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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―
第150話・君の名を呼ぶ森
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──光が、静かに消えていった。
指の間に残るぬくもりだけが、過ぎ去った時間の確かさを伝えている。
ルナフィエラはゆっくりと息を吸い込み、手の中のブローチを見つめた。
翠の魔石は、今もかすかに輝きを宿している。
けれど、その光に心が動くことはもうなかった。
「……ねえ、フィン」
呟く声は、風に溶けて消える。
静寂だけが、寄り添うようにそこ残った。
ルナフィエラはブローチを両手で包み、机の引き出しの奥へとそっと戻す。
“もう、守られる必要はない”
そんなふうに思ったわけではない。
ただ――胸の奥で感じていた“痛み”さえ、いつの間にか薄れてしまったのだ。
引き出しを閉める音が、古城の静けさに溶けていく。
閉じた引き出しに視線を落としたまま、小さく息を吸い、吐いた。
ふと、部屋の片隅に置かれたティーポットが目に入る。
ずっと使わずにいたそれを、なぜか今、使ってみようと思った。
ヴィクトルに教わった紅茶の淹れ方。
正確な分量も、抽出の時間も覚えている。
けれど、もう誰かと飲むための紅茶ではない。
キッチンの棚の奥から取り出した小瓶には、少しだけ残った茶葉が入っていた。
封を開けると、淡い香りが空気に広がる。
「……まだ、香るんだ」
誰にともなく呟いて、ルナフィエラは小さく笑った。
湯を注ぐ音だけが静かに響く。
その音に重なるように、遠くで鳥の声がした。
やがてカップに紅茶を注ぎ、ひと口、口に含む。
温かいはずの液体が、喉を通っても何の味もしなかった。
「やっぱり……ヴィクトルみたいには、いかないね」
微かな笑みとともに呟いた声が、陽だまりの中に溶けて消える。
窓の外では、春の風が庭を撫でていた。
咲き誇る花々が見える。
けれど、その名を思い出そうとしても、言葉が出てこなかった。
空になったカップをそっと置き、窓辺から壁へと視線を移す。
そこには、鈍く光を放つ大斧が立てかけられていた。
シグが最後まで使い続けた、彼の象徴。
ルナフィエラは静かに立ち上がり、窓辺から射す光が寝室の片隅にある大斧を淡く照らすのを見つめた。
その鈍い輝きに、胸の奥がひとつ、波打つ。
指先が勝手に伸びる。
冷たい鉄に触れた瞬間、微かなぬくもりが蘇った気がした。
「……シグ」
かすれた声が漏れる。
言葉は風に溶け、どこか遠くへ消えていく。
目を閉じると、森の匂いがした。
湿った土の香り、夜露に濡れた草の感触。
そのすべてが――あの夜の記憶を呼び覚ます。
あの夜も、ルナフィエラはひとりで森を歩いていた。
灯りも持たず、ただ月明かりだけを頼りに。
冷たい夜気が頬を刺すたびに、涙がにじんだ。
「……シグ、どこにいるの……」
震える声が闇に吸い込まれる。
何度呼んでも返事はない。
あの大きな背中も、穏やかに笑う声も、どこにも見つからなかった。
足元の枝が折れる音が、やけに大きく響く。
夜は深く、息をするたびに胸が締めつけられる。
それでも止まれなかった。
――また誰かを失うなんて、嫌だった。
涙がこぼれても拭わず、ただ歩き続ける。
やがて、木々の隙間から小さな光が見えた。
崩れた岩壁の向こう、薄闇に灯る微かな焔。
その場所に――彼はいた。
岩に背を預け、穏やかに目を閉じている。
肩で浅く息をしながらも、表情はどこまでも優しかった。
「……ルナ」
その声を聞いた瞬間、彼女は駆け出していた。
考えるより先に、身体が動いていた。
「どうして……どうして何も言わずにいなくなったの!」
涙で滲む視界の中、彼の胸に飛び込む。
力強い腕が、かすかに震えながらも彼女を抱きとめた。
「ごめんな……泣かせたくなかったんだ」
シグの声は、深く、あたたかく、そしてどこか遠い。
大きな手が、震える指でルナフィエラの髪を撫でた。
「……怖かったんだ。また、ルナが悲しい顔をするのが」
「でも、いなくなるのは嫌だよ……。どこにも行かないで」
抱きしめる腕に力がこもる。
シグの鼓動が、ゆっくりと、確かに響いた。
それだけで、生きていると信じられた。
洞窟の入口から、かすかな月の光が差し込んでいる。
薄い靄を透かして届くその光は、二人の影をゆらりと揺らした。
