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第一章
ガプロの過去
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しばらくは緊張した日々が続いたが結局イビルベアーも他のモンスターも現れなかった。
洞窟の中は静寂に包まれ、周囲の自然は穏やかな時間を刻んでいた。
そんな中、ゲッターは新たな生活を築くために方針転換を決意した。洞窟をより快適な居住空間に改装することにしたのである。
柵を広げて家を建てると、見張りの範囲が広がって目が行き届かなくなる。
まずは最初に作った柵の範囲で環境を整備することにした。
洞窟内の岩壁を材料に、ベンチやテーブルを設置し、少しでも心地よい空間を作り上げることを目指した。洞窟を広げるには『加工』スキルで加工した石材を運び出す必要があったが、木材を加工して作った手押し車を使って男たちで運び出した。運び出した石材は板屏の補強に使った。
また、急いで作った施設があった。
燻製小屋だ。
相変わらずアイナは1人で猟に出ているが1日に一回は大物を獲ってきた。
畑作りまでにはまだ時間がかかりそうなので、動物と植物をバランス良く集めようとしているとのことだが、どうやら獲物の方からアイナに近寄ってくるらしい。
アイナは目の前に美味しそうな獲物が現れたら狩らずにはいられないそうだ。見逃している獲物も多くいるがこれはと思ったものは狩ってしまうらしい。
そのため毎日大量の肉が補充されるため、長期保存できるようにするために燻製小屋を作ったのだった。
燻製作りの担当にはジュアがついた。
彼は矢を作る時もそうだったが燻製作りにも非常に興味を持った。
全員の前で説明しながら燻製を作って見せたが、ジュアは一言も漏らすまいと、とても集中して聞いていた。
できた燻製を食べた時もとても喜んでいて、自ら立候補して燻製作りの担当になった。
燻製の香りが漂う中ジュアは熱心に学び、やがて一人で燻製を作れるようになった。彼はスモークの際に使う木材や草を調整し、日々美味しい燻製を作るための工夫を凝らした。ジュアの努力は報われ、燻製は洞窟での食卓を彩る重要な一品となった。
次に作ったのはトイレだった。
それまでは洞窟の近くに穴を掘って用を足していたが、見張りの目がある中では落ち着いてできなかった。見られてしまうのでアイナはそこではせず森の中まで用を足しに行っていた。
トイレが燻製小屋の次になったのは、アイナ以外は洞窟近くの穴で排泄できていたからゲッターがそこまで重視しなかったからなのだが、トイレが出来上がるとみんながとても喜んだので先に作れば良かったとゲッターを反省させた。
トイレは穴を掘って石材で便器を、木材で便座と蓋を作った。そのまわりを板塀と扉で囲み屋根をつけた。一応男性用と女性用の2つ作った。
ゴブリンたちは、こんなトイレは初めて見たと驚き、落ち着いてできると大好評だった。
アイナもやっと森に行かずにすむとホッとした様子だった。
一方で女たちは少しずつお腹が大きくなってきていた。
それでも働くのが楽しいようで、矢を作ったりアイナが一緒に行ける時は柵を出て、森の中で草や実を集めたりして過ごしている。
ある時何やら集まって話をしているので聞いてみたのだが、女たちによると1番早い出産はイレになりそうとのことだった。
そのあとアル、エラの順で最後がウタになるのではということだった。
みんなでそんな話をしていても、ガプロは女たちに任せておけば大丈夫というだけだった。その無責任な態度にアイナは鋭い視線を送った。彼の怯える様子を見て、ゲッターたちは思わず笑ってしまった。
そんなこんなで住環境の整備はジュアを除いたゲッター、ガプロ、カプル、アッグの男衆の仕事だったが、アイナが獲ってきた獲物を運ぶ仕事が毎日あるためあまりはかどっていなかった。
ガプロは住環境の大切さをわかっているので積極的に意見を出したり作業もしたが、若いカプルとアッグにはその地味さが物足りないようで、時折集中を切らす様子が見られるようになってきた。
2人からガプロが弓を作ってもらったので自分たちもほしいというから作ったが、今度は2人とも弓が射れないから教えてくれと言い、その次は槍も上手くなりたいから教えてくれという始末だった。
