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三章 夢と手を繋ぐ
第29話 拷問世界
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「どうして、あなたはここに居るの?」
「そんなこと、分かりっこないさ。下水道と食堂のゴミ箱を往復する毎日に、一体なにを見出せって言うんだ。すべての物事に対して理由を求めようとする。人間たちの悪いクセ」
「ふうん、ずいぶんと賢いネズミね」
「賢いのは君のほうさ。どうして俺の言葉が分かる?」
「昔からこうなの。しっかりとした態度で目を合わせれば、どんな動物相手でもコミュニケーションをとることができるの」
「それじゃあ君は、こんがり焼けた七面鳥とも会話ができるのかい?」
ネズミは体操選手のように体をひねりながら、ストンと地面に着地した。
「いじわるな質問。そうね、『いただきます』と手を合わせて感謝して頂けば、声が届かなくても命のコミュニケーションは取ることができるんじゃない?」
宝石のようにクリクリ輝くネズミの瞳が、大きく揺れた。
「おもしろい! 下水道中の噂になるぞ。君の話術で、寝床を占領するガマガエルたちを追い払ってくれよ」
「無理ね。私には、自由がないから」
ネズミは耳をだらんと垂らして、わざとらしく落ち込んだ。
「……でも、自由がないのは、大人の前だけでの話。ネズミと会話しちゃいけない、そんなこと大人の誰も言わなかった」
私は、その場でしゃがみ込むと、鉄格子の隙間から人差し指を伸ばす。
「友達になってくれる?」
「もちろんさ。君は強い人間だ」
ネズミは短い両手で私の人差し指を掴み、小さく上下に振る。ここへ来て初めて出来た友達だった。
「こっちへおいで」
「床にネズミ捕りを置いていないだろうな?」
つるんと鉄格子のすき間を通り抜け私の部屋へやって来る。素早く部屋を駆け回り、クンクンと部屋の安全を確認すると、地べたに尻もちをつく。
「きれいな場所だな」
「壁は埃とカビに覆われていて、便器は薄茶色に汚れているというのに?」
「じき慣れるさ。君も一度、下水道で暮らしてみるといい。きれいの基準がぐっと下がるぞ」
「変なネズミね」
なんだか、ネズミのふてぶてしい態度が可笑しく思えてきて、私はその場で腹を抱えて大笑いした。ネズミは笑い方を知らないらしく、私の真似をして不器用に腹を曲げチューと鳴いた。
「まずは自己紹介をしなくっちゃね。じゃあ、ネズミさんの好きな食べ物は?」
「食堂のよく冷えたバジル。君は?」
「ネズミバーガー」
「あっはっは。食材との会話は楽しんでいるかい?」
「冗談よ。本当に好きな食べ物は、手作りハンバーグ」
コツコツ。薄暗い廊下に響く冷たい足音。大人だ。大人がこちらにやって来るのだ。
「どうした?」
ネズミが目をぱちくりさせて心配そうにたずねる。
「シッ、大人が来る」
冷たい足音が徐々に大きくなる。
銀の棍棒を握った大人が目の前に現れた。大人は、部屋の扉の前でピタリと止まると、意味もなく私を睨みつける。
「二十九番、出ろ」
ネズミが、私と会話をしていないことをアピールするため、前歯を出してネズミらしくチューチュー鳴いた。その姿が滑稽で、私はふたたび大笑いしてしまう。
「馬鹿にすんじゃねえ!」
銀の棍棒が、勢いよく鉄格子を叩きつける。無表情を貫いていた鉄格子が、血のような火花を噴き出し、激しくその身を震わせる。音に驚いたネズミが、電光石火の勢いで鉄格子の向こう側へ走り去ってゆく。
