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2章
色のついた世界
しおりを挟む「片喰さーん!片喰さん、いる!?」
入り口の歓迎とは裏腹に奥へと続く永遠の廊下はひどく静まり返って人の気配もない。もう何十分も探し回っている気がするが、何度か部隊の襲撃にあっただけで片喰どころかレイの姿もなかった。
ルイの張り上げた声とヒールの音だけが壁や天井に反射して、灯された蝋燭が不安定に震えた。
「レイ!いるんだろ!」
暗く、薄寒く、君の悪い装飾で彩られた長い長い廊下を歩いているとこのまま地獄へと足を踏み入れそうな気持ちにすらなる。ルイはただ片喰のことだけを考えて真っ直ぐに進みつつ、最悪の事態を想定して浅くなる呼吸を必死で抑えていた。
「はぁ……ん?」
不意に蝋燭が不自然に揺れてふっと消える。
耳を澄ますと変わった足音と何か大きいものが這いずる音がかすかに聞こえた。音の方に向かって走って行くと永遠かと思えた廊下にも終わりがあり、その突き当たりにはようやく扉らしきものが現れた。
扉というよりは門のような大きさで枯れた蔦や気味の悪い鳥のような奇妙な模様が彫られている。中からは光が漏れ出しており、大きいものが移動するような音と共に少しだけ話し声も響いてきていた。
何か大きいものを引きずるような音が最悪の想定を暴走させる。
力の入っていない大きめの成人男性を引きずり回せば、こういった振動になるのではないか。
ルイの心臓が早鐘を打つ。生唾が口の中を満たし、浅い呼吸で肩が上下に動く。
中にいるのが誰か、何人くらいいるのかなど冷静な判断もできないままルイは迷いなく扉に手をかけて思い切り引いた。
全体重を乗せて引いてようやく動く重たい扉から目が眩むほどの光が溢れる。
「片喰さ…っ!」
「あァ?」
中で待ち構えていたのは全ての光が吸い込まれそうなほど漆黒の鱗と鮮血よりも赤い瞳を携えた巨大な蛇と、その胴にゆったりと身を預けた見たことのあるエクリプサーだった。
「おい、もうルイ来てンじゃねェか。部隊はどうなってンだ」
「知らない。それより降りて、まぁや」
「お前……!」
眠たそうで気怠げな態度のエクリプサーの姿を見るや否や、ルイの髪が逆立って目に見えるほどの魔力が身に纏わりつく。
刹那、ルイはどこから出したのかわからないメスを投げるとその後を追うように麻耶に飛びかかった。
「片喰さんをどこへ連れて行った!」
巨大な蛇が麻耶を守るように尻尾を薙ぎ払ってメスを弾き、そのままルイも吹き飛ばす。
メスに塗りたくってあったであろう毒をものともせずに蛇は嫌そうに振り払った。
「ぐっ…!」
「医者ってェのは、ろくな奴がいねェなァ…」
大きく放り投げられて入ってきたものとは反対の扉に叩きつけられたルイは砂塵の中から身を起こす。
扉が崩れる程の衝撃で骨が何本か持っていかれたようだ。軋むような激痛が背中に走った。
「片喰さんを…攫ったのは、お前だな…」
「片喰ってェのは…お前の同居人の名だな?この間ルイに会ったって話をしたら、レイが癇癪起こしてなァ……レイに、会いに来てもらおうと思ってな。ルイを攫う予定だったンだが、いねェから代わりに失礼したよ」
巨大な蛇の上で至極当然のように麻耶はゆっくりと婀娜に笑う。
ルイは激しく咳き込み、血の絡んだ痰を吐き捨てた。床の木がじゅっと音を立てて煙を吐き朽ちる。
「…僕はもう会いに来ただろ。片喰さんは関係ない…早く、出せ。レイに会わせろ…」
「いやァそれがな」
麻耶は真っ黒の蛇にしだれかかって指で鱗を撫でる。少しでも早く片喰に会って解放したいルイは麻耶の緩慢な動きに苛立ちながらまだ何かあるのかと白銀の睫毛が生え揃った瞳で睨め付けた。
麻耶はそれすらも面白そうにくすくすと笑い、色の違う垂れた眦の双眸で小さな白い光を見下ろした。
「レイが、随分と…お気に召したみたいでねェ…もう返せないかもしれないなァ」
「…お前……っ!」
ルイの瞳が沸騰して色を失う。美しいアメジストの瞳はなりをひそめて奇妙な紋様だけが浮かび、それに呼応するようにルイの白魚の手足が一層の光を帯びる。