結局住環境の整備と弓や槍、猟の訓練を1日置きに行うようになった。それにより住環境の整備も集中してできるようになった。
訓練の日には午後にみんなで集まり、数の数え方から簡単な計算、文字の読み書きまで、勉強を行うようになった。ゲッターが濃い色の石板を作り、そこに白石で文字を書いて教えていった。
ガプロも文字は書けないようで熱心に勉強していた。
数の数え方や計算を教える時はガプロも手伝ってくれた。
ゲッターとアイナは屋敷の家庭教師が教えてくれたように教えてみたが、最初なかなかみんなに伝わらなかった。それを一緒に聞いていたガプロがわかりやすく噛み砕いて説明してくれたのだった。ガプロはみんながどこで躓いているのか、どこがわかりにくかったのか様子を見てくれていたようだ。こう言った配慮はさすが元村長で年長者だと、ゲッターとアイナは感心させられたのだった。
勉強で才能を見せたのはウタだった。文字も計算もガプロが教えるのを手伝ってくれるようになったらすぐに覚えた。また丁寧できれいな字を書いていた。
ゲッターが褒めると真っ赤になって俯いてしまったが小さな声で「ありがとう」とお礼を言ってくれた。
この頃になると発声練習の成果が出始めてみんなは少しずつ上手く話せるようになってきていた。
ウタのお礼も小さな声だったが上手く発音されていて、ゲッターは彼女の成長を喜んだ。
洞窟が拡張されて壁がきれいになると、ゴブリンたちは壁に白石で絵を描き始めた。
最初に書いたのはエラで花の絵を描いた。彼女の花の絵の美しさに他のゴブリンたちが刺激を受け、自分たちのスペースを決めて絵を描き始めた。
絵を描くことは、彼らにとって新しい楽しみとなり、今ではみんな空いた時間を見つけてはせっせと絵画に励んでいた。じきに立派な壁画が完成するだろう。
意外と言っては失礼だがゴブリンたちはみんな絵が上手かった。壁に白石で描くだけなのだが上手く陰影を描いたり遠近を表現したりして個性的な作品を生み出していた。
特に上手だったのがイレだった。
ガプロが「美人は絵もきれいなのだな」と言っていたが、大きくなったお腹で椅子に座って壁に絵を描く姿はゲッターにも何か感じるものがあった。
ゲッターは芸術的センスがなかった。貴族の嗜みで絵画も習ったことがあったが、いつもアイナに笑われるので嫌になり絵を描かなくなった。授業を受けなくなると、先生から仕事が減ると泣きつかれたので、ゲギンタスとエマラには内緒でアイナだけ授業を受けてゲッターは同じ部屋で読書をして過ごしていたものだった。
こうして洞窟内も広くなり、家具も置かれて壁には絵が描かれた過ごしやすい空間になっていたのだった。
また洞窟内に保存していた食料を移し、外に新たに作った食糧庫に保管することにした。
洞窟内は完全にリビングにしたかったのもあるし食料の匂いも気になったからだ。匂いは意外と重要だ。臭いのが嫌なのはもちろんだが強い匂いは外敵に存在を気づかせる原因にもなる。なのでゲッターたちは定期的に川で身体をきれいにし、着替えと洗濯も怠らなかった。
食糧庫に食料を移し終えると食糧庫の棚の半分くらいが埋まった。
ゲッターは食糧庫から出ようとしたが、ガプロが食糧庫から出ようとしないのが気になって声をかけた。
「まだ半分くらいだし、子どもが生まれたら足りないかな?」とゲッターは言った。
ガプロはゆっくり首を振り「赤ん坊がすぐに食事をするわけでもないですし、今はこれくらい十分でしょう」と答えた。
ゲッターは「そうだね」と返事をしたが、自分を心配してくれているのに気づいたガプロはゆっくり話し始めた。
「これだけ食料があれば悪戯に仲間を犠牲にしなくてすむなと思って。感動していたのです」とガプロは言った。
ゲッターはカプルたちとの出会いの夜を思い出し尋ねた。
「以前カプルから食べるものがないと仲間を食べるって聞いたけど、そのことかい?」
ガプロは静かに頷き、若かりし頃の過去を振り返り始めた。
彼が村長になる前の出来事は、まだ彼の心に深く刻まれていた。
「まだ私が若く村長になる前のことです。オークの村と争いがあり働き手をたくさん失ったことがありました。集められる食料が極端に少なくなり、それをみんなに配っていたら1人が食べる量が少なくなってしまう。食べる量が少ない日が続けばそのうち男たちも動けなくなって食料が集められなくなってしまう。そう考えた当時の村長が決断したのです」
ゲッターは話の内容に緊張し、ゴクリと唾を飲み込んだ。それにガプロは気付いた様子だったが構わず続けた。
「まずは子を産めなくなった女と動けなくなって食料を集められない男を犠牲にしました。しかももったいないと言って肉を焼いて男たちに配ったのです。肉を食べたのは男たちだけで、自分もこうなりたくなければ多くの食料を集めろと村長は言ったのです。私は泣きながらその肉を食べ、必死で食料を集めました。その後もまた何人かの働きの悪い男、あまり子を産まない女が犠牲になり、村が半数くらいになったところでやっと食料事情が良くなりました。こんなことはもう嫌だと思ったものです」
一息つくとガプロは続けた。
「なので私は村長になった後は飢えずにすむよう村の食料事情の改善に努めました。クレスターに教えもらった知識を使い効率よく猟を行い、畑を増やして芋や野菜の栽培も始めました。畑の仕事は毎日食料が取れるとは限らないので、やりたがらない者も多かった。その日の食事を大事にする村の男たちからする当然です。ですが必要なことなので私は力づくでやらせました。すると時間はかかりましたがある程度安定して食料が取れるようになりました。これで飢えることはもうない。仲間を犠牲にすることはないと思ったのですが」
ゲッターは続きを聞くべきかどうか迷ったが結局尋ねた。
「それで?」
ゲッターに聞かれるとガプロはまるで懺悔でもするかのように話し始めた。
「カプルたちがまだ子どもの頃です。大雨が続いて村も畑も水浸しになってしまいました。川が氾濫し村のみんなで高台に逃れましたが、それでも洪水で何人か犠牲が出ました。雨は一週間くらい続いてやっと止みましたが村は壊滅状態でした。すでに避難の際に持ち出した食糧は残り少なくなっていました。女と子どもを休めるようにすると村の復興もほどほどに男全員で食料集めに走りました」
カプルは話を止めると昔を思い出したのか苦しそうな表情をした。ゲッターはもういいと止めようと思ったが、ゲッターが止める前にガプロは話し始めた。
「村もひどいあり様でしたが森の中も壊滅的な状態でした。草も木も土ごと流されてどこもかしこも泥だらけでした。それにたまに食べられそうなものを見つけても長雨で腐ってしまっていました。じきに自分の縄張りに逃げていた動物たちが帰ってきましたが、猟だけでは村の全員を食べさせられませんでした」
ゲッターは何も言えず黙って聞いているしかなかった。
「私は決断しました。前の村長と同じように、子を産めなくなった女と働けなくなった男を犠牲にしてその肉をみんなに配りました。そしてやはり前の村長と同じことを言ったのです。自分もこうなりたくなければもっと多くの食料を集めろと」
ガプロは歯を食いしばり、きつく拳を握りしめた。
「犠牲を繰り返しやはり村の人数が半数になったところでやっと食料事情が上向きました。カプルなどは私を慕ってくれますが私は無能なんです。結局のところ村を飢えさせて犠牲を出してしまった。嫌がる男たちに力づくで畑仕事をさせたりもしたのに。だから追い出されても仕方ないのですよ」
ガプロは最後は自嘲気味に笑った。
ゲッターは、その悲劇的な過去を聞きながら、ガプロの抱える重荷を少しでも理解しようと努めた。だがまだ15歳の彼には辛い経験をした年長者にかける言葉は見つからなかった。だからゲッターは正直な気持ちをガプロに伝えた。
「ごめん。なんて言っていいのかわからない。でも私もみんなと協力してみんなを飢えさせないように精一杯努力すると誓うよ。私の誓いなんて腹の足しにはならないけど」
ゲッターが言うとガプロは目をぱちぱちさせた後にっこり笑っていった。
「いやいやゲッター殿の誓いに私はとても安心しましたぞ。お腹だけでなく感動で胸がいっぱいになりました。これほど心強く感じたのは生まれて初めてです」
「大袈裟だなぁ」とゲッターは言ったがガプロが笑ってくれたので笑顔を返した。
「みんなでここを前の村よりも大きな村にしよう。誰も犠牲にしない、みんなで協力してみんなを幸せにできる村にするんだ」とゲッターが力強く宣言すると、ガプロは「大きな夢ですな」と笑った。
「夢ではないよ。達成できる明確な目標さ。みんなでやれば必ずできるよ」と言ってゲッターはガプロに向かって右手を差し出した。
