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七日目
二
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神武天皇は、口元に笑みをたたえながら総理に向かって話を続けた。
「もう一つ、そなたに伝えておきたいことがある」
「何でしょう?」
総理は責任の重さから、やや強張った表情で神武天皇を見つめた。
「この国を護っていくために、余の子孫達を絶えさせてはいけない」
「天皇家をですか?それは男系だけでなく、女系になってもつないでいかなければならないということですか?それについては専門家を交えて議論をすすめているところです」
神武天皇も総理大臣を静かな表情で見つめ返す。
「そなたは、どう思う?」
総理は神武天皇の冷静な表情に、思わず間違った答えをしてはいけないという思いに駆られ、なかなか言葉が出てこなかった。
「わ、私は・・・。や、やはり男系でつないでいくのが・・・、先人達の想いを継いでいくことが大切であると考えています」
ようやく出てきた言葉に、神武天皇はにっこりと笑う。総理は思わず安堵の表情を浮かべた。
「そなたの言う先人達は、どうして男系で余の子孫をつないできたと思う?」
神武天皇は椅子から立ち上がり、ゆっくりと窓際に歩いていった。傾きかけた太陽の光を浴びて、たくましい横顔が輝いて見える。
「我が曾祖父である邇邇藝命(ににぎのみこと)が天降りをする際に、天照大神より『この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい』と三種の神器を贈られ、『そなたの皇子(みこ)が豊葦原(とよあしはら)の水穂国(みずほのくに)を治め、思金神(おもいかねのかみ)が祭祀を取り扱い、神宮の政務を執り行う限り、私が共に居ることを信じなさい』と一行を送り出された。さらに、余が天皇に即位した時に、天照大神にこの国を護るために我が身と我が子孫達の身を御神に捧げると誓いを立てた。天照大神は余の誓いに応えて申された。『そなたの子孫達がこの国を統べる限り、私もそなたの子孫と共にこの国の安泰を全身全霊を賭して護ろう』とな。即ち、天照大神は余の子孫の守護神であると共に、この国の守護神として立たれたのである。男子の種で子孫はつながっていく。女子は種を受け止め、暖かく包み込み、豊かに実らせる肥沃な大地である。母なる大地から芽が出でてやがて大樹となる。どちらかが欠けても、どちらかが強くても、どちらかが弱くても子孫は育たない。余の子孫の女子が男子を受け止め、つないだとしても、その子は余の子孫ではあるが、直系の子孫ではない。その子は余の子孫の女子が受け止めた男子の家系を継ぐ御子である。いくらその子が天皇家を名乗っても、天照大神は天皇家を守護することはできない。天皇家を守護できないということは、この国を守護することもできなくなってしまうということだ。天照大神の守護がなくなってしまうということは即ち、大和国、いや、現在で言う日本という国が存在できなくなってしまうということなのだ。そなたの言う先人達は魂からそれを解っていたからこそ、存続の危機に直面しても男子の血を遡って必死につないできたのだ。これは世の中が男社会だからでもないし、女性蔑視をしているからでもない。それぞれの特性を生かし、それぞれにしかできない役割を果たすために男性と女性とがあるのだ。そなたも含めてそなたの言う専門家という者達は魂や心ではなく、頭で考えるきらいがあり、平等や伝統という言葉の意味を履き違えている者が多い。おそらく我が子孫の存続にとって、現在が最大の危機といえるのかもしれぬ。そうなってからでは遅いのだ。この国を護るためには、何としても男子の子孫が継いで万世一系を護っていかなければならないのだ」
神武天皇の言葉には力がこもってはいたが、総理からは彼の顔を見ることはできなかったので、どれだけ神武天皇が心を痛めているかまでは図り知ることはできなかった。ただ、心の底から天皇が男系でつないできた意味が理解できたのは確かだった。
