文月帳〜短編&番外編〜

文月 青

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ショートショート編

待ちぼうけ

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後悔先に立たずとはよく言ったもので、些細なことで喧嘩したあの日以来、彼は私を迎えに来なくなった。

「自分が知らない所で、君に何かあったら嫌だから」

特別過保護なのではない。そんな理由で仕事帰りの夜道や、荷物を抱えた買物の後は、頼まなくても必ず何処かで私を待っていた。友人達は私を羨み、秘かに彼のことをナイトと呼んだ。

私達の出会いは五年前に遡る。大学卒業後に入社した会社で、同じ部署に配属されたのが始まりだ。同期ということでお互い顔は知っていたが、いつも先輩や友人に囲まれている彼と、ごく親しい人としかつきあわない私では、接点も話す機会も全くなかった。

「もしかして、アニメ好きなの?」

いきなり背後から声をかけられたのは、デスクで書類を作成していたときだった。

「知ってるの?」

私の母は若かりし頃、父が引くくらいのアニメおたくだったそうで、その中でも現在でもたまにテレビで取り上げられる、お世辞にも格好良いとは言えないロボットものにハマっていた。

娘の私が少しも興味がないのを嘆き、母が復刻したキーホルダーを押しつけてくるので、渋々パソコンの横に飾っていたのだ。よしんば誰か貰ってくれないかなと願いながら。

「身長五十七メートル、ってやつだよね?」

「ごめん。私は知らない」

節をつけて歌ってくれた彼には申し訳ないが、私は母が耳元で喚いていた、このロボットの名前すら記憶にない。

「母の昔の趣味なの」

素っ気なく返したら、

「じゃあ今度お母さんに会わせてよ。うちの親父も無類のアニメ好きで、俺も学校のテストには役に立たない知識を、しこたま詰め込まれたんだ」

屈託のない笑顔で宣う。リーダーシップを発揮するタイプではないが、あっさり壁を超えてこちらの懐に飛び込む人懐こさは、意外にも不快なものではなかった。

「悪いけどうちの母は独身じゃないわよ」

念の為に最初に申告すると、彼は焦ったように首を横に振った。

「いや、誤解しないで。俺、熟女好きじゃないから」

「貴方の嗜好に口を挟むつもりはないけど、私が言っているのはお父さんの方よ?」

もしも寡さんなら下手に期待させてもいけない。そう思って振ってみたのだが、どうやら彼の父親も独身ではないらしい。

「あー、びっくりした」

本気で深呼吸する彼は赤くなったり青くなったり、表情がころころ変わって面白い。周囲に可愛がられる理由が何となく分かった。それからちょくちょく話すようになり、やがて母とアニメ談義に花を咲かせては、我が家でご飯を食べていくようになった。

彼がさほどアニメ好きじゃなかったと知ったのは、つい最近のことだ。彼の友人が教えてくれた。

「君と話すきっかけが欲しくて、必死で調べまくってたんだ。何せあまりにも古いアニメだろ。それでもあのキーホルダーが無かったら、ずっとただの同僚のままだったかもしれない」

縁を結んだのは観たこともない、ロボットアニメのキーホルダーということになるのだろうか。けれど一途な奮闘も虚しく、私が彼の想いに気づいたのは、話すようになってゆうに二年の時が過ぎてからだった。

「遅くなるときは連絡してよ」

お互いラブラブもベタベタも当てはまらない、どちらかといえば中年夫婦のような、妙に落ち着いたつきあいだったが、ただ一つ彼が譲らなかったのがお迎えだった。

来て貰えば助かるのは事実だが、少し大袈裟ではないかと怪訝に思っていたある日、二歳下の妹さんが以前変質者に追いかけられたことがあると打ち明けられた。

「幸い事なきを得たけど、妹は今でも後ろから足音が近づくだけで怯える」

妹さんを救ってくれたのは、忘れ物を届けに来てくれたバイト仲間で、走って逃げる彼女に影のように張り付く男に、自身も同じ男ながらぞっとしたのだという。午後十時を回った夜の話だそうだ。

