昭和レトロな歴史&怪奇ミステリー 凶刀エピタム

かものすけ

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異邦人

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「じゃあ今度はキミの番。本当は何が気に入らなかったんだい。映画館を出てからずっと上の空だったし、銀座へ連れて来られただけでヘソを曲げたわけじゃないんだろ。僕も話したんだから、キミもぶっちゃけちゃいなよ」

 さあ、さあどうぞと言わんばかりに、僕は塔子に手を差し出した。

「そうですね。この気持ちを家に持ち帰って独り悶々とするのは嫌だし。ここでぶちまけましょう。私が今日一番不愉快だったのはあの映画を観たことですよ」

 僕らがその日観てきた映画は『異邦人』。
 フランス人作家カミュによって書かれた傑作不条理小説の映画化である。
 監督は巨匠ヴィスコンティ。
 主演はイタリアの伊達男マストロヤンニ。
 物語の舞台は第二次世界大戦前。
 フランス植民地時代のアルジェリア。
 主人公は、常識や社会通念に囚われず、自分の心に正直に生きる青年ムルソー。
 彼は、疎遠だった母の死に直面しても涙せず。
 母の死の直後に恋人と遊興に耽って行為に及び。
 さらに悪友と諍いを起こしたインド人をなりゆきで射殺してしまう。
 収監され、司法の場へ引きずり出されるムルソー。
 彼は、世間によってたかって責められ、一方的に不道徳な人間と決め付けられて極刑を言い渡される。
 世の中の不条理と無理解に怒りを覚えるムルソー。
 だが、独房の中で死を甘受したことで魂の平穏を得るのだった。
 そんなお話。

「せっかく期待して観に行ったのに。とにかくマストロヤンニの演じるムルソーには違和感しかなくてガッカリ。なんなんですかアレはいったい」

 ウェイターが食事を運んできても、塔子の怒りのテンションが下がることはなかった。
 テーブルに置かれたのは、赤いナポリタンではなく、白い和風ナポリタン。
 ナポリタンを頼んで、意外とこの和風ナポリタンを出してくるところも多い。

「さ、佐藤さんはどう思います」

 塔子は、ナポリタンを巻きつけたホークを僕に突きつけながら訊いてきた。
 とてもお行儀が悪い。
 塔子は、肩で風切って歩くウーマンリヴの闘士のような女性ではないが、三歩下がって男に付いてくる慎ましやかな大和撫子でもなかった。
 雑踏の中では僕の背中に隠れるのは、ただ単に内向的で、引っ込み思案だから。
 ゆえに打ち解けた相手には、歯に絹着せぬ物言いをしたりもする。
 彼女から映画を誘ってきたのも、独りで映画館へ行く勇気がなかっただけだろう。

「キミはボロクソに言うけど、映像は美しかったし、ストーリーは大筋原作どおりだったろ」

「佐藤さんは全然分かってません。私は映像がキレイとか、話が原作通りとか、そういう次元の話をしているんじゃないんです。問題なのは役者ですよ役者」

「日本人の僕には、イタリア人とピエ・ノワール(アルジェリア系フランス人)の区別もろくにつかないし、そこまで言うほど違和感なかったかな」

「何を言ってるんですか。違和感ありまくりですよ!」

 塔子は、かなりご立腹のようで愚痴がなかなか止まらない。

「ムルソーは、あんな恰幅が良くて顎が太い、甘いマスクの中年伊達男じゃないんです! もっと痩せてて、神経質そうで、繊細な青年がやらなきゃダメなんですよ!」

 塔子は、ナポリタンを巻きつけたホークを苛立たしげにコツコツと食器に何度も打ちつけながら言った。

「まあ、まあ。抑えて、抑えて。そんな大きい声出したら、周りのお客さんに迷惑だから」

 僕が、両手の掌を下に向けて落ち着けとジェスチャーしながら周囲を見渡すと、大きな音に驚いた店中の客がこちらに視線を集中させていた。

 本格的ジャズ喫茶ではなくても、店内で大声を出すのはマナー違反。
 僕の様子を見て、ようやく自分の声が大きくなっていたのに気付いたか。
 塔子は、顔を耳まで真っ赤にして俯いた。
 しばらくして羞恥心が癒えても まだいじけているらしく、食べかけのナポリタンを食べるでもなくホークで弄んでいた。
 会話に夢中になって、自分の声が大きくなっているのに気付かないのは、あまり他人と喋らない人のあるあるだ。
 僕も、どちらかというと内向的で、そんなに友達が多い方じゃないからわかる。

「確かに原作のイメージとは違ったかもね。だけど僕には原作が難解過ぎて、これはどう受け止めるべきなんだろうかって、よくわからない部分もあったから、映画向けに噛み砕いた内容にしてくれてたのは物語の理解の助けになって良かったよ」

 そう言うと僕は、醒めた珈琲を口に含み、煙草の煙でいがらっぽくなった喉を湿らせた。

 僕は、塔子の気持ちを逆撫でしないように塔子の意見に賛同しつつ、私見を述べた。
 常識とはかけ離れた価値観を持つムルソーの思考や言動は難解。
 どう読み解くのか。
 読む人によっても解釈が変わる。
 後味の悪い結末についても、受け止め方はさまざま。
 これは原作者のカミュが、普通に考えればバッドエンドとしか思えないラストで、わざわざ主人公に自分は幸福であると言わせ、不条理な死さえも、勝手に他人が不幸と決めつけるのはエゴではないかと問題提起しているからだ。
 おかげで初版が発行されてから何十年も経つのに、いまだにこの物語を考察する人が絶えない。

「納得はしてませんが――そうですね。佐藤さんの言う通り、原作小説を読み解くための解説映画と捉えれば、そんなに出来の悪い映画ではなかったのかもしれません」

 ようやく自分の中で腹落ちさせることが出来たらしく、塔子は手で弄んでいたホークをようやく皿に置いた。

「もう食べないの?」

 コーヒーカップをソーサーに戻しながら僕が訊ねると、

「なんだかまだ胸がモヤモヤして。完全に食欲がなくなりました」と塔子が答えた。

「じゃあ出ようか」
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