黒猫の住む街

羽吹めいこ

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第一章 青年、少女と邂逅す【3】

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ジャンはアンガスに言われた通り、店の掃除をするために一階まで降りた。
そして、階段のすぐ脇にある裏口から中に入る。
 
「ああ、ジャン。早かったな」
  
アンガスは買ってきた紅茶の葉を缶に詰めているところだった。
 
「悪いが、床掃除を頼む。モップはそこの壁に立てかけてあるから」
「はいはい」
 
着ていたコートを脱ぎ、ジャンはモップを持つと床を掃除し始めた。
――喫茶店、ラ・ポート。
それがこの店の名前だった。
表通りから一本はずれているので、そんなに有名でもなく、こじんまりした店だったが、それなりに客の入りもあったし、常連も多かった。
また、時折アンガスの人の良さをかって、悩みを相談しにくる者や、どこで仕入れたのか隠された財宝の話や、儲け話を持ちかける者さえいた。
部屋を借りる代わりとして店の手伝いをしながら、ジャンはそういった客の情報を拾っていた。
黙々とモップをかけていると、店の方にワンピースの裾ををはためかせながら降りてきたキャトルが、ジャンに話しかけてきた。
 
「あれ、一人なの?」
 
それは、コリーは一緒じゃないの? という口調だった。
 
「ああ。あ、でも服はちゃんと置いてきたから」
「え、だけどその娘と、着替えたら自由にしていいって約束したんでしょ? 服だけ置いといたら着替えて逃げちゃうんじゃない?」
「いや、多分それはないよ。一応手は打ってあるし」
「え?」
 
そんなやりとりをしていると、アンガスが注意してきた。
 
「ほらそこ。しゃべってないで仕事仕事。キャトルも出かけるんじゃなかったのか」
 
それにキャトルはあ、と言うように口元を手で押さえ、
 
「そうだった、じゃあパパ行ってきまーす」
 
そう言って、キャトルが店の正面玄関から出ようとしたとき、外側からドアが開いた。カランとベルが鳴る。
 
「ああすいません。今日は店、休みなんですよ。また明日……」
 
が、そこでアンガスの言葉がとまる。
 
「あれっ、その服……ってことは」
 
キャトルが口を押さえて立ちどまる。
 
(やっぱりね。来ると思った)
 
ジャンはその姿を見て口元を緩めた。
ドアを開けて入ってきたのは、キャトルの服に着替えたコリーだった。
 
「は、はじめまして。あの、私……」
「もしかして、コリーさん」
「あ、はい。コリー・マールドといいます」
「あたしはキャトルよ。キャトル・アバディーン。よかった、あたしの服ぴったりで」
「はい! でもどうして私のことを?」
「ジャンが話してくれたんだ。ほらそこでモップを持ってるやつだ」
 
アンガスがジャンの方に目を向ける。
いや、もう少し説明の仕様があるんじゃないの、と思いながらもジャンは黙っていた。
それに、コリーは戸惑い気味にアンガスの方を見た。その視線に気づいたアンガスが微笑む。
 
「ああ、紹介が遅れたね。私はこの店のオーナー兼アパートの大家のアンガス・アバディーンだ。これからよろしく、コリー・マールドさん?」
「こちらこそよろしくお願いします」
 
ぺこりとお辞儀をすると、キャトルがコリーの手をつかんだ。
 
「ね、ね、コリーって呼んでいい? あたしのこともキャトルって呼び捨てにしていいから」
「は、はい。わかりました」
 
すると、キャトルが顔をしかめた。
 
「ううん、その敬語もなし! 服あげた仲じゃない。普通にして?」
「う、うん。わかった」
 
コリーの言葉に納得し、満足げな表情で頷くと、
 
「じゃああたし、これからデートだから。コリー、またあとで話しようね」
 
それだけ言い残して、キャトルは店から出て行った。
 
(まるで嵐が去ったみたいだな)
 
ジャンは彼女が出て行ったあとのドアを見て、それから呆然と立ち尽くすコリーに声をかけようとした。
しかし、その前にアンガスがごほんと咳払いをしてコリーに話しかけた。
 