「煩くてごめん。何もないのが一番だけど、でも君に万が一のことがあったとき、その場にいられないのは嫌なんだ」

ナイトなんて生温いものではなかった。彼の私を守りたいと願う気持ちが痛い程伝わってくる。ありがとうと言う代わりに、私は素直に彼のお迎えを待つようになった。

なかなか進展しない、縁側で日向ぼっこをするような関係ではあったが、それでも私と彼の間には温かな何かが芽吹き、呼吸をする度にそれは少しずつ育っていった。

みつめあって、手を繋いで、キスをして、一緒に朝陽の中で微睡んで。これから先もずっとそんな日々を重ねていければいいねと笑い合った。

結婚という明確な言葉は口にしなかったが、

「いつか君に一番似合う、真っ白な衣装を着せてあげるから」

彼は照れ臭そうに、やけに遠回りな約束を紡いだ。

珍しく喧嘩をしたのは、二人の未来に想いを馳せるようになった六月だった。休日に映画に行って、観たいものがそれぞれ違った為、揉めた挙句に別々に鑑賞したのだ。つまらないけれど拗れる筈のない喧嘩だった。

先に観終わった私はちょっと悩んだものの、たまにはいいかと彼を待たずに帰途に着いた。やがて家に顔を出すであろう彼を喜ばそうと、大好きなチョコレートの材料を買って、キッチンでせっせと手作りに励んでいた。

映画を観るときに電源を切っておいたスマホを、自分の部屋に置いたバッグにしまい込んだまま。




「百回謝ったら、迎えに来てくれないかなあ」

ひとりでに零れた呟きに、彼の妹が淋しそうに窘めた。

「そんなこと言っちゃ駄目よ」 

妹の左手には控えめな婚約指輪が光っている。来年結婚することが決まったのだ。男の人を恐がって避けていた妹を、付かず離れず見守ってきたのは、あの夜彼女を救ってくれたバイト仲間。きっと彼も喜んでいることだろう。

「お兄ちゃんはきっと怒ってないわよ」

分かっている。彼は私が意地を張って謝らなかったとしても、文句を言うことなく迎えに来てくれる人だ。

「君が無事に帰ってきてくれたら、それでいい」

どんなに遅くなっても厭わず、ひたすら待っていてくれた彼なのに、無事に私の元に帰ってきてはくれなかった。

「あれからもう一年なのね。早いのか遅いのか」

彼のお母さんが切なげに吐息をついた。お線香の向こうで写真の彼が笑う。傍には私とお揃いのキーホルダーが一つ。

映画館で喧嘩をした数時間後、彼は私の知らない所で事故に遭い、謝る暇も与えずに逝ってしまった。スマホの電源を切っていた私は、彼の最期に立ち合うこともできず、駆けつけたときには白い衣装を着せられた彼が、眠るように横たわっていた。

「白い衣装が違うじゃない」

どんなに謝っても、体を揺すっても、もう二度と彼は目を開けてくれない。

「ところで、これなあに?」

妹が仏壇には不似合いなキーホルダーを指した。

「身長五十七メートルの縁結びの神」

ね? と私は遺影に語りかける。

「ちょっとヘンテコだけど、何だか二人らしい」

どれだけ時間が流れても、彼のいない日常に慣れることはない。今でも仕事や用事で遅くなると、私の姿を見つけて、ほっとしたように手を振る彼を探してしまう。

あのとき何故一人で帰ってしまったのか。例え結果は同じでも、一緒にいればこんなふうに離れ離れになることはなかったものを。

「ここまで来てくれるなら、どんなことでもするのに」

彼に向かって微笑む私に、妹とお母さんは言葉を詰まらせた。謝らせてくれなくなった日から、私は彼が迎えにきてくれるのを夢見ている。

永遠に終わらない待ちぼうけの果てに。



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