顔がイイだけのチャラ男なんて、大嫌いです! 〜カタブツ営業職女子が、美貌の新入社員に堕ちるまで〜

冬島六花

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第4章 彼の成長、暴かれる秘密

4.3.四人の重苦しい対話(4,583字)

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 マンションの玄関前に立つ葛西課長と敦子の姿を見た瞬間、沙月は反射的に絢斗の手を放した。
 しかしその仕草はぎこちなく、すでに〝何かを隠している〟ような印象を与えてしまっていた。

(しまった……これじゃあ、ますます誤解される)

 静かな夜の空気に、重たい気配が滲む。
 展示会の成功と、それを祝おうとする穏やかな空気が一瞬で吹き飛び、手にしたレジ袋のビールとつまみが、とたんに場違いなものに思えた。

 そんな中、敦子が一歩前に出て口を開いた。

「葛西課長が、沙月のことを心配してて……今日が社外イベントだったから、私がここまで案内したの。けど、まさか帰りまで絢斗くんと一緒だったなんて……沙月、きちんと説明するべきだと思う」

 その声には、親友としての気遣いと、どこか〝責任を問う〟ような鋭さが混ざっていた。
 隣で腕を組んでいた葛西課長も、低く落ち着いた声で続ける。

「沙月さん。君が新人の指導をしていることは承知しているが、最近の君たちの様子には……疑念を感じざるを得ない。仕事と私情が混在するのは、会社としても好ましくない」

(……来た。正面から、それを言われる日が)

 沙月の心臓が、静かに、でもたしかに早まる。
 会議室での夜も、展示会での奮闘も、信頼を育んできた時間だったと自負していた。けれど、外から見れば――そんな事情は知られないまま、こうして疑いに変わっていくのだ。

「申し訳ありません。俺には社会人としての自覚が足りていませんでした」

 絢斗が小声でささやき、沙月を見上げる。困惑と不安が混じったその瞳に、胸が痛む。

(大丈夫。私が、ちゃんと守るから)

 沙月は一度目を閉じて深呼吸し、冷静な声で言った。

「……こんな場所で立ち話も何ですし、中でお話ししましょう」

 その提案に誰も異論を挟まず、沙月は玄関の鍵を開けて、三人を部屋へと招き入れた。

 ドアを開けると、こぢんまりとした1LDKのリビング。
 築古でオーロロックもないが、家賃のわりにゆったりとした間取りであるところと、日当たりの良さが気に入って選んだ、沙月の城だ。
 ソファとローテーブル、窓際の観葉植物。いつもなら、心が落ち着く空間。だが今は、どこか張りつめた空気が漂っていた。

「とりあえず、座ってください」

(私が安心できる場所に、こんなふうに嵐が入り込んでくるなんて……でも逃げない。これは、必要な対話)

 沙月はレジ袋をキッチンカウンターに置き、麦茶を注いで四つのグラスを並べる。
 葛西課長は無言でコートを脱ぎ、ローテーブル前の薄型クッションに腰を下ろす。敦子もその隣に並び、黙って様子を窺っていた。

 絢斗は反対側のクッションに座り、沙月を見上げるようにして問いかけるような眼差しを送る。

(絢斗の表情……きっと私よりも戸惑ってる。でも、彼は逃げてない)

 沙月は最後に自分の席に座り、テーブル越しに向かい合う形で言葉を発した。

「葛西課長……そして、東雲敦子さん。まずご報告させてください。今日の展示会は無事に終わり、大きな成果を上げられました。絢斗くんも、新人とは思えない働きをしてくれたんです」

 声は穏やかに、けれど芯を持って。
 感情を挟まず、まず〝成果〟を事実として提示する。

「そのお礼に、今夜は二人で労をねぎらおうと思っていただけです。あくまでも、メンターとしてです」

(……それだけじゃないって、自分でもわかってる。でも、今ここで言うべき〝順番〟がある)

 だが、葛西課長の視線はなおも鋭く、敦子の表情も曇ったままだ。
 部屋に静寂が流れ、一拍置いて絢斗が小さく咳払いをした。

(この空間が今、私たちの絆を試してる。仕事として、そして――それ以上の何かとして)

