蠟燭のぶよぶよ

鋸煮桃暢

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幽霊少女との邂逅

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 定刻通り、朝六時起床。
 一睡もしなかった、する事など無理であった尊は、スマートホンのアラームによって重い身体を動かした。

 彼の習慣は幼少期から変わらない。最優先されるのは飲食供養おんじきくようだ。
 目が覚めたら顔を洗い、昨日辛うじてセットしていた炊けたばかりの白米と常温のミネラルウォーターを用意する。
 仏様、ご先祖様を彼は信じている訳ではない。信心深くない尊にとって香喰こうじきという考えは眉唾だ。
 そうした行為をしなければ生き延びられなかった、というインプリンティングがあるだけだ。

「おはようございます」

 まだ尊は仏壇の前で手を合わせる事が出来ていた。これが最後の頼みの綱である。
 ドライフードの味噌汁を湯で溶き、冷凍庫に所狭しと並ぶ保存容器を取り出した。この所食欲が落ちて冷凍白米ばかり拵えている。
 電子レンジの異音を聞きながら、ブレーカーの戻し方を調べる。
 天板を開けたくなかったが真夏の気温で室内で腐乱死体になるのは嫌なのだ。
 彼は浴槽に囚われていると言って差し支えない。

「お下げします」

 一礼して下げ、プラスチック製の器に落とす。
 生きている者より死んでいる人間が尊まれるのは可笑しな気がしたが、彼の意見は物心付く頃には封殺された。
 未だに不満が出る事が尊の固執し易い性質を表している。

 一人暮らしを始めると洗い物が面倒であると覚えた。
 祖父母宅で暮らしている時はそれが自身の仕事であるから嫌々でもこなしたが、稀に使っていたふりかけやご飯のお供といった物は容器を汚す。金銭的にも馬鹿にならず自然と避けるようになっていた。
 淡泊な生活だ、味気なく恐ろしくつまらない。
 大学に通っている時間が丸々在宅になっている夏休み。
 暇を持て余して万年床に横になりネットだけど繋がる日々は、尊の殆どなかった社交性を奪っていく。

 今は、情報過多に流されながら自身の頭を働かせない。
 ふとした時に身体がびくつく。だから必死に興味のないアイドルの動画を観たり、延々と芸能人のSNSを見たりする。
 煌びやかであればある程己との壁があり、虚構へと誘われ、現実に立ち返らずに済んでいた。

 また、微振動と共にアラームが鳴る。
 消費してしまった午前中。畳に転がる昨夜の名残を拾うが臭っている自分は無視をした。
 湿気った線香はもう使えないが、手にしただけの和蝋燭は元の形を保っている。
 ライターのスイッチを押すと簡単に火を吹いた。

「このまま死んでくのかな」

 尊は孤独だった。
 同じように田舎から上京している新入生が彼らなりの努力をして居場所を確保していく中で、尊は完全に乗り遅れてしまった。
 講義のガイダンスを一人で聞き、カリキュラムも一人で作り、必修の時間は苦痛だった。
 友達が出来ると信じていたのに、尊は同窓にとっては風景だ。

「尊君……」
「…………え?」
「心配だな、私、何をしてあげられるだろう」
「誰か! 誰かいるの!?」
「わたしのこ」

 ライターを落とした瞬間に、まだうら若い女の声が断ち消えた。
 恐ろしさが駆け抜けたが、同時に誘惑された。
 都会に来て他人から初めて『尊君』と呼ばれ、心配をして貰った。
 その喜びは爆発的に尊の自尊心を擽り、死ぬ前のご褒美かと脂下がっていた。

「誰か――いるんだね?」

 返事はなかった。
 金切り声でもいいからもう一度聞かせてほしかった。
 口の中で溶ける砂糖の如く女の囁きは甘かった。
 尊は狭い部屋を見渡し、諦められずに呼び掛け続け、もう一度ライターを取った。

「会えた……」
「私が、見えるの?」
「うん……」
「本当に? 私、尊君とお話し出来るの?」
「出来るよ! やっと会えた……!」

 これまでの悲運は序章プロローグだったのだ。
 尊はすっかり逆上せ上がっていた。
 その少女は随分と可愛らしく、照明に照らされミニスカートを揺らしていた女達より清楚で慎ましく、しっかと尊を見つめてくれる。
 始まった恋愛劇ロマンスに嗄れた声が艶を持つ。

「尊君、昨日は、守れなくてごめんね」
「君にも、見えてたんだ、あれ――」
「危ないと思ってお風呂場に入ろうと思ったんだけど弾かれちゃったの……尊君の悲鳴が、聞こえたのに……」
「泣かないで! 大丈夫だから! 俺は、大丈夫だから」

 顔を覆って泣き出した少女の可憐さに顔を赤らめ、尊は異臭を放つ部屋着の裾を直す。
 突如として舞い降りた天使に途端に夢中になってしまい、普段なら気障ったらしいと鼻を鳴らさずにはいられない台詞を吐いた。

「君が無事で良かった」
「尊君……」
「えっとぉ、さ。君……名前、教えてくれない?」

 彼女との距離をすぐにでも詰めたかった尊は、布団の上で蛙のような動きをして近付いた。
 少女は不気味がる事もなく困り顔で俯いた。

「知らない方が、いいと思う」
「何で?」
「私、もう死んでるから」
「死んでてもいいよ! 俺、知ってるかもだけど、独りぼっちでさぁ……話し相手もいないし心配してくれる人もいないし彼女とかいないから話し相手がいないんだ。寧ろ、幽霊の方が一緒に暮らせるじゃん?」
「でも……」
「教えて」

 舞台役者の三文芝居で促すと、白いワンピースの真夏のヒロインは恥じらいながら答えてくれた。

「アイリ。アイコトワリで、アイリ」
「アイリちゃん……!!」

 尊は実感した。生きている意味を知った。
 小窪尊は彼女に巡り会う為に生まれて来たのだ。
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