「万世一系ということであれば、女性が天皇に即位されることは容認されていることなのでしょうが、今の時代は男系を護っていくということを打ち出すと反発も大きいと思います」
神武天皇は総理の方に向きを変えた。夕陽を背景に立つお姿はまるで後光がさしているかのようで、神々しかった。
「そなたもその存在は薄々感じていると思うだろうが、この世は一つではない。複数の現実が同じ空間に同時に存在している。肉体に縛られている間は、行き来することはできないが、その中に万世一系が崩れてしまったためにこの国が日本として存在しない現実もあるのだ」
「パラレルワールドということですか。それは架空の話ではなかったんですね。科学や物理学の世界ではちらちらとその存在の話を聞いたことがありますが、まさか本当にあるとは・・・」
神武天皇からSF的な話が出るとは思わなかったので、総理は声のトーンが思わず一オクターヴ高くなってしまった。神武天皇はお構いなしに話を続けた。少し声が笑っているようにも感じられたが、総理からは逆行だったので表情までは見えなかった。
「この世界と別の世界を行き来できるのは魂と重力子だけであるから、にわかに信じられるものではないだろう。しかし、そなたも今生の命が終ったら見ることができるから、楽しみにしているが良い。大きなものでは、先の世界大戦で日本国が勝利した時だ」
「だ、第二次世界大戦で日本が勝利した世界があるのですか?」
思わず声が上ずってしまい、ひっくり返りそうになった。
「さよう。しかし、日本が勝利すると、軍の力が一層強くなり、皇族の威光は国体に反映されることがなくなり、武士が政権を握っていた時代に逆戻りしたようになってしまう。天皇を祀り上げて強大な力を得た軍は、錦の御旗を掲げながら領土をさらに拡げ、世界の神国化を図るために亜細亜だけでなく、中東や欧米にまで軍をすすめた。天皇の名のもとに進軍は行われたため、内情を詳しく知らない各国の民達からの恨みや憎しみの感情は天皇に向けられてしまい、大戦後四年経った後に、日本国内で働かされていた複数人の外国の若い青年達によって男子の皇族は次々と暗殺されてしまった。それからの一代は女性が皇位を継いだけれど、精神的な支えを失った民は、軍に対して強く反発して政権を奪取しようと内乱になった。その混乱に乗じて軍備を整えたアメリカ軍とソ連軍が日本軍を一掃し、広島と長崎だけでなく、東京や札幌、仙台といった主要都市に原子爆弾が投下され、日本は放射能で壊滅的な状態になってしまった。かろうじて生き延びた民達もやがて放射能の影響が身体に出始めてしまい、投下から七十二年後に最後の一人となった日本人も死んでしまった。日本の国土は北と南に別れて、北はソ連領、南はアメリカ領になってしまったが、とても人が住める状況ではないくらいに荒れ果ててしまった。日本が対戦から勝利した日から七十七年後に世界から『日本』という国と民族がなくなってしまった。そして、日本という支えを失った世界は、赤道付近では摂氏六〇度に迫る灼熱の日が続き、極点付近ではマイナス九〇度にまで下がる日が続く。生き物も次々と絶滅していき、破滅に向かって拍車がかかっている。人類もごく一部の富裕民族がシェルターを作ったり、地下都市を築いたりして生き延びてはいるが、人口は各国合わせても一億人くらいまで減ってしまっている。地表で生活できる生物はゴキブリなど硬い身体を持ち、環境に適応しやすい一部の昆虫くらいしか残っていない。人類は地球を、まさに神も仏もない世界にしてしまったのだ」
神武天皇は淡々とした口調で語り続けている。
「もう一つの世界では、世界大戦に敗れた事実はこの世界と変わりはないが、日本が存続の危機は去らなかった世界だ。その世界では連合国軍最高司令官総司令部の総司令官はダグラスではなかったからだ。その者は裕仁が駐日アメリカ合衆国大使館を訪問した際に、極東国際軍事法廷に影響すると言って面会を拒否した。そして裕仁はA級戦犯として死刑となり、天皇家は皇位をはく奪され、生き残った皇族達も民衆に晒されて戦争犯罪の責任をとらされてしまった。その後は先程の世界と同様に国土を北と南に二分された。日本人はかろうじて生き延びてはいるが、国際社会では二度と立ち上がることはできないように危険思想を持つ民族であるとのレッテルを貼られてしまう。こちらの世界はまだ日本人は生存してはいるが、国家がなくなってしまった以上、先ほど話した世界と同じように絶滅への道を遅かれ早かれ歩むことになるだろう。そなたにはまだ理解しきれぬであろうが、万世一系が崩れて天照大神の御威光が届かなくなるということはこういうことなのだ。もちろん、他の世界ではこの国が中心となって平和な現実を築いている世界もたくさんある。先の話した世界は数ある世界の中でのほんの一例に過ぎぬ」
