4 / 41
異邦人
しおりを挟む「じゃあ今度はキミの番。本当は何が気に入らなかったんだい。映画館を出てからずっと上の空だったし、銀座へ連れて来られただけでヘソを曲げたわけじゃないんだろ。僕も話したんだから、キミもぶっちゃけちゃいなよ」
さあ、さあどうぞと言わんばかりに、僕は塔子に手を差し出した。
「そうですね。この気持ちを家に持ち帰って独り悶々とするのは嫌だし。ここでぶちまけましょう。私が今日一番不愉快だったのはあの映画を観たことですよ」
僕らがその日観てきた映画は『異邦人』。
フランス人作家カミュによって書かれた傑作不条理小説の映画化である。
監督は巨匠ヴィスコンティ。
主演はイタリアの伊達男マストロヤンニ。
物語の舞台は第二次世界大戦前。
フランス植民地時代のアルジェリア。
主人公は、常識や社会通念に囚われず、自分の心に正直に生きる青年ムルソー。
彼は、疎遠だった母の死に直面しても涙せず。
母の死の直後に恋人と遊興に耽って行為に及び。
さらに悪友と諍いを起こしたインド人をなりゆきで射殺してしまう。
収監され、司法の場へ引きずり出されるムルソー。
彼は、世間によってたかって責められ、一方的に不道徳な人間と決め付けられて極刑を言い渡される。
世の中の不条理と無理解に怒りを覚えるムルソー。
だが、独房の中で死を甘受したことで魂の平穏を得るのだった。
そんなお話。
「せっかく期待して観に行ったのに。とにかくマストロヤンニの演じるムルソーには違和感しかなくてガッカリ。なんなんですかアレはいったい」
ウェイターが食事を運んできても、塔子の怒りのテンションが下がることはなかった。
テーブルに置かれたのは、赤いナポリタンではなく、白い和風ナポリタン。
ナポリタンを頼んで、意外とこの和風ナポリタンを出してくるところも多い。
「さ、佐藤さんはどう思います」
塔子は、ナポリタンを巻きつけたホークを僕に突きつけながら訊いてきた。
とてもお行儀が悪い。
塔子は、肩で風切って歩くウーマンリヴの闘士のような女性ではないが、三歩下がって男に付いてくる慎ましやかな大和撫子でもなかった。
雑踏の中では僕の背中に隠れるのは、ただ単に内向的で、引っ込み思案だから。
ゆえに打ち解けた相手には、歯に絹着せぬ物言いをしたりもする。
彼女から映画を誘ってきたのも、独りで映画館へ行く勇気がなかっただけだろう。
「キミはボロクソに言うけど、映像は美しかったし、ストーリーは大筋原作どおりだったろ」
「佐藤さんは全然分かってません。私は映像がキレイとか、話が原作通りとか、そういう次元の話をしているんじゃないんです。問題なのは役者ですよ役者」
「日本人の僕には、イタリア人とピエ・ノワール(アルジェリア系フランス人)の区別もろくにつかないし、そこまで言うほど違和感なかったかな」
「何を言ってるんですか。違和感ありまくりですよ!」
塔子は、かなりご立腹のようで愚痴がなかなか止まらない。
「ムルソーは、あんな恰幅が良くて顎が太い、甘いマスクの中年伊達男じゃないんです! もっと痩せてて、神経質そうで、繊細な青年がやらなきゃダメなんですよ!」
塔子は、ナポリタンを巻きつけたホークを苛立たしげにコツコツと食器に何度も打ちつけながら言った。
「まあ、まあ。抑えて、抑えて。そんな大きい声出したら、周りのお客さんに迷惑だから」
僕が、両手の掌を下に向けて落ち着けとジェスチャーしながら周囲を見渡すと、大きな音に驚いた店中の客がこちらに視線を集中させていた。
本格的ジャズ喫茶ではなくても、店内で大声を出すのはマナー違反。
僕の様子を見て、ようやく自分の声が大きくなっていたのに気付いたか。
塔子は、顔を耳まで真っ赤にして俯いた。
しばらくして羞恥心が癒えても まだいじけているらしく、食べかけのナポリタンを食べるでもなくホークで弄んでいた。
会話に夢中になって、自分の声が大きくなっているのに気付かないのは、あまり他人と喋らない人のあるあるだ。
僕も、どちらかというと内向的で、そんなに友達が多い方じゃないからわかる。
「確かに原作のイメージとは違ったかもね。だけど僕には原作が難解過ぎて、これはどう受け止めるべきなんだろうかって、よくわからない部分もあったから、映画向けに噛み砕いた内容にしてくれてたのは物語の理解の助けになって良かったよ」
そう言うと僕は、醒めた珈琲を口に含み、煙草の煙でいがらっぽくなった喉を湿らせた。
僕は、塔子の気持ちを逆撫でしないように塔子の意見に賛同しつつ、私見を述べた。
常識とはかけ離れた価値観を持つムルソーの思考や言動は難解。
どう読み解くのか。
読む人によっても解釈が変わる。
後味の悪い結末についても、受け止め方はさまざま。
これは原作者のカミュが、普通に考えればバッドエンドとしか思えないラストで、わざわざ主人公に自分は幸福であると言わせ、不条理な死さえも、勝手に他人が不幸と決めつけるのはエゴではないかと問題提起しているからだ。
おかげで初版が発行されてから何十年も経つのに、いまだにこの物語を考察する人が絶えない。
「納得はしてませんが――そうですね。佐藤さんの言う通り、原作小説を読み解くための解説映画と捉えれば、そんなに出来の悪い映画ではなかったのかもしれません」
ようやく自分の中で腹落ちさせることが出来たらしく、塔子は手で弄んでいたホークをようやく皿に置いた。
「もう食べないの?」
コーヒーカップをソーサーに戻しながら僕が訊ねると、
「なんだかまだ胸がモヤモヤして。完全に食欲がなくなりました」と塔子が答えた。
「じゃあ出ようか」
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ト・カ・リ・ナ〜時を止めるアイテムを手にしたら気になる彼女と距離が近くなった件〜
遊馬友仁
青春
高校二年生の坂井夏生(さかいなつき)は、十七歳の誕生日に、亡くなった祖父からの贈り物だという不思議な木製のオカリナを譲り受ける。試しに自室で息を吹き込むと、周囲のヒトやモノがすべて動きを止めてしまった!
木製細工の能力に不安を感じながらも、夏生は、その能力の使い途を思いつく……。
「そうだ!教室の前の席に座っている、いつも、マスクを外さない小嶋夏海(こじまなつみ)の素顔を見てやろう」
そうして、自身のアイデアを実行に映した夏生であったがーーーーーー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる