純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第五章:みんなと歩く日常

第74話・名前のないこの気持ち

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静寂が満ちた古城の一室。
窓の外には、月が澄んだ光を落としていた。

ゆっくりとまぶたを開けると、天井が見えた。
見慣れた、自分の部屋の天井。

「……あれ……?」

記憶がふわりと揺れる。
街、屋台、みんなの笑顔――それから、足が重たくて、シグに支えられて。

(……帰ってきて、そのまま……)

自分でも気づかぬうちに眠ってしまったのだろう。
体はまだ重たいけれど、胸の奥はどこかあたたかくて。

「起きた?」

不意に、優しい声が降ってきた。

視線を横に向けると、ベッドのすぐ傍、肘をついて椅子に腰かけたユリウスがいた。
月明かりの中、銀の髪がやわらかく光っている。

「ユリウス……?」

「今日は僕の番だからね。夜の添い寝当番」

くすっと笑って、彼はベッドの縁に手を伸ばす。

「疲れてるのに、ちゃんと眠れてなかったらいけないと思って。……悪夢とか、見てない?」

「……見てない。……気づいたら、ぐっすりだった」

「それならよかった」

ユリウスは微笑むと、そっとベッドに腰かけ、ルナフィエラの髪を撫でた。
その手つきは、どこまでも穏やかで、決して境界を越えようとしないやさしさだった。

「……楽しかった?」

「うん。……ちょっと、こわかったけど……でも、みんなと一緒だったから、大丈夫だった。……楽しかったよ」

「そっか。……よかったよ」

ルナフィエラが頷くと、ユリウスはほんの少しだけ眉を下げて、ささやいた。

「君が“楽しい”って思えたことが、嬉しい。……本当に、そう思ってるよ」

その声は静かだったけれど、どこか深くて真剣で、ルナフィエラの胸を小さく揺らした。

「……わたし、今日……たくさんもらった気がする。優しさとか、笑顔とか。……子供の頃に、少しだけ似てる感じ」

「子供の頃?」

「うん。……まだ、お父様もお母様も生きてて。毎日じゃなかったけど、穏やかで……あったかかったの」

懐かしむように、でも少し寂しげに、ルナフィエラは目を細めた。

「でも……もうあの頃には戻れない。……だから、今は……みんなと一緒にいられるこの時間を、大事にしたい」

ユリウスは、そんなルナフィエラの言葉に黙って頷いた。
そして、そっと手を差し伸べる。

「一緒に寝ようか。……今日は、君の隣にいるから」

ルナフィエラは迷いなくその手を取った。


「寒くない?」

ユリウスは囁くようにそう言うと、布団の中でルナフィエラをそっと抱き寄せた。

「……ん。……ユリウス、あったかい」

「僕はエルフだからね。魔力もあるし、体温も高めなんだ。……君の体、冷たいから。こうしてる方が、落ち着くんじゃないかと思って」

ルナフィエラは小さく頷いて、彼の胸元に額を寄せた。
ユリウスの胸から伝わる温もりが、じんわりと染み込んでくる。

(……あったかい……すごく、落ち着く……)

静かな夜、何も言わなくても満たされるような心地よさ。
けれど、その安らぎの中に、ふいに何かがざわめいた。

「……ルナ。僕の血、吸っていいよ」

ユリウスが、囁くようにそう言った。

「え……」

「ずっと我慢してたでしょ。昼間も。でも……今日はたくさん歩いて疲れただろうし、普通の食事だけでは、体力も戻らないだろう?」

彼の手がそっとルナの頬を撫でる。
それだけで、優しさと想いが伝わってくるようで――ルナは、静かに瞳を伏せた。

「……ありがとう」

差し出された傷の入った手首に、躊躇いがちに唇を寄せると、ユリウスは微動だにせず、ただ静かに受け入れてくれる。
その脈動が、鼓動が、肌越しに伝わる。

(……やさしい……ユリウス、いつも……)

ほんのひと口、甘く温かな血をいただいた。

「……ん、……大丈夫……もう、いい……」

唇を離したルナフィエラの額を、ユリウスはそっと自分の額で受け止める。
その距離のまま、柔らかな声が降ってきた。

「……君が僕に触れてくれるの、嬉しいんだ。痛くも、怖くもない。……君が欲しいと思うなら、いつだって、僕のすべてをあげたい」

「……え……?」

その言葉に、ルナフィエラの胸がかすかに跳ねた。
ユリウスは笑うように、でもまっすぐにルナフィエラを見つめていた。

「吸血されることが嬉しいなんて、少し変かもしれないけど……僕は、君になら、そう思える」

ルナフィエラは返す言葉を持たなかった。
けれど、胸の奥で、何かが小さく灯った気がした。

(……どうして、こんなに……心が、あったかいんだろう)

ふわりと、ユリウスの腕がもう一度ルナフィエラを包む。
そのまま優しく彼の胸元へ引き寄せられた。

「……もう少しだけ、こうしてて。ちゃんと眠れるように」

「……うん……」

まぶたを閉じると、聞こえるのは鼓動だけ。
規則正しく響くその音に、ルナフィエラは身を任せる。

(……この気持ち……なんだろう……)

答えはまだ、名前を持たない。
でも――胸の奥で、小さく芽吹いていた。


こうして、安らぎとぬくもりの中で、ルナフィエラは再び深い眠りへと落ちていく。
それは、自分だけの静かな夜であり、ほんの少しだけ、恋の始まりを告げる夜でもあった。
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