お世辞にも人とは言えず、神か何かに見える姿のルイを麻耶は目を細めて眩しそうに見つめた。
「へェ…ルイはそうなるんだな」
「片喰さん…」
アスクの鱗のように偏光して虹色になる皮膚と立ち昇る光のもやの中でルイは犬歯を剥き出しに唸る。
刹那、骨を痛めたとは思えないほど俊敏に動いたルイは麻耶の後ろにほとんど瞬間移動のように回り込むとメスを思い切り振り翳した。
「おっ……」
「お前を殺して片喰さんを連れて帰る」
反応が遅れた麻耶の瞳いっぱいにルイの輝きが迫る。咄嗟に出した右手に光が溜まるも、ルイのメスが振り下ろされる方が速い。
その瞬間、思考が追いつかない麻耶の意思とは関係なく左目が鮮やかな緑に煌めいた。
光よりも速く、麻耶とルイの間にしなやかな木の蔓が湧き上がってメスを持つ右手を絡めとる。
木の蔓は麻耶の左半身から麻耶の体を守るように生え揃っていた。
はっとしたルイは巨大な蛇の身震いひとつで地面に叩きつけられた。
「うっ…は、はぁ…ゲホッ……!お前、それ…!」
受け身も取れず遠くまで転がったルイは素早く起き上がると蛇の上を見る。
湧き上がった木はルイの攻撃を防いでもなお生え続けている。
母体となる麻耶は先程までの余裕はなく、目を見開いたまま体を捩って掻きむしっていた。
「あ、ぁ、う…ぁぁ…!」
「だめだ!魔力を戻せ!劣属性を使うな!死ぬぞ!」
「あぁぁぁ…!」
しわがれた声で絶叫し、姿勢を崩して蛇から落下する麻耶を追いかける。
あと少しで手が届きそうになったところで大蛇の尾に絡め取られて邪魔をされた。
「おい!ホテプ・ラピア!その男を僕に診せろ!」
「ん?ダメだよ。これは、レイのものだよ。ルイには渡せない」
「じゃあ早くレイに診せろ!死ぬぞ!」
「殺すんでしょぉ?変なこと言ってぇ」
アスク・ラピアと色こそ違えどほとんど同じ容姿でありながら、レイの飼い蛇であるホテプ・ラピアは何を考えているのか微塵も読み取れそうにない。
意識を失ってうなされる麻耶を尾で抱えたままホテプは応急処置をするでも殺すでもなくただそこにいた。
「レイの言うこと以外は聞かない。…ルイの足を取ってこいって言われてるんだ」
「は」
ホテプの体が艶かしく黒光りして視界を横切る。
太い胴体で突き飛ばされたと理解した頃にはルイは壁にめり込んで瓦礫に埋もれていた。
衝撃音と打撃が後から降り注ぐ。
「あれ?失敗したな。足狙ったのにぃ。狙いが外れた」
「ぐうっ……」
ルイの口から気泡と共に血が溢れ落ちる。
息を吸っても空気が取り入れられずただただ空回りする苦しさと酸欠でルイは目の前が真っ暗になっていった。
視界の端で瓦礫の破片が腹を貫いているのが見える。
肺が損傷していて空気が吸い込めないのだ。
「か…っ……」
「殺したらだめだって言われてたのに。すぐレイを呼んでこなくちゃ。治せるかな?」
ホテプの呑気な声が血痰の絡む自分の浅い呼吸の向こう側で聞こえる。
霞む視界で遠くの崩れ割れた窓の向こうにちらちらと動く光が見えた。
「…ルイ?」
「は…は………」
向こうから片喰の声がする。
くぐもって掠れていて、もしかしたら違うかもしれない。走馬灯かもしれないほど小さくて聞き取りにくい声だった。
「る…ルイ…?」
「か…た………は……」
「ルイ!ルイ!?」
黒と赤に染まる視界と耳鳴りだけでほとんど音もわからなくなってきた目と耳に、それだけがやけにはっきりと響いた。
ほつれてほとんどおりてしまった黒髪とぐちゃぐちゃになった灰色のスーツと赤のネクタイ、薄い唇に目一杯開かれた切れ長の薄い緑の瞳。
他の全てがモノクロに見える世界でそこにだけ色がついていた。
その声だけが他のものを押し除けて鼓膜に直接飛び込んできた。
「ルイ!!」
「かた…ばみさ………」
崩れた扉の向こうに現れたのは、手も足も輝く鎖を付けられた状態でレイに連れられた片喰だった。
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