43 / 69
第43話・当然のように
しおりを挟む
重たいまぶたを上げると、ぼんやりとした天井が目に映った。
(……あれ、ここ……)
仄暗い部屋の片隅。
柔らかな毛布にくるまれていることに気づき、琴葉は身を起こそうとした。
けれど、思うように力が入らない。
寒さも、だるさも、熱も――
すべてが絡みつくように身体を縛っていた。
「……起きなくて大丈夫ですよ」
聞き慣れた声に、琴葉はゆっくりと視線を向ける。
そこには、白衣のまま椅子に腰かけ、こちらを見守る奏一の姿があった。
まるで最初からそこにいたかのような、自然な佇まい。
「先生……どうして……」
「大学の医務室から連絡をいただきました。あなたの主治医として、入学時に第一連絡先として私の名前が登録されていますから」
「……あ、そういえば……」
「万が一の時、ご家族よりも早く対応できるようにと。覚えていませんか?」
「……ううん、覚えてる。……でも、本当に来てくれるなんて、思わなかったから」
「あなたに何かあれば、すぐ駆けつけると決めています。ですから、当然来ますよ」
淡々とした口調。
それでも、その言葉の端々には揺るぎない優しさが滲んでいて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……お母様には、私から連絡しておきます。
今は何より、あなたが休むことを優先しましょう」
そう言って立ち上がり、奏一は電子カルテに手早く入力する。
白衣の胸ポケットには、見慣れた万年筆が差してあった。
(先生……いつも通りだ)
その“いつも通り”が、なぜか胸をきゅっと締めつける。
「先ほど簡単に診察しましたが、熱は微熱程度です。今のところ、大きな異常は見受けられません。ただ――」
一度言葉を切り、視線を戻す。
「持病を考慮すると、念のため安静が必要ですね」
「……うん……」
小さく頷くと、奏一は続けた。
「では、家に帰りましょう。歩けそうですか?」
「……うん、大丈夫」
毛布をはらい、そろりとベッドから足を下ろす。
けれど立ち上がった瞬間、視界がわずかに揺れ、足元がふらついた。
「あっ……」
次の瞬間、肩を支える確かな手。
「無理をしないでください。今はあなたの身体が最優先です」
「……でも、自分で歩けるから……」
そう言いながらも、身体はすでに奏一に預けられていた。
奥からせり上がるだるさに、抗う気力は残っていない。
そのまま、ふっと身体が宙に浮く。
「……せ、先生……っ」
「背負います。気にしないでください」
脚にまわされた腕が、迷いなくしっかりと支えてくれる。
白衣越しに伝わる体温、ほのかに香る消毒液と、柔らかな洗剤の匂い。
(……あったかい……)
こわばっていた心が、少しずつほどけていく。
身体の奥に残っていた緊張も、奏一の背中の温もりに、静かに溶かされていった。
「……ごめん、なさい……」
小さく零した声に、奏一は歩みを止めず、穏やかに返す。
「謝る必要はありません。あなたは、休むべき時に、休むだけです」
その言葉もまた、心の奥に染み込んでいくようだった。
***
玄関のドアが静かに閉まり、いつもの家の空気が戻ってくる。
その中で、ただ違うのは――背負われたままの体温だった。
「先にベッドを整えますので、少しだけここで待っていてください」
リビングのソファにそっと下ろされ、毛布を肩に掛けられる。
小さく頷くのを確認すると、奏一は寝室へと足を運んだ。
手慣れた動作でシーツを替え、枕や毛布を整える。
無駄のない所作は、医療現場での準備そのものだった。
やがて、部屋着を手に戻ってくる。
「着替えましょう。これに着替えて、ベッドで休んでください」
「……うん」
琴葉は息を吐き、ゆっくり立ち上がって寝室へ向かう。
奏一はその背を見送ると、キッチンへ向かった。
火をつけ、鍋に出汁と少量のご飯を入れて、静かにお粥を炊き始める。
(……食欲はないだろうが、薬のためにも少しは口にしてもらわないと)
耳は自然と寝室の気配を拾っていた。
しばらくして、寝室の扉が控えめに開く。
「……着替えた」
その小さな声を聞くと、すぐに火を止め、奏一はリビングへ戻った。
(……あれ、ここ……)
仄暗い部屋の片隅。
柔らかな毛布にくるまれていることに気づき、琴葉は身を起こそうとした。
けれど、思うように力が入らない。
寒さも、だるさも、熱も――
すべてが絡みつくように身体を縛っていた。
「……起きなくて大丈夫ですよ」
聞き慣れた声に、琴葉はゆっくりと視線を向ける。
そこには、白衣のまま椅子に腰かけ、こちらを見守る奏一の姿があった。
まるで最初からそこにいたかのような、自然な佇まい。
「先生……どうして……」
「大学の医務室から連絡をいただきました。あなたの主治医として、入学時に第一連絡先として私の名前が登録されていますから」
「……あ、そういえば……」
「万が一の時、ご家族よりも早く対応できるようにと。覚えていませんか?」
「……ううん、覚えてる。……でも、本当に来てくれるなんて、思わなかったから」
「あなたに何かあれば、すぐ駆けつけると決めています。ですから、当然来ますよ」
淡々とした口調。
それでも、その言葉の端々には揺るぎない優しさが滲んでいて、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……お母様には、私から連絡しておきます。
今は何より、あなたが休むことを優先しましょう」
そう言って立ち上がり、奏一は電子カルテに手早く入力する。
白衣の胸ポケットには、見慣れた万年筆が差してあった。
(先生……いつも通りだ)
その“いつも通り”が、なぜか胸をきゅっと締めつける。
「先ほど簡単に診察しましたが、熱は微熱程度です。今のところ、大きな異常は見受けられません。ただ――」
一度言葉を切り、視線を戻す。
「持病を考慮すると、念のため安静が必要ですね」
「……うん……」
小さく頷くと、奏一は続けた。
「では、家に帰りましょう。歩けそうですか?」
「……うん、大丈夫」
毛布をはらい、そろりとベッドから足を下ろす。
けれど立ち上がった瞬間、視界がわずかに揺れ、足元がふらついた。
「あっ……」
次の瞬間、肩を支える確かな手。
「無理をしないでください。今はあなたの身体が最優先です」
「……でも、自分で歩けるから……」
そう言いながらも、身体はすでに奏一に預けられていた。
奥からせり上がるだるさに、抗う気力は残っていない。
そのまま、ふっと身体が宙に浮く。
「……せ、先生……っ」
「背負います。気にしないでください」
脚にまわされた腕が、迷いなくしっかりと支えてくれる。
白衣越しに伝わる体温、ほのかに香る消毒液と、柔らかな洗剤の匂い。
(……あったかい……)
こわばっていた心が、少しずつほどけていく。
身体の奥に残っていた緊張も、奏一の背中の温もりに、静かに溶かされていった。
「……ごめん、なさい……」
小さく零した声に、奏一は歩みを止めず、穏やかに返す。
「謝る必要はありません。あなたは、休むべき時に、休むだけです」
その言葉もまた、心の奥に染み込んでいくようだった。
***
玄関のドアが静かに閉まり、いつもの家の空気が戻ってくる。
その中で、ただ違うのは――背負われたままの体温だった。
「先にベッドを整えますので、少しだけここで待っていてください」
リビングのソファにそっと下ろされ、毛布を肩に掛けられる。
小さく頷くのを確認すると、奏一は寝室へと足を運んだ。
手慣れた動作でシーツを替え、枕や毛布を整える。
無駄のない所作は、医療現場での準備そのものだった。
やがて、部屋着を手に戻ってくる。
「着替えましょう。これに着替えて、ベッドで休んでください」
「……うん」
琴葉は息を吐き、ゆっくり立ち上がって寝室へ向かう。
奏一はその背を見送ると、キッチンへ向かった。
火をつけ、鍋に出汁と少量のご飯を入れて、静かにお粥を炊き始める。
(……食欲はないだろうが、薬のためにも少しは口にしてもらわないと)
耳は自然と寝室の気配を拾っていた。
しばらくして、寝室の扉が控えめに開く。
「……着替えた」
その小さな声を聞くと、すぐに火を止め、奏一はリビングへ戻った。
25
あなたにおすすめの小説
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写と他もすべて架空です。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~
ダルい
恋愛
「29歳? 子供産むならもっと若い子がよかったな」
中堅企業で働く早川結衣(29)は、婚活市場における年齢の壁と、デリカシーのない男たちにすり減らされる日々を送っていた。
そんな結衣の唯一の癒やしは、マンションの隣に住む幼馴染の高校生・瀬戸湊(16)。
両親が共働きの彼に代わって、幼い頃はお世話をしてあげていた……はずが、いつの間にか立場は逆転。
手料理を振る舞われ、愚痴を聞かれ、マッサージまでされる始末。「湊がお嫁さんならいいのに」なんて冗談を言っていたけれど。
「今の結衣姉が一番綺麗だよ。……早く、誰も手出しできない『おばさん』になってくれればいいのに」
可愛い弟分だと思っていた彼が、時折見せる『オス』の顔。
16歳の高校生と、もうすぐ30歳のアラサー。
13歳差の常識と理性に抗いながら、生意気な年下男子に外堀を埋められていく、甘くて重い現状維持(ラブストーリー)。
「俺が大人になるまで、誰とも結婚しないで」
癒やされたいすべての女性に贈る、最強の年下幼馴染による溺愛包囲網、開始。
毒味役の私がうっかり皇帝陛下の『呪い』を解いてしまった結果、異常な執着(物理)で迫られています
白桃
恋愛
「触れるな」――それが冷酷と噂される皇帝レオルの絶対の掟。
呪いにより誰にも触れられない孤独な彼に仕える毒味役のアリアは、ある日うっかりその呪いを解いてしまう。
初めて人の温もりを知った皇帝は、アリアに異常な執着を見せ始める。
「私のそばから離れるな」――物理的な距離感ゼロの溺愛(?)に戸惑うアリア。しかし、孤独な皇帝の心に触れるうち、二人の関係は思わぬ方向へ…? 呪いが繋いだ、凸凹主従(?)ラブファンタジー!
25番目の花嫁 ~妹の身代わりで嫁いだら、冷徹公爵が私を溺愛し始めました~
朝日みらい
恋愛
王都の春。
貴族令嬢リリアーナ・エインズワースは、第一王子ライオネル殿下との婚約を一方的に破棄された。
涙を見せないことが、彼女に残された唯一の誇りだった。だが運命は、彼女を思いがけない方向へ導く。
「氷の公爵」と呼ばれる孤高の男、ヴァレンティーヌ公爵。
二十四人の花嫁候補を断り続けた彼の元へ、「二十五番目の花嫁」として赴いたリリアーナ。
家の体裁のための結婚――そう割り切っていたはずなのに、氷のような瞳の奥に垣間見えた孤独が、彼女の心に小さな炎を灯してゆく。
初恋に見切りをつけたら「氷の騎士」が手ぐすね引いて待っていた~それは非常に重い愛でした~
ひとみん
恋愛
メイリフローラは初恋の相手ユアンが大好きだ。振り向いてほしくて会う度求婚するも、困った様にほほ笑まれ受け入れてもらえない。
それが十年続いた。
だから成人した事を機に勝負に出たが惨敗。そして彼女は初恋を捨てた。今までたった 一人しか見ていなかった視野を広げようと。
そう思っていたのに、巷で「氷の騎士」と言われているレイモンドと出会う。
好きな人を追いかけるだけだった令嬢が、両手いっぱいに重い愛を抱えた令息にあっという間に捕まってしまう、そんなお話です。
ツッコミどころ満載の5話完結です。
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる