隣の他人

文月 青

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番外編

まだまだ他人? 4

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ちゃんと話せないまま日々は無情に過ぎ、斗田の出発は既に明日に迫っていた。と言っても燻っているのは俺だけで、彼女は新天地での仕事に胸を膨らませている筈だ。

「結局瀬戸はどうしたいんだ?」

今日は仕事が休みなので、ダイニングで藤沢と男二人向かい合っている。茜が近くの友人宅を訪ねているらしく、奴は迎えの連絡が来るまでうちで暇潰し中だ。

「よく分からん」

コーヒーを一口飲んで渋面を作る。不味い。同じインスタントなのに、やはり斗田が淹れると美味く感じるのはどういうわけだ。

「仕事の邪魔はしたくない。斗田の浮気も疑っていない。でも離れたくないと縋って欲しい」

「声に出して確認するな」

口を尖らせる俺を、藤沢はそれはもう楽しそうに眺めている。

「そのくせ明日は気持ちよく送り出してやるつもりなんだろう?」

当然だ。しこりを残したら斗田の足を引っ張るじゃないか。そんなことだけは絶対にしたくない。

「あのさ、瀬戸。遠慮してるのはお前も一緒だよ?」

涼しい顔でカップに口をつけながら、特に味の感想を洩らさずに藤沢は続けた。

「瀬戸は勝手に負い目があるからと、無意識のうちに自分の行動に制限をかけているけれど、斗田は我慢を強いられたと思うタイプかな?」

「意味が今一つ」

「斗田は自分で決めて、女たらしのお前の隣にいたんだ。そのことに責任を取って欲しいとは考えていないんじゃない?」

たらしは余計だと文句を吐きつつ、ふと先日会社の先輩と飲んだときのことが頭をかすめた。仕事で会えなかったが為に別れた彼女が、気を使う先輩に本当に望んだと思しき一言。

会いたくて堪らない、どこにも行くな。

「見送る覚悟があるんだから、淋しいって伝えなよ、瀬戸。本当は自分の傍を離れて欲しくないって。そしたら斗田も素直になれるんじゃないかな」

「淋しい?」

「気づいてなかったんだ。お前は自分で思っているよりも、ずっと斗田に一途だよ。昔も今も」

分かっていないのは当の斗田と茜くらいだと、藤沢が笑いを零す。

「やめろ、ガラじゃない」

「たらしの純情か。悪くない」

どこまでも揶揄う藤沢に苛立ち、テーブルの下で足を蹴ってやろうとしたとき、玄関の方から鍵を開ける音が聞こえた。斗田が帰ってきたのだろう。今日は仕事らしい仕事はないと言っていたが、まだ夕方の四時前だ。ずいぶん早い。

「ただいま。藤沢いらっしゃい。茜は一緒じゃないの?」

何を買ったのかぱんぱんのエコバッグを肩にかけて、藤沢に声をかけている。俺はといえば、いらっしゃいの台詞に馬鹿みたいにじーんとしていた。この家が斗田の住処だと認識されている事実に、例えようもない喜びを感じる。

「お疲れ、斗田。これから迎えに行くんだ。またそのうち」

さり気なく俺に目配せをして、藤沢はさっさと立ち上がった。

「茜によろしく」

二人で藤沢を見送って再びダイニングに戻る。テーブルに着いた俺を余所に、斗田は着替えも後回しで、冷蔵庫に買ってきた食材を詰め込んでいた。

「そんなに用意されても、俺は自分じゃ作らないぞ」

残される俺のためにという風情が堪らなくなり、わざとらしくため息をつくと、斗田はきょとんとした顔でこちらを見た。

「作り置きするんだけど。冷凍しておけばチンして食べられるでしょ」

「お前の不味い飯を?」

「一言多い!」

不機嫌に俺を睨む斗田。この顔が見たくてつい言っちまうんだよな、不味いって。俺の舌はとっくに斗田仕様だっていうのに。

「二、三日分だけ作っても仕方ないだろ。そんなことはいいから、明日に備えてゆっくり休め」

「一週間分だし」

何をむきになっているんだか。目くそ鼻くそを笑うだろう、それじゃ。

「同じことだろ」

苦笑する俺に斗田はどこまでも噛みつく。

「違うよ。食材が切れたら帰ってくるんだから」

一瞬頭にはてなマークが浮かんだ。

「お前、まさか、週一で帰ってくるつもりなのか?」

言葉の意味を理解して慌てる。

「当たり前じゃない。仕事は大事だけど、せ、瀬戸だって大事なんだよ?」

偉そうにしているわりに斗田は真っ赤っかで、つられて自分のほっぺたまで熱を帯びてくる。いきなり何を口走ってくれるんだこいつは。

「もちろん実際は難しいかもしれない。でも無理なときやできないときはちゃんとそう言う」

そこで斗田は自信なさげに俯く。

「だから帰ってこいって…。嘘でいいから」

「嘘?」

「瀬戸が私と離れても平気なこと、ちゃんと分かってる。でもせめて騙されて向こうに行きたい」

可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったもんだ。ったくこの女。一回ぶん殴っていいかな。

「誰が平気なんだ? あ? この野郎。冗談じゃねーぞ」

俺は苛々しながら冷蔵庫の前に佇む斗田の前に回り込み、問答無用で彼女の両頬をびろーんと伸ばした。

「いにゃい」

「喧しい。簡単には会えねーわ、昔の男は一緒だわ、仕事は上手くいってほしーわで、出張の話を聞いてからこっち、ずっとグダグダなんだよ俺は」

みっともなく喚いた後、斗田を囲うように壁ドンならぬ冷蔵庫ドン。しばしみつめあっていたものの、彼女は小刻みに肩を震わせる。

「笑うな」

半ば本気で拳骨を落とす俺に、斗田は我慢できずに声を上げる。それは久々に目にした屈託のない笑顔だった。


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