神武天皇はゆっくりと総理の前の席に座った。
「この世界ではダグラスが連合国軍最高司令官総司令部の総司令官として来日したということに感謝をしなければならないな。おそらくダグラス以外の者が総司令官であったならば結果は同じであっただろうから。そなたは裕仁とダグラスとの面会の時は生れていたとしても幼かったであろうが、このことは誰かから伝え聞いているのだろうか?」
「はい。二人で並んで写っている写真は教科書にも載っている写真ですから、私だけでなく国民のほとんど全員が一度は目にしています」
総理の返事を受けて、神武天皇は一つうなずいて話を続けた。
「彼は心眼の開いた司令官であった。裕仁に天照大神の威厳を感じ、神の存在を確信した。あの時に、ダグラスが頭だけで現実をとらえ、物事を考える人物であったならやはりこの国はなくなっていただろう。なぜなら、裕仁が戦争犯罪者の筆頭に挙げられ、二度と日本人が決起できないように、民達の精神的支えであった天皇家一族は滅ぼされていたからだ。アメリカで育ったダグラスが天照大神を心眼で見、御声を聴くことができたのに、天照大神に愛し、守られている土地に育ち、生きている者達が神を感じ、御声を聴けぬとは何と嘆かわしいことか!」
「しかし、今日の政治では政教分離が大原則になっています」
神武天皇は愁いを秘めた目で総理を見つめた。
「神道は宗教ではなく、我が国の民としてのたしなみである。本来の神道には教義という物は存在しない。なぜなら、神々を畏れながらも想い慕う人々の揺さぶられる心から自然と派生したものだからであり、教祖となる者もいないからだ。天皇もしくは神官が国や民の生活が安寧であるように祈り、民達が皇族や国の祈りが成就するように願う。その祈りのやり取りが神道である。立ち居振る舞いの所作がたしなみであり人としての成長の『道』であるのと同じものであるため、『教』ではなく『道』なのである」
「その理屈をいくら述べても、現代社会に受け入れられることは極めて難しいと思います。極右であるとしかみなされず、批判の対象となってしまうでしょう」
神武天皇は両手を広げるようなしぐさをし、
「そなたやこの国の政(まつりごと)を司る者がその気持ちを持って行えば良い。認めようが認めなかろうが、この国に籍を置く者は多かれ少なかれ心の中では理解できているはずだから。現在は納得していなくともいずれわかり合えるであろう」
「だと良いのですが・・・」
そう言うと、総理は大きく溜息を吐いた。
辺りはだんだんと暗くなりかけてきている。総理は部屋の明かりを点け、席に戻った。
「いったい、パラレルワールドというのは、どのくらいの世界があるのですか?この世界以外に現実があるなんて信じられません」
「具体的には、そなたは知らなくても良いことではあるが、合わせ鏡に映る自分を見たことがあるかね?」
「はい。子どもの時に・・・」
「そこに自分が映っているだけあると思っていれば良い。しかし、それ以上は知らなくても良いことである。なぜなら、この世もその中の世界の一つに過ぎないのだから」
「こ、この世界も?」
「さよう」
神武天皇は平然とした口調で答えた。
「鏡に映るだけということは、そんなに多くの世界がひとつのところに重なり合って存在しているんですか?」
「その通り」
「じゃあ、この世界では総理官邸であるこの場所は、重なり合っている他の世界では野原だったりするということですか?」
「海の中のところもあるし、森の中のところもある」
「そんなにたくさん重なり合っていても世界は大丈夫なんですか?・・・、い、いや、っていうか、何重にも空間が重なっていると、何か、かさばってしまうんじゃないかと・・・」