「二十九番、出ろ」
大人の命令に逆らう自由は、私には無かった。
時折、銀の棍棒で背中を殴られながら、薄暗い廊下を歩く。
棍棒で殴られるたび脚の筋肉が痙攣して、なんども転びそうになったが、さらなるお仕置きを防ぐため、私は歯を食いしばって激痛に耐えた。
廊下の両脇には、鏡映しの部屋が幾つも並んでいる。部屋の住人たちが子犬のように体を震わせ、二つの目を洞窟の蝙蝠のように光らせながらこちらを見ていた。皆、私と同じ背丈だった。
どうやらここは、かなりの広さがあるらしい。大人に促されながら何度も廊下を曲がり、ようやく目的地らしい場所に辿り着いた。
目の前にそびえ立つ、錆びた鉄のぶ厚い扉。扉の上部には小さな鉄格子の窓が嵌められている。大人は鉄格子の窓から扉の向こう側をのぞき込むと、ニタニタ笑い、なにやら呪文のような言葉を唱えた。
錆びた扉がゲップしながら重苦しそうに開く。なんだか、地獄の門とよく似ている。
そんなことを考えていると、血と膿を混ぜ合わせて鉄板の上で焼いたような、吐き気を催す強烈な匂いが、私の顔面に襲いかかった。思わず口をふさぐ。
「歩け」
大人に羽交い締めにされ、断末魔の叫びの横を通り過ぎてゆく。短い廊下の奥に銀色の小さなドアが鎮座している。地獄の門その手前、パイプ椅子に座った大人が退屈そうに雑誌を広げていた。
私の意志とは無関係に、地獄の門が、ぐんぐん遠ざかってゆく……。
視界に一つ、鉄格子の部屋が映った。上裸の男の子が逆立ちの状態で天井に吊るされ、その様子を二人の大人が楽しそうに眺めている。大人が細い鉄の棒を取り出した。棒の先端が、蛍の尻のように真っ赤に発光している。
真っ赤に焼けた棒の先端を上裸の男の子に近づける。男の子は芋虫のように体をうねらせ、足首と天井を繋ぐ紐を断ち切ろうとする。私は目をつむった。ジュ。皮膚の焦げる匂いが、こちらにまで届いた。
「そんなこと、分かりっこないさ。下水道と食堂のゴミ箱を往復する毎日に、一体なにを見出せって言うんだ。すべての物事に対して理由を求めようとする。人間たちの悪いクセ」
「ふうん、ずいぶんと賢いネズミね」
「賢いのは君のほうさ。どうして俺の言葉が分かる?」
「昔からこうなの。しっかりとした態度で目を合わせれば、どんな動物相手でもコミュニケーションをとることができるの」
「それじゃあ君は、こんがり焼けた七面鳥とも会話ができるのかい?」
ネズミは体操選手のように体をひねりながら、ストンと地面に着地した。
「いじわるな質問。そうね、『いただきます』と手を合わせて感謝して頂けば、声が届かなくても命のコミュニケーションは取ることができるんじゃない?」
宝石のようにクリクリ輝くネズミの瞳が、大きく揺れた。
「おもしろい! 下水道中の噂になるぞ。君の話術で、寝床を占領するガマガエルたちを追い払ってくれよ」
「無理ね。私には、自由がないから」
ネズミは耳をだらんと垂らして、わざとらしく落ち込んだ。
「……でも、自由がないのは、大人の前だけでの話。ネズミと会話しちゃいけない、そんなこと大人の誰も言わなかった」
私は、その場でしゃがみ込むと、鉄格子の隙間から人差し指を伸ばす。
「友達になってくれる?」
「もちろんさ。君は強い人間だ」
ネズミは短い両手で私の人差し指を掴み、小さく上下に振る。ここへ来て初めて出来た友達だった。
「こっちへおいで」
「床にネズミ捕りを置いていないだろうな?」
つるんと鉄格子のすき間を通り抜け私の部屋へやって来る。素早く部屋を駆け回り、クンクンと部屋の安全を確認すると、地べたに尻もちをつく。
