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第十四話「襲来する驚異について」

招かれざる客

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 その日の帰り道は憂鬱だった。すっかり暗くなった夜道を、三人の若年三曹はとぼとぼと歩く。

 単機の旧世代機の襲撃を受けて、機体を損傷させるとは何事だろうか。幸いにも、訓練生にも自分たちも怪我一つ無かったが、借りていた機体を三機とも損傷させてしまった。判断ミスで乗機を損傷させるなど、死んでいても可笑しくない失態である。

 高橋一佐や清水一尉は、この事態に激怒するどころか「むしろよく訓練生を守ってくれた、感謝する」と言って感謝してくれた。だが、それでも三人、特に直接、敵機と戦い、自機を損傷させた上に取り逃がしてしまった比乃は、肩を落としてあからさまに落ち込んでいた。

「上手く行き始めたと思った矢先にこれかぁ……」

「比乃……どんまい」

「まぁこういう時だってあるさ」

 そんな会話をしながら夜道を歩く、くよくよしても仕方がない。比乃は少し前向きになって「だけど、あれはいったいなんだったんだろう」と呟く。目的は結局わからないままで、何をしに攻撃してきたのか、まったく見当がつかない。いや、まさか自分たち自衛隊の技量を確かめるために仕掛けてきたわけではあるまい。

 住居であるはんなり荘の階段を登りながら比乃は思案する。あの敵は何者だったのか、目的はなんだったのか――あの相手は、どこか本気でない様子が伺えた。もしも本気であったなら、銃器を破棄などせずに、ナイフと合わせて、もっと狡猾に攻めて来ただろう。

 もしも、あの状況で敵が本気だったら、どうなっていたことか。取り逃がすどころか、こうして歩いて帰宅していることも、なかったかもしれない。その確信めいた想像が、比乃の胃にずしりと重く伸し掛かる重圧となった。

 そして、自室の扉の前に立った瞬間。三人は弾かれるように、しかし音は立てずに扉の左右に別れて、壁に貼り付けた――中に人の気配があった。

 こんな遅くに、誰かを招いた覚えなどない。それに、今の今まで考え事をしていて気付かなかったが、アパート全体、具体的には住人たちがピリピリと殺気立っている。

 このアパートの暗黙のルールとして、自分に降り掛かった火の粉は自分で払うこと、ただし、しかたなく他の住人を巻き込んだ場合はその限りではない。という物がある。聞いたときはそんな物騒なことあるか、と笑い飛ばしたが、いざこうなると笑いごとでは済まない。

 ここの住人達。謎の侍女に筋肉老人、超人兄妹は、自分達が巻き込まれた時に備えているということらしい。恐らくは、隣室ですでに事態を察知して警戒しているであろうジャックもだ。それほどの相手が、自分たちの住居に無断で侵入している。比乃の頬を冷や汗が流れる。

 懐から、駐屯地襲撃を警戒して携行していた拳銃を取り出す。これが功を奏するとは、比乃は思ってもいなかった。志度と心視に手信号で「スリーカウントで突入。一人はバックアップ」と伝える。心視が頷いて、銃を持っていない左手をドアノブにゆっくりとかける。比乃と志度が身を低くして突入に備える。

 比乃が指を一つずつ折る。三、二、一。

 全ての指が折られると同時に、心視が扉を開けた。志度と比乃が中へ飛び込んで、廊下を突き進む。リビングの扉は開けられていたが、灯りは付けられていない。気配の在処は奥のリビング――真っ暗な暗闇の中に、確かな人の気配と殺気。

「誰か!」

 その誰かがいる方向に拳銃を向けて比乃が誰何し、志度が灯りをつけた。

 窓の前に、一人の男が立っていた。後ろ姿から見るに、年は四十代から五十代程、顎髭と短い髪は真っ白の西洋人。

 今、比乃に誰何されて振り向いた、その青く鋭い眼差しは、歳が同じくらいに見える部隊長と比べると、歴戦の猛者という言葉がぴたりと合う。そんな風格と、壮年の老獪さを表していた。

「……平和な街だな、ここは」

 ぽつりと、 窓の外の家々の灯りを見つめながら、英語でそう呟く。その男の顔を比乃はまじまじと見て、国際指名手配犯の中にあった物と同一であることを思い出し、驚愕に目を見開いた。

「まさか、オーケアノス……?  どうして国際指名手配されてる男がこんな所に」

「オーケアノス?  誰だそれ」

「確かに、他人にはそう呼ばれているな。もっとも、そちらの少年には知られていないようだが」

 相変わらず世間知らずな志度に、思わず気が抜けそうになる。だが、比乃は油断なく相手を観察する。コートに入れた手に武器を持っているかは不明。しかし、重装備ではない。志度と心視がいれば易々と制圧できるはず。

 比乃が頭の中で、目の前のテロリストを捕縛する算段を立てていると、目の前の男、オーケアノスはポケットから片手を出して、比乃を指差した。

「今日は君に用があって来た。日比野 比乃」

「……僕に?」

「そうだ、共に来てもらおうか」

 突然、名指しで指名されて、比乃は思わずたじろいだ。想像もしなかった要求に困惑するが、すぐに気を取り直して、銃を構え直す。
 この部屋に他の人間は見られない、オーケアノスは単身でここにやってきたのだと比乃は確信した。舐められたものだと内心で毒吐いきながらも、勝ち誇った風に言う。

