昭和レトロな歴史&怪奇ミステリー 凶刀エピタム

かものすけ

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エピタム伝承

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「母が亡くなる前に、心残りにしていたことについて、ことづかっていますから」

「でも、お母さま亡き今、直接ユカラを聞くことはもう……」

「たしかに、一族のメノコユカラをアイヌ語で唄えるのは、母だけでした」

 マキリさんのいうメノコユカラとは、女が唄う女向けのユカラのことだ。
 本来ユカラといえば、男子血族にのみに継承される英雄及び英雄神にまつわる秘密
のユカラのことを指す。
 英雄及び、英雄神のユカラは、アイヌでも普段使わない雅語や、難解な古い言い回
しの古語で語られる。
 だから本当のユカラは、ユカラクルの中でも、子供の頃からユカラを教え込まれた
正統なユカラ伝承者にしか謡えない。
 そして秘密のユカラを知る由緒正しきユカラクルは、絶対数が少なかったので、昭
和初期には既に絶えている。
 対してメノコユカラは、火、水、風、太陽、動物、鳥、昆虫、植物といった自然神
にまつわるユカラだ。
 これは主に、女が語り継ぐもので、秘密性は低く、特別な立場になくても受け継げ
たので知っている者が多く、マツネのように現代まで生き延びた語り部もいた。
 だがメノコユカラでさえも、ちゃんと謡えるユカラクルは高齢化が進んでいて、年
々少なくなってきているのが現状だ。
 亡くなったマツネを含めてもユカラクルは、いまや両手の指に余るまい。

「私は、アイヌ語よりも日本語の方が達者なもので、アイヌ語はかろうじて日常語を
喋れる程度。かしこまった言い回しのアイヌ雅語や、古い言い回しのアイヌ古語は、
もちろん喋れませんし、節を付けて謡うメノコユカラも私には謡えません。でも母が
先生さまの御本の内容に納得いかなかったのは、そもそもユカラについてでも、メノ
コユカラについてでもなかったのです」

「と言いますと?」

「母が納得いかなかったのは、ユカラではなくて、ウエペケレだったのです」

 英雄のユカラや、自然神にまつわるメノコユカラは叙事詩。
 物語の主人公は、神か、神に近い英雄のような存在。
 節があって謡うように語られる。
 特に英雄のユカラは雅語や古語が使われているため、正しい理解は同じアイヌでさ
え困難。
 調子をとるために繰り返し囃子言葉を入れるのが特徴だ。

 一方ウエペケレは散文説話。
 主人公は、神ではなく普通の人。
 節はなく、普通のアイヌの日常語で語られる。
 ようするに昔話である。
 ただし和人の昔話と違うのは、語られる内容が、実際に過去に起こった出来事だと
いうこと。
 つまり先祖の教訓話なのだ。
 そしてウエペケレは、メノコユカラと同じく、主に女子が伝えていくものだった。

「ウエペケレ――何のウエペケレなんでしょうか」

 僕は、俄然興味が湧いてきた。

「エピタムのウエペケレです」

「エピタム! エピタムってあの有名な、凶々しい人喰い刀『凶刀エピタム』のエピ
タムですか」

「はい。そのエピタムです。幌別鉱山にあった私たちのコタンにも、エピタムの伝説
が、代々伝わっていたのです」

 エピタムとは、直訳すると人喰い刀という意味。
 人喰い刀エピタムの伝説は、数あるアイヌの伝説の中でもとりわけ有名なもののひ
とつ。
 道民には比較的よく知られている伝承話だった。
 とはいえ内地の人は、御存知ない方が多いと思うので、ここで人喰い刀こと、凶刀
エピタムの伝説について、かいつまんで説明しておこう。


 昔、とあるアイヌの酋長の家に、英雄がふるったとされる宝刀が受け継がれていた。
 その宝刀は、ひとたび呪文を唱えれば、勝手に空を飛んで行って敵を斬りつける魔
法の刀だった。
 いったん解き放たれた刀の閃きは、誤またず敵の急所を貫き、美しい女体のように
照り輝く刀身を、血に染め上げた。
 刀がひとりでに敵を始末してくれるのだから刀の操手は向うところ敵なしで、敵対
する部族や、夜盗も恐れをなして、この魔法の刀を所持する村にはあえて手を出そう
とはしなかった。
 もちろんエピタムがあるとも知らないで村を襲おうとした襲撃者もまれにはいた。
 だがそいつらも、カタカタというエピタムの鍔鳴り音を聞くと震え上がってしまい、
すぐに逃げ出してしまったという。
 この魔法の刀を上手く使いこなすことが出来れば、村に賊を寄せつけない鉄壁の護
りとなった。

