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齟齬
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「ですがマキリさん。人喰い刀伝説は、道内各地にあります。それを全部正確に記述
していたら、それだけで本が一冊できてしまう。だからユーカラ集概説では、ページ
数の都合上、大筋が同じものは各地の伝説の差異について脚注で述べるに留めたので
す」
「それは理解出来ます。ですが母によると、私たち一族に伝わる人喰い刀伝説のウエ
ペケレには、ページ数もろくに割かれていなかったばかりか、注意書きでも正確に書
かれていなかったそうなのです。アイヌ文化が廃れていく中で、せめて私たち一族の
生きた証だけでも残したいと願い、一族の大切なウエペケレの内容を打ち明けたのに。
母がひとこと文句を言いたくなるのも当然でしょう」
「それではマキリさんの一族に伝わる人喰い刀伝説は、大きくページを割くほど、他
の地域の人喰い刀伝説とかけ離れた内容だというのですね」
「いいえ」
「はぁ?」
この娘は、僕をからかっているのだろうか?
「一番ポピュラーなエピタム伝説は、穂別町や、上川町のものですが――二つの町の
エピタム伝説と内容が大きく異なっている訳じゃないんですか?」
僕は呆れて、聞き返した。
「むしろ穂別町や、上川町のものと、内容はほぼ同じです。取り立てて言うほどの違
いはありません」
「言っている意味が判らない。他のところに伝わる人喰い刀伝説と差異が無いのなら、
特別なウエペケレでも何でもないじゃないですか。注意書きで触れる必要だってあり
はしない。マツネさんがこだわった理由も謎だ」
マキリの言っていることは、要領を得ず。
僕は、イライラして癇癪を起こしそうになった。
でもここで怒るのは大人気ない。
彼女の日本語の読解力や語彙力が足りないだけかもしれないからだ。
列島改造論をぶち上げた戦前生まれのブルドーザー総理が、小卒なのは有名な話だ
が、僕やマキリのような焼け跡世代も、まともに義務教育を受けられなかった者が多
い。
ましてマキリはアイヌ。
和人の義務教育制度を受けず、家の仕事を手伝わされていた可能性が高い。
漢字のほとんど使われていない手紙もそのことを裏付けている。
ただし手紙の文章そのものは、しっかりしていた。
とても彼女の知能が低いようには思えない。
言葉使いも、僕よりもきれいな標準語を話す。
言葉使いが上手く、文字を操るのが下手なのが、アイヌ民族の特性と思えるほどだ。
だが、いくら言葉使いがきれいでも、言葉の読解力だけが低いという可能性もあり
える。
内地の人間同士だって、方言がきつい人とは意思疎通が難しいし、話が噛み合わな
いこともままあるのだから、どうしてマキリが、僕の言葉の意味を正確に理解してい
ると言い切れよう。
たとえ話が噛み合わなかろうと、ここは僕が大人になって、お互いに何を言いたい
のか理解し合えるまで、根気よく話し合うよりほかにないだろう。
「マキリさんの言っていることは矛盾していますよ」
「私は何も矛盾したことは言っていません」
マキリも頑なだ。
「ですから、もっと筋道だって、判りやすく話して下さいよ!」
僕は、努めて怒りを露わにしないようにしていたつもりだったが、口から飛び出た
声は、自分が思っていたよりもずっと高く、ヒステリックになっていた。
イライラを全然隠せていない。
「筋道だって、話してるって言ってます!」
マキリも、段々ヒートアップしてきて、声が高くなってきていた。
「いやいや、僕には、あなたが何を言いたいのか、さっぱり判りませんよ。だってマ
キリさんの村に伝わるエピタムのウエペケレは、他の部族のものと一緒なんでしょ」
「ええ、人喰い刀が暴れ出して封印されるまでの部分は、確かに他の部族に伝わる伝
説と同じです」
「だから、ほらーっ、それが矛盾していると言ってるんです」
僕は、彼女に対して、怒るに怒れず。
