もう絶対忘れない!

緋向

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4 ふたりご飯

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涼子の実家の近くには、隣の県まで続く長い川がある。中学生の頃の涼子は、大自然に囲まれた綺麗なその川で、水切りをして遊ぶのが好きだった。
「やったぁ!10回連続!新記録だ!!」
ぴょんぴょん跳ねながら喜びを全身で表現する。
「わーすごいね涼ちゃん。僕、連続3回しかいかないんだけど・・・」
隣には、がっくりと肩を落とす高校生くらいのメガネの男の子。その動作に思わず吹き出しそうになる。
「たか兄ちゃんは修業が足りないのよ!私いっつもここで水切りしてるもん!」
にひっと笑って、また新しい石を探しに行こうとすると、
「・・・次は負けねー」
ぽつりと後ろからムスっとした声が聞こえた。そう、この人は柔和そうな顔して、実のところけっこう負けず嫌いなのだ。
涼子は今度こそ吹き出した。そして大爆笑。
「なっ・・・!?何がおかしいんだよ!涼子!」
顔を少し赤くしたその人が涼子に食ってかかる。
涼子は知っている。普段は丁寧な事に気をつけているこの人が、実はけっこう荒っぽいことを。そして、その時だけ名前を呼び捨てで呼ばれる。涼子は、彼のそんなところが大好きだった。
「おっしえなーい!」
「!?こらっ!待て涼子!」
駆けた涼子を追う彼。この頃の涼子にとって一番大切だった時間。

すると突然、今まで見えていた景色がブラックアウトした。
「うわぁ!」
まるで、世界で独りぼっちになってしまったかな様な恐怖感に、涼子は目を開けた。
「あ・・・はぁ・・・は・・・」
浅い呼吸を繰り返しながら、涼子はベッドから起き上がった。
「ひ、久々にこの夢見たな・・・」
珍しく鮮明に覚えている夢を振り返る。前はよく見ていた夢だった。
中学生の時の自分と、おそらくその時一番大切な存在だった男の子との思い出。
でも、その頃の記憶が涼子の中では曖昧で、よく思い出せない。
ふぅっと一息つき、少し乱れた呼吸を整えて、顎を伝う汗を手の甲で拭った。
ふと、見慣れない部屋に自分がいることに気づいた。
「え・・・ここどこ・・・?」
一瞬焦ったものの、瞬時に理解した。
「あ、新居・・・私、引越ししたんだった」
起きたばかりで曖昧だった思考もだんだんと追いついてきた。
「えっと、鍵開けてもらって家に入って、それから寝室に連れてかれて・・・」
そこで、涼子は自分の顔が、みるみる紅潮していくのが分かった。
───そっそうだ・・・。私、あの人にここで・・・。
最後まではされなかったが、涼子からしたら、充分に強い刺激だった。会ったばかりの人と、そんな風になる自分が信じられない。
胸が、ズキリと痛んだ。
───最低だ・・・私。好きな人いるのに、他の人とこんなことするなんて・・・。
強い罪悪感。痛んだ胸が苦しい。情けなくて、泣きそうだ。
でもその気持ちは、すぐにそれよりも強い感情によって、かき消された。

───あのやろう!!!!!あの男!柊 孝哉!!!会ったばかりの私にあんな事するなんて・・・許せん!