 ところが。
 刀が暴れるのをやめさせる呪文を知っている古老たちが、次々と年老いて死んでし
まい、誰もいなくなってしまったからさあ大変。
 刀は誰にも制御出来なくなり、村の護り刀は、途端に扱いに困る厄介な存在になっ
てしまったのだ。
 刀の暴走を畏れた酋長は、蒲のむしろにくるんで封印することにした。
 しかしある夜のこと。
 封印から稲妻の如く飛び出した刀が、村人を傷つける事件が発生した。
 再び厳重に封印された刀は、今度は重し石をつけて川に沈められた。
 だが、酋長が刀を川に沈めたあと、家に帰ってきてみると、すでに刀は酋長より先
に家に戻っていた。
 知見の深い渡り者から「凶刀は、石を食わせておけばおとなしくなる」という耳寄
りな情報を仕入れた酋長は、今度は刀を石と一緒に鉄製の箱に詰めて封印した。
 しばらくのあいだは、箱からは、キリキリと不快な音がしていたが、やがて箱から
音はしなくなった。
 ようやくおとなしくなったかと、村人たちが安堵の息を吐いたのも束の間。
 刀は、鉄の箱を突き破り、見境なく人に斬りつけ始めた。
 このままでは全員、あの人喰い刀に撫で斬りにされてしまう!
 いよいよ命の危険を感じた酋長は、村人たちと一緒に「どうかお助け下さい」と神
に祈りを捧げた。
 するとその夜。
 白い衣を身にまとった神の使いが現れて、酋長にお告げを下さった。

「台場が原の断崖から突き出た大岩の下にある底無し沼に行き、大岩に祭壇を作って
祈りなさい。さすれば望みは聞き届けられるであろう」というのである。

 言われた通りの場所で祈りを捧げると、祭壇の大岩は二つに裂け、割れた大岩の間
から、白いエゾイタチが現れた。
 エゾイタチは、口に胡桃の実を加えると、底なし沼に投げ入れてみせた。
 するとどうだろう。
 沼の水が生き物の如く盛り上がり、投じられた胡桃を水底深く引きずり込んでしま
ったではないか。
 白いエゾイタチが、くだんの白い衣を身にまとった神の使いであると悟った酋長は、
刀の入った蒲のむしろを捧げ持ち、

「この刀があっては村が亡びてしまう。この凶刀をそこの沼に投げ入れて、神である
あなたに捧げますから、しっかりと預って頂きたい。そしてこの凶刀が二度と再び村
に現れないようにして下さい」と必死に祈った。

 そして底なし沼に、むしろごとドボンと投げ入れたのだ。
 するとエゾイタチが胡桃を投げ入れたときと同じように、沼の水が生き物の如く盛
り上がり、投じられた刀を呑み込むと、水中に引きずり込んだ。
 それ以来恐ろしい人喰い刀は、二度と姿を現すことはなかったという。

 とまあ、こんなお話だ。

 僕が述べた人喰い刀伝承は、もっともポピュラーなもので、沙流側流域の穂別町の
ウエペケレや、大雪山系東側の上川町のウエペケレの内容に基づいている。
 エピタム伝承は、北海道各地に伝わっていて、ひとつではないものの、大半はこの
類型の物語だ。
 類型の物語でない場合も、エピタムが妖刀や凶刀の類だというのは共通している。
 このことから、エピタムというのは、特定の刀を指す固有名詞ではなく、勝手に人
を斬ってしまう妖刀の総称だと考えられる。
 だから各地のエピタムと呼称される刀が、同一の刀である保証もない。

「でもアイヌの文化に詳しい人なら、誰もが知っているようなウエペケレに、どうし
てお母さまはそこまでこだわったのでしょうか」

 よく知られているウエペケレを秘密扱いしている卯子沢一族に、奇妙さを感じた僕
は、さらに突っ込んで聞いてみた。
 するとマキリは、

「他の人にとってはありふれたウエペケレでも、私たちにとっては、一族のルーツに
まつわる大切なウエペケレだったからです」と答えた。
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