声を聴かせて

文月 青

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番外編 それぞれの思い

坂井直 5

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玄関で靴を履いたところで、くるみが忘れ物をしたと俺の部屋に戻った。外は穏やかな夕暮れで、肩肘張った気持ちがほっと解れるようだ。うーんと伸びをしていると、叔父さんが母屋の方から笑顔で現れた。手に一冊のノートを持っている。

ーー読んで欲しい。

差し出されるままに頁を繰ると、まるで授業中に会話でもしていたような、短い言葉の羅列が目に飛び込んできた。最初のうちは好きな食べ物や嫌いな食べ物、得意なことや苦手なこと、面白かった本やテレビ番組など、それぞれの嗜好についての話だったが、やがて内面について触れてゆく。

「初恋は?」

ーー小学生のとき。実は保健の先生(笑)。

「今欲しいものは?」

ーー車の免許。無理だとしても、持っていたら家族の役に立てたかも。

「辛かったことは?」

ーー自分の耳のことで親が泣いたとき。直のお父さんとお母さんの結婚の邪魔になってしまったとき。

「私はおじさんに酷いことしてない?」

ーーしてない。ちゃんとこちらの気持ちを聞いてくれて嬉しい。

「手話ができなくても?」

ーー手話ができなくてもこうして話してるよ。直が子供の頃も、学校であったことを喋ってくれる姿に、気持ちが和んだものだよ。

そこで思わずノートから顔を上げる。叔父さんは優しく頷いた。これは叔父さんとくるみの筆談。いつの間に二人はこんなやり取りをしていたのだろう。

「待たせてごめんなさい」

再び目を落としたところでくるみの足音が聞こえたので、俺はノートをこっそり叔父さんに返した。

「おじさん、またね」

当たり前のように手を振るくるみに、叔父さんも嬉しそうに手を振り返す。そういえば遊びに来る友人も、叔父さんに挨拶はしてくれるけれど、男だからさすがに会釈止まり。こうやって「バイバイ」できるのは女の子ならではなのかもしれない。

「くるみは初めから叔父さんに抵抗がなかったよね」

いつものように家まで送って行く道すがら、俺は隣を歩くくるみに訊ねてみた。

「戸惑いはあったよ。どうつきあったらいいのかな、手話もできないのに話しかけてもいいのかなって」

「嫌だとは感じなかったの?」

「おじさんのことよく知らないのに、どうやって嫌になるの?」

予想外の、でも普通なら当然の答えが返ってきた。そのきょとんとした仕草が微笑ましい。

「私ね、おじさんにとって何が失礼になるのかが分からなくて。これまで考えたことがなかったんだけど、自分の目線で見ていたことが、相手を傷つけている可能性もあるでしょ?」

あれこれ思い巡らせていたら、言って良いことと悪いことが分からなくなり、直接訊ねることにしたと、くるみは苦笑する。

「どんなに大声で喋っても、おじさんにだけ話が通じないなら、内緒話されてるのと同じような気がして」

でも叔父さんは首を振った。伝えようとしてくれる気持ちそのものが嬉しいと。

「で、お互いの好きな物や嫌いな物の、情報交換をしていたの」

きっとそれがあのノートなのだろう。くるみには本当に驚かされる。

「おじさんが言ってたの。直の名前は物事を真っ直ぐに見て欲しくて付けられたんだって」

小学校の授業で名前の由来を調べたときに、両親からそれらしいことを教えられた覚えがある。望んでいることは理解しているつもりだけれど、残念ながら名前負けしているのが実情。

「でも自分のせいで、小さな直まで嫌な目に合うことを叔父さんはずっと危惧していた。ところがそんな叔父さんに、直のお母さんが」

ふいにくるみがおかしそうに吹き出した。

「困っている人がいたら助けるのは当たり前。いちいち卑屈になってどうするんですか。若ハゲしますよ。そう駄目出ししたそうよ」

俺は額を押さえた。気遣いも何もあったもんじゃない。母はもしや天然だったのか。

「困ったときは遠慮なく助けられて下さい。その代わり単純に可愛がって。この先直に嫌なことが起こっても、叔父さんの愛情を疑う余地もないくらいーー直のお母さん、格好いいよね」

初耳だった。でも確かに俺は叔父さんを恨んだことはない。高校時代の彼女に振られたときでさえ。たぶん俺の中では無意識のうちに、叔父さんに軍配が上がっていたのだろう。

「叔父さんの現在の目標、知ってる?」

悪戯っぽく目をくるくるさせながら、くるみが俺の顔を覗き込んだ。

「さあ」

「直の赤ちゃんを抱っこすることだって」

気が早いというか、俺一人の努力ではどうにもならないというか。嘆息する俺に、くるみがどことなく不安げな視線を向ける。

「じゃあくるみが協力してくれる?」

何気なく問うと、彼女は弾けたような眩しい笑顔を見せた。


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