病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第100話・胸の奥の、ほんとう

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食後、母は手際よく食器を下げると、改めてトレイを運んできた。

「じゃあ、食後に」

テーブルに置かれたカップから、やわらかなコーヒーの香りが立ちのぼる。
琴葉の前には、いつものようにカフェインレスのものが置かれていた。

「……さて」

母が腰を下ろして、少しだけ姿勢を正す。

「そろそろ、本題に入ってもいいかしら」

琴葉は、自然と背筋を伸ばした。

「うん」

「撮影場所は、前に話してたパパの知り合いの写真館ね」

父が軽く頷く。

「挨拶も兼ねて、少し前にママと下見に行ってきたんだ」

そう言って、母は写真館のパンフレットをテーブルに広げた。

「ここね」

続けてスマホを操作し、何枚かの写真を見せてくれる。
画面に映るのは、落ち着いた佇まいの写真館だった。

「ここはね、光がきれいに入る場所で」

母が一枚一枚、説明してくれる。

「こっちは室内。背景を変えたり、小物を使ったりできるから、雰囲気を変えた写真も撮れるのよ」

「……わあ」

思わず、声が漏れる。

どれも落ち着いた雰囲気で、柔らかい。
見ているだけで、胸の奥が少し温かくなる。

琴葉は頷きながら、画面から目を離せずにいた。

「素敵……」

ぽつりとこぼすと、母は嬉しそうに微笑んだ。

「でしょう?」

少し間を置いてから、パンフレットの別のページを開く。

「それでね」

ページを指で押さえながら、続けた。

「写真館の方から、こんな提案もいただいたの」

奏一と琴葉、両方に視線を向けてから続ける。

「ロケーション撮影」

「……ロケーション?」

「ええ」

母は頷く。

「秋の撮影なら、紅葉の時期に合わせて、神社での撮影も一緒にどうかって」

パンフレットには、境内や色づいた木々の写真が載っている。

「紅葉、神社……」

頭の中に、自然と景色が浮かぶ。
その中を、振袖姿で歩く自分の姿。

「室内の撮影と組み合わせることもできるそうよ」

琴葉は、ゆっくりと頷いた。

「……うん」

胸の奥が、少しきゅっとする。

――素敵だな。

確かに、そう思った。

隣を見ると、奏一も静かに話を聞いていて、その表情はいつも通り穏やか。
母は、少し間を置いてから奏一の方を見る。

「……ただ先生に、ひとつ相談がありまして」

奏一は、自然に姿勢を正す。

「はい」

「ロケーション撮影になるとね」

母は、言葉を選ぶようにゆっくり続ける。

「時期が、11月下旬になるそうなの。紅葉の見頃に合わせる形で。
それから、室内の撮影も組み合わせるとなると、どうしても長丁場になるそうで……」

そこまで言って母は、琴葉に視線を向けた。

11月下旬。
外はきっと、もう寒い。

「……長丁場」

琴葉は思わず、そう口にしていた。

「外で撮るなら……大変だよね」

母は、その言葉にすぐ返さず、ほんの一拍、間を置いた。
琴葉の表情を確かめるように見てから、ゆっくりと息を吐く。

「琴葉の体調のことを考えると……そこが心配で」

相談というより、確認に近い問いかけ。
母は琴葉ではなく、奏一の方へ視線を移した。

奏一は、すぐに答えず、少し考える。

「ここ数ヶ月、琴葉さんの体調は安定しています」

静かな声で、そう前置きしてから続けた。

「寒さについては、防寒をしっかりして、適宜休憩を入れながら、外での撮影時間を短く区切れば、問題ないと思います。
当日は私も、一緒にいます」

その言葉に、琴葉は思わず顔を上げる。

「万が一、何かあっても、すぐ対応できますから」

医者としての判断であり、同時に、婚約者としての覚悟でもあった。
母は、その様子を見て、ふっと肩の力を抜く。

「……そう」

少しだけ、表情が緩んだ。

「先生がそう言ってくださるなら、安心ね」

父も、小さく頷く。

「そうだな。琴葉に無理をさせるつもりはないし、撮影は様子を見ながらでいい」

パンフレットに落としていた視線を、琴葉はもう一度、そこに戻す。
さっきよりも、少しだけ写真の距離が近く感じられた。

「琴葉さんに、無理はさせません。
でも……やりたいと思っているなら、その気持ちは大事にしましょう」

母は、その言葉を聞いてから、そっと息を吐いた。
そして、琴葉の方へ向き直る。

「……琴葉は、どうしたい?」

急かすでも、誘導するでもない。
ただ、静かに問いかける声だった。

「紅葉の神社で撮るのも、室内だけにするのも、やめるのも。
全部、琴葉が決めていいのよ」

テーブルの上のパンフレットに、そっと視線を落とす。
琴葉は、言葉を失ったまま、しばらく黙っていた。

寒さのことも。
時間のことも。
不安が消えたわけじゃない。

それでも。
琴葉は、小さく息を吸って、吐く。

「……できるなら」

そして、ゆっくり顔を上げる。

「撮りたい、かな」

それは、決意というより。
胸の奥にずっとあった本音を、そっと掬い上げたような声だった。

母は、その答えを聞いて、静かに微笑む。
それから、ゆっくりと頷いた。

「じゃあ、そうしましょう」

それだけで、話はまとまった。

パンフレットの中の写真が、少しだけ現実に近づいた気がする。
琴葉は、振袖の袖を揃える自分の姿を、心の中でそっと思い浮かべていた。
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