FORBIDDEN【オメガバース】

由貴サクラ

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1章 一人のオメガと二人のアルファ

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  その日、十二月二十四日の森生メディカルの取締役会は、定刻より十五分早く始まり、予定よりも一時間早く終了した。当初は一時間を予定していたが、十五分で終了したのだ。

 開始直後から異様な雰囲気だった。
 直前に社長室で発生したトラブルにより、出席予定だった取締役の一人である佐賀管理部長が急遽欠席となり、さらにその進退が議案の俎上にのぼったためだ。解任の理由については開発部長の大西から説明があり、一同は騒然とした。
 しかし、副社長の飯田が提示した証拠と、本人不在という事実、さらに社長の潤の身に起きている異常を見れば異論を挟む余地などなく、全会一致で佐賀の取締役解任が決議され、即日公表されることとなった。
 さらに、社長肝いりの組織改正案については、反対する者もなく、スムーズに議決が取られ、全会一致で決議された。

 取締役の誰もが、テーブルの中心に座る潤の体調を慮っていた。少し紅潮した顔色に、ときおり苦しそうに大きく呼吸をする仕草。さらに、ベータでも気付くほどの爽やかなレモングラスのような香り……。それらがいつもの社長の姿とは全く違っており、一同は顔には出さずとも異様さを感じていた。
 社長の潤が佐賀とのトラブルの最中に、なんらかの薬剤を無理矢理に投与されたことを、一同は秘書室長の江上から聞かされていた。さらに、早急な受診をと勧めた江上を潤が説き伏せ、取締役会を優先させたという話も伝わっていたため、参加者個々が、迅速に何の問題もなく終わらせようと考えてもおかしくない状況だった。



「社長、大丈夫ですか」
 取締役会が散会し、役員会議室を出る潤を支えたのが隣に座っていた大西だ。医師でありアルファである大西は、潤の様子から佐賀が何を投与したのか、詳しいことを聞かされてはいなかったが、おおむね察している様子だった。
 大西と共に潤の身体を支えていたのは飯田だ。
 このふたりが、急激な体調の変化に苦しむ潤をサポートして取締役会を滞りなく終わらせることができた。

 飯田はベータと聞いている。大西はアルファであるらしいが、番がいるため潤の香りには耐性がある様子だった。

「うん……ありがとう」

 潤が力なく頷く。二人に支えられて社長室に戻ってくると、毛布を抱えて控えていたのが江上。飯田に代わり、潤の横に付くと、ふたりで潤をソファまで支え、座らせた。
 ようやく腰を落ち着けて一息つくと、江上が潤の肩に毛布を掛けてくれる。
「ありがとう」
 飯田が社長室の扉を閉めて、四人だけになった。
 江上が潤に一礼した。
「社長。お疲れさまです。見事なご決断でした」
 
 それは自分の身を置いてまで取締役会を優先させた経営者としての判断力を指していることは分かった。この会社には国内外に四千人の社員がいる。その社員と家族を一時的なミスで路頭に迷わせるわけにはいかないのだ。
「うん……」
 潤は力なく頷く。自分の立場であれば当然のことをしたまでだ。それよりもと、視線は飯田に向く。


「飯田さん……。申し訳ないけど……午後の予定は一任していい?」

 潤は毛布を掛けたまま、ジャケットを脱いで、江上に渡した。
 森生ホールディングスのCEOに今日の取締役会の議決内容を報告するという役割だ。自分が行かないというのは、そのまま森生メディカルに異常事態が発生したということが伝わるが、それは仕方が無い。
「もちろんです。承知しました」
「僕が……いない間の全てを頼むね」

 それは数日間不在にするという意味。飯田は頷いた。
「どうかお早いお戻りを。お待ちしてますから」
 大西も頷いた。

 もうひとつ、気になっていることを口にする。
「佐賀さんは?」
 江上はさらりと応える。
「とりあえず階下のオフィスに待機させています」
 潤も頷いた。もう自分にはどうこうする時間が残されていない。
「……面倒事だけど、それも飯田さんに任せる……」
「承知しました」

 潤は大きく呼吸をする。少しでも空気を吸い込んで気分を変えたい。
「……あと、…急ぎはある?」
「今日決議された組織改正は今月から来月にかけてタスクチームで練り直して、来月早いうちに報告を」

 ネクタイのノットに手を入れて首元を緩め、ワイシャツの第一ボタンを開ける。
 少しだけ……、呼吸が楽になった気がする。

「……わかった。そのチームには、…なるべく若手も加えて」
「承知しました」
「年末年始の忙しい時だけど…、よろしくね」

 いよいよ、おかしくなってきた気がする。あんなに苦い思いをしたのに、抑制剤はあまり効かなかったらしい。本格的な発情期に入ってしまうとさほどに効果が無いとは言われている。

 
 そのとき、ドクンと心臓が跳ねた。
「う……。っん…」
 潤は思わず身体を曲げる。身体の中、腰の奥の方から何かがぞわぞわとやってくる感覚がある。
「社長」
 江上がかがんで潤の身体を毛布で包み込んだ。
「行きましょう」
 そう言ってから、江上は大西と飯田に許可を請う視線を投げた。大西が真剣な表情で頷いた。

