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第2話 噂は甘く、視線は冷たい
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学園の廊下を歩いていると、噂が聞こえてくる。
「ヴァルディス家のご長女は、気にされていないのかしら」
「さすが侯爵家ね。正妻の余裕ということかしら?」
「でも、あんなに堂々とされたら......普通、怒りますわよ」
私は足を止めない。表情も変えない。ただ、淡々と歩き続ける。
内心では――『正妻の余裕? 違うわよ、単に興味がないだけ』と思っているけれど。
「エレノア!」
明るい声が背後から響く。
振り返ると、金色の髪を揺らして駆け寄ってくる少女――フローラ・ミルシェ。
伯爵家の令嬢で、私と同じく長子として次期当主となる立場。学園では数少ない、本音を言い合える友人だ。
「おはよう、フローラ」
「おはよう......って、エレノア、本当に大丈夫なの?」
彼女は心配そうに私を見つめる。
「何が?」
「何がって......あの、中庭の......」
「ああ、見たのね」
私は微笑む。
「大丈夫よ。むしろ、ありがたいくらい」
「......え?」
フローラが目を丸くする。
私は周囲に人がいないことを確認して、小声で言った。
「だって、あれだけ堂々と浮気してくれたら、婚約破棄の理由として完璧でしょう?」
「エレノア......!」
「私、領地経営の勉強で忙しいの。ディートリヒとの婚約なんて、正直面倒だったのよ」
フローラは呆然として、それから笑い出した。
「あなたって......本当に......」
「ん?」
「いや、やっぱりエレノアね」
彼女は楽しそうに笑う。
「でも、確かに。あの二人、バカよね」
「でしょう? 貴族社会で婚約者がいるのに、あんなに堂々と別の女性と親密にするなんて」
私は肩をすくめる。
「ディートリヒ、私との婚約で自分がヴァルディス家の当主になれると思ってるみたいなのよ」
「......は?」
フローラが素っ頓狂な声を上げる。
「だって、長子継承制なんだから、当主はあなたでしょう?」
「そう。なのに、彼『結婚したら俺が侯爵家を継げる』って思ってるの」
「......信じられない」
「でしょう? だから、もう諦めたわ」
そんな常識すら知らない婚約者殿には、すでに見切りをつけている。
でも、あんなに堂々とリリアナとイチャイチャしているってことは、まさかリリアナと結婚しても侯爵家を継げるなんてバカなこと思ってたりしないわよね?
そんなあり得ないことを考えながらフローラと二人で教室に向かうと――窓際でディートリヒとリリアナが話し込んでいる姿が目に入った。
リリアナは私に気づくと、わざとらしくディートリヒの腕に手を置く。
「ディートリヒ様、昨日二人きりでしてくださったお話の続き、聞かせてくださいな」
甘ったるい声。
ディートリヒは、それを嬉しそうに受け入れる。
「ああ、リリアナ。君は本当に素直で可愛いね」
――素直? 礼儀知らずで、貴族社会の常識も知らない少女を?
私は内心で笑いながら、自分の席に着いた。
周囲の視線が集まる。同情、好奇心、そして――ディートリヒへの軽蔑。
貴族社会において、婚約者がいる身でありながら、公の場で別の女性と親密にするなど、言語道断。
それなのに、彼は気づいていない。周囲が冷ややかな目で見ていることに。
「......俺の機嫌を損ねると、ヴァルディス家が不利になるから、エレノアは何も言えないんだろうな」
ディートリヒの声が、聞こえた。
私は思わず、フローラと目を合わせる。
フローラも同じように呆れた顔をしている。
『......バカね』
口パクでそう言うと、フローラも頷いた。
『......本当にバカ』
私はペンを取り出して、ノートを開く。
今日の講義は財政学。楽しみだ。
ディートリヒのことなんて、どうでもいい。
それよりも――昨日読んだ北方交易の実例を、どう領地経営に活かすか考える方が、よっぽど有意義だ。
「......エレノア様」
マルティナが、心配そうに声を掛けてくる。
「早く婚約破棄してくれないかしら。そうしたら、もっと勉強に集中できるのに」
そう言って微笑むと、マルティナは苦笑した。
「......お嬢様は、本当に変わっていらっしゃいます」
「そう?」
「普通の令嬢なら、泣いているところですよ」
「私、普通の令嬢じゃないもの。家人と領民をこの肩に乗せて立つ、次期侯爵だもの」
私は胸を張って答えた。
そして――
廊下の向こうから、深い紺色の髪の青年が、教室の様子を静かに見つめていた。
彼の隣には、短い黒髪の青年――近衛騎士カイ・ルーヴェンが立っている。
「......殿下」
「......ああ」
レオニスは、低く答えた。
「彼女は――本当に、強いな」
「と言いますか......」
カイは、少し困ったように言う。
「エレノア様、まったく気にしておられないようですが」
「......そうだな」
レオニスは、エレノアの横顔を見つめる。
彼女は、楽しそうにノートに何か書き込んでいる。
「彼女は――領地のことで頭がいっぱいなんだろう」
「それこないだ俺が言ったやつです」
カイは、主の横顔を見る。
「......殿下」
「なんだ」
「エレノア様、殿下のお気持ちにまったく気づいておられませんよ」
「......わかっている」
レオニスは、小さくため息をついた。
「わかっているが――今は、時を待つしかない」
