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2章
片喰の行方
しおりを挟むルイの家の前に重量ある乗り物がふっと姿を表す。何事だと家に集まって野次馬をしていた人々は急な軍の特急魔導具に驚いて散り散りになった。
「あ、おい!」
まだ上空にいるところからルイは身軽に飛び降りる。軍の男は焦って手を出すが掴めたのは手袋だけだった。
ルイの体は重力に逆らわず落下し、体重などないかのように音もなく庭に着地する。
「ありがとう!」
ルイは男に一言礼を言うとすぐに倒壊した家へと目を向けた。
「うわ…」
庭は片喰が育てていた花壇も菜園も見る影がなく潰れ、井戸の石造りは崩れ落ち、水汲みの桶は粉々に砕け散っている。地面は怪物が暴れ回った後のように抉れていた。
花壇や桶の破片を踏まないように気をつけながら入り口へと向かう。
家は跡形もなく崩れて屋根も半分しか残っていない。辛うじて引っ付いている扉の隣は大穴が空いており、扉は何の役割も果たしていなかった。
中に制服を着た軍人が数人立っているのを確認し、ルイは扉を勢いよく開けた。
「これは、ドクター。この度は大変な被害に…」
「家のことはいいから、アスクは!?」
瓦礫を退けて人がいないか、原因は何かと調べていたであろう軍人たちがルイに気がついて声をかける。
外で暴れた怪獣の正体であろうアスクは部屋の中に見当たらなかった。
「魔獣医のドクターアスクでしょうか?彼でしたらそちらに…」
軍人が指差したのは比較的瓦礫が綺麗に片付けられた部屋の隅だった。ハンカチのようなものが敷かれたそこに片手ほどの大きさの白い小さな蛇がぐったりと横たわっている。
白衣を着た熊と小柄な医者であろう男が深刻な顔でその蛇を診察していた。
「怪我がひどく…窓や屋根の破片が刺さっているため動かすことも困難な状況で」
「アスク!」
ルイは魔獣医を蹴散らしながら小さくなってしまったアスクの元に駆け寄り、その体を手の上に乗せた。
ただの小さな蛇に成り下がってしまったアスクの体には無数の傷があり、軍人の言う通り木片やガラス片があちこちに刺さって血が出ている。抜けば大量に出血して即死だろう。
大声で呼びかけ揺すっても反応を返さず、浅く薄く、死を待つだけの呼吸をただ繰り返しているだけだ。
「ドクター…力及ばず、回復しきれず…すみません…」
「毒が飛ぶからどいてて。代わりに僕の診療所受付奥にあるアスクの薬棚の12棚8段目を持ってきてくれ」
後ろで申し訳なさそうに頭を垂れる魔獣医たちに指示を出し、ルイは刺さった木片などを抜くと躊躇いもなく自分の手首の皮を噛みちぎった。
猛毒の血液が吹き出し、ぼたぼたと肘を伝って垂れる。
作業をしていた軍人とすぐ後ろにいた魔獣医は悲鳴を上げると恐れ慄いて飛び退った。
「ヴィダ・ベレング!」
ルイの手にまとわりついた血がアスクを包み込んで浸透する。
一瞬の間を置いて、両手から周囲を巻き込むほどの強烈な光と衝撃が放たれた。ルイの救命救急技術を初めて間近で見た軍人や魔獣医は目を白黒させて眩しさに耐える。
激しい音を立ててはためいたルイの白衣がゆっくりと下りたとき、アスクは薄らと目を開けた。
「アスク。聞こえる?」
「あ……ドク…タ…」
ルイの手の上で横たわったまま、血が絡まって小さく掠れた声でアスクは返事をする。
魔獣医はその光景を見て驚いてルイの病院へ薬を取りに走って行った。
「アスク、何があった?誰に襲われた?」
「ヒッ、はっ…ど、ドクタ…ごめ…ぼ、ぼく……はっ、はっ……」
ぼんやりと焦点の合わない目で虚空を見つめていたアスクは、ルイをしばらく眺めた後、急に過呼吸を起こし大粒の涙を流しながら嘔吐いた。
無理をして体を大きくしながら起きあがろうとするアスクをルイはハンカチで包んで抱きしめ、優しく摩る。
「アスク、大丈夫。落ち着くんだ。謝ることは何もない。ゆっくり話して」
「は、はっ…僕…かた、ばみを…守れなかった…!ドクター、ごめ…っ、僕…、ゲホッ、え、エクリプサーに…」
上擦った声でルイの体に鱗を擦り付けて謝るアスクにルイは無言で背中を摩り続ける。
奥から魔獣医が指定した薬を抱えて走ってくるのが視界の端に見えた。
「アスク、片喰さんは無事なんだな?」
「多分…。ドクターに…伝えろって…レイの、とこの…エクリプサ、が…!」
「わかった。アスク、君は偉いよ。戦ってくれてありがとう。効くかはわからないけど…シュメルツミッテル」
掠れ掠れ一生懸命話すアスクを魔獣医に預け、ルイは立ち上がると鎮痛の光をまぶした。
損傷した体で泣いて呼吸もままならないアスクは光に身を預けてそのまま眠りに落ちる。
「うちのをよろしくお願いします」
「は、はい…あの、ドクターは…」
ルイを呼び止めようとした魔獣医はその表情を見て口を噤む。同じく事情聴取をしようと様子を伺っていた軍人も何も言わずに引き下がった。
触れたら即死の猛毒を持っているという恐ろしさがありながらも見目麗しく、いつでもなんでも優しく笑顔で治してくれる愛想と腕がいいドクターと街では評判なルイである。
鬼神が裸足で逃げ出すような酷い顔など誰が見たことがあっただろう。
逆立つ髪でルイは周囲に配慮もなく、思い切り瓦礫を蹴ると風だけを残して街へと駆け出した。
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