俺の母。

ハシも

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第一話 母

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母親は、行き先も告げずに、リュックひとつだけ持って家を出て行った。

スマホと財布と着替えと何か大事なものを詰めたらしい。

けれど、今朝はどこかへ旅立つような顔はしていなかったし母はこれまで一人でどこかへ行くような人じゃなかった。

旅行も外食も何かにつけて「家族が優先」

母はもともと、あまり社交的なタイプではなかった。
ママ友ランチに頻繁に顔を出すわけでもなく、
昔から付き合いのある親友が三人だけいた。

その三人とは、定期的に会っていたらしい。
家族以外の母を知る、数少ない人たち。
でも、どんな話をしていたのかは、過去の母親はどんな人だったのか俺は全く知らない。
聞こうともしなかった。母の世界は、母だけのものだと思っていたから。

父は大手企業に勤めていて経済的に困っているわけでもないのに、母はいつもフル出勤で働いていた。
パート前に俺、妹、父よりも一番に起きて弁当を詰め、帰ればきっちりご飯を用意してくれる。文句も言わず、淡々と。
まるでそれが当然かのように。

休みの日には掃除機の音で目が覚めて、
気がつけば台所に母の背中があるのが当たり前だった。

完璧だった。
“お母さん”として、何ひとつ欠けていなかった。
――だからこそ、家を出て行った理由が、わからなかった。


家族LINEに、母から一言だけ通知があった。

「ちょっと行ってくるね」

それだけ。スタンプも、絵文字もない。
いつもは既読すらつかない父も、すぐ既読をつけた。
でも、誰も返信しなかった。できなかった。

まるで、ずっと我慢していた人が、
ようやく静かに自由を選んだような気がした。

それが最後の言葉だった。
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