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第98話・仕上がりの手前で
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特訓最終日。
琴葉はフライパンの前で、じっと火加減を見ていた。
昨日より、ほんの少しだけ余裕がある。
慌てて裏返すこともなく、焦げる前に火を弱めることもできた。
鶏肉の表面に、きれいな焼き色がつく。
「……よし」
小さく声に出してから、皿に移す。
初日のような黒い部分はない。
照りも、ちゃんと出ている。
「今日は、いい感じね」
隣で見ていた母が、そう言った。
琴葉は、ほっと息を吐く。
「焦がさずにできた……」
「うん。ちゃんとできてる」
次は、卵焼き。
卵液を流して、箸でまとめて、巻く。
形は、まだ少し歪だ。
角も揃っていない。
それでも、最初の“ぐちゃぐちゃ”とは違う。
ちゃんと「巻こうとした跡」がある。
「……やっぱり、まだ変かな」
切り分けた卵焼きを見て、琴葉がぽつりと言う。
「不恰好ではあるわね」
母は正直に言った。
けれど、すぐに続ける。
「でも、初日よりずっと綺麗よ。火の入れ方も、卵のまとまり方も、全然違う」
琴葉は、卵焼きを見つめたまま、少し考える。
(……そうかな)
頭では分かっていても、明日のことを思うと、胸の奥が落ち着かない。
「……明日、大丈夫かな」
思わずこぼれた言葉に、母は包丁を置いて琴葉の方を見る。
「不安になるのは、当たり前よ」
そう前置きしてから、ゆっくり言った。
「でもね、琴葉は、先生のために作りたいと思って、ここまで頑張ったでしょう。
それは、ちゃんと届くわ」
琴葉は、少しだけ顔を上げる。
「料理の出来が完璧かどうかじゃない。“作ろうとした気持ち”は、必ず伝わるものよ」
静かな声だったけれど、迷いはなかった。
「少なくとも、遠野先生にはね」
その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。
「……うん」
不安は、まだ消えない。
それでも、呼吸はさっきより楽だった。
母は、いつもの調子に戻って言う。
「今日はここまで」
「明日は、無理しないで。
仕上げは、私が横で見てるから」
琴葉は、小さく頷いた。
「……ありがとう」
完璧じゃない。
でも、ここまで来た。
それだけで、15日の夜は十分だった。
***
翌日。
キッチンには、甘辛い香りが満ちていた。
フライパンの中で、最後にたれを絡めて火を止める。
照り焼きの表面は、初日よりもずっと落ち着いた色をしていた。
「……よし」
小さく息を吐いた、その瞬間。
――ピンポーン。
チャイムの音に、琴葉の肩が跳ねた。
「……っ」
一瞬固まってから、ぱっと顔を上げる。
「そ、そうちゃん来ちゃった……!」
母の方を見る余裕もなく、エプロンをつけたまま玄関へ向かう。
「ちょ、琴葉、エプロン――」
母の声は、もう背中に届いていない。
ドアを開けると、外の明るさと一緒に、見慣れた姿が視界に入る。
「こんにちは、白崎――」
言い終わる前に、琴葉が抱きつく。
「そうちゃん……!」
勢いはないけれど、ためらいもなかった。
腕の中に入ってくる温もりに、奏一は一瞬だけ目を瞬かせてから、そっと受け止める。
「……お久しぶりです、琴葉さん」
声はいつも通り穏やかだったけれど、腕に込める力は少しだけ強い。
メッセージも、電話もしていた。
それでも、直接会えると、やっぱり嬉しい。
「会えて、嬉しい……」
ぽつりとこぼすと、奏一は小さく頷いた。
「私もです」
けれど、玄関に流れ込む空気は、真夏そのものだった。
奏一は、琴葉の肩にそっと手を添える。
「外は暑いので、中に入りましょう」
「あ、うん……」
一歩離れたところで、琴葉ははっと思い出したように声を上げる。
「……あっ!途中だった!」
そう言うなり、ぱたぱたと家の中へ戻っていく。
「そうちゃん、リビングに来て」
「……?」
奏一は一瞬首を傾げたまま、その背中を見送った。
靴を揃えて中に入り、リビングへ向かう。
すると、ちょうどそのタイミングで、キッチンから琴葉が現れた。
照り焼きの盛られた皿を一枚ずつ持って、食卓へ運んでいる。
1人分ずつ、丁寧に盛られた鶏肉。
照りは控えめで、焦げもない。
すでに席についていた父が、顔を上げた。
「お、来たか」
「……いらっしゃい、そうちゃん」
琴葉は少し照れたように言って、奏一が座る席の前にも皿を置く。
昼の光の中で、照り焼きが静かに存在感を放っていた。
奏一は、その皿と、動く琴葉の様子を見て、一瞬だけ言葉を失う。
(……これは)
