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一章
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しおりを挟む一年と二ヶ月ぶりに甲斐性なしが帰還した翌日。
「おはよう、シャルロット」
「おはようございます、旦那さま」
朝食の時間に食堂で顔を合わせた二人。
今日も素朴ながら愛らしい衣装で甲斐性なしを出迎えたシャルロットはごく自然にカーテシーをする。
「今日の衣装や髪型も愛らしいな。よく似合っている」
褒めてシャルロットの手の甲に口付ける甲斐性なし。
シャルロットもそんな甲斐性なしに微笑む。
「昨晩の約束を覚えているかな?」
「街へ行くのですよね?」
「ああ。一緒に来てほしい」
「光栄ですわ」
あの後も話をした二人。
今までの分を埋めるかのように日を跨ぐ時間までお互いのことを話して、そろそろ眠ろうと別々の寝室に行こうとした時に甲斐性なしから領地にある街に一緒に行かないかと誘われた。
ロラとしては好都合。
甲斐性なしと外出するという経験をシャルロットの名残りにさせてあげることが出来るから。
たくさん可愛がって、たくさん愛してくださいませ。
シャルロット嬢のために。
帰って来ない夫でも信じていたシャルロット嬢のために。
そのためなら私も協力いたしますわ。
ロラとシャルロット。
身体は一つでも二人の感情は別。
ロラは甲斐性なしを好きではないけれど、シャルロットは甲斐性なしが好き。
ロラが優先するのはシャルロット。
甲斐性なしと仲が深まることでシャルロットが喜ぶなら愛らしさも演じる。
従僕が引いた椅子に座る二人。
昨晩に引き続き、主人と女主人が食堂に揃った。
「旦那さま、アンさまは朝食を摂られないのですか?」
「普段から朝食は摂らない。まだ寝ているのだろう」
「そうなのですか」
だろうと言ったということは実際に見ていないと言うこと。
寝室に戻ってから来賓室に行くものと思っていたけれど、そうはしなかったようだ。
「バート。侍女の二人の朝食は部屋に頼む。別邸と違うここでは彼女たちも自由に食事をすることができないだろう」
「お二人の部屋にはもう運ばせましたわ」
運ばれてきたスープを見ながらシャルロットが答える。
「奥さまより侍女のお二人に不便のないよう気配りをと申しつかっております。ご安心ください」
バートから話を聞いた甲斐性なしはシャルロットを見る。
「また私の方が後手に回ってしまったようだ」
「あら。来賓のおもてなしは女主人のお役目ですわ」
「私も君に恥じないよう主人の役目を果たさなければな」
当然の事のように言ったシャルロットに甲斐性なしは笑う。
ふわふわと可愛らしい少女の顔と優秀な女主人の顔を持っているのだから困ったものだ、と。
顔を合わせるたびに惹かれていた。
「ではいただこう」
「はい。旦那さま」
二人は両手を組んで食事前の祈りを捧げる。
その時間は会話もなく静かだ。
使用人たちも音をたてないようジッとしていると出入口の扉が音をたてて開いた。
「アン?」
「おはようルカ」
食堂に入って来たのは愛妾。
今日も谷間を主張する衣装でのお出まし。
「おはようございます、奥さま」
「おはようございます。よくお休みになれましたか?」
「ええ」
従僕が引いた椅子に愛妾も座る。
「珍しいこともあるものだ。朝から起きて朝食も摂るとは」
「ルカが寝かせてくれないから起きれないだけでしょ?」
「まあ。そんなに大変なのですか」
驚いた表情で口許を押さえて言ったシャルロットのそれに吹き出して笑いそうになったのはサシャ。
隣からドミニクに抓られる。
「旦那さま。魅力的な方ですのでお気持ちは分かりますが、アンさまの御身体を労わってくださいませ」
とどめの言葉に甲斐性なしは眉根を押える。
