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第一章 辺境のハロウィンパーティ

1-3.退職の決意、教務主任の優しさ

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 リズの心は決まっていた。今の勤務先は退職し、他の学校に転職するのだと。

 幸い、激務で知られる教師の成り手は引く手数多である。最初から正規職員は難しくても、探せばそれなりの仕事は得られるだろう。親族に頼らずとも、自立して生きていくことはできるはずだ。

 リズは裕福な商家の養女で、歳の離れた弟と妹がいる。実の母親が亡くなったところで、子どものいなかったジャクスン家に引き取られた。養母は病気がちで、医者から子どもを望めないと言われていた。
 八歳頃までは、幸せに暮らしていた。
 しかし養母が幸運にも妊娠し弟が生まれると、リズは放っておかれるようになった。ほどなくして妹も生まれ、リズは完全に家族の中は異質な存在となった。
 幼い子どもに手がかかるのは当然だ。リズだって幼かったが、自立して生きていこうと決意した。
 学校での勉強を頑張り、クラスではそこそこの優等生。大学にも進学することができた。

 大学では地質学を専攻した。鉱物や地層を見るのが好きだったからだ。

 リズの母親は、形見として孔雀石《マラカイト》の耳飾りと首飾りを残してくれた。深い緑色に、孔雀の羽のような縞模様が美しい石だ。

(石はいつだって最高! 眺めていると、地球の神秘を感じる……!)

 教職課程も履修し、教員資格を得て王都の寄宿学校に就職した。今は高等部で理科を教えている。
 進学校のため雰囲気はピリピリしているが、給与や待遇には満足している。
 幸いにも、教師の同僚と恋愛関係になり、婚約までこぎつけた。
 このまま結婚して仕事を続ける未来が、リズにはありありと想像できた。それなのに――。

(考えても、仕方ないわね)

 溜め息を吐きながら、リズは教務主任室のドアをノックした。



 リズの婚約者の浮気相手・トミーは、リズが勤務する学校の教務主任の息子である。

 つまり、教務主任は憎むべき相手の父親。しかしリズは彼に嫌な感情を持ってはいなかった。

 噂が広まり、リズが退職を考え始めると、一番そばで心配してくれたのは彼だったからだ。

「申し訳ありません。退職します……」

「リズ。本当に申し訳ない。うちの息子がとんでもないことをしてしまった」

 細い身体付きで眼鏡を掛け、伸ばした白髪交じりの黒髪を後ろで束ねた老年の教務主任は、心底申し訳なさそうにリズに謝った。

「いいえ、息子さんや教務主任を恨んではいません。突然、恋に落ちることは、誰にでもありえることですから」

「いや、でも、その、相手は男……」

 相手が男性だというのは、さすがにプライドを傷つけると思ったのであろう。

「教務主任! 今はそんな時代ではありませんよ。性別に関係なく、どんな恋愛も周囲に祝福され、受け入れられるべきだと私は考えています。生徒たちにもそう指導しています。だから、どうかお気になさらないで」

 泣き出したいような情けない気持ちを抑えて、リズは言った。気に病んでも仕方ない……といっても気に病んでしまうが……自分の心を抑えるしか、考えつく方法がない。

「しかし君、行くあてはあるのか?」

「それは」

「君は教師の仕事が好きだろう。どうだ、私の知り合いが、サウザンプールで寄宿学校にいる。かつては栄えた港町だ。教師を募集しているようだから、行ってみないか」

 街の名前には聞き覚えがあった。国境沿いの港街である。実際に訪れたら経験はないが、古くから栄えていた歴史ある街だ。

(良いかもしれないわ)

 どうせ自分を守ってくれる人はいないのだ。

「ありがとうございます、教務主任。私、新しい環境で仕事をしたいと思います」
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