「そうですな」と言ってガプロはその右手を握り返し、満面の笑みを浮かべるのであった。
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洞窟の中は静寂に包まれ、周囲の自然は穏やかな時間を刻んでいた。
そんな中、ゲッターは新たな生活を築くために方針転換を決意した。洞窟をより快適な居住空間に改装することにしたのである。
柵を広げて家を建てると、見張りの範囲が広がって目が行き届かなくなる。
まずは最初に作った柵の範囲で環境を整備することにした。
洞窟内の岩壁を材料に、ベンチやテーブルを設置し、少しでも心地よい空間を作り上げることを目指した。洞窟を広げるには『加工』スキルで加工した石材を運び出す必要があったが、木材を加工して作った手押し車を使って男たちで運び出した。運び出した石材は板屏の補強に使った。
また、急いで作った施設があった。
燻製小屋だ。
相変わらずアイナは1人で猟に出ているが1日に一回は大物を獲ってきた。
畑作りまでにはまだ時間がかかりそうなので、動物と植物をバランス良く集めようとしているとのことだが、どうやら獲物の方からアイナに近寄ってくるらしい。
アイナは目の前に美味しそうな獲物が現れたら狩らずにはいられないそうだ。見逃している獲物も多くいるがこれはと思ったものは狩ってしまうらしい。
そのため毎日大量の肉が補充されるため、長期保存できるようにするために燻製小屋を作ったのだった。
燻製作りの担当にはジュアがついた。
彼は矢を作る時もそうだったが燻製作りにも非常に興味を持った。
全員の前で説明しながら燻製を作って見せたが、ジュアは一言も漏らすまいと、とても集中して聞いていた。
できた燻製を食べた時もとても喜んでいて、自ら立候補して燻製作りの担当になった。
燻製の香りが漂う中ジュアは熱心に学び、やがて一人で燻製を作れるようになった。彼はスモークの際に使う木材や草を調整し、日々美味しい燻製を作るための工夫を凝らした。ジュアの努力は報われ、燻製は洞窟での食卓を彩る重要な一品となった。
次に作ったのはトイレだった。
それまでは洞窟の近くに穴を掘って用を足していたが、見張りの目がある中では落ち着いてできなかった。見られてしまうのでアイナはそこではせず森の中まで用を足しに行っていた。
トイレが燻製小屋の次になったのは、アイナ以外は洞窟近くの穴で排泄できていたからゲッターがそこまで重視しなかったからなのだが、トイレが出来上がるとみんながとても喜んだので先に作れば良かったとゲッターを反省させた。
トイレは穴を掘って石材で便器を、木材で便座と蓋を作った。そのまわりを板塀と扉で囲み屋根をつけた。一応男性用と女性用の2つ作った。
ゴブリンたちは、こんなトイレは初めて見たと驚き、落ち着いてできると大好評だった。
アイナもやっと森に行かずにすむとホッとした様子だった。
一方で女たちは少しずつお腹が大きくなってきていた。
それでも働くのが楽しいようで、矢を作ったりアイナが一緒に行ける時は柵を出て、森の中で草や実を集めたりして過ごしている。
ある時何やら集まって話をしているので聞いてみたのだが、女たちによると1番早い出産はイレになりそうとのことだった。
そのあとアル、エラの順で最後がウタになるのではということだった。
みんなでそんな話をしていても、ガプロは女たちに任せておけば大丈夫というだけだった。その無責任な態度にアイナは鋭い視線を送った。彼の怯える様子を見て、ゲッターたちは思わず笑ってしまった。
そんなこんなで住環境の整備はジュアを除いたゲッター、ガプロ、カプル、アッグの男衆の仕事だったが、アイナが獲ってきた獲物を運ぶ仕事が毎日あるためあまりはかどっていなかった。
ガプロは住環境の大切さをわかっているので積極的に意見を出したり作業もしたが、若いカプルとアッグにはその地味さが物足りないようで、時折集中を切らす様子が見られるようになってきた。
2人からガプロが弓を作ってもらったので自分たちもほしいというから作ったが、今度は2人とも弓が射れないから教えてくれと言い、その次は槍も上手くなりたいから教えてくれという始末だった。
結局住環境の整備と弓や槍、猟の訓練を1日置きに行うようになった。それにより住環境の整備も集中してできるようになった。
