触れられない横顔に、恋をした ~ミステリアスな彫刻家と仮面の受付嬢~

冬島六花

文字の大きさ
2 / 4

2.ふたたびの炎

しおりを挟む
 館内に焦げた匂いが立ちこめたのは、午後三時を少し回った頃だった。
 
 最初に異変に気づいたのは警備員だったが、非常ベルが鳴ったときには、すでに一部の展示室に煙が広がっていた。避難誘導の放送が流れ、美術館の空気が緊張に染まる中、エリーズはただひとつの方向へ駆けていた。

 彫刻室。
 あのガラスの奥、彼のアトリエへ。

(レアンドル……! どうしよう、あなたが、死んでしまったら……)

 どうして火が出たのかなんて、わからない。
 だが、レアンドルとエリーズ、二人の記憶に棲みつく過去の恐怖と、現在が重なる。

(また、誰かが嫌な思いをして……私の居場所も壊されるなんて……絶対にイヤ)

 煙の匂いが強まる中、エリーズはガラスの回廊に足を踏み入れた。足元に散った破片が、小さく光る。照明はすでに落ち、非常灯だけが館内を照らしている。

 扉の前で、ひと呼吸。

「レアンドル! 中にいるの?」

 返事はない。

 しかし、エリーズには確信があった。彼はこの部屋を捨てたりしない。
 ここは、彼の心そのもので、居場所そのものなのだから。

 ドアノブに手をかけると、熱がじんわりと伝わってきた。恐怖が喉を締めつけた。
 けれど、迷っている暇はない。

(怖い。でも、……行かなきゃ)

 エリーズはハンカチで手を覆い、扉を押し開けた。
 すると――。

 彫刻室の中は、すでに煙に満たされていた。

 焚きつけられた木片や紙、作業台の端から火が上がり、赤い舌のように空気を嘗めている。彫刻の少女が、煙の中で泣いているように見えた。

 そしてその向こうに——彼がいた。
 レアンドルは、作品を抱くようにして、倒れかけた脚立の前に膝をついていた。

「レアンドル!」

 エリーズの叫びに、彼はゆっくり顔を上げた。焦点の合わない目、肩で荒く呼吸している。

「なぜ……来たんだ……逃げろ……っ」

「バカッ……! 逃げてほしかったなら、どうしてここに残ったの! あなたこそ逃げるべきでしょう!」

 泣きそうな声だった。焦げ臭い煙が目を刺す。エリーズは駆け寄り、レアンドルの手を掴んだ。
 だが彼は動こうとしない。腕の中にある彫刻を、まるで命のように守っている。

「これが、僕の全てなんだ。彫刻がなくなったら、僕を思い出す人など誰もいない。……そうだろう?」
「違う!」

 エリーズは思わず叫んでいた。

「違うわ、レアンドル。私があなたを見てる! この目で、仮面も、傷も、ぜんぶ……! だから今は、私と逃げて」

 声が震えていた。
 そのとき——天井の梁から落ちてきた火の粉が、ふたりの間にぱっと弾ける。ガラスの仕切りが軋み、次の瞬間、パリンと高く割れた。

「きゃあっ!」

 破片が飛び散り、ふたりの視線が真正面で交差する。
 レアンドルの左頬。火傷の痕が、炎に照らされて浮かび上がる。

「急ぎましょう。私があなたを見ているから。これからは私が、あなたの仮面になってもいいから」

 エリーズは真剣な声で言った。

「あなたを見てくれる人がいるって、信じて!」

 レアンドルの表情が、ふっと崩れる。彼の瞳が、まっすぐにエリーズを捉えた。

「……僕を見ている? 君が……?」

 火の粉が舞う中、彼は立ち上がり、エリーズを抱きしめる。かたい腕のなかに、静かな震えがあった。彫刻ではなく、彼は今、人間を選んだのだ。

「ありがとう……ごめん……」

 彼の言葉は、どこか拙く、けれど誠実だった。

(私……やっと、誰かの心の中で〝見られた〟んだ)

 エリーズは目を閉じ、彼の胸に額を寄せた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

新人メイド桃ちゃんのお仕事

さわみりん
恋愛
黒髪ボブのメイドの桃ちゃんが、働き先のお屋敷で、旦那様とその息子との親子丼。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

処理中です...