「そうですね。早く診てもらった方がいい」





 毛布に包まれ江上に支えられた潤は、そのまま役員専用エレベーターで地下駐車場まで降りる。そこで待機していた社用車のレクサスの後部座席に乗り込み、横になった。もう座っているのも辛かったのだ。
 江上も助手席に回る。

「社長、すぐに着きますから、頑張ってくださいね!」
 馴染みの運転手が前を向いたまま潤に話しかける。

「……うん。よろしく……」
 潤も辛うじて返事をして、毛布を身体に巻き付ける。

 じわりじわりと自分の身体が変化しているのがわかるのに、それを全くコントロールできないのが怖かった。潤は毛布を引き寄せる。自分の身体を簀巻きにしてしまいたい。この身体から沸き立つ、この香りを、どうにか押さえたいのに、どうにもならない。
 胸元に顔を寄せると、自分の香りが体温と相俟っていつもよりも強く感じてしまい、むせ返るほどだ。


 これから、自分の身には確実に発情期がやってくる。覚悟を決めねばならないのに……。

「っん……」 

 波のようなものがやってきた。
 まるで身体の中心部に熱い何かを飼っていて、それが潤の身体を敏感な部分を刺激する。体温が急上昇し、心拍数が上がる。身体の奥がぞわりと、何かが触る。次いで疼くような刺激が続く。
 身を捩り、脚を絡めてそれに耐える。
 それは経験していなくても直感で分かるもの。本格的なやつが近くまで来ている。


 身体に悪寒のようなぞくぞくとした感覚が走る。
 独りで耐えるには、あまりに強い刺激に、潤は戦慄するしかなかった。
 
 毛布を握り、ぎゅっと目を閉じる。
 身体がもぞもぞと、もどかしさを訴えてくる。

 息を吐くと、それさえからも自分の匂いがするような気がした。

 もうここまでくると、自分が単なる無力なオメガにすぎないことをしみじみと実感する。
 つい十分前までは本社ビルの上層で、高度な経営判断を下していたはずなのに、たった二本、注射を打たれただけでこのざまだ。オメガの発情期に、社会的な立場などまったく関係ない。
 この逃れようのない本能だけの感覚に、単なるオメガである自分は、一体どれくらいの間、痴態を晒すことになるのだろう……。
 こんなふうに考えてしまうのは、本当の意味で心の準備が出来ていなかったから。そして、ずっと懸案だった取締役会が、滞りなく終わり、気が抜けたためだ、きっと。
 
 目を開けると、僅かに助手席を覗くことができる。江上の横顔が視界に映った。
 思わず、声が漏れる。

「……れん。……廉」

 アルファ。
 理性より先に、本能がそれを求めた。


 潤の声に江上が気が付いたようで、振り向いて潤を見る。しかし、潤は目を閉じた。
「すみません。車停めてもらえますか」
 隣の運転手から驚いた声が上がる。
「え、江上さん、もしかして?」

「社長に呼ばれているので……」
 江上の声には迷いがない。

「大丈夫ですか?」
 気遣う声と共に、レクサスのスピードが落とされて、ゆっくり停まった。
「ええ、なんとか」

 江上が後部座席に移ってきた。
「大丈夫ですか? かなりきてますよね」
 江上が毛布に包まれた潤の上半身を抱き寄せる。


 再びレクサスはゆっくり走り始めた。もうどのあたりを走ってるのか潤には分からなかった。

 暖かい……。
 人の体温に触れて訳もなく、潤の胸に安堵感が広がった。しかし、その一方で身体の奥に灯った炎が、江上の香りによって煽られる。
 
 身体の中に溜まるような疼きはどうにも治まらない。人目がなければ、今ここでスラックスと下着を取り去って自身を慰めたい衝動に駆られるほどのもの。
 それを押さえているのは、潤の意識に残ったわずかな理性だけだった。

 江上が潤の耳元で、潤と小さく呼ぶ。潤は江上の香りを一段と感じた。腰にくる。思わず腹部に力が入る。
 しかし、江上の一言は意外なものだった。
「大丈夫だ。心配しなくていい。不安にならなくていい。颯真がいるだろ」

 そうだ、ととっさに潤は思う。視線を交わすことなく無言で頷いた。自分には、しんどさをちゃんと分かってくれる片割れがいる。辛いときにはちゃんと対処してくれる、頼れる兄がいる。
 それを希望と思う反面、こうも思った。

 兄だから。この熱を治めるこができない。
 颯真は自分を抱いてくれないのだと。

 そうとっさに感じて、潤は愕然とした。
 自分は、アルファに抱かれたいと思っているのか、と思ったのだ。

 毛布に包まれているためか、これまで全く気がつかなかったのだが、江上も体温が高く、心拍数が速い。胸元がどくどく言っているのがわかる。原因は考えずとも分かる。

 江上はあまりヒート抑制剤を飲んでいないのかもしれない。自分の影響をもろに受けているのだろうと潤は思った。
 しかし、彼は理性を総動員して自分に付いていてくれている。この行為は友情以外に何もない。
 この親友を裏切れない。江上を欲望の捌け口にしてはいけない。それだけを潤は胸に刻む。
 一時の衝動で抱いてほしいなどと言って信頼を裏切ってはいけないのだと、明快に思ったのだった。
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