話の流れがだんだん現実離れした方向に向いたため、総理の思考がだんだんついていけなくなってきており、心に虚無感が広がり始めた。
「すぐには理解できぬであろうが、それが現実であり、真実である。それに、空間はかさばることはない。例えると、鏡の中の世界は奥行きがあるように見えるが、触ると平らであるだろう?それと同じようなことだと思えば良い」
「しかし、鏡は覗いて見える範囲しか映りません。そこから先の世界は見えないし聞こえないじゃありませんか」
「それは、それ以上写っている世界のことを知らなくても良いということだからだ。そなたがそなたの背後が見えないのと同じことだ。だからと言ってそなたの背後には何もないということはないであろう?」
「・・・漠然としてはいますが、三種の神器に鏡がある意味が何となく解ったような気がします」
「神の間に『我』が入って『か・が・み』となる。即ち『鏡に映る自分の姿を見て天照大神、つまり神を見よ』ということであると共に、『神はいつもそなたを見守っている』というメッセージでもある。しかし、この世にしか目を向けず、本質を見失ってしまっている者のなんと多いことであるか」
「しかし、現実を生きていくためには神にすがるだけでは生活していけませんし、世の中は発展し、成長していきません。人々の生活が豊かになることはいけないことではないはずです」
「誰も豊かになるなとは言ってはいないし、それは神も望んではいない。すがるのではなく、現実の中に神の存在を、愛を、祝福を感じて生活することが大切なのだ。この世は虚蝉(うつせみ)、現実は虚夢と言うではないか。人間は全てを理屈で説明し、世の中の仕組みを知ろうとするが、必要なことは常に与えられるし、知らされないということはこの世に必要なことではないから知らなくても良いということなのだ」
「何か禅問答をしているような気がします」
神武天皇は大きな声を上げて笑った。
「神の御業は人知を超えた壮大さで行われているということだ」
総理はまた溜息をひとつ吐いた。
そして、神武天皇の眼差しの先を追いながら、暗くなりかけて明かりが灯り始めた街並みを見つめた。
「もう一つ、そなたに伝えておきたいことがある」
「何でしょう?」
総理は責任の重さから、やや強張った表情で神武天皇を見つめた。
「この国を護っていくために、余の子孫達を絶えさせてはいけない」
「天皇家をですか?それは男系だけでなく、女系になってもつないでいかなければならないということですか?それについては専門家を交えて議論をすすめているところです」
神武天皇も総理大臣を静かな表情で見つめ返す。
「そなたは、どう思う?」
総理は神武天皇の冷静な表情に、思わず間違った答えをしてはいけないという思いに駆られ、なかなか言葉が出てこなかった。
「わ、私は・・・。や、やはり男系でつないでいくのが・・・、先人達の想いを継いでいくことが大切であると考えています」
ようやく出てきた言葉に、神武天皇はにっこりと笑う。総理は思わず安堵の表情を浮かべた。
「そなたの言う先人達は、どうして男系で余の子孫をつないできたと思う?」
神武天皇は椅子から立ち上がり、ゆっくりと窓際に歩いていった。傾きかけた太陽の光を浴びて、たくましい横顔が輝いて見える。
「我が曾祖父である邇邇藝命(ににぎのみこと)が天降りをする際に、天照大神より『この鏡を私の御魂と思って、私を拝むように敬い祀りなさい』と三種の神器を贈られ、『そなたの皇子(みこ)が豊葦原(とよあしはら)の水穂国(みずほのくに)を治め、思金神(おもいかねのかみ)が祭祀を取り扱い、神宮の政務を執り行う限り、私が共に居ることを信じなさい』と一行を送り出された。さらに、余が天皇に即位した時に、天照大神にこの国を護るために我が身と我が子孫達の身を御神に捧げると誓いを立てた。天照大神は余の誓いに応えて申された。『そなたの子孫達がこの国を統べる限り、私もそなたの子孫と共にこの国の安泰を全身全霊を賭して護ろう』とな。即ち、天照大神は余の子孫の守護神であると共に、この国の守護神として立たれたのである。男子の種で子孫はつながっていく。女子は種を受け止め、暖かく包み込み、豊かに実らせる肥沃な大地である。