涼子は、怒りに身を任せて、ベッドから飛び降りた。そして、怒りの矛先である人物の元へと向かう。まだ新しい家に慣れていないので、プチ迷子になってしまったことは秘密だ。
リビングらしき部屋からコーヒーの強い香りがする。
───ここだ!!
ガチャン!と勢いよく入り口のドアを開けると、コーヒーの香りが一層強くなる。中はこれまた白基調のモダンデザインな部屋だった。TV、木製のテーブルとふかふかと気持ちの良さそうなクッションがついたダイニングチェアに大きなキッチン。見た感じ居心地良さそうな広々とした部屋だった。
そして、キッチンでコーヒーを注いでいるのは・・・
「ああ、おはよう涼子」
異様なまでに美しい笑みでこちらに微笑みかける憎らしい男───柊孝哉!
「ちょっと待ってて。今、涼子の分もコーヒー入れるから」
上機嫌にそう話す孝哉を遮るように、涼子は怒りを口にした。
「どういうつもりなの・・・?」
涼子の声は、怒りで震えていた。涼子のその声に、孝哉がなんてことないような面持ちで、こちらを振り向く。それには構わずに、続けた。
「会ったばかりの私にこんなことするなんて!頭おかしいんじゃないの!?私はあなたの恋人じゃないのよ!欲求不満なら、他をあたってよ!」
孝哉の表情に変わりはない。それが、涼子をさらに苛立たせる。
───っこの・・・!!!

「私っ・・・!あんたの事なんてだいっきりゃ・・・!」

噛んだ。思いっきり噛んだ。

「ぶっ・・・!!!」
盛大に吹き出した孝哉が、腹を抱えて大爆笑している。
「あははははは!ぶっ・・・あはははっ!」
「・・・・・・」
猛烈に恥ずかしい。穴があったらどこかに入りたいというのは、こういう時に使うべきだ。
「いつまで笑ってんのよ!!」
恥ずかしさを少しでも和らげようと、未だに笑っている孝哉にかみつく。
「ひー・・・あはは!ごめんごめん。涼子やっぱり昔のまんまだねぇ!怒るとよく噛む癖、昔のまんま!」
そんな癖があったのか!?私には!自分の新たな一面を知り、少しびっくりした。というか・・・
「・・・よくそんなの覚えてましたね」
不機嫌にそう言ってやると、対して、孝哉は実に上機嫌なご様子だった。
「そりゃあ、好きな子のことですから」
語尾にハートマークがつきそうなほど、甘ったるい声。でも、眼差しはいたって真剣で、ドキリと心臓がはねる。黙って紅い顔を俯かせた涼子の頭を優しく撫で、細い手首を引いて、自分の向かい側の席に座らせた。
「ほら、お腹すいたろ?夕飯出来てるから、一緒に食べようか」
「夕飯・・・」
涼子の口の中によだれがわいたきた。さっきの情事のせいで、昼ご飯を食べることができず、そのまま気絶していたのだ。現在夜の7時30分。腹ペコなのは当然である。
だが、ここで折れるのは癪だ!
涼子は、要らない対抗心を燃やした。
「そんなのいらないもん!」
ふん!とそっぽを向いてやれば、孝哉は少し面くらったような顔をした。
───ふん!どうよ!ちょっとは反省するといいんだわ!
しかし、この男は反省など全くしていなかった。
しばしの沈黙の後、孝哉は口の端を器用に持ち上げて、意地悪い笑いをうかべた。
───え、何よ・・・
今度は涼子が面くらっていると、孝哉は席を立ち、キッチンの方から、お盆に乗せた皿を何枚か持ってきて、テーブルにどん!どん!と置いた。
そのお皿に乗っていたのは、ほかほかと湯気がたちのぼる美味しそうな和食たち。
「さばの味噌煮に桜えびとほうれん草のおひたし、豚肉と白菜の蒸し煮、冷奴とかき玉汁、それからたけのこご飯。全部涼子の大好物だよね?食べないの?」
───んな!!私の大好物を出してくるだなんて卑怯な!!
それでも、涼子は垂れそうになるよだれを我慢しながら、孝哉を無視する。
だがこの男、精神攻撃は涼子より、1枚も2枚も上手だった。
ニタニタと意地悪い笑みのまま続ける。
「さばの味噌煮は今日魚屋さんから直接買ってきたんだ 。脂がのっててうまいぞ~?それに、おひたしにはアクセントでコーンを入れてみた。豚肉も野菜も、新鮮なのを吟味して朝市で買ってきたんだ」
「うぐぅ・・・!」
聞いてるだけで美味しそうだ!
───負けてたまるか!負けてたまるか!
「食後には、ケーキもあるよ?カシマ屋の、アメリカンチェリーがたっぷり乗ったミルフィーユ」
王手。勝ったのは当然、孝哉である。
「たべる・・・」
涼子は、小さくそうつぶやいて前を向いた。目の前には、悪どい笑み全開の悪魔こと、柊孝哉。
「さあ、ご飯にしようか」
孝哉は、涼子の頭をぽんぽんっと叩き、鼻歌を歌いながら自分の分のたけのこご飯を盛りに、キッチンへと向かった。
────ちくしょうっ!!!
涼子は心の中でそう叫んだのであった。いつか絶対に負かす!と心に決めて。

