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3.素顔の二人
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三日後、新聞に載った火災の記事には、幸いにも負傷者無しと記されていた。当初は放火の疑いも視野に入れ捜査が行われたが、失火原因は職員控え室のストーブだったようである。
美術館は一時休館になったが、奇跡的にレアンドルの彫刻は無事だった。
記事にさりげなく添えられたのは、二枚の写真だ。
一枚目は、天才彫刻家であるレアンドルの写真。
手首をくじいたため病院で療養中の彼だが、もう顔は隠していない。短く整えた髪の下、火傷の跡もそのままに、カメラへ微笑みかけている。
もう一枚の写真には、一体の彫刻が写っている。
『偽りの微笑み』
あの頃のエリーズから着想を得て制作された彫刻には、著名な評論家による賞賛の言葉が添えられていた。
美術館としては、火災のエピソードとともに、レアンドルの新作を大々的に宣伝したいようである。
まるで生きているかのように美しい彫刻。
——その頬は、やわらかく緩み、どこか泣き笑いのようだった。
(今なら、私も笑える。泣きながらでも、ちゃんと……)
仮面の奥で震えていた心が、ようやく陽の光に溶けていく。
それが、二人にとっての——再生だった。
* * *
午後の陽射しが、寝室のカーテン越しに滲んでいた。
透けるようなレースの布を通り、部屋はまるで水の中にいるように、静かな光で満たされていた。
窓辺のベッドに腰かけて、レアンドルは外を見ていた。彼は脱出するときに足首を挫き、手を火傷した。回復するまではベッドで療養することにしたのだ。
まだ回復の途中とはいえ、表情に翳りはない。腕には薄く包帯が巻かれ、左頬には火傷の痕が、ありのままの形で陽を浴びている。
エリーズはそっとベッドに近づく。手にしていたのは、小さな包帯だ。
「ねえ、レアンドル。見ていて?」
レアンドルは不思議そうにベッドサイドのエリーズを見つめた。彼女は自分の手のひらに、その包帯をくるくると巻きつけはじめた。
「……どうして君が巻くんだ?」
「あなたとお揃いにしたくて」
くすっと笑ったエリーズの顔は、以前よりもずっと柔らかい。嘘をつく必要のない笑顔だった。
(私、もう仮面をつけなくていいんだ)
手を包帯で覆ったまま、彼の頬に触れる。火傷の皮膚は、やはり少しだけ硬くて、でもその下に確かに、命の熱があった。
レアンドルは目を閉じ、エリーズの手にそっと頬を預ける。
「レアンドル。……顔、もう隠さなくていいの?」
「ああ。君と出会って、考え方が変わった。隠してると、かえって意識してしまうんだと気づいたんだ。それは、過去のトラウマを強化することにもなるから、よくない。……それが、僕なりの結論だ」
「そうなのね。……私は、あなたの顔がずっと見たかった。だから、嬉しい」
「……ありがとう。考え方が変わったのは、君が現れたからだよ」
レアンドルは少し顔を赤らめた。その不器用さが、エリーズには愛しくてたまらなかった。
「火傷の痕も、過去のことも、変えられない。……でも、私にはあなたが、美しく見えるわ」
レアンドルがゆっくり目を開けた。まっすぐにエリーズを見るその目に、ためらいはなかった。
「君に見てもらえるなら……僕は〝ここにいていい〟と思える」
「私も、あなたと話すから〝ここにいる〟って感じられるわ」
あの頃、誰かに見られることが怖かった。だけど今、見つめてくれるこの瞳があるなら——。エリーズは、もう何も隠さずに、まっすぐに笑えた。
「ねえ、レアンドル。……本当の美しさって、何だと思う?」
「……そうだな。……嘘のないもの。逃げないもの。君みたいな、笑顔」
静かに交わされた言葉に、胸があたたかくなる。
エリーズはもう一度、包帯を巻いた手でレアンドルの指を握った。まるで、その痕ごと愛おしむように。
外では木々が風に揺れ、葉の影がレースのカーテンに映っていた。光が跳ね、影が揺れる。そのすべてが、ふたりの時間に寄り添っているようだった。
「レアンドル、いつかまた、私の彫刻を彫ってくれない?」
「……ああ。君を彫りたい。仮面じゃない、本当の顔を」
ふたりは手を重ねたまま、寄り添い、静かに目を閉じた。
——あの火は、もう消えた。
けれど、ふたりの胸の中には、新しい灯りがともっている。