母なる大地から芽が出でてやがて大樹となる。どちらかが欠けても、どちらかが強くても、どちらかが弱くても子孫は育たない。余の子孫の女子が男子を受け止め、つないだとしても、その子は余の子孫ではあるが、直系の子孫ではない。その子は余の子孫の女子が受け止めた男子の家系を継ぐ御子である。いくらその子が天皇家を名乗っても、天照大神は天皇家を守護することはできない。天皇家を守護できないということは、この国を守護することもできなくなってしまうということだ。天照大神の守護がなくなってしまうということは即ち、大和国、いや、現在で言う日本という国が存在できなくなってしまうということなのだ。そなたの言う先人達は魂からそれを解っていたからこそ、存続の危機に直面しても男子の血を遡って必死につないできたのだ。これは世の中が男社会だからでもないし、女性蔑視をしているからでもない。それぞれの特性を生かし、それぞれにしかできない役割を果たすために男性と女性とがあるのだ。そなたも含めてそなたの言う専門家という者達は魂や心ではなく、頭で考えるきらいがあり、平等や伝統という言葉の意味を履き違えている者が多い。おそらく我が子孫の存続にとって、現在が最大の危機といえるのかもしれぬ。そうなってからでは遅いのだ。この国を護るためには、何としても男子の子孫が継いで万世一系を護っていかなければならないのだ」
神武天皇の言葉には力がこもってはいたが、総理からは彼の顔を見ることはできなかったので、どれだけ神武天皇が心を痛めているかまでは図り知ることはできなかった。ただ、心の底から天皇が男系でつないできた意味が理解できたのは確かだった。
「万世一系ということであれば、女性が天皇に即位されることは容認されていることなのでしょうが、今の時代は男系を護っていくということを打ち出すと反発も大きいと思います」
神武天皇は総理の方に向きを変えた。夕陽を背景に立つお姿はまるで後光がさしているかのようで、神々しかった。
「そなたもその存在は薄々感じていると思うだろうが、この世は一つではない。複数の現実が同じ空間に同時に存在している。肉体に縛られている間は、行き来することはできないが、その中に万世一系が崩れてしまったためにこの国が日本として存在しない現実もあるのだ」
「パラレルワールドということですか。それは架空の話ではなかったんですね。科学や物理学の世界ではちらちらとその存在の話を聞いたことがありますが、まさか本当にあるとは・・・」
神武天皇からSF的な話が出るとは思わなかったので、総理は声のトーンが思わず一オクターヴ高くなってしまった。神武天皇はお構いなしに話を続けた。少し声が笑っているようにも感じられたが、総理からは逆行だったので表情までは見えなかった。
「この世界と別の世界を行き来できるのは魂と重力子だけであるから、にわかに信じられるものではないだろう。しかし、そなたも今生の命が終ったら見ることができるから、楽しみにしているが良い。大きなものでは、先の世界大戦で日本国が勝利した時だ」
「だ、第二次世界大戦で日本が勝利した世界があるのですか?」
思わず声が上ずってしまい、ひっくり返りそうになった。
「さよう。しかし、日本が勝利すると、軍の力が一層強くなり、皇族の威光は国体に反映されることがなくなり、武士が政権を握っていた時代に逆戻りしたようになってしまう。天皇を祀り上げて強大な力を得た軍は、錦の御旗を掲げながら領土をさらに拡げ、世界の神国化を図るために亜細亜だけでなく、中東や欧米にまで軍をすすめた。天皇の名のもとに進軍は行われたため、内情を詳しく知らない各国の民達からの恨みや憎しみの感情は天皇に向けられてしまい、大戦後四年経った後に、日本国内で働かされていた複数人の外国の若い青年達によって男子の皇族は次々と暗殺されてしまった。それからの一代は女性が皇位を継いだけれど、精神的な支えを失った民は、軍に対して強く反発して政権を奪取しようと内乱になった。その混乱に乗じて軍備を整えたアメリカ軍とソ連軍が日本軍を一掃し、広島と長崎だけでなく、東京や札幌、仙台といった主要都市に原子爆弾が投下され、日本は放射能で壊滅的な状態になってしまった。