 沙月はそっと指を組み、深く息を吸い込んだ。

(言わなきゃ。逃げずに、誠実に向き合う。それが、私の責任)

 さあ、これからが本番だ。
 揺らぎの夜を越えて、今ここで何を語るか――それが、すべてを変える。
 拳をぎゅっと膝の上に置くが、わずかに震えが残る。
 室内はひどく静かで、窓の外から聞こえる車の音すら、まるで遠くの国の出来事のようだった。

(冷静に。言葉を間違えたら、全部が崩れる)

 深く息を吸い、沙月は覚悟を決めて口を開く。

「葛西課長。あなたと恋人としておつきあいしている立場であるにも関わらず……誤解を招く行動をしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」

 声は震えずに出た。けれど、胸の奥には強い痛みがあった。

(これは嘘。でも……今の私には、こう言うしかない)

「絢斗くんとは、あくまでメンターとメンティという意識でした。けれど、知らず知らずのうちに、距離が近くなっていたのかもしれません」

 葛西課長の表情がわずかに動く。眉間に刻まれる皺が深くなり、視線はまっすぐ沙月の中をのぞき込むようだった。

「最初の頃、君は絢斗くんに手を焼いていたよね? それがいつの間に、こんなに親密になったのか……それが気になっている」
 
 葛西課長は、淡々とした口調で、沙月に問いただす。

(わかってる。私の口から出るどんな言葉も、正当化にしか聞こえないって)

 沈黙が落ちた。その重みに押し潰されそうになった瞬間、敦子が口を挟む。

「まぁまぁ葛西課長、ご存じの通り、沙月って仕事に真面目すぎるくらい真面目でしょう? たぶん、ちょっと頑張りすぎちゃったんですよ。絢斗くんも、新人とは思えないくらい頑張ってたって評判でしたし」

 明るく和らげようとする敦子の声も、この場ではうまく空気を変えられない。

(敦子……ありがとう。でも、私は自分の手で、この場を収めなきゃいけない)

 テーブルの上に並んだ麦茶のグラスは手つかずで、代わりに張りつめた視線だけが交錯する。絢斗は口を閉ざしたまま、緊張した面持ちで二人のやり取りを見守っている。

(しゃべらないで、絢斗くん。今は私が、あなたを守るから)

 沙月はふたたび葛西課長を正面から見据えた。

「課長。たしかに最初は、絢斗くんの指導に手を焼きました。でも彼は、展示会の仕切りを任されるまでに成長したんです。私はただ、そのサポートを全力でしたまでで……」

 言葉に詰まりかけ、唇を噛みながらも続ける。

「……距離が近くなっていたことは否定できません。それが誤解を生むなら、私の配慮不足です。申し訳ありません」

 深く頭を下げる。拳が膝の上でじんわりと汗ばむ。
 良心が痛む。でも、これ以上、二人の真実を明かせば、絢斗を守れなくなる。
 それだけは、できなかった。

(私は、嘘をついた。けど……この場を壊さないためには、これしかない)

 しばらく沈黙が続き、葛西課長は低く溜め息をついた。

「……沙月さん。君の真面目さや責任感はよく知っている。絢斗くんがここまで成長できたのも、君の指導のおかげだろう。だが、それでも立場というものは、守らなければならない。職場の秩序というのは、そういうバランスの上に成り立っているんだ」

(わかってる。だからこそ……私は)

 その声には、どこか寂しさが混じっていた。
 恋人としての怒りというより、上司としての失望に近い響きだった。

 敦子がそっと口を添える。

「葛西課長、沙月はもう十分反省してると思います。展示会の成功もありますし、今日はこのへんで……」

 ようやく空気が、ほんの少し緩んだ。
 絢斗が目を伏せ、ほっとしたような吐息を漏らす。

(でも……私は、今日、ひとつの嘘をついた。きっと後悔する)

