俺の母。

ハシも

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第ニ話 2日目

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母がいなくなって、2日目。

家に帰ると、リビングの空気は、もう完全に“普通じゃない匂いがしていた。

リビングには父と妹が集まっていた。
 テレビはついているのに、誰も見ていない。
 空気だけが妙に重たい。

 「ママ、どこ行ったの。明日のお弁当、どうしよう」
 ソファに座った妹が、ぽつんと呟く。
 その声に、父がイライラと髪をかき上げた。

 「知らん。こっちが聞きたいくらいだ」

 母に送ったLINEには、既読すらつかない。
 着信も出ない。
 ――本当に、帰ってくる気配がない。

 俺は、人数分のコンビニのおにぎりとカップ味噌汁をテーブルに並べた。

 手間も気持ちもこもっていない、ただの“食べるもの”。それでも、誰も文句は言わなかった。

 しばらくして、妹が父に向かって口を開いた。

 「ママに優しくしないからだよ。育児だって、全部ママじゃん……」
 妹の声は涙をこらえたようにかすれていた。

 父はしばらく黙って声を荒げた。
 「お前だって、偉そうなこと言える立場か? 毎日ダラダラして、洗濯物は脱ぎっぱなし、食ったら食いっぱなしで、部屋も散らかしっぱなしだろ!」

妹がびくりと肩をすくめた。
でも、反論はしなかった。目を伏せて、唇をかみしめている。

「……やめなよ」
 父と妹がこちらを見た。

 「喧嘩してもしょうがないだろ。誰が悪いとか、今はそれどころじゃない」

 自分の声が思ったより冷静だったのが不思議だった。
 俺だって、内心はどうしていいかわからないくらい、混乱しているのに。

 「親父、最後に母さんに何か言ったりした?」
 俺は父に問いかける。
でも、父はすぐには答えなかった。

沈黙の末 「……たまご」
 絞り出すように、父が言った。

はぁ?たまご…

 ぽつりとこぼすその声は、いつもの父とは少し違っていた。



 「最後に話したのは、たぶん……“たまごが切れてるからちゃんと確認したほうがいいよ”って言っただけだ」
 それが最後の言葉だったなんて、信じたくなかった。


「俺なりに優しく注意して言ったつもりなんだ。知らず知らずのうちに、母さんを傷つけてしまったんだと思う」
 言葉の端々が震えていた。

 「例えば……洗濯物の干し方とか、買ってきた野菜が高いとか……そういう、小さいことなんだ。でも、何度も重なれば、きっと疲れるよな…」

 父は、自分に言い聞かせるように呟いた。
 まるで、過去のひとつひとつを思い出しては、自分で自分にダメ出ししているみたいだった。


 父の言葉が終わるやいなや、リビングの空気がぴんと張りつめた。
 ソファに座っていた妹が、じろりと父を睨んだ。

 「モラハラ男!最低!これだから昭和の男は。私がママだったら、即離婚する。こんな男、無理!」

「…離婚」

 妹は吐き捨てるように言った。
吐き捨てるようなその声に、父が一瞬だけ目を伏せた。

父はなにも言えなかった。

責める言葉じゃなく、“真実”だけを突きつけられたような静けさが、リビングを包んだ。
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