かろうじて生き延びた民達もやがて放射能の影響が身体に出始めてしまい、投下から七十二年後に最後の一人となった日本人も死んでしまった。日本の国土は北と南に別れて、北はソ連領、南はアメリカ領になってしまったが、とても人が住める状況ではないくらいに荒れ果ててしまった。日本が対戦から勝利した日から七十七年後に世界から『日本』という国と民族がなくなってしまった。そして、日本という支えを失った世界は、赤道付近では摂氏六〇度に迫る灼熱の日が続き、極点付近ではマイナス九〇度にまで下がる日が続く。生き物も次々と絶滅していき、破滅に向かって拍車がかかっている。人類もごく一部の富裕民族がシェルターを作ったり、地下都市を築いたりして生き延びてはいるが、人口は各国合わせても一億人くらいまで減ってしまっている。地表で生活できる生物はゴキブリなど硬い身体を持ち、環境に適応しやすい一部の昆虫くらいしか残っていない。人類は地球を、まさに神も仏もない世界にしてしまったのだ」
神武天皇は淡々とした口調で語り続けている。
「もう一つの世界では、世界大戦に敗れた事実はこの世界と変わりはないが、日本が存続の危機は去らなかった世界だ。その世界では連合国軍最高司令官総司令部の総司令官はダグラスではなかったからだ。その者は裕仁が駐日アメリカ合衆国大使館を訪問した際に、極東国際軍事法廷に影響すると言って面会を拒否した。そして裕仁はA級戦犯として死刑となり、天皇家は皇位をはく奪され、生き残った皇族達も民衆に晒されて戦争犯罪の責任をとらされてしまった。その後は先程の世界と同様に国土を北と南に二分された。日本人はかろうじて生き延びてはいるが、国際社会では二度と立ち上がることはできないように危険思想を持つ民族であるとのレッテルを貼られてしまう。こちらの世界はまだ日本人は生存してはいるが、国家がなくなってしまった以上、先ほど話した世界と同じように絶滅への道を遅かれ早かれ歩むことになるだろう。そなたにはまだ理解しきれぬであろうが、万世一系が崩れて天照大神の御威光が届かなくなるということはこういうことなのだ。もちろん、他の世界ではこの国が中心となって平和な現実を築いている世界もたくさんある。先の話した世界は数ある世界の中でのほんの一例に過ぎぬ」
神武天皇はゆっくりと総理の前の席に座った。
「この世界ではダグラスが連合国軍最高司令官総司令部の総司令官として来日したということに感謝をしなければならないな。おそらくダグラス以外の者が総司令官であったならば結果は同じであっただろうから。そなたは裕仁とダグラスとの面会の時は生れていたとしても幼かったであろうが、このことは誰かから伝え聞いているのだろうか?」
「はい。二人で並んで写っている写真は教科書にも載っている写真ですから、私だけでなく国民のほとんど全員が一度は目にしています」
総理の返事を受けて、神武天皇は一つうなずいて話を続けた。
「彼は心眼の開いた司令官であった。裕仁に天照大神の威厳を感じ、神の存在を確信した。あの時に、ダグラスが頭だけで現実をとらえ、物事を考える人物であったならやはりこの国はなくなっていただろう。なぜなら、裕仁が戦争犯罪者の筆頭に挙げられ、二度と日本人が決起できないように、民達の精神的支えであった天皇家一族は滅ぼされていたからだ。アメリカで育ったダグラスが天照大神を心眼で見、御声を聴くことができたのに、天照大神に愛し、守られている土地に育ち、生きている者達が神を感じ、御声を聴けぬとは何と嘆かわしいことか!」
「しかし、今日の政治では政教分離が大原則になっています」
神武天皇は愁いを秘めた目で総理を見つめた。
「神道は宗教ではなく、我が国の民としてのたしなみである。本来の神道には教義という物は存在しない。なぜなら、神々を畏れながらも想い慕う人々の揺さぶられる心から自然と派生したものだからであり、教祖となる者もいないからだ。天皇もしくは神官が国や民の生活が安寧であるように祈り、民達が皇族や国の祈りが成就するように願う。その祈りのやり取りが神道である。立ち居振る舞いの所作がたしなみであり人としての成長の『道』であるのと同じものであるため、『教』ではなく『道』なのである」
