【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第34話・指先から伝わるぬくもり

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雑貨屋を出ると、通りには穏やかな風が吹いていた。
澪の手には、さっき崇雅が買ってくれたマグカップが入った小さな紙袋。

「……なんだか、すごく贅沢な時間ですね」

澪がぽつりとこぼすと、隣を歩く崇雅が短く頷いた。

「いい気分転換になったなら、よかった」

「はい。……こういう街、初めて来ました」

「騒がしくない場所のほうが、澪には合ってる」

何気ない言葉なのに、“ちゃんと見てくれている”のが伝わってくる。

少し先の通りを見回して、澪が言った。

「……そろそろ、どこかでお昼にしませんか?」

「そうだな。あっちの通り、店が並んでた」

歩道を並んで歩きながら、ふたりでゆるやかにお店を探す。
どれも静かで、雰囲気のいい店ばかり。
でも、どこに入ろうか——そんなふうに迷う時間さえも、今は心地よかった。

そのとき。

澪が何かを言おうとして立ち止まった瞬間、風で紙袋が揺れた。
バランスを崩しかけたその手を、崇雅がとっさに押さえた。

「……っと」

「すみません、ありがとうございます……」

澪が紙袋を持ち直したとき、ふと、ふたりの手がふれていた。
少しだけ、指先が重なる。
そのまま、崇雅は言葉もなく——でも自然な動きで、その指をからめた。

「……っ」

澪は息をのんだ。
でも、すぐに手を引くことはできなかった。

強くも、緩くもない。
ただ、しっかりと“繋いでいる”とわかる、やわらかな手の温もり。

「……こういうの、慣れてないのか?」

「……はい…」

「俺もだ」

繋がれた手は、澪の鼓動よりも少しだけあたたかくて、
何も言わずに歩くだけでも、胸の奥がじんわりと熱くなる。

やがて、路地を抜けた先に、小さな看板を見つけた。

「……あそこ、よさそう」

木の扉に、手書きの文字。
『季節のスープとサンドの店』
窓から見える席は空いていて、静かで落ち着いた雰囲気。

崇雅が軽く頷いて、先に扉を開ける。
ふたりの指は、自然と離れた。
けれど澪の手には、さっきのぬくもりが残っていた。


木の扉を開けて店に入ると、ほのかにハーブと焼き立てのパンの香りが漂ってきた。
落ち着いたインテリアに、通されたのは奥まった窓際の二人席。

並んで歩いていたときとは違って、向かい合う距離。
そのことに、澪は少しだけ緊張していた。

「……ここ、素敵ですね。静かで」

「ここも前に仕事で近くを通ったときに、看板だけ見た。澪が選びそうだと思っていた」

「……それって、前から今日のために?」

「…澪と出かけるのは初めてだからな。候補の下調べくらいはする」

さりげなく言うのに、ちゃんと準備していたことがわかって、胸があたたかくなる。

メニューには、季節野菜のポタージュと、3種から選べるサンドイッチのセット。
崇雅はスモークチキンとレタスのサンドを、澪は卵とツナの組み合わせを選んだ。

注文を終えたあとの沈黙も、ふたりの間では不思議と気まずくなかった。

テーブルのグラスを指先で回しながら、崇雅がふと言った。

「……職場と全然違うな」

「え?」

「よく笑ってる。新鮮だ」

その言葉に、澪は思わず吹き出した。

「それ、お互い様ですよ。私より崇雅さんの方がずっと貴重です」

「そうか?」

「そうです。職場だと、いつも無表情っていうか、冷静で……笑ってるとこ、見たことないですもん」

「……あれは仕事だ。上司と部下だからな」

「つまり、今日は“部下じゃないから”なんですね?」

「……まあ、そういうことだ」

「……今の、ちょっときました」

崇雅は、少しだけ目元をゆるめた。
それだけなのに、澪の胸の奥が不思議と熱くなる。


料理が運ばれてきて、あたたかなポタージュに口をつけると、優しい味がじんわりと広がった。

「……美味しいです」

「だな。ここのスープ、俺も好きだ」

そう言って、崇雅はサンドイッチに手を伸ばし、静かにひと口かじる。

口数は多くないけれど、その表情は柔らかくて、
澪はこっそりとその顔を目に焼き付けていた。

(こういう崇雅さん、私だけが知ってるんだ……)

ふと、彼がサンドを置いてコーヒーを手に取った。

「来週から、忙しくなりそうだな。澪の案件も動く」

「……はい。ちゃんと頑張ります」

「澪、頑張りすぎるな」

「……え?」

「限界まで走る前に、ちゃんと伝えろ。倒れる前に」

その言葉に、胸が静かに揺れる。

「…もしかして……気づいてましたか?私、最近ちょっと無理してました…」

「少しだけ。……だから今日、連れ出した」

あっさりとした言い方なのに、根っこには確かな優しさがあって。
その思いやりが、なによりもあたたかかった。

「……ありがとうございます、崇雅さん」

「礼を言われることじゃない」

けれど、ほんの一瞬、彼の指先がテーブルの縁をなぞり、
そこから澪の手元へと視線がふと流れる。

触れ合うわけではないのに、そこに確かな“つながり”を感じていた。
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