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第9話
1
結果的に、会食は大きなトラブルにならなかった。
唾が飲み込めないほど緊張して待っていた私に、久しぶりにお会いする先方の担当者は「佐藤くんも大変だねえ」と理解を示して下さり――内心申し訳なさでいっぱいだったけれど――にこやかに会話をしてくださったのだ。
「先に始めてようか」というひと言をきっかけに、震える手で瓶ビールを握った。スーツ姿のサラリーマンに合わせ空調の効いた料亭なのに、まったく寒さを感じなかった。
申し訳程度に口に含んだビールの苦味が、喉を通り過ぎていく。
からからに乾燥していたのだと、ようやく気づいた。
機嫌良くグラスを傾けた先方は、最近の市場状況について事細かく説明してくれた。最近は資料のなかでしか見ていなかった業界だから、話は興味深い。私の拙い質問にも丁寧に答えてくださり、時間は瞬く間に過ぎていった。
同席していたあちらの秘書も、「相川さんが担当変わってしまって、寂しかったんですよ」と言ってくださっているうちに、佐藤さんが予定より早く駆けつけてくれた。
そのおかげもあり、会食は無事に終わった。額に汗を浮かべながらも、商談をまとめていく佐藤さんはさすがだ。
先方のお二人が乗り込んだ車を見送って、その姿が見えなくなったところで、全身の力が抜けた。
一瞬、目の前が真っ暗になる。思わずふらついたところを、佐藤さんが支えてくれる。
「す、すみません……」
「大丈夫? いや本当に助かった。なんとかなって良かった……」
心から安堵した声で呟いて、佐藤さんが深く息を吐き出す。私は無言でこくこくと頷くだけで精一杯だった。
料亭の方々にもお礼を伝え、店を出ると、ちょうど二十一時になったところだった。
二時間きっかり。会食としては上々だろう。
ふと、カーテンコールの最中だろうか、耳の奥でミトの歌声が響いた気がした。腕時計から目を逸らす。盤面を上着の袖で隠した。
これから会社に戻るという佐藤さんを見送るため、タクシーを待っていたときだった。
「相川!」
まさか、ここにいるはずのない人の声が聞こえてきた。
道路の向こうで、糸川が大きく手を振っていた。
佐藤さんが「ナイトのお迎えだね」と笑っている。
否定しようとしたところで、目の前にタクシーが滑り込んできた。
「本当にありがとう。糸川、相川さん借りてごめん」
「いえ」
息を切らせて横断歩道を渡ってきた糸川が、私の後ろに立った。そっと腰に手を添えられて、そのあたたかさにじんわりと心が解けていく。思わず寄りかかりたくなってしまう。
「じゃあ俺、戻るから。また来週」
「本当にお疲れさまでした」
「お疲れ、糸川、相川さんのことよろしく」
「はい」と簡潔に頷く糸川を見て、佐藤さんは笑みを浮かべた。
タクシーに乗り込み、去っていく佐藤さんを見送る。
二人だけになると、私たちの間は、大通りを通過していく車の音だけが響いていた。
糸川を見上げると、ぎゅっと唇を噛み締めている。
唾が飲み込めないほど緊張して待っていた私に、久しぶりにお会いする先方の担当者は「佐藤くんも大変だねえ」と理解を示して下さり――内心申し訳なさでいっぱいだったけれど――にこやかに会話をしてくださったのだ。
「先に始めてようか」というひと言をきっかけに、震える手で瓶ビールを握った。スーツ姿のサラリーマンに合わせ空調の効いた料亭なのに、まったく寒さを感じなかった。
申し訳程度に口に含んだビールの苦味が、喉を通り過ぎていく。
からからに乾燥していたのだと、ようやく気づいた。
機嫌良くグラスを傾けた先方は、最近の市場状況について事細かく説明してくれた。最近は資料のなかでしか見ていなかった業界だから、話は興味深い。私の拙い質問にも丁寧に答えてくださり、時間は瞬く間に過ぎていった。
同席していたあちらの秘書も、「相川さんが担当変わってしまって、寂しかったんですよ」と言ってくださっているうちに、佐藤さんが予定より早く駆けつけてくれた。
そのおかげもあり、会食は無事に終わった。額に汗を浮かべながらも、商談をまとめていく佐藤さんはさすがだ。
先方のお二人が乗り込んだ車を見送って、その姿が見えなくなったところで、全身の力が抜けた。
一瞬、目の前が真っ暗になる。思わずふらついたところを、佐藤さんが支えてくれる。
「す、すみません……」
「大丈夫? いや本当に助かった。なんとかなって良かった……」
心から安堵した声で呟いて、佐藤さんが深く息を吐き出す。私は無言でこくこくと頷くだけで精一杯だった。
料亭の方々にもお礼を伝え、店を出ると、ちょうど二十一時になったところだった。
二時間きっかり。会食としては上々だろう。
ふと、カーテンコールの最中だろうか、耳の奥でミトの歌声が響いた気がした。腕時計から目を逸らす。盤面を上着の袖で隠した。
これから会社に戻るという佐藤さんを見送るため、タクシーを待っていたときだった。
「相川!」
まさか、ここにいるはずのない人の声が聞こえてきた。
道路の向こうで、糸川が大きく手を振っていた。
佐藤さんが「ナイトのお迎えだね」と笑っている。
否定しようとしたところで、目の前にタクシーが滑り込んできた。
「本当にありがとう。糸川、相川さん借りてごめん」
「いえ」
息を切らせて横断歩道を渡ってきた糸川が、私の後ろに立った。そっと腰に手を添えられて、そのあたたかさにじんわりと心が解けていく。思わず寄りかかりたくなってしまう。
「じゃあ俺、戻るから。また来週」
「本当にお疲れさまでした」
「お疲れ、糸川、相川さんのことよろしく」
「はい」と簡潔に頷く糸川を見て、佐藤さんは笑みを浮かべた。
タクシーに乗り込み、去っていく佐藤さんを見送る。
二人だけになると、私たちの間は、大通りを通過していく車の音だけが響いていた。
糸川を見上げると、ぎゅっと唇を噛み締めている。
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