キッチンから漂う出汁の匂い。
整えられた食卓。
そして、どこか緊張した琴葉の横顔。
状況を理解して、奏一は静かに息を整えた。
琴葉はフライパンの前で、じっと火加減を見ていた。
昨日より、ほんの少しだけ余裕がある。
慌てて裏返すこともなく、焦げる前に火を弱めることもできた。
鶏肉の表面に、きれいな焼き色がつく。
「……よし」
小さく声に出してから、皿に移す。
初日のような黒い部分はない。
照りも、ちゃんと出ている。
「今日は、いい感じね」
隣で見ていた母が、そう言った。
琴葉は、ほっと息を吐く。
「焦がさずにできた……」
「うん。ちゃんとできてる」
次は、卵焼き。
卵液を流して、箸でまとめて、巻く。
形は、まだ少し歪だ。
角も揃っていない。
それでも、最初の“ぐちゃぐちゃ”とは違う。
ちゃんと「巻こうとした跡」がある。
「……やっぱり、まだ変かな」
切り分けた卵焼きを見て、琴葉がぽつりと言う。
「不恰好ではあるわね」
母は正直に言った。
けれど、すぐに続ける。
「でも、初日よりずっと綺麗よ。火の入れ方も、卵のまとまり方も、全然違う」
琴葉は、卵焼きを見つめたまま、少し考える。
(……そうかな)
頭では分かっていても、明日のことを思うと、胸の奥が落ち着かない。
「……明日、大丈夫かな」
思わずこぼれた言葉に、母は包丁を置いて琴葉の方を見る。
「不安になるのは、当たり前よ」
そう前置きしてから、ゆっくり言った。
「でもね、琴葉は、先生のために作りたいと思って、ここまで頑張ったでしょう。
それは、ちゃんと届くわ」
琴葉は、少しだけ顔を上げる。
「料理の出来が完璧かどうかじゃない。“作ろうとした気持ち”は、必ず伝わるものよ」
静かな声だったけれど、迷いはなかった。
「少なくとも、遠野先生にはね」
その言葉に、胸の奥が少しだけ緩む。
「……うん」
不安は、まだ消えない。
それでも、呼吸はさっきより楽だった。
母は、いつもの調子に戻って言う。
「今日はここまで」
「明日は、無理しないで。
仕上げは、私が横で見てるから」
琴葉は、小さく頷いた。
「……ありがとう」
完璧じゃない。
でも、ここまで来た。
それだけで、15日の夜は十分だった。
***
翌日。
キッチンには、甘辛い香りが満ちていた。
フライパンの中で、最後にたれを絡めて火を止める。
照り焼きの表面は、初日よりもずっと落ち着いた色をしていた。
「……よし」
小さく息を吐いた、その瞬間。
――ピンポーン。
チャイムの音に、琴葉の肩が跳ねた。
「……っ」
一瞬固まってから、ぱっと顔を上げる。
「そ、そうちゃん来ちゃった……!」
母の方を見る余裕もなく、エプロンをつけたまま玄関へ向かう。
「ちょ、琴葉、エプロン――」
母の声は、もう背中に届いていない。
ドアを開けると、外の明るさと一緒に、見慣れた姿が視界に入る。
「こんにちは、白崎――」
言い終わる前に、琴葉が抱きつく。
「そうちゃん……!」
勢いはないけれど、ためらいもなかった。
腕の中に入ってくる温もりに、奏一は一瞬だけ目を瞬かせてから、そっと受け止める。
「……お久しぶりです、琴葉さん」
声はいつも通り穏やかだったけれど、腕に込める力は少しだけ強い。
メッセージも、電話もしていた。
それでも、直接会えると、やっぱり嬉しい。
「会えて、嬉しい……」
ぽつりとこぼすと、奏一は小さく頷いた。
「私もです」
けれど、玄関に流れ込む空気は、真夏そのものだった。
奏一は、琴葉の肩にそっと手を添える。
「外は暑いので、中に入りましょう」
「あ、うん……」
一歩離れたところで、琴葉ははっと思い出したように声を上げる。
「……あっ!途中だった!」
そう言うなり、ぱたぱたと家の中へ戻っていく。
「そうちゃん、リビングに来て」
「……?」
奏一は一瞬首を傾げたまま、その背中を見送った。
靴を揃えて中に入り、リビングへ向かう。
すると、ちょうどそのタイミングで、キッチンから琴葉が現れた。
照り焼きの盛られた皿を一枚ずつ持って、食卓へ運んでいる。
1人分ずつ、丁寧に盛られた鶏肉。
照りは控えめで、焦げもない。
すでに席についていた父が、顔を上げた。
「お、来たか」
「……いらっしゃい、そうちゃん」
琴葉は少し照れたように言って、奏一が座る席の前にも皿を置く。
昼の光の中で、照り焼きが静かに存在感を放っていた。
奏一は、その皿と、動く琴葉の様子を見て、一瞬だけ言葉を失う。
(……これは)
キッチンから漂う出汁の匂い。
整えられた食卓。
そして、どこか緊張した琴葉の横顔。
状況を理解して、奏一は静かに息を整えた。
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