訓練の日には午後にみんなで集まり、数の数え方から簡単な計算、文字の読み書きまで、勉強を行うようになった。ゲッターが濃い色の石板を作り、そこに白石で文字を書いて教えていった。
ガプロも文字は書けないようで熱心に勉強していた。
数の数え方や計算を教える時はガプロも手伝ってくれた。
ゲッターとアイナは屋敷の家庭教師が教えてくれたように教えてみたが、最初なかなかみんなに伝わらなかった。それを一緒に聞いていたガプロがわかりやすく噛み砕いて説明してくれたのだった。ガプロはみんながどこで躓いているのか、どこがわかりにくかったのか様子を見てくれていたようだ。こう言った配慮はさすが元村長で年長者だと、ゲッターとアイナは感心させられたのだった。
勉強で才能を見せたのはウタだった。文字も計算もガプロが教えるのを手伝ってくれるようになったらすぐに覚えた。また丁寧できれいな字を書いていた。
ゲッターが褒めると真っ赤になって俯いてしまったが小さな声で「ありがとう」とお礼を言ってくれた。
この頃になると発声練習の成果が出始めてみんなは少しずつ上手く話せるようになってきていた。
ウタのお礼も小さな声だったが上手く発音されていて、ゲッターは彼女の成長を喜んだ。
洞窟が拡張されて壁がきれいになると、ゴブリンたちは壁に白石で絵を描き始めた。
最初に書いたのはエラで花の絵を描いた。彼女の花の絵の美しさに他のゴブリンたちが刺激を受け、自分たちのスペースを決めて絵を描き始めた。
絵を描くことは、彼らにとって新しい楽しみとなり、今ではみんな空いた時間を見つけてはせっせと絵画に励んでいた。じきに立派な壁画が完成するだろう。
意外と言っては失礼だがゴブリンたちはみんな絵が上手かった。壁に白石で描くだけなのだが上手く陰影を描いたり遠近を表現したりして個性的な作品を生み出していた。
特に上手だったのがイレだった。
ガプロが「美人は絵もきれいなのだな」と言っていたが、大きくなったお腹で椅子に座って壁に絵を描く姿はゲッターにも何か感じるものがあった。
ゲッターは芸術的センスがなかった。貴族の嗜みで絵画も習ったことがあったが、いつもアイナに笑われるので嫌になり絵を描かなくなった。授業を受けなくなると、先生から仕事が減ると泣きつかれたので、ゲギンタスとエマラには内緒でアイナだけ授業を受けてゲッターは同じ部屋で読書をして過ごしていたものだった。
こうして洞窟内も広くなり、家具も置かれて壁には絵が描かれた過ごしやすい空間になっていたのだった。
また洞窟内に保存していた食料を移し、外に新たに作った食糧庫に保管することにした。
洞窟内は完全にリビングにしたかったのもあるし食料の匂いも気になったからだ。匂いは意外と重要だ。臭いのが嫌なのはもちろんだが強い匂いは外敵に存在を気づかせる原因にもなる。なのでゲッターたちは定期的に川で身体をきれいにし、着替えと洗濯も怠らなかった。
食糧庫に食料を移し終えると食糧庫の棚の半分くらいが埋まった。
ゲッターは食糧庫から出ようとしたが、ガプロが食糧庫から出ようとしないのが気になって声をかけた。
「まだ半分くらいだし、子どもが生まれたら足りないかな?」とゲッターは言った。
ガプロはゆっくり首を振り「赤ん坊がすぐに食事をするわけでもないですし、今はこれくらい十分でしょう」と答えた。
ゲッターは「そうだね」と返事をしたが、自分を心配してくれているのに気づいたガプロはゆっくり話し始めた。
「これだけ食料があれば悪戯に仲間を犠牲にしなくてすむなと思って。感動していたのです」とガプロは言った。
ゲッターはカプルたちとの出会いの夜を思い出し尋ねた。
「以前カプルから食べるものがないと仲間を食べるって聞いたけど、そのことかい?」
ガプロは静かに頷き、若かりし頃の過去を振り返り始めた。
彼が村長になる前の出来事は、まだ彼の心に深く刻まれていた。
「まだ私が若く村長になる前のことです。オークの村と争いがあり働き手をたくさん失ったことがありました。集められる食料が極端に少なくなり、それをみんなに配っていたら1人が食べる量が少なくなってしまう。食べる量が少ない日が続けばそのうち男たちも動けなくなって食料が集められなくなってしまう。そう考えた当時の村長が決断したのです」
ゲッターは話の内容に緊張し、ゴクリと唾を飲み込んだ。それにガプロは気付いた様子だったが構わず続けた。
