純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―

第147話・眠らぬ月の下で

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静寂の底で、月が呼吸していた。

ルナフィエラはゆっくりと瞼を開ける。
光を見たというよりも、闇の中で白いものがふわりと揺れたように感じた。

眠っていたのかどうかさえ、もうわからない。
夢を見ない夜が、もういくつ過ぎたのだろう。

起き上がると、長い銀髪が肩を流れ落ちた。
冷えた空気が頬を撫で、遠くで窓硝子が微かに鳴る。

枕元の小箱に手を伸ばす。
黒檀の蓋を開けると、中で深紅の魔石たちが月の光を宿していた。

「……今夜は、ヴィクトル」

指先で一つを摘み上げる。
掌にのせると、微かな温度が返ってきた。
それは、まだ彼が此処にいるような、静かな鼓動。

グラスに満たされた水は、月を映して揺らいでいる。
ルナフィエラはその上に魔石を落とした。

カラン――
小さな音が、部屋の底で弾ける。

紅が、ゆっくりと水の中に溶けていく。
薄い光の粒が浮かび上がり、まるで血潮が、今も生きているように淡く明滅する。

「……今日も、ありがとう」

呟きは息よりも静かに、夜へと溶けた。

ルナフィエラはグラスを唇に運び、その液を一口飲む。
もう味はしない。
けれど、喉を通るたびに胸の奥がじんわりと温かくなる。

それは、生きている熱ではなく――
彼らの想いが、まだこの身の中を流れている証だった。

グラスを置くと、音は夜の底に吸い込まれていった。


ルナフィエラはそっと立ち上がる。
靴を履くこともなく、裸足のまま、静まり返った廊下を歩き出した。

月の光が差し込むたび、床の石が白く光る。
光と影が交互に帯を作り、まるで彼らと並んで歩いた日の名残のようだった。

扉を開けると、外の空気が頬を撫でる。
冷たいのに、どこか懐かしい。
森の匂いが混じっていた。

羽織も持たず、裸足のまま石畳を降りる。
夜露が足の裏を濡らし、そのひんやりとした感触が――まだ「生きている」と教えてくれた。

城を囲む結界は今も健在だ。
だから、誰も訪れない。
もう長い間、この森には彼女しかいない。

それでも――森は、静かに息づいていた。


枝葉の隙間から漏れる光が、細い糸のように道を照らしている。
月が導くように、ゆるやかに。

道の途中で、ルナフィエラはしゃがみ込み、足もとに咲いた白い花を一輪摘んだ。
花弁の先に夜露がきらめき、触れた指先をそっと濡らす。

「ねえ、見て。まだこんなに綺麗に咲いているんだよ」

誰にともなく、微笑みながら呟く。
その声は風にも届かず、ただ月の光だけが、やさしく応えた。

やがて森の奥――
木々が途切れ、開けた場所に辿り着く。

そこには、4つの石碑が並んでいた。
月光を浴びながら、まるで眠るように静かに佇んでいる。

ルナフィエラは花を胸に抱え、ひとつひとつの前にそっと歩み寄り石碑の前に膝をつく。
1つ目の石碑に、白い花をそっと置いた。

「……フィン」

名前を呼ぶだけで、胸が痛んだ。
けれど、悲しみではない。
小さな焔のように、心の奥で灯る優しい痛みだった。

「あなたの笑顔、今も覚えてる。
あの時も……最後まで、笑ってたよね」

夜風が頬を撫で、木々の間で枝が小さく揺れた。
まるで、誰かが“うん”と頷いたように。

次に、2つ目の石碑へ。

「シグ……」

言葉を続けようとした瞬間、胸の奥で懐かしい低い声が蘇る。

――『ルナは、俺が守る』

その声が、風の中に溶けていった。

ルナフィエラは目を閉じ、短剣の柄を思い出すように指を握る。

「守ってくれてありがとう。
……今も、あなたの想いが、この森を守ってるよ」

3つ目の石碑には、淡い紅の花を。

「ヴィクトル」

口にした瞬間、胸の奥で、やわらかな声と手のぬくもりが重なった。

――『どうか、安らぎのある日々を。あなたにだけは、穏やかな時間を』

「……ごめんね。その願い、叶わなかったみたい」

小さく笑って、空を見上げる。
月は相変わらず優しく、何も言わない。
最後に残った、薄紫を帯びた石碑の前で立ち止まる。

「ユリウス……」

それだけで、喉の奥が詰まった。
彼の声も、指先も、記憶の奥で今も鮮やかだ。
けれど、もう届かない。

「ねえ、みんながいないと……こんなに静かなんだね」

呟いた瞬間、涙が頬を伝った。
長い間、泣くことも忘れていたのに。

けれどその涙は、痛みではなく、祈りのように零れた。

「……みんな、ありがとう。私はちゃんと、生きてる。
……まだ、ここにいるよ」

風が吹いた。
木々の枝葉が揺れ、月光が舞う。
まるで、4人がそっと包み込むように。

そして、空の端が淡く染まり始める。
夜が、終わろうとしていた。

ルナフィエラは振り返らずに、ただ空を見上げた。

「……また、朝が来るね」

その声は、光の中でゆっくりと溶けていった。
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