「きれいな場所だな」
「壁は埃とカビに覆われていて、便器は薄茶色に汚れているというのに?」
「じき慣れるさ。君も一度、下水道で暮らしてみるといい。きれいの基準がぐっと下がるぞ」
「変なネズミね」
なんだか、ネズミのふてぶてしい態度が可笑しく思えてきて、私はその場で腹を抱えて大笑いした。ネズミは笑い方を知らないらしく、私の真似をして不器用に腹を曲げチューと鳴いた。
「まずは自己紹介をしなくっちゃね。じゃあ、ネズミさんの好きな食べ物は?」
「食堂のよく冷えたバジル。君は?」
「ネズミバーガー」
「あっはっは。食材との会話は楽しんでいるかい?」
「冗談よ。本当に好きな食べ物は、手作りハンバーグ」
コツコツ。薄暗い廊下に響く冷たい足音。大人だ。大人がこちらにやって来るのだ。
「どうした?」
ネズミが目をぱちくりさせて心配そうにたずねる。
「シッ、大人が来る」
冷たい足音が徐々に大きくなる。
銀の棍棒を握った大人が目の前に現れた。大人は、部屋の扉の前でピタリと止まると、意味もなく私を睨みつける。
「二十九番、出ろ」
ネズミが、私と会話をしていないことをアピールするため、前歯を出してネズミらしくチューチュー鳴いた。その姿が滑稽で、私はふたたび大笑いしてしまう。
「馬鹿にすんじゃねえ!」
銀の棍棒が、勢いよく鉄格子を叩きつける。無表情を貫いていた鉄格子が、血のような火花を噴き出し、激しくその身を震わせる。音に驚いたネズミが、電光石火の勢いで鉄格子の向こう側へ走り去ってゆく。
「二十九番、出ろ」
大人の命令に逆らう自由は、私には無かった。
時折、銀の棍棒で背中を殴られながら、薄暗い廊下を歩く。
棍棒で殴られるたび脚の筋肉が痙攣して、なんども転びそうになったが、さらなるお仕置きを防ぐため、私は歯を食いしばって激痛に耐えた。
廊下の両脇には、鏡映しの部屋が幾つも並んでいる。部屋の住人たちが子犬のように体を震わせ、二つの目を洞窟の蝙蝠のように光らせながらこちらを見ていた。皆、私と同じ背丈だった。
どうやらここは、かなりの広さがあるらしい。大人に促されながら何度も廊下を曲がり、ようやく目的地らしい場所に辿り着いた。
目の前にそびえ立つ、錆びた鉄のぶ厚い扉。扉の上部には小さな鉄格子の窓が嵌められている。大人は鉄格子の窓から扉の向こう側をのぞき込むと、ニタニタ笑い、なにやら呪文のような言葉を唱えた。
錆びた扉がゲップしながら重苦しそうに開く。なんだか、地獄の門とよく似ている。
そんなことを考えていると、血と膿を混ぜ合わせて鉄板の上で焼いたような、吐き気を催す強烈な匂いが、私の顔面に襲いかかった。思わず口をふさぐ。
「歩け」
大人に羽交い締めにされ、断末魔の叫びの横を通り過ぎてゆく。短い廊下の奥に銀色の小さなドアが鎮座している。地獄の門その手前、パイプ椅子に座った大人が退屈そうに雑誌を広げていた。
私の意志とは無関係に、地獄の門が、ぐんぐん遠ざかってゆく……。
視界に一つ、鉄格子の部屋が映った。上裸の男の子が逆立ちの状態で天井に吊るされ、その様子を二人の大人が楽しそうに眺めている。大人が細い鉄の棒を取り出した。棒の先端が、蛍の尻のように真っ赤に発光している。
真っ赤に焼けた棒の先端を上裸の男の子に近づける。男の子は芋虫のように体をうねらせ、足首と天井を繋ぐ紐を断ち切ろうとする。私は目をつむった。ジュ。皮膚の焦げる匂いが、こちらにまで届いた。
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