「その理屈をいくら述べても、現代社会に受け入れられることは極めて難しいと思います。極右であるとしかみなされず、批判の対象となってしまうでしょう」
神武天皇は両手を広げるようなしぐさをし、
「そなたやこの国の政(まつりごと)を司る者がその気持ちを持って行えば良い。認めようが認めなかろうが、この国に籍を置く者は多かれ少なかれ心の中では理解できているはずだから。現在は納得していなくともいずれわかり合えるであろう」
「だと良いのですが・・・」
そう言うと、総理は大きく溜息を吐いた。
辺りはだんだんと暗くなりかけてきている。総理は部屋の明かりを点け、席に戻った。
「いったい、パラレルワールドというのは、どのくらいの世界があるのですか?この世界以外に現実があるなんて信じられません」
「具体的には、そなたは知らなくても良いことではあるが、合わせ鏡に映る自分を見たことがあるかね?」
「はい。子どもの時に・・・」
「そこに自分が映っているだけあると思っていれば良い。しかし、それ以上は知らなくても良いことである。なぜなら、この世もその中の世界の一つに過ぎないのだから」
「こ、この世界も?」
「さよう」
神武天皇は平然とした口調で答えた。
「鏡に映るだけということは、そんなに多くの世界がひとつのところに重なり合って存在しているんですか?」
「その通り」
「じゃあ、この世界では総理官邸であるこの場所は、重なり合っている他の世界では野原だったりするということですか?」
「海の中のところもあるし、森の中のところもある」
「そんなにたくさん重なり合っていても世界は大丈夫なんですか?・・・、い、いや、っていうか、何重にも空間が重なっていると、何か、かさばってしまうんじゃないかと・・・」
話の流れがだんだん現実離れした方向に向いたため、総理の思考がだんだんついていけなくなってきており、心に虚無感が広がり始めた。
「すぐには理解できぬであろうが、それが現実であり、真実である。それに、空間はかさばることはない。例えると、鏡の中の世界は奥行きがあるように見えるが、触ると平らであるだろう?それと同じようなことだと思えば良い」
「しかし、鏡は覗いて見える範囲しか映りません。そこから先の世界は見えないし聞こえないじゃありませんか」
「それは、それ以上写っている世界のことを知らなくても良いということだからだ。そなたがそなたの背後が見えないのと同じことだ。だからと言ってそなたの背後には何もないということはないであろう?」
「・・・漠然としてはいますが、三種の神器に鏡がある意味が何となく解ったような気がします」
「神の間に『我』が入って『か・が・み』となる。即ち『鏡に映る自分の姿を見て天照大神、つまり神を見よ』ということであると共に、『神はいつもそなたを見守っている』というメッセージでもある。しかし、この世にしか目を向けず、本質を見失ってしまっている者のなんと多いことであるか」
「しかし、現実を生きていくためには神にすがるだけでは生活していけませんし、世の中は発展し、成長していきません。人々の生活が豊かになることはいけないことではないはずです」
「誰も豊かになるなとは言ってはいないし、それは神も望んではいない。すがるのではなく、現実の中に神の存在を、愛を、祝福を感じて生活することが大切なのだ。この世は虚蝉(うつせみ)、現実は虚夢と言うではないか。人間は全てを理屈で説明し、世の中の仕組みを知ろうとするが、必要なことは常に与えられるし、知らされないということはこの世に必要なことではないから知らなくても良いということなのだ」
「何か禅問答をしているような気がします」
神武天皇は大きな声を上げて笑った。
「神の御業は人知を超えた壮大さで行われているということだ」
総理はまた溜息をひとつ吐いた。
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されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
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