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3章

始まらない始まり

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「イマージョン・ワールド」の世界には基本的に四季がある。制作チームが日本主体ということが大きな要因ではあるが、当初は和を舞台にした街フィールドである「あじさいの国」にだけ四季をつけようという話だった。しかし、洋風な街並みに舞い落ちる雪や桜が美しかったためせっかくだからということでほぼ全フィールドに現実世界と対応した四季が追加されたのである。四季がある方がイベントも実施しやすい。いつかルイのイベントがたくさん追加されることを期待して、雪景色の中を冬の装いで過ごすルイの立ち絵だけをただ切望して、当時の片喰は四季をつけることに賛成していた。
井戸で汲んだ水に白い粉が舞い降りてつられるように上を見上げる。
ゲームの世界に来て初めての雪だ。
今の片喰は、この世界に四季をつけたことを非常に後悔していた。
ルイが目覚めないままカンカン照りの太陽が昇り、ひぐらしが鳴き、葉が色付き、枯れて、冷たい風が吹き、年が明け、今年はなかなか降らないなと言っていた雪がとうとう舞い始めた。四季の移ろいは時間の経過をありありと片喰に見せつけてくるようで、単調な毎日よりも心に重くのしかかる。
ルイのいない冬に価値はない。
美しい真っ白な雪も、ルイがいなければただの凍てつく寒さにしかならないのだ。

「あっ、雪!?かたばみ、早く入りなよ」

「あぁ」

なかなか戻らない片喰を心配してか家の奥からアスクが顔を出す。
倒壊した家は、夏が本格的になる前にほとんど元通りに修繕された。きっと大変な時間がかかるだろうと片喰は思っていたが建築も魔法で行われるため比較的すぐに完成した。家主であるルイが目覚めていない以上匠たちへの支払いを筆頭に生活費をどうするべきかはアスクとの話し合ったが、ルイの貯金を使ってもいいだろうとアスクが強く押し出したため現状はそれに甘えている。
家を建て直すお金を払い、その後ルイの看病をしながら働けるほど片喰はこの世界に順応していなかった。

「今日は本当に冷えるねぇ。なんとなく眠い気がするよぉ…」

ふたつの季節が移ろう間、片喰はアスクとふたりで暮らしていた。
数日に一度はサチルも家を訪れてルイの診察をし回復を施していく。そのお陰でルイは魔力を取り戻したらしく、アスクも秋を迎える頃には元の大きさまで戻っていた。
傷も完全に塞がって体温ももう人肌には戻っている。
それでも、ルイは目を開けることはない。
もう尽くせる手はなかった。

「本当にいいのか?冬眠しなくて」

「うん、大丈夫。部屋はあったかいしねぇ」

蛇であるアスクは例年冬の間は眠っている期間が長いが、今年ばかりは部屋を暖めて長時間は眠らないようにしている。片喰から事の顛末を聞いたアスクは自分が眠りについてしまえば不安定な片喰が押し潰されてふらっとどこかへ消えてしまうような気がしていた。
眩しいほどに真っ直ぐだった片喰は、この数ヶ月で憔悴しきってその光もすっかり失ってしまっていた。
日中はルイの眠っている部屋でぼんやりと過ごし、アスクが催促をしなければ食事もルイとアスクの分しか用意をしない。一方で無心でできる作業に没頭してしまうのか部屋は異常に綺麗になっていった。
アスクは井戸の水を汲んできた片喰を痛々しい目で見つめる。
片喰の縫われていた手首と足首の糸はずっとそのままになっている。本当であれば抜糸をしなければならないが、アスクがルイの代わりに取ろうとしても糸は絶対に抜けなかった。不思議なことに壊死することもなく健康状態に被害がないためそのままにしている。
ゆらゆらと魔力が紫に揺らめく糸は強すぎるルイの意志がそこにあるようだ。

「寒いから、今日からは井戸の水やめようよ。僕が使うから」

「駄目だ。ルイの魔力を消費するんだろ?」

属性以外の能力が使えない片喰は少しでもルイの回復を遮らないように魔力をなるべく使わない生活を送っていた。料理や風呂は自分で木を生やして薪を作り、サチルに頼んで消えないランプを置いてもらってそこから火を移してきては風呂の湯や料理を行っている。明かりも使わずに木で器用に蝋燭のような形の松明を作って部屋に置いて暮らしている。火をくべる作業が外になるため真冬には厳しいが、アスクが何度言っても片喰はアスクの力を使おうとはしなかった。
現実世界からゲームの世界に来てしまったときよりも、片喰の生活は大きく変わっていた。
幾分か痩せてしまって外にも出なくなった片喰のそばにアスクはただ寄り添うことしかできなかった。

「……かたばみ、今日は寒いから一緒に寝ようねぇ」

「あぁ」

「…僕、夕飯は温かいスープがいいなぁ。辛いのとマイルドなの、どっちも食べたいからかたばみと半分こね」

「わかった」

口数すらも減ってしまった片喰は今後ルイの心臓が止まってしまったらどうなるのだろうか。そのまま後を追うように死んでしまうのか。それとも、そのうち愛想を尽かして出ていってしまうのか。このままで起こる結果に幸せな未来が見えずアスクは小さなため息をついた。
ルイのベッド脇に水を置き、ようやく自分の食事を作りに向かった片喰の後ろで家に誰かの訪問を告げるベルが鳴った。
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