶった先は黒々とした波がうねっていて、その輪郭を月が銀色に染め上げていた。
振り上げた手を止めて、僕は静かに問いかける。
「なら、どうして一人で来たんです? 部下の方は?」
「出世のためか、正義のためか。どっちがお前好みだ?」
檜垣さんは一つため息をつくと、自らを嘲笑ってみせた。
「とっとと官品を返して、氷雨茉宵を出しな。今ならお前は脅迫されてやったってことにも出来るはずだ」
緊張と、芋虫を噛み潰したような不快感の隙間に、微かな希望を見つける。
僕を救うために、茉宵は言われのない罪を被る。彼女を知っているからこそ、想像は簡単だった。だからこそその提案が、彼女を知る檜垣さんの口から出たことが許せなかった。
「今なら微罪で終わらせてやる、ってことですか?」
「ああ、学校にはいられなくなるかもしれんがな」
それから檜垣さんは、選択肢の多い現代を絡めて僕を説得した。僕はそのすべてを聞き流して、真っ向から彼を睨め付ける。
「お断りします」
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