なぜ正妻からおかしな注意を受けているのかと。
使用人たちも堪えてはいるけれど笑ってしまいそうだった。
「昨晩はゆっくりお休みになれたようで幸いですわ。でもお辛い時はお断りして構いませんのよ?旦那さまの妻として、同じ女性として私が許しますわ。いつもありがとうございます」
心配そうな表情で言うシャルロット。
意にも介さないどころか身体を気遣われてお礼まで言われた愛妾の方が恥をかかされる。
しかも『寝かせてくれない日』など滅多にないのに大袈裟に言っただけで、朝起きれないのは愛妾が怠惰な性格なだけ。
嫌味を言ったはずがカウンターを受けて恥をかいた愛妾と、落ちこむ甲斐性なしと、心配そうな表情のシャルロット。
サシャは自分でも脚を抓って必死に笑いを堪える。
奥さまが強すぎると思いながら。
「アンさまのスープも届きましたのでもう一度お祈りを」
「……そうしよう」
遅れて来た愛妾も含め再び祈りを捧げて、シャルロット以外はなんとも言えない表情で食事をした。
・
・
・
「あの方、旦那さまの事をどんなに言ったところで私に痛手は与えられないといつになったら気付いてくださるのかしら」
街に行くための支度をしているロラは溜息をつく。
「なかなか苛烈な愛妾なのですね」
「それ以外奥さまに勝てそうな要素が見つからないのでは」
ロラのプラチナ色の長い髪を丁寧に梳かす侍女の二人。
早くも付き合い疲れた様子のロラから話を聞いて苦笑する。
「そんなことはないわ。男性から見て魅力的なのは豊満なお胸のアンさまですもの。女性としての魅力は私の負けよ」
ようやく肉付き始めたシャルロットの肉体では完敗。
豊かな胸が自分の武器とわかっていて色気で迫る愛妾と、男を知らない可愛らしいシャルロットでは系統が違うけれど。
「でも困ったものね。私は感謝していると言うのに」
愛妾のお蔭で自分が相手をせずに済んでいる。
シャルロットは甲斐性なしを好きでもロラは警戒しているから今はまだ大切なシャルロットの身体を許すつもりはない。
永遠にその時は来ずに終わる可能性もあるけれど。
支度を済ませたタイミングでノックの音がする。
まだ予定の時間には早いと言うのに。
「奥さま。支度はお済みでしょうか」
聞こえてきた声は家令ではなく甲斐性なしの従者。
「どうぞお入りになって」
「失礼いたします」
侍女が開けた扉から入って来たのはやはり従者。
部屋に足を踏み入れると胸に手をあて丁寧に挨拶をする。
「サシャさまでしたかしら」
「敬称は不要にございます。サシャとお呼びください」
「では今後はそのように呼ばせていただきますわ」
「光栄にございます」
甲斐性なしが連れて帰った使用人の中で唯一異色の人物。
顔をあげたサシャは笑みを浮かべている。
「旦那さまの従者が私の元に来るなんて何かあったのかしら」
「いえ。家令に代わりお迎えにあがりました」
「バートの代わりに? 」
「はい」
代わりに来ることになった理由は口にせず。
笑みのまま表情を変えずロラを見ている。
「そう。ではお願いしますわ」
「光栄にございます」
侍女が渡したクロークを受け取るサシャ。
「「行ってらっしゃいませ」」
頭を下げた侍女二人に見送られて部屋を出た。
「サシャは旦那さまに仕えて長いのかしら」
「遊び相手だった幼少期を含めれば」
「あら。そうでしたの」
斜め後ろを歩くサシャ。
付かず離れずの距離にロラはくすりとする。
「気配と足音を消すのは癖かしら」
そう言ってロラは振り返る。
「それとも私を警戒してるのかしら。孅い少女ですわよ?」
クスクス笑うロラにサシャはプッと笑う。
「奥さまが孅いとはご冗談を。誰より逞しいというのに」
「まあ。失礼ですわ。私これでもレディですのよ?」
「それは失礼を」
ぐっと近付いて胸元に人差し指をあてるロラにサシャは両手をあげて苦笑する。
「どうしてここにおりますの?兄さま」