 それでも、あのとき自分が言わなければ、絢斗はもっと傷ついていた。
 だから、この選択は必要な嘘だったと、沙月は自分に言い聞かせた。

(私が守るって決めたんだから。全部、自分で背負わなければ)

 静かな部屋に、麦茶のグラスが小さく汗をかいていた。
 誰も手をつけないその水滴だけが、今の空気を静かに物語っていた。

 *

 葛西課長はソファに腰を下ろしたまま、沙月を鋭く見据えて問うた。

「沙月さん。つまり君は、不義密通はしていないということだね?」

 その一言が部屋の温度を凍らせる。
 沙月はごくりと唾を飲み込み、内側から押し寄せる激しい葛藤を必死に抑えていた。

(……どうしよう。ここで否定すれば、絢斗を守れる。でも、それは……嘘)

 会議室の記憶がよみがえる。あの夜の、濡れた吐息と熱く重なった体温、そして――愛。
 沙月は拳を膝に押し当て、震える指先を隠しながら、低く、静かに答えた。

「……はい。していません」

(許して……お願い)

 言葉にした瞬間、心臓が鋭く痛んだ。
 静寂が室内を満たし、誰もが息を詰める中で、葛西課長の手がゆっくりとスーツの胸ポケットに伸びた。

 彼が取り出したのは、小さなICレコーダーだった。
 テーブルの上に無造作に置かれたそれを見た瞬間、沙月の心臓が跳ねる。

(まさか……)

 葛西課長は、寂しそうに笑った。
 その表情には怒りよりも、深い失望と悲しみが滲んでいた。

「沙月さん……君は、僕に嘘をついてまで、絢斗くんを守るんだね」

 その静かな声に、敦子が慌てて反応する。

「えっ……葛西課長、それって、何でしょうか……?」

「録音だよ。君たちが、社内の会議室で何をしていたのか。……これが、その音声だ」

(嘘……嘘でしょ?)

 答える間もなく、再生ボタンが押された。

『あっ……あぁっ、絢斗くん……!』
『沙月さん、エロすぎます』

 あの夜の、自分の声が、鮮明に部屋に流れ出す。

(やめて……お願い……)

 湿った肌の音、布ずれ、淫らなささやき。
 1LDKの空間に、あの夜の記憶が生々しく再現される。まるで空間そのものが、過去の情事を語っているようだった。

 絢斗は、目を大きく見開いたまま、完全に固まっていた。

「マジ、すか……」

 ようやく、声が漏れる。

「ちょっと待ってよ、葛西課長……何これ、どういうこと!?」

 敦子が声を荒らげる。
 だが、葛西課長は静かに語った。

「君たち二人が、最近よく展示会の準備で遅くまで残ってるって聞いてね。念のため、ICレコーダーを用意して、会議室に張っていたんだ。……まさか、本当にこんなことが起きていたなんて、思いもしなかったよ」

(そんな……葛西課長に、すべて、知られてた)

 言い訳もできず、沙月は膝の上の拳を強く握りしめた。
 あの夜、自分がどれだけ本気だったか。その思いが、今ではただの裏切りとして突き刺さる。

「課長、これは……その……」

 言葉が続かない。
 頭が真っ白になる中、絢斗の小さな声が響く。

「……俺、謝ります! 本当に、申し訳ございませんでした」

 それは自分を責めるような、力ない謝罪だった。
 敦子もあんぐりと口を開け、沙月と絢斗を交互に見る。

「沙月、なんで……なんで黙ってたの?」

 敦子の問いかけは、胸をえぐるように響く。
 沙月は目を伏せ、唇を噛みしめた。

(だって、言えなかった……言えば全部、壊れるから……)

 ICレコーダーから、まだ音声が流れていた。
 まるでその声が、今の二人を容赦なく責め立てるかのように。

 葛西課長は無言で再生を止め、深く長い溜め息をついた。

「……沙月さん。どうするつもりだい?」

 静かに投げかけられたその一言が、ずしりと部屋に響く。
 それは問いではなく、最後通告に近いものだった。

(私は、どうするの……?)

 誰にも答えられない問いが、沙月の胸に重くのしかかっていた。
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