「貴方みたいな大物が、僕に何の用事かは知らないけれど、自衛官が詰めてる部屋に一人で誘拐をしに来るのは、ちょっと迂闊だったね」

 そう言ってから「手を挙げて、両手を頭の上で組め」とホールドアップを促した。しかし、オーケアノスは身動ぎもしない。

「誰も、一人で来たとは言ってないぞ」

 志度と比乃が「何?」と呟いたその時、背後から気配がした。身体が反射的に振り向こうとする。それを理性で止めた。振り返ったら、否、動いたら殺られる。

 背後から強烈な殺気。先程まで、気配一つなかったはずの場所からだ。踏み込んだ時には全く気が付かなかった。ここまで完璧に気配を消している相手――本能が告げている、自分たちより格上だ。ドアの外で待機していた心視も、二人に向けられた拳銃があって、迂闊に踏み込めない。

「紹介しよう、私の一番弟子のステュクスだ」

 どこか自慢気に「良い腕だろう」とオーケアノスが言う間に、その気配が部屋に入ってきて前方に回り、比乃達の視界に入る。

 真っ白な薄手のコートを着た、可憐な少女が笑みを浮かべてこちらを見ている。しかし、その目と向けられている銃口から、凄まじい殺意と威圧感を感じる。

 逆に、不気味な程に威圧感を出さないオーケアノスが「ステュクス、やり過ぎるなよ」と言って、先程コートから出したのとは逆の手をコートから出した。素手だ。

「志度!  心視!」

 行け!  とまでは言葉に出さずに二人に指示を出すと、決死の覚悟でオーケアノスの足元に銃弾を一発撃った。初めから脅しだと判っているのか、壮年の戦士は全く動じず「甘ちゃんだな、減点だ」とだけ呟く。

 しかし少女は違った「先生!」と血相を変えて叫ぶと銃口を比乃に向け、その隙に志度が少女に殴り掛かった。

「邪魔だ試作品!」

 その拳を、少女はなんと片手で受け止めた。そのまま、掴んだ腕を振って、志度を窓に向けてぶん投げた。
 志度は「うおっ?!」と今まで経験したことがない状態に、戸惑いの声をあげて、小柄な身体は窓を突き破った。落下するかと思われたが、辛うじてベランダの柵に後頭部から叩きつけられて、呻き声を出してから動かなくなった。

 続けて突入してきた心視が、その光景を見て瞬時に危険度を判別した。オーケアノスよりも危険だと判断し、側面からステュクスに奇襲を掛けた。志度ほどではないが人並外れた身体能力から放たれた拳が、顎へ完全に入った。

 一瞬、少女の身体が揺らぐ。効果有りと踏んだ心視がもう一撃加えようとした瞬間。

「大したことないね、失敗作」

 けろりとした顔でそう言ったステュクスの拳が、心視の腹にめり込んだ。心視はあまりの衝撃に悲鳴も挙げられずに倒れ、吐瀉物を吐き出し、咳き込んだ。その背中を蹴り飛ばして、少女は余裕の笑みを浮かべている。

 一瞬で白兵戦最強戦力が無力化されて呆然とする比乃の正面に、少女が踊る様に回り、その顔を品定めする様に覗き込む。

「よかったね標的ターゲット、貴方が目的じゃなかったら、みんな殺してたよ」

 その顔がにこりと微笑むが、その目は一切笑っていない。冷酷さを湛えた瞳が、比乃を睨む。

「やり過ぎるなと言ったぞ、ステュクス」

「だって先生、こいつらが……」

 興味を失った様に比乃から離れて、オーケアノスと話し始めた少女に、比乃は畏怖の感情を覚えて硬直していた。自分一人では、とてもじゃないが勝ち目はない。

「さて、日比野 比乃、今回は降伏勧告だ。ご覧の通り、抵抗は無意味だ。AMWに乗っていてもだ。あの程度の動きでは、俺は倒せない」

 比乃はその言葉で、はっとして表情になった。

「まさか、あのトレーヴォに乗ってたのは」

「俺だ。君も見所はあるがまだ到底、強者には及ばん」

 言いながら、机の上に一枚のメモを置いて、オーケアノスはコートを翻す。

「挨拶はこれで終わりだ。受け入れる気になったらその番号にかけてこい。五日間、待ってやる」

「随分と、余裕ですね」

 強がって見せる比乃を、オーケアノスは何も言わず一瞥だけした。

 それが答えだとばかりに、老兵は悠然と固まったまま動けない比乃の横を通り過ぎて、ドアを開けて出て行く。続けてステュクスも小走りでその後に続いて、ドアの前で振り返って「じゃあね、試作品に失敗作に、標的」と言い残して、その後を追って行った。

 そして襲撃者の気配が消えてから数分、全身の緊張が解けた比乃は、尻餅を着いて呆然とした。生まれて初めて、絶対に勝てない相手と相対した。その恐怖が、身体を蝕んでいた。
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