* * *

こぽこぽこぽ・・・。
芳しい香りと共に、コーヒーが注がれる音がする。
「はい。食後のコーヒー。今ケーキ持ってくるから待ってろ」
涼子は、目の前に出されたコーヒーを素直に受け取った。
「・・・・・・ありがとう」
下を向きながらも丁寧にそう言ってやると、孝哉は満足そうに笑って、再びキッチンの方へ向かった。孝哉の料理は、その見た目通りめちゃくちゃ美味しく、涼子は、あまり食べないつもりだったのだが、自分の分をぺろりと平らげてしまった。
悔しくて、美味しいとは一言も言わなかったが、態度で分かるらしい。食事中の孝哉は、終始ご満悦だった。
───くそぅ・・・!あんな奴にぃ!
孝哉をどうしてくれようか、そんな物騒なことを考えていると、硬い物で頭を軽く叩かれた。
「いたっ!?」
「なーに怖ぇ顔してんだ。俺に仕返ししようとか企んでるんじゃないだろうな?」
ぎくぎっくーん!ほぼ大正解の答えに、びっくりして後ろを振り向くと、右手にケーキ、左手に包丁を持った孝哉が立っていた。
──ジト目の顔もかっこいいなぁ・・・。
不本意ながら思わず見とれていると、涼子は重大な事に気がついた。
孝哉は、右手にケーキを持っている。つまり、先程涼子の頭を叩いた硬いものは・・・!

「きゃあああああああ!!」
涼子は悲鳴をあげた。 
突然の涼子の発狂に驚いたのか、ぎょっとした孝哉は、危うくケーキを落としそうになった。
「ちょっ!お前!いきなり叫ぶとかびっくりするだろうが!」
「びっくりしたのはこっちよ!信じらんない!あんた女の子の頭包丁で叩くなんて男としてどうなの!?殺す気ですか!!死んでもいいってか!」
わー!と、噛みつく涼子に、孝哉は「何だそんなことか」みたいな顔をした。
「死んでないんだからいいだろ。ちゃんと峰の方で叩いただろうが」
───こ、の、男はぁぁぁ!
「お前は死ねぇ!!!」
反省のはの字も感じられない態度に、涼子は半泣きで孝哉の腹めがけて正拳突きをかまそうとした。──しかし、素早く左手の包丁をテーブルに置いた孝哉に、あっさりと涼子の拳は捕まった。
「ぅぐ・・・!くそぉ・・・!」
そのまま、捕まえられた手ごと体を引き寄せられた。
───え・・・。
いきなり近くなる孝哉の匂い。広い、逞しい胸が、頬に当たる。見上げると、そこには涼子を見下ろす美しい男。その黒い瞳に射抜かれて、涼子はしばらく動けなかった。
すると、孝哉は涼子の顔に、自分の顔を近づけた。
───ま、またキスされる・・・!!
我に返った涼子は、反射的に目を閉じた。──瞬間。
ちゅっ
耳に残るリップ音をたてて、孝哉は、涼子のおデコに軽くキスをした。
「なっ・・・え??」
口にくると思っていたものを、別の場所にされ、拍子抜けした涼子は、唖然とした表情で孝哉を見つめる。嫣然と微笑んでいた孝哉の顔が、意地悪なものへと変わり、からかう様な声で涼子に囁いた。
「ぷっ・・・なんだよ。そのマヌケな顔は。もしかして、口にされたかったのか?」
自分の顔が、一瞬にして真っ赤になったのが分かる。孝哉は小さく笑うと、掴んでいた涼子の手を放した。
「ふふっ。してほしいならいつでもしてやるぞー?涼ちゃん?」
涼子は、ばたりと机に突っ伏した。
───もうヤダ。本当になんなのこの人。
熱くなった頬に、冷たいテーブルが心地いい。鼻歌を歌いながら、ケーキにロウソクを立てるこの男に、口にされなかったことが少し寂しかっただなんて。
そんなことは、死んでも言えなかった。