それは、誰にも壊せない、赦しと再生の火だった。
(これが、私の笑顔。本当の、私の——)
やさしい風が、ふたりを包んだ。
美術館は一時休館になったが、奇跡的にレアンドルの彫刻は無事だった。
記事にさりげなく添えられたのは、二枚の写真だ。
一枚目は、天才彫刻家であるレアンドルの写真。
手首をくじいたため病院で療養中の彼だが、もう顔は隠していない。短く整えた髪の下、火傷の跡もそのままに、カメラへ微笑みかけている。
もう一枚の写真には、一体の彫刻が写っている。
『偽りの微笑み』
あの頃のエリーズから着想を得て制作された彫刻には、著名な評論家による賞賛の言葉が添えられていた。
美術館としては、火災のエピソードとともに、レアンドルの新作を大々的に宣伝したいようである。
まるで生きているかのように美しい彫刻。
——その頬は、やわらかく緩み、どこか泣き笑いのようだった。
(今なら、私も笑える。泣きながらでも、ちゃんと……)
仮面の奥で震えていた心が、ようやく陽の光に溶けていく。
それが、二人にとっての——再生だった。
* * *
午後の陽射しが、寝室のカーテン越しに滲んでいた。
透けるようなレースの布を通り、部屋はまるで水の中にいるように、静かな光で満たされていた。
窓辺のベッドに腰かけて、レアンドルは外を見ていた。彼は脱出するときに足首を挫き、手を火傷した。回復するまではベッドで療養することにしたのだ。
まだ回復の途中とはいえ、表情に翳りはない。腕には薄く包帯が巻かれ、左頬には火傷の痕が、ありのままの形で陽を浴びている。
エリーズはそっとベッドに近づく。手にしていたのは、小さな包帯だ。
「ねえ、レアンドル。見ていて?」
レアンドルは不思議そうにベッドサイドのエリーズを見つめた。彼女は自分の手のひらに、その包帯をくるくると巻きつけはじめた。
「……どうして君が巻くんだ?」
「あなたとお揃いにしたくて」
くすっと笑ったエリーズの顔は、以前よりもずっと柔らかい。嘘をつく必要のない笑顔だった。
(私、もう仮面をつけなくていいんだ)
手を包帯で覆ったまま、彼の頬に触れる。火傷の皮膚は、やはり少しだけ硬くて、でもその下に確かに、命の熱があった。
レアンドルは目を閉じ、エリーズの手にそっと頬を預ける。
「レアンドル。……顔、もう隠さなくていいの?」
「ああ。君と出会って、考え方が変わった。隠してると、かえって意識してしまうんだと気づいたんだ。それは、過去のトラウマを強化することにもなるから、よくない。……それが、僕なりの結論だ」
「そうなのね。……私は、あなたの顔がずっと見たかった。だから、嬉しい」
「……ありがとう。考え方が変わったのは、君が現れたからだよ」
レアンドルは少し顔を赤らめた。その不器用さが、エリーズには愛しくてたまらなかった。
「火傷の痕も、過去のことも、変えられない。……でも、私にはあなたが、美しく見えるわ」
レアンドルがゆっくり目を開けた。まっすぐにエリーズを見るその目に、ためらいはなかった。
「君に見てもらえるなら……僕は〝ここにいていい〟と思える」
「私も、あなたと話すから〝ここにいる〟って感じられるわ」
あの頃、誰かに見られることが怖かった。だけど今、見つめてくれるこの瞳があるなら——。エリーズは、もう何も隠さずに、まっすぐに笑えた。
「ねえ、レアンドル。……本当の美しさって、何だと思う?」
「……そうだな。……嘘のないもの。逃げないもの。君みたいな、笑顔」
静かに交わされた言葉に、胸があたたかくなる。
エリーズはもう一度、包帯を巻いた手でレアンドルの指を握った。まるで、その痕ごと愛おしむように。
外では木々が風に揺れ、葉の影がレースのカーテンに映っていた。光が跳ね、影が揺れる。そのすべてが、ふたりの時間に寄り添っているようだった。
「レアンドル、いつかまた、私の彫刻を彫ってくれない?」
「……ああ。君を彫りたい。仮面じゃない、本当の顔を」
ふたりは手を重ねたまま、寄り添い、静かに目を閉じた。
——あの火は、もう消えた。
けれど、ふたりの胸の中には、新しい灯りがともっている。
それは、誰にも壊せない、赦しと再生の火だった。
(これが、私の笑顔。本当の、私の——)
やさしい風が、ふたりを包んだ。
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