「ロラに会いに来たに決まっているだろう?」
サシャが指を鳴らすと姿が変わる。
真っ黒の髪と真っ赤な瞳。
ジル・カタストロフ・ヴァンピール。
ロラの義兄。
「元の姿に戻れると言うことは、兄さまは私と違ってサシャの肉体に宿った訳ではないのですか」
シャルロットの肉体に宿ったロラは元の姿には戻れない。
でもジルは目の前で元の姿に戻って見せた。
「事情があって私の肉体は今この星にない。その代わりとして一時的にこのサシャという男の肉体を借りている」
「うーん。つまり私と違う手段でこの星に来たから兄さまは元の姿にも戻れると言うことですの?」
「そう捉えてくれればいい」
シャルロットになって背丈が小さくなったロラの額にジルは口付ける。
「もう私額に口付けをされる子どもではありませんのよ?」
「すっかり縮んでしまったではないか」
「シャルロット嬢が小柄で愛らしいのですわ」
「肉体は誰でも私にとってはロラに違いない」
ジルには肉体など関係がない。
カタストロフの宿命を持つ魂がロラ。
「もっと話したかったが時間のようだ」
「時間?」
「気付いているだろうが、このサシャと言う男は私たちと同じく自らの正義で人を屠ることのできる男だ」
ジルの言葉にロラは頷く。
甲斐性なしが連れ帰った使用人の中で唯一血の匂いがした。
「役割を果たしに一度この星を離れるが、再び会いに来る」
「え?居なくなってしまいますの?」
「そのような顔をするな。必ず会いに来る」
本当の自分を知る人、数百年と一緒に生きた義兄と再会できたと言うのに居なくなることを聞いて途端に寂しさを覚える。
「ただ生きる星や肉体が変わったと言うだけで私が義妹を逃がす訳がないだろう?神を脅してでも追いかけるさ」
「兄さまなら本当にやりそうで怖いですわ」
執拗に自分を襲撃する兄なら本当に何でもやりそうと思うロラに短く笑ったジルはロラの腕を掴み引き寄せ腕におさめる。
「可愛い義妹のために一つ置き土産をして行こう」
顎に指を添え見上げさせたロラを見るジルはニヤリと笑う。
「せいぜい私の居ない時間を楽しむといい。愛しい義妹」
顔が近付き唇が重なりそうになった瞬間にジルの身体はサシャに戻って気配も消えた。
「…………」
気まずそうにロラから離れたサシャ。
その表情にロラはまたクスクス笑う。
置き土産とはこれかと。
「兄さまの記憶があるのですね」
「はい」
ジルが宿った間に起きたことの記憶はもちろん、ジルの記憶も残ってしまったサシャは気まずい。
知ってはいけないことを自分の意志とは関係なく知ることになってしまった。
「奥さまはシャルロット嬢ではなかったのですね」
「私はシャルロット・ロラ・カタストロフ・アレニエですわ。でもカタストロフの名はサシャと私だけの秘密でしてよ」
そう言ってロラはサシャの唇に人差し指をあてる。
「よろしくて?サシャ」
「……承知いたしました、奥さま」
「ふふ。貴方とっても美味しそうな香りがしていてよ?」
可愛らしい顔で唇をなぞるロラにサシャはゾクリとする。
「ヴァンピールは血を飲む種族ですの。特に始祖の力を継承した私と兄さまは魔力の高い者の血を好んで。この星には魔法使いが少ないと聞いて残念に思っておりましたけれど、意外にも間近に居てくれて嬉しいですわ」
つまり血を飲まれると。
サシャは反射的に自分の首元をさする。
「飲まれた人は死ぬんですか?」
「あら?そこは兄さまの記憶がないんですの?」
「部分的な記憶しかありません」
短い時間だったから記憶も断片的。
しかもロラに関する記憶が殆ど。
どれほど義妹に夢中なのかと言いたくなるほど。
「気持ちよくなるだけで死にませんわ。死んでしまうほど飲んでは強い魔法使いはみんな滅んでしまいますもの」
それは飲み過ぎれば死ぬと言うことでは。
血を失うのだから当然と言えば当然だけれども。