「ま、まぁあんな娘だが仲良くしてやってくれ。コリー」
「はい」
 
微笑んで頷くと、突然、彼女の腹がくぅっと鳴った。
 
「や、あの、ごめんなさい」
 
顔を真っ赤に染めて、コリーは慌てて腹を押さえた。
それにアンガスは、
 
「そうか、まだ朝食を出していなかったね。すぐ作ろう。ジャンは? なにか食べたのか?」
「まだ」
 
店が休みのときは基本、自分で調達なのでこんな形で朝食にありつけるとは思ってもいなかった。
 
「じゃあ、ジャンの分も作るから、席について待っていなさい」
 
ジャンはモップを階段の裏の掃除用具入れにしまうと、すでにコリーが座っていた窓際のテーブルにつく。
――しばらくして、アンガスが料理を運んできた。
ベーコンとタマネギが挟まったスコーンと、目玉焼きが皿にのせてある。
 
「うまそー」
「簡単なものですまないが、まぁ召し上がれ」
「いただきます」
 
コリーはスコーンをひとくちかじると、次第に目を潤ませ、最後にはぽろぽろと涙をこぼした。
 
「もしかして、口に合わなかったかな?」
 
アンガスが心配そうに尋ねる。それに、コリーはふるふると首を振った。
 
「いえ、違うんです。こんなにおいしい料理食べたのいつ以来だろうって思ったら、つい……」
「ああ、確かに闇商人の中でもブイオは一番扱いがひどいからなぁ」
 
アンガスは腕を組んで呟いた。
 
「まぁ、ジャンが通りかかってよかった」
「ん?」
 
ジャンは皿から顔を上げ、それから二人を見て、
 
「たまたまだよ」
 
それにアンガスは笑った。
 
「はは、素直じゃないな。それで、コリー。君はこれから行くあては?」
「いえ……」
「なら家にいるといい。家はルームシェアができるんだ。今はジャンが三階をほとんど占領しているが、少しどかせば入れるだろう。いざとなればジャン、おまえが屋根裏へ引っ越しなさい」
「えぇっ」
 
思わずうめき声をあげると、アンガスにじろりとにらまれた。
コリーは慌てて手を振った。
 
「いえそんな、悪いです! 大体私、部屋を借りられるようなお金なんて持ってないので……」
 
それにジャンも意見した。
 
「っていうか、年頃の男女が一つ屋根の下でなんてとんでもないって言ってたのマスターじゃん。それはいいわけ?」
 
すると、アンガスはなんだそんなことかというような表情で二人を見た。
 
「それなら心配ない。コリーにはこの喫茶店で働いてもらう。それで家賃は免除しよう。もちろん、朝夜の二食付きだ。ただ、昼と店が休みのときは自分で調達するように」
「わかりました」
「そしてジャン、おまえは自宅にいることの方が少ないじゃないか」
「いやでも……」
 
あくまでも食い下がるジャンに、アンガスは眉をひそめた。
 
「じゃあおまえはコリーを一人寒空の中に放り出すっていうのか?」
「……」
 
確かに連れてきたのは俺だし、責任はある。
観念したジャンは頭を掻きながら、
 
「わかったよ。マスターが言うんじゃ仕方ない」
「そういうわけだ、コリー。それで大丈夫かな?」
「はい、ありがとうございます」
 
コリーは深々と頭を下げる。
 
「それじゃ朝食のあと、三階の部屋を開けよう。ジャンも手伝ってくれ」
「へいへい」
 
それから二人は朝食を食べ終え、ジャンがアンガスに連れられ店を出ようとしたとき、いきなり店の電話が鳴った。
 アンガスが受話器を取る。
 
「はい、こちらラ・ポートです……ああ、ナミックさん。はい……はい……ああそうでした。アールグレイ二缶ですね。すぐにお持ちいたします」
 
チンというベルが鳴り、アンガスは受話器を置いた。
それから、こちらを見てすまなそうな表情になり、
 
「配達の予定が入っていたのを忘れてた。悪いが、ちょっと行ってくる。部屋の片付けはあとでな」
「はいよ」
 
ジャンが適当に頷くと、アンガスは紅茶の缶を紙袋に詰め、足早に店を出て行った。
 
「……さてと、これからどうするかな」
 
ジャンは背後を振り返った。
すると、コリーはさっきまでの優しそうな表情とは打って変わって険悪な眼差しでこちらを睨みつけている。
まぁもちろんそのかわいらしい顔のために、怖さはまったく伝わってこなかったが。
彼女が小さく呟く。
 