***

「ハッピバースデイトゥーユー。ハッピバースデイディア俺ー。ハッピバースデイトゥーユー!」
「・・・オメデトウゴザイマース」
成人男性の熱唱を聴くという、なかなかに無い経験をしながら、涼子は、目の前でロウソクを一気に吹き消し、嬉しそうに歌を歌う男を、生暖かい目で見ながら、棒読みで誕生日を祝っていた。しかも何気に歌が上手いから、そこも腹が立つ。
「おい。人の誕生日にそんな顔してんじゃねーよ。」
不満そうな顔をして、孝哉は涼子の右頬をつねった。
「いひゃっ!!ちょっと!なにひゅんのよ!」
何この人!?子供か!涼子の頬を引っ張る孝哉の腕を、ばしばしと叩いて抵抗すると、やっと解放してもらえた。つねられた右頬は、すっかり赤くなっている。涼子は、右頬をさすりながら孝哉をめいっぱい睨む。
「やめてよ!子供かあんたは!28にもなってすることですか!?」
「なに、涼子。俺の歳なんで知ってんの?」
「ケーキ見ればわかります!!」
そう、アメリカンチェリーがたっぷり乗ったカシマ屋のミルフィーユには、無惨にも、28本のロウソクが突き立てられていた。芸術品とも呼べる美しいケーキに、なんてことをするのだろう。
「そう、28。もうすぐ三十路間近なんだぞ。かわいそうな俺。」
がっくりと肩を落として、本当にショックそうな様子の孝哉が、なんだか可愛いらしく見える。胸がキュンと、小さく鳴った。

───キュンって何だ!?キュンって!!

これはあれだ。素行の悪いヤンキーが、捨て猫に優しくする姿を見て萌えてしまうという、いわゆるギャップというやつだ!ときめいたとかそんな甘酸っぱいものではない。決してない。
涼子は、そう自分に言い聞かせる。
───1回コーヒーでも飲んで落ち着こう・・・。
涼子は平静を保つべく、孝哉の入れた美味しいコーヒーを口にした。すっかり冷めてしまってはいるが、芳醇な香りは失われていない。その香りにうっとりしていると、
「涼子、口あけて。はいあーん」
孝哉が、ケーキを刺したフォークを、涼子の口の前に差し出してきた。
「ぶーーーー!!!?」
バリスタ並の孝哉が入れた美味しいコーヒーを、噴水のようにふきだし、涼子はむせ返った。
「ごほっ!げほっ・・・!じ、自分で食べれますから!」
「漫画みたいな反応するなぁ。本当面白い。俺、コーヒーふく人初めて見た」
可笑しそうにそういいながら、コーヒーまみれになった涼子の顔を、柔らかいタオルで拭いてやる。 その手つきは優しい。紅い顔を俯かせた涼子は、孝哉の好きにさせた。
───この人に会ってから私、絶対おかしい。前までこんなふうになることなんてなかったのに。
「ほら、拭き終わったぞ。コーヒーの匂いついたみたいだし、風呂入ってこいよ」
優しくそう言われ、頭をぽんっと撫でられる。涼子は、素早くコーヒーの染みついたタオルを奪い取ると、孝哉をめいっぱいにらんで、
「ありがとうございましたっ!お風呂行ってきます!」
やけくそにそう叫んで、お風呂場へと駆けていった。

途中、「そっちじゃないぞ」と笑われながら指摘をうけ、大きく方向転換したことは、無かったことにしたい。
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