「安心なさって。時々いただくくらいで貴重な魔法使いを死なせたりしませんわ。貴方の魂が黒に染まらない限りは」
ふふっと愛らしい笑みでサシャを見るロラ。
その愛らしい姿の中身は審判の宿命を持った恐ろしい始祖。
面白い奥さまどころの話ではなかった。
「さあ行きましょう?予定の時間になってしまいますわ」
「はい、奥さま」
命をかけようとも勝つことの出来ない相手。
それ以前に奥さまに刃を向けようものなら身体に宿ったあの男から命を取られるだけだろう。
サシャはロラの斜め後ろを歩きながら溜息を飲んだ。
「旦那さま。お待たせして申し訳ありません」
「今回はシャルロットより前に来ることが出来て良かった」
階段を降りたエントランスホールで待っていた甲斐性なし。
笑みでシャルロットを迎える。
「私の従者を向かわせてすまなかった。驚いただろう」
「ふふ。サシャさまは真摯に対応してくださいましたわ」
「奥さま、私に敬称は不要にございます」
「あ。そうでしたね」
先ほどまでとはまるで別人ようだとサシャは思う。
ふわふわと可愛らしい奥さまは演技だった。
それを知っても口にはしないけれど。
今は従うことが最善。
恐らく今は見極めている時なのだろう。
善(無罪)か悪(有罪)か。
少なくともその間ロラは主人を殺さない。
ジルの記憶が残っているからこそわかる。
審判人は人を殺したくて殺す殺戮者とは違う。
課せられた宿命に従い悪(有罪)の魂に制裁をくだす一族。
ドラゴニュートと同じ特徴を持つジルから義妹を裏切るなと耳元で言われた気がして、サシャは独り背筋がゾクリとした。
「ルカ」
出発前に上着を着ていると聞こえてきた声。
振り返ると愛妾が階段を駆け下りて来る。
「街に行くんでしょ?私も一緒に連れて行って?」
「駄目だ」
「おねが~い。私もルカがおさめる領地が見たいの」
キッパリと断られても甲斐性なしに腕を絡めて胸を押し付けながら甘えるような声で話す。
「屋敷を空けるから話したが連れて行くとは言っていない」
後から追いかけてきた侍女たちは息切れしている。
急いで愛妾の支度をして自分たちは上着だけ羽織って追いかけて来たのだろうと、使用人たちは侍女たちに同情した。
「貴女たち、その羽織りでは寒いのではないかしら」
「奥さま?」
「侍女用の羽織りを彼女たちに。風邪をひきますわ」
「承知いたしました」
シャルロットの指示で従僕がエントランスホールと繋がる衣装部屋に上着を取りに行く。
「シャルロット?」
「愛妾に高価な物を買い与えるのはお好きになさいませ。ですが愛妾に仕えてくれている侍女の衣装には何の心配りも感じられないのはいかがなものかと。このような季節外れの薄いクロークで外出してはお風邪を召されますわ」
愛妾は高級な生地を使った分厚いコート。
対象的に侍女二人のクロークは今日のような寒い日に着るようなものではない薄手のもの。
さすがに侍女たちが可哀想で甲斐性なしに物申す。
「すまない。私の管理不足だ」
「そ、そんな!どうぞ頭を上げてください!」
「侍女に頭を下げるなど!」
「いや、シャルロットの言う通りだ。私が悪かった」
頭を下げて謝る甲斐性なしに慌てる侍女の二人。
公爵に頭を下げられるなど恐れ多い。
「ごめんなさいね。別邸のことは私には分かりませんの。すぐに用意させますから今日はこの屋敷の羽織りで許して頂戴」
「滅相もないことでございます。恐縮に存じます」
「奥さまの温かいお心遣い痛み入ります」
従僕がすぐに持って来たクロークを受け取った二人は薄手のクロークを脱いで厚手のクロークを羽織る。
「ありがとうございます、奥さま」
「感謝申し上げます」
「こちらこそ、ご丁寧なお礼をありがとう」
二人がカーテシーでお礼を伝えるとロラもクロークを軽く摘んで愛らしい笑みで二人にカーテシーを返した。
「旦那さまはアンさまとアンさまの侍女二人と馬車にお乗りくださいませ。私は従者の馬車に乗せていただきますわ」
