病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第101話・静かな朝に、光が満ちて

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それから、季節はゆっくりと進んだ。

暑さが和らぎ、朝晩の空気が変わっていくのを感じながら、琴葉はいつも通りの生活を送っていた。

大きく体調を崩すこともなく、通院の日も、検査の数値も安定している。
無理をしない生活の中で、少しずつ、身体と向き合う時間が増えていた。

気づけば、カレンダーに印をつけた日が、すぐそこまで近づいている。

――振袖の撮影。

楽しみと、ほんの少しの緊張。
そのどちらもが、今はちゃんと胸の中にあった。


そして、11月下旬。
撮影当日の朝は、雲ひとつない秋の空が広がっていた。
乾いた冷たい風が頬を撫で、街路樹の葉がさらりと音を立てて揺れている。

車の助手席で、琴葉は窓の外を見つめながら、小さく息を吐いた。

「……晴れてよかったね」

「ええ。今日はきっと、いい日になります」

奏一の声は穏やかで、いつものように落ち着いている。
車が角を曲がるたび、やわらかな光がフロントガラスの内側をゆるやかに揺れた。

「ママたち、もう着いてるかな」

「おそらく。落ち着かずに、早めに出てこられたかもしれませんね」

「ふふ……たしかに。ママたちの方が緊張してそう」

そう言って笑う琴葉の横顔を見ながら、奏一は胸の奥でそっと息をつく。

——無事にこの日を迎えられたことが、ただ嬉しかった。


やがて、写真館の看板が見えてくる。
白壁の建物の前には、すでに白崎夫妻の車が停まっていた。

「着きました。……あちらですね」

奏一が車を停め、エントランスを指し示す。
大きなガラス窓の向こうには、落ち着いた館内の様子が見え、人の気配はほとんどない。

「……すごく、静かだね。人が、全然いない……」

「お父様のお知り合いの写真館ですから。
琴葉さんの負担にならないよう、配慮してくださったのでしょう」

「うん……ありがたいね」

車を降りると、ひんやりとした秋の空気がふわりと頬を撫でた。
少し先に、母の姿が見える。

すでに衣装は中へ預け終えたのだろう。
手ぶらのまま、落ち着かない様子で何度も時計を確認している。

「ママ!」

声をかけると、母がぱっと振り返って笑った。

「琴葉、ちゃんと来られたのね。よかった」

「うん、そうちゃんが運転してくれたから」

母は奏一に視線を向け、やわらかく会釈する。

「遠野先生、今日は本当にありがとうございます。あなたが一緒だと安心だわ」

「いえ。こちらこそ、この日を一緒に迎えられて光栄です」

その言葉に、母は胸に手を当て、ほっと息を吐いた。

「もう、私まで緊張してきちゃって」

「ええ。私も同じ気持ちです」

奏一の穏やかな声に、母も少し肩の力を抜いたようだった。

そのとき、館内の奥から父が姿を見せる。
スタッフとの打ち合わせを終えたばかりなのだろう。
表情には、安堵とわずかな緊張が混ざっている。

「お、着いたか」

「おはようございます」

奏一が頭を下げると、父は笑ってうなずく。

「おはよう。今日はよろしく頼む。……琴葉、体調は大丈夫か?」

「うん、大丈夫。ありがとう、パパ」

「よし。じゃあ、行こうか」

父の声に導かれるように、一行は館内へと入った。

ロビーは柔らかな光に包まれ、静けさの中にぬくもりがある。
完全予約制のため、今日は白崎家だけの貸し切り。
照明と空調の音が、ゆったりと空気を撫でていた。

スタッフが一歩前に出て、丁寧に頭を下げる。

「白崎様、お待ちしておりました。本日はどうぞよろしくお願いいたします」

母が軽く会釈し、琴葉を振り返った。

「……ね、いい場所でしょう?」

「うん。すごく落ち着く」

その言葉に母がふっと笑う。

「……琴葉より、ママのほうが緊張してるかもしれないわね」

「うん、たぶんパパもだよ。2人とも、さっきからソワソワしてるもん」

「やっぱりそう見える?」

「うん。私のほうが落ち着いてる気がする」

「ふふ、それだけ大人になったってことね」

母娘のやり取りに、奏一はそっと目を細めた。
その空気は、まるで陽だまりの中にいるように温かい。

控室の扉を開けると、淡い照明に包まれた空間が広がっていた。
壁際には姿見と化粧台。
整然と並ぶ化粧ブラシやコスメが、静かに光を受けている。

スタッフが柔らかく声をかけた。

「白崎琴葉様ですね。本日はよろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします」

促されるまま椅子に腰を下ろす。
鏡越しに映る自分の顔は、わずかに緊張で強ばっていた。

そんな琴葉の肩に、母の手がそっと触れる。

「大丈夫? 気分、悪くない?」

「うん、大丈夫。ここに座ってるだけだから」

母は小さく頷き、安心したように微笑む。

「じゃあ、パパたちとロビーにいるわね」

そう言い残して部屋を出ていく母の背中を見送り、琴葉は静かに息を整えた。

最初に始まったのはメイクだった。
プロの手つきは迷いがなく、軽やかで、肌の上を滑るブラシが心地よい。
普段よりも肌が明るく、目元がはっきりして見える。
プロの手にかかるだけで、こんなに違うんだ——。
そう思うと、胸の奥が少しくすぐったくなった。

仕上がった顔を鏡越しに見つめながら、琴葉は小さく息をのむ。

(……なんか、いつもの私じゃないみたい)

そう思うと、胸の奥がくすぐったくなって、自然と口元がゆるんだ。
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