代わりに自分の髪をくしゃくしゃに掻き乱した。
「でも母が書いて欲しかったのは、その後の話についてなのです」
「えっ、ええっ?! その後の話??」
それを聞いて僕は絶句した。
「んんーっ、ちょ、ちょっと待って下さい。混乱しています。マキリさんの一族の人喰
い刀伝説には、まだ続きがあるというんですか?」
僕の問いにマキリは、黙って頷いた。
エピタム伝説は、エピタムが封印されるか、消失するかして、めでたしめでたしと
なり、酋長や村人たちは平和に暮らしました、おしまいとなるのがお決まりの展開で
ある。
その後再び、その土地の歴史にエピタムが姿を現すことはないし、長々とエピタム
にまつわる後日譚が続くこともない。
「そういうことですか」
マツネが本当に語り伝えたかったのは、エピタム伝説の後日譚のウエペケレだった
のだと理解し、ようやく僕は要領を得た。
「それでマキリさんは、そのウエペケレを知っているんですね」
「はい。母のまた聞きで良ければ、この場で話して聞かせましょうか」
「マキリさんは、そのウエペケレを完璧に話せるのですか」
「私は、節のあるメノコユカラは謡えませんが、節のないウエペケレならば、日本語
に訳して聞かせることだって出来ますよ」
「ぜひ聞かせて下さい。あっ、でもちょっと待ってくださいね。いま準備をしますか
ら」
ぼくは、いそいそと傍らに置いてあった四角いショルダーバッグを開けた。
現れたのは、巨大なオープンリール式のテープレコーダーデッキ。
貴重な話を記録に残すために、十キロ以上もあるものを、わざわざ持ってきたので
ある。
ヒィヒィ言いながら雪中行軍して運んできた甲斐があったというものだ。
「ただし、ウエペケレを聞かせてもらう前に、ひとつ断っておきたいのですが」
僕はテープレコーダーデッキの上蓋を開けながら、前置きした。
「一応僕はユーカラノートに共同執筆者として名を連ねてはいますが、本の文章を書
いてはいませんし、あの本は飽くまで師匠の本なのです。出版社や、師匠の御遺族か
ら許可を得ないと改稿は出来ません。つまりお話を窺わせてもらっても、僕の独断で
ユーカラ集概説を改稿するとお約束出来ないのです。場合によっては、別巻の注釈本
のような形になってしまうと思いますが……それでもよろしいですか?」
僕は、マキリさんの大きな眼を覗き込みながら訊いた。
「構いません。どんな形であれ、私たち一族が、ここで暮らしていた存在証明になる
ならば」
「わかりました」
僕は、デッキ上部に二つの円盤型テープをセットして、ガチャリと赤い録音スイッ
チを押した。
「さあ、これで録音準備はOK。いつでも始めてください」
「この鉱山町には、かつてアイヌの村シノマンベツコタンが存在していました。これ
はその村に伝わるウエペケレ。ウエペケレは、主人公視点の昔語りになっているので、
そのつもりで聞いてください。では始めます。これはエピタムが封印されてから数十
年後のお話――」
マキリは、僕とテープレコーダーデッキを前にして、滔々と語り始めた。
「ですがマキリさん。人喰い刀伝説は、道内各地にあります。それを全部正確に記述
していたら、それだけで本が一冊できてしまう。だからユーカラ集概説では、ページ
数の都合上、大筋が同じものは各地の伝説の差異について脚注で述べるに留めたので
す」
「それは理解出来ます。ですが母によると、私たち一族に伝わる人喰い刀伝説のウエ
ペケレには、ページ数もろくに割かれていなかったばかりか、注意書きでも正確に書
かれていなかったそうなのです。アイヌ文化が廃れていく中で、せめて私たち一族の
生きた証だけでも残したいと願い、一族の大切なウエペケレの内容を打ち明けたのに。
母がひとこと文句を言いたくなるのも当然でしょう」
「それではマキリさんの一族に伝わる人喰い刀伝説は、大きくページを割くほど、他
の地域の人喰い刀伝説とかけ離れた内容だというのですね」
「いいえ」
「はぁ?」
この娘は、僕をからかっているのだろうか?