カイは何も言わない。
ただ、主の片想いを、静かに見守るだけだった。
「ヴァルディス家のご長女は、気にされていないのかしら」
「さすが侯爵家ね。正妻の余裕ということかしら?」
「でも、あんなに堂々とされたら......普通、怒りますわよ」
私は足を止めない。表情も変えない。ただ、淡々と歩き続ける。
内心では――『正妻の余裕? 違うわよ、単に興味がないだけ』と思っているけれど。
「エレノア!」
明るい声が背後から響く。
振り返ると、金色の髪を揺らして駆け寄ってくる少女――フローラ・ミルシェ。
伯爵家の令嬢で、私と同じく長子として次期当主となる立場。学園では数少ない、本音を言い合える友人だ。
「おはよう、フローラ」
「おはよう......って、エレノア、本当に大丈夫なの?」
彼女は心配そうに私を見つめる。
「何が?」
「何がって......あの、中庭の......」
「ああ、見たのね」
私は微笑む。
「大丈夫よ。むしろ、ありがたいくらい」
「......え?」
フローラが目を丸くする。
私は周囲に人がいないことを確認して、小声で言った。
「だって、あれだけ堂々と浮気してくれたら、婚約破棄の理由として完璧でしょう?」
「エレノア......!」
「私、領地経営の勉強で忙しいの。ディートリヒとの婚約なんて、正直面倒だったのよ」
フローラは呆然として、それから笑い出した。
「あなたって......本当に......」
「ん?」
「いや、やっぱりエレノアね」
彼女は楽しそうに笑う。
「でも、確かに。あの二人、バカよね」
「でしょう? 貴族社会で婚約者がいるのに、あんなに堂々と別の女性と親密にするなんて」
私は肩をすくめる。
「ディートリヒ、私との婚約で自分がヴァルディス家の当主になれると思ってるみたいなのよ」
「......は?」
フローラが素っ頓狂な声を上げる。
「だって、長子継承制なんだから、当主はあなたでしょう?」
「そう。なのに、彼『結婚したら俺が侯爵家を継げる』って思ってるの」
「......信じられない」
「でしょう? だから、もう諦めたわ」
そんな常識すら知らない婚約者殿には、すでに見切りをつけている。
でも、あんなに堂々とリリアナとイチャイチャしているってことは、まさかリリアナと結婚しても侯爵家を継げるなんてバカなこと思ってたりしないわよね?
そんなあり得ないことを考えながらフローラと二人で教室に向かうと――窓際でディートリヒとリリアナが話し込んでいる姿が目に入った。
リリアナは私に気づくと、わざとらしくディートリヒの腕に手を置く。
「ディートリヒ様、昨日二人きりでしてくださったお話の続き、聞かせてくださいな」
甘ったるい声。
ディートリヒは、それを嬉しそうに受け入れる。
「ああ、リリアナ。君は本当に素直で可愛いね」
――素直? 礼儀知らずで、貴族社会の常識も知らない少女を?
私は内心で笑いながら、自分の席に着いた。
周囲の視線が集まる。同情、好奇心、そして――ディートリヒへの軽蔑。
貴族社会において、婚約者がいる身でありながら、公の場で別の女性と親密にするなど、言語道断。
それなのに、彼は気づいていない。周囲が冷ややかな目で見ていることに。
「......俺の機嫌を損ねると、ヴァルディス家が不利になるから、エレノアは何も言えないんだろうな」
ディートリヒの声が、聞こえた。
私は思わず、フローラと目を合わせる。
フローラも同じように呆れた顔をしている。
『......バカね』
口パクでそう言うと、フローラも頷いた。
『......本当にバカ』
私はペンを取り出して、ノートを開く。
今日の講義は財政学。楽しみだ。
ディートリヒのことなんて、どうでもいい。
それよりも――昨日読んだ北方交易の実例を、どう領地経営に活かすか考える方が、よっぽど有意義だ。
「......エレノア様」
マルティナが、心配そうに声を掛けてくる。
「早く婚約破棄してくれないかしら。そうしたら、もっと勉強に集中できるのに」
そう言って微笑むと、マルティナは苦笑した。
「......お嬢様は、本当に変わっていらっしゃいます」
「そう?」
「普通の令嬢なら、泣いているところですよ」
「私、普通の令嬢じゃないもの。家人と領民をこの肩に乗せて立つ、次期侯爵だもの」
私は胸を張って答えた。
そして――
廊下の向こうから、深い紺色の髪の青年が、教室の様子を静かに見つめていた。
彼の隣には、短い黒髪の青年――近衛騎士カイ・ルーヴェンが立っている。
「......殿下」
「......ああ」
レオニスは、低く答えた。
「彼女は――本当に、強いな」
「と言いますか......」
カイは、少し困ったように言う。
「エレノア様、まったく気にしておられないようですが」
「......そうだな」
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彼女は、楽しそうにノートに何か書き込んでいる。
「彼女は――領地のことで頭がいっぱいなんだろう」
「それこないだ俺が言ったやつです」
カイは、主の横顔を見る。
「......殿下」
「なんだ」
「エレノア様、殿下のお気持ちにまったく気づいておられませんよ」
「......わかっている」
レオニスは、小さくため息をついた。
「わかっているが――今は、時を待つしかない」
カイは何も言わない。
ただ、主の片想いを、静かに見守るだけだった。
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