「私はアンを連れて行くつもりは」
「普段通りにしてくださって構いませんわ。旦那さまとアンさまのお邪魔はいたしませんので私のことはお気遣いなく」
シャルロットと二人で一台の馬車に乗るつもりだった甲斐性なしは普段通りと言われて言葉が出ない。
甲斐性なしが居ない生活がシャルロットの普段通り。
甲斐性なしもまたシャルロットが居ない生活が普段通り。
それを普段通りにしてしまったのは他でもない自分。
したり顔の愛妾。
でも使用人たちは内心思う。
奥さまが主人と乗ることを拒絶したのであって、主人が愛妾と乗ることを選んだ訳ではないのにと。
「ドミニク、サシャ。ご一緒させていただきますわ」
「「光栄です」」
甲斐性なしの意思は関係なく話が決まる。
反論は聞かないという訴えなのか、ドミニクの手を借り早々と従者の馬車に乗り込んだシャルロットを見ていた甲斐性なしは眉を顰めて大きな溜息をついた。
「お出かけ楽しみですわ」
馬車が走り出して窓の外を見ながら呟くシャルロット。
ドミニクとサシャはちらりと目を見合わせる。
本来ならその言葉を聞くのは甲斐性なしだったのに。
「ごめんなさいね。私が一緒では落ち着かないでしょう?」
「滅相もございません。光栄です」
「同じく」
「ふふ。ありがとう。二人とも優しいのね」
シャルロットの中身を知らないドミニクは『初めて二人で出かけるはずだった外出がこのようなことになっても明るく笑って従者を気遣ってくださる良い奥さまだ』という気持ち。
中身を知っているサシャは『言葉通り出かけるのが楽しみなんだろうな』という気持ち。
そしてサシャのそれが正解。
むしろ甲斐性なしと別の馬車に乗れて気楽。
しかも街へ出かけるのだから笑顔にもなると言うもの。
今にも歌い出しそうなシャルロットと真逆な甲斐性なし。
予定していたことが総崩れになったのだから。
馬車ではどんな話をしよう。
街へ行ったら何を見よう。
どこへ連れて行こう。
何をすれば喜んでくれるだろうか。
まるで初めて逢瀬をする少年のように緊張しながら考えて楽しみにしていたのに。
侍女の二人は甲斐性なしの心境を察して気まずい。
愛らしくて心優しい奥さまに旦那さまが惹かれていることは明らかなのに、愛妾という存在を屋敷に連れて来てしまったばかりに夫婦になって初めての逢瀬に邪魔が入るとは、と。
自業自得の部分も大きいれどさすがに不憫に思う。
「ねえ、新しい宝石買って?」
一人ご機嫌な愛妾は甲斐性なしに甘えて強請る。
「シャルロットからあのようなことを言われてもまだ反省一つせず自分のことしか考えていない愚かな君が恐ろしいよ」
侍女の衣装には心配りが足りない。
はっきりとそう言われて甲斐性なしには深く突き刺さった。
ただ、シャルロットは知らない。
甲斐性なしは本邸の侍女と同じく別邸の侍女にも給金とは別に充分な金額を与えていることを。
「侍女にかかる管理費は全て君に渡している。それなのになぜ彼女たちは薄いクロークしか用意して貰えていないんだ」
侍女は他の使用人と扱いが違う。
屋敷に雇われているのではなく女主人に仕えているから。
だから彼女たちにかかる経費を管理するのも女主人。
それは本邸でも同じで、シャルロットの侍女たちは衣装も装飾品も質の良いものを身につけていた。
「彼女たちには割り振らず自分が使っているのだろう?」
「そんなことない。ちゃんとやって」
「ちゃんと割り振った結果で侍女の経費を削り自分は高価なものを買っていると。典型的な金の亡者で呆れる」
怒りが顕な甲斐性なし。
突き放すような冷たい目に愛妾は組んでいた腕を離す。
「酒場の給仕だった君に多くは望んでいなかった。街の裏情報を得る手段の一つとは言え自分の愛妾として契約した限り衣食住に困らないよう充分与えたつもりだ。だが今は君に愛妾という立場を与えたことを後悔している。私の愚かさで従者の馬車に乗せることになるなどシャルロットに合わせる顔がない」