シグの頬に、淡い光が触れる。
それが、ルナフィエラの涙の雫と重なって――
ひとしずく、静かに彼の胸へと落ちた。
指の間に残るぬくもりだけが、過ぎ去った時間の確かさを伝えている。
ルナフィエラはゆっくりと息を吸い込み、手の中のブローチを見つめた。
翠の魔石は、今もかすかに輝きを宿している。
けれど、その光に心が動くことはもうなかった。
「……ねえ、フィン」
呟く声は、風に溶けて消える。
静寂だけが、寄り添うようにそこ残った。
ルナフィエラはブローチを両手で包み、机の引き出しの奥へとそっと戻す。
“もう、守られる必要はない”
そんなふうに思ったわけではない。
ただ――胸の奥で感じていた“痛み”さえ、いつの間にか薄れてしまったのだ。
引き出しを閉める音が、古城の静けさに溶けていく。
閉じた引き出しに視線を落としたまま、小さく息を吸い、吐いた。
ふと、部屋の片隅に置かれたティーポットが目に入る。
ずっと使わずにいたそれを、なぜか今、使ってみようと思った。
ヴィクトルに教わった紅茶の淹れ方。
正確な分量も、抽出の時間も覚えている。
けれど、もう誰かと飲むための紅茶ではない。
キッチンの棚の奥から取り出した小瓶には、少しだけ残った茶葉が入っていた。
封を開けると、淡い香りが空気に広がる。
「……まだ、香るんだ」
誰にともなく呟いて、ルナフィエラは小さく笑った。
湯を注ぐ音だけが静かに響く。
その音に重なるように、遠くで鳥の声がした。
やがてカップに紅茶を注ぎ、ひと口、口に含む。
温かいはずの液体が、喉を通っても何の味もしなかった。
「やっぱり……ヴィクトルみたいには、いかないね」
微かな笑みとともに呟いた声が、陽だまりの中に溶けて消える。
窓の外では、春の風が庭を撫でていた。
咲き誇る花々が見える。
けれど、その名を思い出そうとしても、言葉が出てこなかった。
空になったカップをそっと置き、窓辺から壁へと視線を移す。
そこには、鈍く光を放つ大斧が立てかけられていた。
シグが最後まで使い続けた、彼の象徴。
ルナフィエラは静かに立ち上がり、窓辺から射す光が寝室の片隅にある大斧を淡く照らすのを見つめた。
その鈍い輝きに、胸の奥がひとつ、波打つ。
指先が勝手に伸びる。
冷たい鉄に触れた瞬間、微かなぬくもりが蘇った気がした。
「……シグ」
かすれた声が漏れる。
言葉は風に溶け、どこか遠くへ消えていく。
目を閉じると、森の匂いがした。
湿った土の香り、夜露に濡れた草の感触。
そのすべてが――あの夜の記憶を呼び覚ます。
あの夜も、ルナフィエラはひとりで森を歩いていた。
灯りも持たず、ただ月明かりだけを頼りに。
冷たい夜気が頬を刺すたびに、涙がにじんだ。
「……シグ、どこにいるの……」
震える声が闇に吸い込まれる。
何度呼んでも返事はない。
あの大きな背中も、穏やかに笑う声も、どこにも見つからなかった。
足元の枝が折れる音が、やけに大きく響く。
夜は深く、息をするたびに胸が締めつけられる。
それでも止まれなかった。
――また誰かを失うなんて、嫌だった。
涙がこぼれても拭わず、ただ歩き続ける。
やがて、木々の隙間から小さな光が見えた。
崩れた岩壁の向こう、薄闇に灯る微かな焔。
その場所に――彼はいた。
岩に背を預け、穏やかに目を閉じている。
肩で浅く息をしながらも、表情はどこまでも優しかった。
「……ルナ」
その声を聞いた瞬間、彼女は駆け出していた。
考えるより先に、身体が動いていた。
「どうして……どうして何も言わずにいなくなったの!」
涙で滲む視界の中、彼の胸に飛び込む。
力強い腕が、かすかに震えながらも彼女を抱きとめた。
「ごめんな……泣かせたくなかったんだ」
シグの声は、深く、あたたかく、そしてどこか遠い。
大きな手が、震える指でルナフィエラの髪を撫でた。
「……怖かったんだ。また、ルナが悲しい顔をするのが」
「でも、いなくなるのは嫌だよ……。どこにも行かないで」
抱きしめる腕に力がこもる。
シグの鼓動が、ゆっくりと、確かに響いた。
それだけで、生きていると信じられた。
洞窟の入口から、かすかな月の光が差し込んでいる。
薄い靄を透かして届くその光は、二人の影をゆらりと揺らした。
シグの頬に、淡い光が触れる。
それが、ルナフィエラの涙の雫と重なって――
ひとしずく、静かに彼の胸へと落ちた。
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