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第十四話「襲来する驚異について」

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 翌日の早朝。あの襲撃を受けてから、一人で警戒を続けていた比乃は、寝不足気味に土曜日の朝を迎えていた。

 比乃は外が明るくなるのを待って、頭を打って昏倒していた志度と、腹部を強打された心視を運んでベッドに休ませた。それから、沖縄の第三師団駐屯地へ、具体的には部隊長に直接の連絡を入れる。

 電話口の部隊長はすでに起きていて、朝早くだというのに眠そうな素振りもみせずに『どうした』とだけ言って話を促した。この時間に、それも比乃の方から連絡を入れて来たという時点で、何かしら起こったというのを、部隊長は察していた。

 そして比乃から事の次第を聞いて、話に出た人物の名前を、確認する様に呟いた。

『オーケアノス……確かにそう名乗ったんだな。偽物である可能性は』

「わかりません。しかし、容姿は指名手配で出回っていた写真と酷似していましたし……その連れていた部下らしき少女は只者ではありませんでした。技量、いや、身体能力は、志度と互角かそれ以上です」

『あの志度と同じ身体能力を持った少女か……そっちは聞いたことがないが、それだけの個人戦力を連れた人物が、ただの模倣犯とは思えんな。本人と考えて対処すべきだろう』

 オーケアノスの名は当然、部隊長も知っている。米国に煮え湯を飲ませ続けている、凶悪な国際テロリストの一人として、世間ではともかく、そっちの筋で知らない者はいない程の大物だった。

 何より、部隊長はある筋から、オーケアノスとその連れらしき仲間が二人、日本にいる事は知っていた。第一師団の柴野陸将とは、飲み屋で奢り奢られの仲である。

 しかし、まさかその大物テロリストが自分の部下を狙って襲撃するとは思いもしなかった。安全だと思って東京に送り出したというのに、これでは意味がない。と部隊長は電話口の向こうで嘆いた。

『そんな大物が、何故、お前を狙っているかだが……』

 部隊長には一つだけ心当たりがあった。しかし、それを本人に告げてしまうのは、果たして良いことだろうか、比乃に余計な不安を与えてしまうだけではないか? そう数秒悩んだが「部隊長?」と比乃が怪訝そうに呼んだとき、覚悟を決めた。

『一つだけ、心当たりがある。比乃、お前の頭の中にある物だ』

「僕の頭の中ですか?」

 頭の中と言われて、真っ先に思い浮かんだのは、機密の塊であるTkー9のデータや操縦経験だが、それを欲しがるなら、研究員を直接に拉致した方が、余程早いだろう。それか、自分たちがそれだけ甘く見られているのか……しかし、部隊長から告げられたそれは、比乃の想像していなかった事実だった。

『比乃、お前の頭の中には、極小のマイクロチップが埋め込まれている。誰が仕込んだかは不明、詳細も不明。わかっているのは、外科的手術では取り除くのは非常に困難ということだけだ』

「は?」

 その内容は、絶句こそしなかったが、信じ難いことであった。自分の頭の中に謎の装置が埋め込まれているなど、誰が想像できるだろうか。だが、部隊長の口調から、これが冗談や嘘などではないということは、比乃にも感じられた。意を決してそれを伝えた部隊長が、申し訳なさそうに謝罪した。

『黙っていてすまなかったが、こんな話をしてもお前を不安がらせるだけだと思った……許してくれ』

「え、いや……別に部隊長に怒ったりなんてしてませんけど……AMWに乗るときに出る音とかって、もしかしなくても」

『それが原因だと、俺たちは見ている』

 自分自身も知らなかった、自身の身体の秘密のカミングアウトに、なんて答えていいのか、比乃にはわからなかった。

 自分の中で思い当たったこと、他人には聞こえない、あの「ガリガリ」というハードディスクを引っ掻いているような音の出所が、まさか頭の中に埋まっていたとは……思わず、比乃は自分の頭を探るように触る。

「自分にそんな秘密があったなんて、驚きです」

『だが、実際のところは何もわかっていない。もしも、それが奴らの目的だとすれば……』

「捕まったら殺されますよね、安全に取り出せないってことは」

『恐らくはな』

 目的のものが比乃の頭の中にあるとすれば、奴らは、目的のために比乃を殺して、そのマイクロチップとやらを手に入れようとするだろう。生身でいる間に攫おうとするのは、より安全に頭部を確保するためだろう。けれども、一つの疑問が浮かぶ。

「僕の頭が目的ならば、攫おうなんて考えずに直接殺した方が早いし、確実なはずです。相手はなぜそれをしないのでしょうか」

 態々、降伏勧告などする必要もないはずだ。昨晩の時点で、白兵戦最強の志度と心視を無力化してから、拳銃で撃つなり、少女の身体能力で殴殺するなど、手は如何様にもあったはずだ。なのに何故、誘拐に固執しているのかーー

『それは思ったが……他に奴らがお前を狙う目的が思い浮かばん』

「僕もです」

 当事者と保護者が揃って頭を悩ませる。五日間という時間を容易したのも謎だった。それだけ余裕だと言うことか、あるいはまた別の目的があるのか。

「……まさか、部隊長繋がりの復讐とか、ないですよね」

『それは流石に無い、と思う……思いたい』

 結局何もわからないまま、タイムリミットだけが迫って来ていた。

 ***

「先生、どうしてあそこで殺さなかったんですか?」

 偶然にも比乃が思い付いたのと同じ疑問を、ステュクスは自分の師にぶつけていた。

 比較的新しいビジネスホテルの一室の中、持ち込んでいた食料を口にしていたオーケアノスは、聞かれたことについて答えるか悩むように黙った。しばらく無言だったが、少女の問いたげな目線に耐えかねたのか、ため息を一つ着いてから答えた。

「少し前の作戦で、スティングがやられただろう、覚えているか?」

「覚えてますよ、甘ちゃんスティング。死体確認の時にやられるなんて馬鹿みたい……って先生、まさか」

「……補充にちょうどいいと思ってるとだけは、言っておこう」

 言外に「絶対に殺すな」と言われていることまで察した少女は、抗議するように机を叩いて「先生!」と声を荒げる。

「あんなのを生徒に加える気なんですか?!  それもこの国の軍人を!」

「我々は生徒の出自には拘らない。そうだろう」

 言われて、ステュクスはうっと呻く。確かに、自分達姉妹も含めて、生徒になっている人間は人種年齢性別様々で、その出身も問われない。元々は組織に敵対していた人物も、何人かいる。けれど、それでも納得行かない様で、ステュクスは不機嫌そうに柳眉を逆立てる。

「それは、そうですけど……私は認めませんからね、あんなへなちょこ軍曹」

「確定ではない、上手く事が運べばだ。駄目なら処理する」

「そんなこと言って、いつも強引に生徒にする癖に……もう」

 知らない、とそっぽを向いてしまったステュクスの不機嫌を、どうやって解消した物かと考えながら、オーケアノスはぼそりと呟いた。

「あの日野部の子だ。得るだけの価値はあるさ」
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