「一番ポピュラーなエピタム伝説は、穂別町や、上川町のものですが――二つの町の
エピタム伝説と内容が大きく異なっている訳じゃないんですか?」
僕は呆れて、聞き返した。
「むしろ穂別町や、上川町のものと、内容はほぼ同じです。取り立てて言うほどの違
いはありません」
「言っている意味が判らない。他のところに伝わる人喰い刀伝説と差異が無いのなら、
特別なウエペケレでも何でもないじゃないですか。注意書きで触れる必要だってあり
はしない。マツネさんがこだわった理由も謎だ」
マキリの言っていることは、要領を得ず。
僕は、イライラして癇癪を起こしそうになった。
でもここで怒るのは大人気ない。
彼女の日本語の読解力や語彙力が足りないだけかもしれないからだ。
列島改造論をぶち上げた戦前生まれのブルドーザー総理が、小卒なのは有名な話だ
が、僕やマキリのような焼け跡世代も、まともに義務教育を受けられなかった者が多
い。
ましてマキリはアイヌ。
和人の義務教育制度を受けず、家の仕事を手伝わされていた可能性が高い。
漢字のほとんど使われていない手紙もそのことを裏付けている。
ただし手紙の文章そのものは、しっかりしていた。
とても彼女の知能が低いようには思えない。
言葉使いも、僕よりもきれいな標準語を話す。
言葉使いが上手く、文字を操るのが下手なのが、アイヌ民族の特性と思えるほどだ。
だが、いくら言葉使いがきれいでも、言葉の読解力だけが低いという可能性もあり
える。
内地の人間同士だって、方言がきつい人とは意思疎通が難しいし、話が噛み合わな
いこともままあるのだから、どうしてマキリが、僕の言葉の意味を正確に理解してい
ると言い切れよう。
たとえ話が噛み合わなかろうと、ここは僕が大人になって、お互いに何を言いたい
のか理解し合えるまで、根気よく話し合うよりほかにないだろう。
「マキリさんの言っていることは矛盾していますよ」
「私は何も矛盾したことは言っていません」
マキリも頑なだ。
「ですから、もっと筋道だって、判りやすく話して下さいよ!」
僕は、努めて怒りを露わにしないようにしていたつもりだったが、口から飛び出た
声は、自分が思っていたよりもずっと高く、ヒステリックになっていた。
イライラを全然隠せていない。
「筋道だって、話してるって言ってます!」
マキリも、段々ヒートアップしてきて、声が高くなってきていた。
「いやいや、僕には、あなたが何を言いたいのか、さっぱり判りませんよ。だってマ
キリさんの村に伝わるエピタムのウエペケレは、他の部族のものと一緒なんでしょ」
「ええ、人喰い刀が暴れ出して封印されるまでの部分は、確かに他の部族に伝わる伝
説と同じです」
「だから、ほらーっ、それが矛盾していると言ってるんです」
僕は、彼女に対して、怒るに怒れず。
代わりに自分の髪をくしゃくしゃに掻き乱した。
「でも母が書いて欲しかったのは、その後の話についてなのです」
「えっ、ええっ?! その後の話??」
それを聞いて僕は絶句した。
「んんーっ、ちょ、ちょっと待って下さい。混乱しています。マキリさんの一族の人喰
い刀伝説には、まだ続きがあるというんですか?」
僕の問いにマキリは、黙って頷いた。
エピタム伝説は、エピタムが封印されるか、消失するかして、めでたしめでたしと
なり、酋長や村人たちは平和に暮らしました、おしまいとなるのがお決まりの展開で
ある。
その後再び、その土地の歴史にエピタムが姿を現すことはないし、長々とエピタム
にまつわる後日譚が続くこともない。
「そういうことですか」
マツネが本当に語り伝えたかったのは、エピタム伝説の後日譚のウエペケレだった
のだと理解し、ようやく僕は要領を得た。
「それでマキリさんは、そのウエペケレを知っているんですね」
「はい。母のまた聞きで良ければ、この場で話して聞かせましょうか」
「マキリさんは、そのウエペケレを完璧に話せるのですか」
「私は、節のあるメノコユカラは謡えませんが、節のないウエペケレならば、日本語
に訳して聞かせることだって出来ますよ」
「ぜひ聞かせて下さい。あっ、でもちょっと待ってくださいね。いま準備をしますか
ら」
ぼくは、いそいそと傍らに置いてあった四角いショルダーバッグを開けた。
現れたのは、巨大なオープンリール式のテープレコーダーデッキ。
貴重な話を記録に残すために、十キロ以上もあるものを、わざわざ持ってきたので
ある。
ヒィヒィ言いながら雪中行軍して運んできた甲斐があったというものだ。
「ただし、ウエペケレを聞かせてもらう前に、ひとつ断っておきたいのですが」
僕はテープレコーダーデッキの上蓋を開けながら、前置きした。
「一応僕はユーカラノートに共同執筆者として名を連ねてはいますが、本の文章を書
いてはいませんし、あの本は飽くまで師匠の本なのです。出版社や、師匠の御遺族か
ら許可を得ないと改稿は出来ません。つまりお話を窺わせてもらっても、僕の独断で
ユーカラ集概説を改稿するとお約束出来ないのです。場合によっては、別巻の注釈本
のような形になってしまうと思いますが……それでもよろしいですか?」
僕は、マキリさんの大きな眼を覗き込みながら訊いた。
「構いません。どんな形であれ、私たち一族が、ここで暮らしていた存在証明になる
ならば」
「わかりました」
僕は、デッキ上部に二つの円盤型テープをセットして、ガチャリと赤い録音スイッ
チを押した。
「さあ、これで録音準備はOK。いつでも始めてください」
「この鉱山町には、かつてアイヌの村シノマンベツコタンが存在していました。これ
はその村に伝わるウエペケレ。ウエペケレは、主人公視点の昔語りになっているので、
そのつもりで聞いてください。では始めます。これはエピタムが封印されてから数十
年後のお話――」
マキリは、僕とテープレコーダーデッキを前にして、滔々と語り始めた。
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