そう話して甲斐性なしは窓の外に顔を向ける。
愛妾は酒屋の給仕として働いていて多くの客と肉体関係も持っていたために、表には出ない裏の情報も知っていた。
その情報を得るため、時には情報を得るためのスパイとして役に立って貰うため、シャルロットとまだ成婚する前に貴族なら居てもおかしくない愛妾として契約を結び別邸に招いた。
二人の関係は雇用する側と雇用される側。
彼女も全て承知で契約を結んで働きの分も支払っているというのに、今となってはすっかり本物の愛妾になったかのように振る舞いワガママを言って贅沢三昧。
目に余るようになり今の大きなヤマが片付けば契約を切るつもりでいたけれど、そうする前にこうなってしまうとは。
早朝から出立予定なのに延々と子供のように駄々をこねられ眠れず煩わしかったということもあるが、素行の悪い使用人を炙り出すために役立つのではないかという気持ちもあって本邸に連れて来てしまった自分が愚かだった。
甲斐性なしは愛妾に嵌っているただの馬鹿ではない。
公爵として領地を守る手段を考え、時には冷酷にもなる。
愛妾はその手段に必要な人材の一人だったと言うだけで恋愛感情などないし、愛妾も最初は仕事として契約した。
でも愛妾の立場なら贅沢三昧が出来ることを覚えて、契約が終われば愛妾では無くなり贅沢出来なくなることを嫌がり、甲斐性なしに身体で迫って擦り寄るようになった。
そのことをロラは知らない。
いや、サシャとドミニク以外は知らない。
「な、なんでそんなことを。あの女のことが好きで結婚したんじゃないでしょ?竜の力のこととかもきっと嘘で」
「昨晩と同じことを言わせるな!私はシャルロット自身に惹かれたんであって竜の力は関係ない!」
狭い空間で声を荒げた甲斐性なしに三人はビクッとする。
「驚かせてすまない。馬車の中だと言うのに大きな声を」
「いえ。私どもは」
「お気遣い感謝いたします」
侍女の二人に謝る甲斐性なし。
愛妾の侍女というだけで同乗することになった彼女たちにまで聞きたくもないだろう話を聞かせた上に驚かせてしまった。
「君たちまで私たちの問題に巻き込んではまたシャルロットに怒られてしまうな。以降は黙ろう」
その言葉通り甲斐性なしは窓の外を眺めて口を結んだ。
一方ロラが乗る馬車では。
「お見かけしたことのない大きな黒薔薇がお屋敷に飾られていると思いましたが、奥さまのお蔭だったのですね」
「私は持ってきた種を渡して育て方を教えただけで、大切に育ててくださったのはヘッドガーデナーたちですわ」
屋敷の温室で育てている黒薔薇の話。
通常出回っている黒薔薇は小さいけれど、屋敷に飾られている黒薔薇は大きいことをドミニクは不思議に思っていた。
ドミニクと会話するロラを眺めるサシャ。
花が好きなのか、今は演技ではなく本当に楽しく会話しているように見える。
こうして見ると可愛らしい令嬢にしか見えない。
手入れされたプラチナ色の長い髪、シミひとつない白い肌。
くりくりと大きな目に長い睫毛、桜色の愛らしい唇。
まさしく美少女。
ただ、ジルの記憶で見たロラの方が惹かれた。
黒く長い髪は美しく、大きな目は鮮やかな赤い虹彩。
長い手足に艶やかな白い肌と豊かな胸元。
同じく胸元が豊かな愛妾とは違い下品さはなかった。
義兄がロラに夢中になる気持ちも理解できる。
大きな杖を手に恐ろしい魔法を使っている時も、剣を振るっている時も、返り血を浴びている姿さえも美しかった。
どうせ血を吸われるならばあのロラが良かった。
そんなことを考えながらサシャは窓の外を見る。
自分の命をいつでも奪える力を持つ者に何を考えているのかと自嘲しながら。
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