「まずは子を産めなくなった女と動けなくなって食料を集められない男を犠牲にしました。しかももったいないと言って肉を焼いて男たちに配ったのです。肉を食べたのは男たちだけで、自分もこうなりたくなければ多くの食料を集めろと村長は言ったのです。私は泣きながらその肉を食べ、必死で食料を集めました。その後もまた何人かの働きの悪い男、あまり子を産まない女が犠牲になり、村が半数くらいになったところでやっと食料事情が良くなりました。こんなことはもう嫌だと思ったものです」
一息つくとガプロは続けた。
「なので私は村長になった後は飢えずにすむよう村の食料事情の改善に努めました。クレスターに教えもらった知識を使い効率よく猟を行い、畑を増やして芋や野菜の栽培も始めました。畑の仕事は毎日食料が取れるとは限らないので、やりたがらない者も多かった。その日の食事を大事にする村の男たちからする当然です。ですが必要なことなので私は力づくでやらせました。すると時間はかかりましたがある程度安定して食料が取れるようになりました。これで飢えることはもうない。仲間を犠牲にすることはないと思ったのですが」
ゲッターは続きを聞くべきかどうか迷ったが結局尋ねた。
「それで?」
ゲッターに聞かれるとガプロはまるで懺悔でもするかのように話し始めた。
「カプルたちがまだ子どもの頃です。大雨が続いて村も畑も水浸しになってしまいました。川が氾濫し村のみんなで高台に逃れましたが、それでも洪水で何人か犠牲が出ました。雨は一週間くらい続いてやっと止みましたが村は壊滅状態でした。すでに避難の際に持ち出した食糧は残り少なくなっていました。女と子どもを休めるようにすると村の復興もほどほどに男全員で食料集めに走りました」
カプルは話を止めると昔を思い出したのか苦しそうな表情をした。ゲッターはもういいと止めようと思ったが、ゲッターが止める前にガプロは話し始めた。
「村もひどいあり様でしたが森の中も壊滅的な状態でした。草も木も土ごと流されてどこもかしこも泥だらけでした。それにたまに食べられそうなものを見つけても長雨で腐ってしまっていました。じきに自分の縄張りに逃げていた動物たちが帰ってきましたが、猟だけでは村の全員を食べさせられませんでした」
ゲッターは何も言えず黙って聞いているしかなかった。
「私は決断しました。前の村長と同じように、子を産めなくなった女と働けなくなった男を犠牲にしてその肉をみんなに配りました。そしてやはり前の村長と同じことを言ったのです。自分もこうなりたくなければもっと多くの食料を集めろと」
ガプロは歯を食いしばり、きつく拳を握りしめた。
「犠牲を繰り返しやはり村の人数が半数になったところでやっと食料事情が上向きました。カプルなどは私を慕ってくれますが私は無能なんです。結局のところ村を飢えさせて犠牲を出してしまった。嫌がる男たちに力づくで畑仕事をさせたりもしたのに。だから追い出されても仕方ないのですよ」
ガプロは最後は自嘲気味に笑った。
ゲッターは、その悲劇的な過去を聞きながら、ガプロの抱える重荷を少しでも理解しようと努めた。だがまだ15歳の彼には辛い経験をした年長者にかける言葉は見つからなかった。だからゲッターは正直な気持ちをガプロに伝えた。
「ごめん。なんて言っていいのかわからない。でも私もみんなと協力してみんなを飢えさせないように精一杯努力すると誓うよ。私の誓いなんて腹の足しにはならないけど」
ゲッターが言うとガプロは目をぱちぱちさせた後にっこり笑っていった。
「いやいやゲッター殿の誓いに私はとても安心しましたぞ。お腹だけでなく感動で胸がいっぱいになりました。これほど心強く感じたのは生まれて初めてです」
「大袈裟だなぁ」とゲッターは言ったがガプロが笑ってくれたので笑顔を返した。
「みんなでここを前の村よりも大きな村にしよう。誰も犠牲にしない、みんなで協力してみんなを幸せにできる村にするんだ」とゲッターが力強く宣言すると、ガプロは「大きな夢ですな」と笑った。
「夢ではないよ。達成できる明確な目標さ。みんなでやれば必ずできるよ」と言ってゲッターはガプロに向かって右手を差し出した。
「そうですな」と言ってガプロはその右手を握り返し、満面の笑みを浮かべるのであった。
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