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第25話・すれ違い、心だけが取り残されていく
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会社では、毎日顔を合わせている。
同じフロアで、同じ部署で、同じように仕事をしている。
でも――
(……ちゃんと話せてない)
気づけば、最後にプライベートな会話をしたは、ほんの一言、名前を呼ばれて、笑ったあの夜。
それから、半月は経っている。
社内では、新規案件がいよいよ本格稼働し、部署全体が慌ただしくなっていた。
崇雅は朝から会議室を飛び回り、席に戻るのも稀だ。
チャットでの連絡も業務報告だけ、返事もそっけない。
でも、すべてが“当然”だとわかっていた。
(彼は、部長だから)
(私は……ただの、部下だから)
わかっているのに。
わかっているはずなのに――
心の奥のどこかで、置いていかれてしまったような気がしていた。
ある日の昼下がり。
コピー機前での短いやりとり。
「結城、次の打ち合わせ資料、16時までに確認してくれ」
「……はい、わかりました」
視線も交わさないまま、崇雅は去っていった。
たったそれだけ。
何も間違っていない。
なのに胸の奥がじわりと痛くなる。
(なんで、こんなに苦しいんだろう)
帰りのエレベーターの中。
先に乗っていた崇雅と目が合った。
ふたりきり。沈黙。
「お疲れさまでした」
「……ああ」
それだけ。
一緒にいたいわけじゃない。
もっと話したいだけ。
でも、こんなに忙しそうな背中を見ていると、
自分の気持ちを口にすることが、ものすごく“わがまま”に思えてしまう。
(言えない。こんなときに、私は――)
ただの一度も、「寂しい」なんて言えなかった。
——数日後。
18時過ぎ、誰もいない資料室に、そっと足を踏み入れた。
明日の会議の準備で資料を取りに来ただけ。
ほんの、数分で終わるはずだったのに。
引き出しのファイルを開こうとした手が、ふるえていた。
(……なんで、こんなに苦しいんだろう)
思わず、自分の手を握りしめた。
涙が出そうになる理由なんて、ひとつもないのに。
仕事はできている。
誰にも責められていない。
周りは、私のことをちゃんと認めてくれている。
でも。
(それでも、苦しい)
崇雅と距離ができて、3週間近く経とうとしていた。
話せない日々が続くほど、
「あの時間は、私の思い込みだったのかもしれない」という疑念ばかりが膨らんでいく。
たった一言がほしくて、
たった一秒でもいいから、名前を呼んでほしくて。
だけど、それを望む自分が、
仕事を甘えでこなしているように思えて――情けなくなる。
そんな自分が、一番嫌いだった。
「……やだな、もう……」
小さく笑ったつもりが、
かすれた吐息に変わって、
喉の奥がひりついた。
深呼吸をして、目をぎゅっと閉じる。
泣くな。
ここで泣いたら、崩れてしまう。
このままじゃ、もう立ち直れなくなる。
指先をぎゅっと握って、
少しだけ深く息を吸い込んだ。
大丈夫。
私は、まだ大丈夫。
その直後、背後から扉の開く音がした。
(誰か来た……!)
慌ててファイルを手にして、
資料棚の陰から足音を避ける。
「……結城? ここにいたか」
その声に、全身が固まった。
崇雅だった。
その瞬間、涙が引きつるように止まる。
(……見られた? まさか、泣いてたの――)
息を整えて、いつもの顔を取り繕う。
でも、視線だけは合わせられなかった。
——————
資料室の扉を開けた瞬間、静かな空気が崩れた気がした。
「……結城? ここにいたか」
声をかけたつもりだったが、
返事はなく、代わりに気配だけが動いた。
ファイルを手にした彼女がこちらに背を向けるように立っている。
その姿が――やけに、頼りなさげに見えた。
(……顔色、悪いな)
ずっと気づかないふりをしてきたのかもしれない。
いや、気づきたくなかっただけか。
C社案件が落ち着いた直後、大型案件が2件、動き出した。
どちらも重要な取引先で、チームで回しているとはいえ、責任の最終ラインは自分にあった。
だから、時間が足りなかった。
気づけば、彼女とろくに話す時間もなくなっていた。
「その資料、確認するのは明日でいい。今日は上がれ」
そう声をかけた。
けれど彼女は、ほんの一瞬だけこちらを見て、小さく会釈しただけで言葉を返さなかった。
その目元が、わずかに赤い気がする。
(泣いてたのか……?)
一歩、踏み出そうとした足が止まる。
聞きたいのに、聞けない。
問いかけたいのに、言葉にならない。
(……俺が、彼女を追い詰めてた?)
最初に異変を感じたのは、ほんのささいなことだった。
社内チャットの絵文字がひとつ減っていた。
昼休みに姿が見えない日が続いた。
挨拶が、どこか上の空だった。
(それでも、気づかないふりをしてた)
気持ちはある。
伝えたいことも、山ほどある。
けれど、立場がそれを遮った。
言葉にしてしまえば、もう後戻りできない気がした。
でも――
(今、崩れてしまったら)
自分の目の前で、彼女が音を立てて壊れてしまったら、きっと、もう二度と元に戻らない。
それだけは、はっきりと感じた。
同じフロアで、同じ部署で、同じように仕事をしている。
でも――
(……ちゃんと話せてない)
気づけば、最後にプライベートな会話をしたは、ほんの一言、名前を呼ばれて、笑ったあの夜。
それから、半月は経っている。
社内では、新規案件がいよいよ本格稼働し、部署全体が慌ただしくなっていた。
崇雅は朝から会議室を飛び回り、席に戻るのも稀だ。
チャットでの連絡も業務報告だけ、返事もそっけない。
でも、すべてが“当然”だとわかっていた。
(彼は、部長だから)
(私は……ただの、部下だから)
わかっているのに。
わかっているはずなのに――
心の奥のどこかで、置いていかれてしまったような気がしていた。
ある日の昼下がり。
コピー機前での短いやりとり。
「結城、次の打ち合わせ資料、16時までに確認してくれ」
「……はい、わかりました」
視線も交わさないまま、崇雅は去っていった。
たったそれだけ。
何も間違っていない。
なのに胸の奥がじわりと痛くなる。
(なんで、こんなに苦しいんだろう)
帰りのエレベーターの中。
先に乗っていた崇雅と目が合った。
ふたりきり。沈黙。
「お疲れさまでした」
「……ああ」
それだけ。
一緒にいたいわけじゃない。
もっと話したいだけ。
でも、こんなに忙しそうな背中を見ていると、
自分の気持ちを口にすることが、ものすごく“わがまま”に思えてしまう。
(言えない。こんなときに、私は――)
ただの一度も、「寂しい」なんて言えなかった。
——数日後。
18時過ぎ、誰もいない資料室に、そっと足を踏み入れた。
明日の会議の準備で資料を取りに来ただけ。
ほんの、数分で終わるはずだったのに。
引き出しのファイルを開こうとした手が、ふるえていた。
(……なんで、こんなに苦しいんだろう)
思わず、自分の手を握りしめた。
涙が出そうになる理由なんて、ひとつもないのに。
仕事はできている。
誰にも責められていない。
周りは、私のことをちゃんと認めてくれている。
でも。
(それでも、苦しい)
崇雅と距離ができて、3週間近く経とうとしていた。
話せない日々が続くほど、
「あの時間は、私の思い込みだったのかもしれない」という疑念ばかりが膨らんでいく。
たった一言がほしくて、
たった一秒でもいいから、名前を呼んでほしくて。
だけど、それを望む自分が、
仕事を甘えでこなしているように思えて――情けなくなる。
そんな自分が、一番嫌いだった。
「……やだな、もう……」
小さく笑ったつもりが、
かすれた吐息に変わって、
喉の奥がひりついた。
深呼吸をして、目をぎゅっと閉じる。
泣くな。
ここで泣いたら、崩れてしまう。
このままじゃ、もう立ち直れなくなる。
指先をぎゅっと握って、
少しだけ深く息を吸い込んだ。
大丈夫。
私は、まだ大丈夫。
その直後、背後から扉の開く音がした。
(誰か来た……!)
慌ててファイルを手にして、
資料棚の陰から足音を避ける。
「……結城? ここにいたか」
その声に、全身が固まった。
崇雅だった。
その瞬間、涙が引きつるように止まる。
(……見られた? まさか、泣いてたの――)
息を整えて、いつもの顔を取り繕う。
でも、視線だけは合わせられなかった。
——————
資料室の扉を開けた瞬間、静かな空気が崩れた気がした。
「……結城? ここにいたか」
声をかけたつもりだったが、
返事はなく、代わりに気配だけが動いた。
ファイルを手にした彼女がこちらに背を向けるように立っている。
その姿が――やけに、頼りなさげに見えた。
(……顔色、悪いな)
ずっと気づかないふりをしてきたのかもしれない。
いや、気づきたくなかっただけか。
C社案件が落ち着いた直後、大型案件が2件、動き出した。
どちらも重要な取引先で、チームで回しているとはいえ、責任の最終ラインは自分にあった。
だから、時間が足りなかった。
気づけば、彼女とろくに話す時間もなくなっていた。
「その資料、確認するのは明日でいい。今日は上がれ」
そう声をかけた。
けれど彼女は、ほんの一瞬だけこちらを見て、小さく会釈しただけで言葉を返さなかった。
その目元が、わずかに赤い気がする。
(泣いてたのか……?)
一歩、踏み出そうとした足が止まる。
聞きたいのに、聞けない。
問いかけたいのに、言葉にならない。
(……俺が、彼女を追い詰めてた?)
最初に異変を感じたのは、ほんのささいなことだった。
社内チャットの絵文字がひとつ減っていた。
昼休みに姿が見えない日が続いた。
挨拶が、どこか上の空だった。
(それでも、気づかないふりをしてた)
気持ちはある。
伝えたいことも、山ほどある。
けれど、立場がそれを遮った。
言葉にしてしまえば、もう後戻りできない気がした。
でも――
(今、崩れてしまったら)
自分の目の前で、彼女が音を立てて壊れてしまったら、きっと、もう二度と元に戻らない。
それだけは、はっきりと感じた。
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