「……返して」
「は?」
 
いきなりなんのことかわからず、ジャンは首をかしげた。
 
「とぼけないで。私がしてた首飾り、あなたが持っているんでしょう?」
 
それにジャンはまるで今気づいたかのように、
 
「あ」
 
と口を開き、それから椅子にかけてあった黒コートを取った。
 
(せっかくあとで調べようと思ってたのに。ま、これのおかげでこいつは逃げずにすんだわけだから、結果オーライだな)
 
だが、ジャンはそんなことはおくびにも出さずにそのコートのポケットをまさぐった。
金属の感触が手に当たる。
それは、奴隷なのにそんな高価なものをしてることが見つかったらまずいと思ってジャンがどさくさに紛れてはずしたコリーの首飾りだった。
 
「これのこと?」
 
ジャンがポケットからその首飾りを取り出す。
それを見たコリーは目を見開いて、
 
「やっぱりあなたが!」
 
取り返そうと、ぶらりと目の前に下がる首飾りに手を伸ばす。
しかし、ジャンはそれをひょいっとコリーの手の届かない位置まで持ち上げる。
 
「待った。返す前に一つだけ質問。この首飾り、そんなに大切なものなの?」
「そんなこと言って、返す気なんてないくせに」
 
コリーの口調には怒りがこもっていた。
 
「男なんてみんなそう。自分の都合のいいようにもてあそんで、いらなくなったらすぐに捨てるのよ。私はあなたみたいな金を出して奴隷を買うような人、絶対にゆるさない」
 
殺気さえ感じるその眼差しに、ジャンはため息を一つつき、
 
「っていうか、別に、俺はあんたを奴隷として買ったわけじゃないんだけど」
「え?」
「俺がキョーミあったのは、あんたのその手首のアザさ」
 
コリーははっとして手首を押さえ、それから絞り出すような声で呟いた。
 
「どうしてこのことを……! 私、あなたに見せた覚えは」
 
しかしジャンが遮る。
 
「確かに見せてもらったわけじゃない。ただ、さっきスラム街で、あんたがブイオの手から必死に逃れようとしていたときにちらっと見えただけ」
「たったそれだけで?」
「ああ。俺、目はいい方だから」
 
ジャンはぱちんとウィンクしてみせた。そして、持っていた首飾りを再び黒コートのポケットにしまう。
 
「え、ちょっ、だから、返してよ」
 
それにジャンは笑った。
 
「だって、あんた俺の質問に答えてないし」
「それは」
 
コリーが口ごもる。
ジャンは、首飾りを再び取り出すと、まじまじと飾りの部分を眺める。
 
「っていうか、この首飾り見たことない金属っぽいんだよね。表もなんかよくわかんない模様になってるし……」
 
それは縦に長い楕円形をしており、表には葉脈のような柄が施されていた。そして、そのふちには幾何学的な模様がひとまわり描かれていた。
 
「これ多分古代文字だ。でも俺の知ってるやつじゃない。ま、あとで調べればいいか。どうせまだ俺の手元にあるし?」
「……わかったわよ。答えればいいんでしょ」
 
コリーが観念したように呟く。
 
「この首飾りは父さんが最後に私に残したものなの」
「ふぅん。形見ってわけ」
 
ジャンがうなずくと、コリーは手を出した。
 
「答えたんだから、返してよ」
「いや、誰も返すとか言ってないけど?」
「っ」
「ちなみにそのアザは?」
「……」
「返してほしくないんだ?」
 
しばらく無言でいたコリーは唇をかんで、
 
「このあざは私にもどうしてできたのかわからないの。ただ、もう生まれたときにはすでにあったって両親が」
「へぇ」
 
それからジャンは、今は袖で隠れてしまっている彼女の手首に視線を移す。
 
(あのアザの模様。どこかで見たことあったような気がするんだけどな)
 
そんなことを考えていると、コリーが、
 
「もういいでしょ! 首飾り返して!」
「わかったって。ほら、返すからそんな怖い顔すんな」
 
ジャンが首飾りを差し出すと、コリーはそれをひったくるように取り、すぐに首につけた。
そのとき――
バァンッという音がして、ラ・ポートのドアが勢い良く開かれた。
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