純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

第四章：紅き月の儀式

第54話・紅の終焉

ルナフィエラは静かに、ゆっくりと身体を起こした。

紅い月の光を背に受けながら、
その細く華奢な体が、確かに“意思”を宿した存在として立ち上がる。

「……ルナ……」

ユリウスが、思わず息を呑む。

覚醒した彼女の魔力は、激しさではなく“静けさ”と共にあった。
暴れるでもなく、誇示するでもなく、
ただ――守るために、そこにある。

彼女の視線が、ヴィクトル父を捉える。

「……あなたが……ヴィクトルの、お父様ですね。
何となく覚えがあります。私の父である王の側にいた方ですね」

その声音は穏やかだった。
けれど、確かに“拒絶”と“決意”が込められていた。

「……ほう。立ち上がれるとは……やはりその力、只者ではないな」

ヴィクトル父の表情に、かすかな興奮が滲む。

「貴様のその魔力――
いや、“血の記憶”こそ、我らが失った王の理想。
それを、私が引き継ぐのだ」

「……違います」

ルナの瞳が細くなり、その声に揺るぎが宿る。

「私の力は、私のものです。
誰かのためにあるのではなく、
誰かを“犠牲にしてまで”使うものでもありません」

彼女の周囲に、透明な魔力の風が舞った。
それはまるで、夜明けを告げる風のように優しく、
けれど一瞬で空間を塗り替えるほどの存在感を放っていた。

「あなたは“誇り”の名を使って、欲望を隠しているだけです。
――あなた自身の力ではないものを、奪って、支配しようとしている」

「黙れ……！」

ヴィクトル父が吠えた。

「私は、この滅びかけた種の未来を見てきた。
理想も、誇りも、何もかも崩れた王国の跡を――
私は、再び高みへ導こうとしているだけだ！」

「いいえ、それは種の未来ではなく“あなたのための未来”です」

ルナフィエラが一歩、祭壇を降りる。

「私は、過去を受け入れました。
100年前の儀式も、暴走も、
私の中に刻まれた痛みも、全部――私自身の歴史です」

その瞳は、まっすぐにヴィクトル父を見据えていた。

「だから私は、自分で選びます。
何を守るのか、何のために生きるのか――自分の意志で」

紅い月の光が、ゆっくりと彼女の背後で淡く色を変え始める。

覚醒は、終焉ではなかった。
それは――未来への始まり。

「……私は、ルナフィエラ・エヴァンジェリスタ。
あなたの望む“器”ではありません。
――ただ一人の、意志を持った存在です」

次の瞬間、ルナフィエラの魔力が一気に弾けた。

ヴィクトル父の魔力と真っ向からぶつかり合い、
紅と蒼、闇と光――その刃が交錯する決戦の幕が、今、開かれた。


「来い……ルナフィエラ。
その力のすべてを、私に見せてみろ……！」

ヴィクトル父が吠えるように叫び、先に踏み込んだ。

闇の魔力を纏った一閃。
鋭く重い一撃が、ルナの目の前を斬り裂いた――だが。

「……遅いです」

ルナフィエラの声が、静かに響いた瞬間。

その刃は空を切っていた。

彼女の姿は、すでに斜め後方へと移動していた。
肉体の動きではなく、“魔力による転位”――
それは、覚醒した純血種だけが可能とされる力。

「なっ……！」

ヴィクトル父が振り向くより早く、
ルナフィエラは一歩、踏み込んだ。

「これが……あなたが求めた力です」

その右手から放たれた魔力の斬撃は、
空気を断ち、結界すらも切り裂く。

ヴィクトル父は咄嗟に防御を展開するが――

「ぐ……ッ……！！」

防御を貫いた魔力が胸元を穿ち、
彼の身体は吹き飛ばされ、壁に激突した。

「ッは……はぁ……くっ……！」

立ち上がる。だが、膝が震えている。

「……馬鹿な……この、私が……！」

呪詛のように吐き出す彼の瞳には、
理解できないという焦燥が滲んでいた。

「あなたが積み上げたものは――他者の犠牲の上に立つ“幻想”です」

ルナフィエラの声は静かだった。

「私は……そんなものに、負けません」

彼女が再び歩み出したとき、
その背に紅き月が滲んでいた。

月の色が、少しずつ淡く戻り始めている。

「終わりにしましょう」

ルナフィエラの魔力が、淡い波紋のように空間へ広がる。

その気配だけで、誰もが悟った。
――もう、勝負はついた。

「く……ぁ……あああああああ！！」

ヴィクトル父が絶叫し、最後の魔力を解放する。

「貴様ごと……この城ごと、すべて――ッ！！」

彼の体内に取り込んだ魔法陣の核が暴走を始め、
瘴気が爆発するように広がっていく。

「……最後の足掻き、ですか」

ルナフィエラの瞳は、一瞬だけ哀しげに揺れた。

その光景を前に、仲間たちは息を呑む。

だが――ルナフィエラは、まっすぐその中心へと踏み込んだ。

彼女自身の手で、この終焉に――決着をつけるために。